2007年12月30日日曜日

地上の人生には価値がある!


コリントの信徒への手紙二4・8~11

「わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望せず、虐げられても見捨てられず、打ち倒されても滅ぼされない。わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために。わたしたちは生きている間、絶えずイエスのために死にさらされています、死ぬはずのこの身にイエスの命が現れるために。」

今日開いていただきましたのは、使徒パウロの手紙の一節です。ここに記されています内容は、大きく分けると二つのことです。

第一は、わたしたちキリスト者は、年がら年中、苦しめられ、途方に暮れ、虐げられ、打ち倒されている存在であるということです。

第二は、しかし、わたしたちキリスト者は、どんな苦しみの中にあっても行き詰まらず、失望せず、見捨てられず、滅ぼされない存在であるということです。

なぜそのように語ることができるのかについて、今日は共に学びたいと願っています。

第一の点から考えてみます。わたしたちは、なぜ年がら年中、「苦しめられている」存在なのでしょうか。パウロが記しているのは、「苦しんでいる」ということではありません。「苦しめられている」ということです。「被害を受けている」という意味で理解できる言葉です。しかし、キリスト者は被害者なのでしょうか。だれからどのような仕打ちを受けているというのでしょうか。パウロは何が言いたいのでしょうか。三つの可能性を私は考えます。

第一の可能性は、キリスト教信仰に対する迫害者から受ける被害です。キリスト教信仰は、残念ながら、すべての人に受け入れられているものではありません。信じる人も信じない人もいます。信じない人のすべてが必ず、信じる人を迫害するわけではありません。しかし、信じない人の中には、非常に強烈な仕方で信じる人を迫害する人々がいることは事実です。パウロも多くの迫害を受けました。ここでパウロが語っている「苦しめられた」体験は、迫害者から受けた被害のことであると考えることには、何の無理もありません。

しかし、それだけでしょうか。それだけであると考えることには無理があると思います。私が考える第二の可能性は、わたしたち自身が持っている罪と弱さから受ける被害です。別の言い方をしますと、わたしたちの人生そのものが持っている苦しみです。わたしたちの罪や弱さには明らかに、それを持つことをわたしたち自身が願って持っているわけでは決してないという面があるからです。おそらくわたしたちの多くは、罪のない人間でありたい、強い人間でありたいと願っているはずです。しかし、その願いに現実が伴わない。願っていない罪を犯す。願っていない弱さに負けてしまうのです。それもある意味で被害です。聖書的に考えるならば、そのように語ることが可能です。

そして、今申し上げた第二の可能性のちょうど裏側に第三の可能性が隠されていると、私は考えます。第三の可能性とは、そのような、わたしたちが願っているわけではない罪や弱さを、わたしたちが持っている理由は何なのかという問いに関することです。

しかし、罪のほうは、ちょっと横に置いておきたいと思います。今考えたいのは弱さのほうです。わたしたちはなぜこれほどまでに弱い存在なのでしょうか。この問いの答えは聖書に基づいて考えるならば、はっきりしています。わたしたちをこのような弱い存在にしたのは、神御自身である、ということです。

パウロは、わたしたちの肉体を指して「土の器」と呼んでいます(7節)。おそらく意味されていることは、二つあります。すなわち、一つの完成した作品になるまではそれ自体では価値のないものからできているということと、たとえそれが完成した作品になったとしても大事にしないかぎり壊れやすいものであるということです。しかし、いずれにせよ、この土の器は神御自身の作品です。わたしたちの存在は、神の創造作品なのです。

もしそうであるとするならば、第三の可能性の内容は、明らかです。わたしたちを弱く壊れやすい「土の器」としてお造りになった神御自身によって、わたしたちは「苦しめられている」という面が、必ずある、ということです。つまり、私が考える第三の可能性は、わたしたちがそのようなものに造られた神御自身の定めから受ける苦しみです。それも、一種の被害と言えるものです。

病気のことを考えれば、すぐにご理解いただけると思います。病気になりたい人など、一人もいません!しかし、現実のわたしたちは、何度でも繰り返し病気になります。このわたしを、神さまは、なぜもっと強いものに造ってくださらなかったのか、と恨んだことがある方は、多いでしょう。ところが、神はわたしたちを弱いものにされました。「わたしたちは神の被害者である」とまで語ることは、やめておきます。しかし、もし一度でも、自分の体や心の弱さを嘆き悲しんだことがある人は、結局、神御自身の定めを恨んでいるのだ、ということを知るべきです。

