2013年6月25日火曜日
悪夢から覚めた朝のポエム(頭いたい)
同じようなことを何度も書いてきた自覚があるが、それは仕方ない。
ネット開始は1996年8月なので(最初はパソコン通信)、17年になる。
こんなこと誓って言う必要はないが、
ぼくがネットに書いたことを読んで
教会に通いはじめ、洗礼を受けたという人は
(少なくとも「そうである」と言っ(てくれ)た人は)、
まだ一人もいない。
17年で、まだ一人も。
その理由ないし原因は
ぼくがネットに書く内容が「悪い」からであることは明白なのだが、
そこで開き直って
「ネットは伝道に向かない」とか言うもんだから
ぼくは、ぼくが始末におえない。
しかし、このことにぼくががっかりしているわけではないし、
卑屈にも思っていない。
「だから意味が無い」とも思っていない。
ここで話を中断して、論理を飛躍させる。
ぼくは日本の教会の「内部取引」を「伝道」だと思っていない。
こっちの教会がイヤになったから、あっちの教会に移った。
これは「伝道」ではない。ただの「内部取引」だ。
バランスシート上ではプラマイゼロ。
いや、結果はゼロではないね、マイナスだ。
どうやら「内部消費」してるようだ。
外に向かうべきだろう。新規を求めるべきだろう。
テレビのCM出したり、番組に出演しますか?
ポスティングのチラシは読んでもらえますか?
それが「悪い」とも「効果が無い」とも言うつもりはない。
言いたいことは、そこで起こる、いろんな省略や割引や水増しの問題だ。
省略とは、割引とは、水増しとは何であるかは詳しく書かない。
論点をずらされて、話の腰を折られるのはめんどくさい。
ただぼくは「内部取引」と「内部消費」は「伝道」ではないと
言葉の定義の問題を言ってるだけだ。
あとは、
この国の現状に満足している人は、たぶん「伝道」には向かない。
そう言いたいだけだ。