2013年6月4日火曜日
「今の日本ではキリスト者だからという理由で迫害されることはない」のですが
「今の日本ではキリスト者だからという理由で迫害されることはない」という言葉は、人口に膾炙していると思うし、ぼくもまあ、たまに言います。
で、そういう言葉を口にしているときのぼくたちは、だいたいちょっとヘラヘラ笑っている。
それが悪いわけではない。
ですが、どう言ったらいいのか、表現しにくいのですが、なんとも言えない違和感が、いつもつきまといます。
「人畜無害ですね」と言われているのとほぼ同義語だよな、と思うのに。
「あなたがたが何を言っても、何をしても、大勢に影響はありませんね」と見られていることを意味しているんじゃないかなと思うのに。
「まあ、今ぐらいの程度でやめといてね。それ以上になると叩くからね」と、ほとんど無言で警告されている面もあると思うのに。
まあ、人畜無害ですよ。大勢に影響ない。各個人の心の中の、密やかな趣味の範囲内。
でも、そこでなんとなくヘラヘラ笑ってしまう、ぼくたちのその顔が、ちょっとだけ悔しい気がしなくもありません。ぼくはね。
真剣でないという意味ではないんですけどね。真剣にヘラヘラ笑っている?という感じですかね。
あくまでもぼくの感覚です。
言い方を換えれば、今の日本でキリスト者や教会が迫害を受けないのは、今のまま放置しておいてもこの国を動かす力にはなりえないと思われているからじゃないでしょうか、という意味です。
Facebookのお友達が紹介しておられたので知りましたが、この国の「宗教分布図」は参考になると思います。
この分布状況は、これから100年経っても200年経っても変わらないだろうと思われているから、日本では今のところ迫害もされない。
今でも教会が迫害を受けている国や地域は、教会を放置するとその国を変えてしまうのではないかと思われているから、迫害を受けている。
違いますかね。
迫害は無いほうが、それは有難いし、助かります。
ですが、「かすりもしない」と思われている状態で(ヘラヘラ)笑っているのもどうなんだろうと考え込んでしまった、朝っぱらから憂うつな書き込みでした。