しかし、このように考えてみたときに、気になることがあります。それは、第一に申し上げました、迫害者から受ける被害という点に関わることです。あまり考えたくないことなのですが、どうしても考えてしまうことがあります。それは、この被害は、ある意味で、簡単に逃れることができる被害でもある、ということです。

どうすればよいのでしょうか。あまり口にしたくない言葉ですが、申し上げます。迫害者から受ける被害を逃れるためのいわば唯一の方法は、キリスト教信仰を捨てることです。信仰を捨てた人に対しては、迫害する理由もなくなるのです。

しかし、わたしたちは、信仰を捨てることができません。パウロは信仰を捨てることができません。救い主イエス・キリストへの信仰とは何でしょうか。それは、救い主イエス・キリストにおいて神がこのわたしを愛してくださっているということを信じることです。このわたしを愛してくださっている方がおられる、とせっかく信じることができたのに、その信仰を捨てるのは、無駄なことであり、もったいないことです。そのようなもったいないことは、わたしたちにはできません。わたしたちが信仰を捨てることができない理由は、このあたりにあるのです。

ところが、この信仰を捨てることができないために、わたしたちは迫害にあう。これは、ある意味でジレンマです。迫害にあいたい人など一人もいません。それは病気になりたい人は一人もいないのと同じです。わたしたちは信仰を捨てることはできませんが、迫害にあいたくはないのです。両方が同時に成り立つ道を探したいと願っています。しかしそれが、なかなか見つからない。そこにまた苦しみが生じるのです。

ただし、です。私自身は、今申し上げている点に限っては、悪意味での被害者意識などは持つべきではないだろうとも考えております。たとえば、次のようなことを考えてみていただきたいのです。差しさわりが生じないように、私の話をします。

私は自分で望んで、あるいは自分で願って牧師という仕事に就きました。牧師の仕事は、おそらくお察しいただけるとおり、けっこうきついものですし、厳しいものです。しかし私はべつに被害者ではありません。もし私が皆さんの前で「牧師の仕事はきつい、厳しい」と言い出しますならば、そんなに言うならお辞めになったらよいのにと思われるでしょう。実際にそういう面があるのです。泣き言ばかり語る牧師は教会にとって迷惑な存在であるはずです。私はこの仕事をやりたいからやっているのです。やらされている、というような意識は少しもありません。

信仰生活にも、この点では同じことが当てはまります。信仰者たちは、なにもべつに、いつでも必ず被害者であるわけではありません。わたしたちは、信じたくて信じているのです。教会に通いたくて通っているのです。信じさせられているのでも、通わされているのでもありません。きついだの厳しいだの言っていると、お辞めになったらよろしかろうと、周りの人々が言い始めるでしょう。信仰と教会に関する一切の重荷を降ろしてしまえば、あなたは今よりずっと楽になることができますよ、と誘ってくるでしょう。

その声のすべてが悪魔の声であると、私は言いません。もしかしたら天使の声かもしれない。ただし、もちろん、私が皆さんに「お辞めになったらよろしかろう」などとはまさか言いません。信仰生活を続けることが、もし皆さんにとっての何らかの被害者意識の原因になっているというならば、その信仰生活のどこかに、あるいは、通っておられる教会に問題があるのではないかと疑ってみる必要があるだろうと申し上げたいだけです。

しかし、です。ここで考えてみなければならないことは、苦しみのないような仕事は、どこにも存在しない、ということです。あるいは、苦しみのないような奉仕も、存在しません。いや、もっとはっきり言っておきます。苦しみのないような人生は、存在しません。遊びにおいてさえ、わたしたちは苦しむのです。苦しみから逃げようとすることは、そのまま死を意味する、と言わなければならない。それほどにわたしたちは、どこにいても、何をしても、苦しみ続けなければならない存在なのです。その意味では、わたしたちの人生そのものが「苦しめられている」ものです。生きていること自体が、いわば被害です。実際にそういう面もあるからです。

パウロがここに「苦しめられている」と書いていることには、思わず書いてしまったという面があるかもしれません。そんなに苦しいなら辞めればよいと言われてしまう、一つの口実を与えます。ある意味では、迂闊な言葉であると言われても仕方がないものでさえあるでしょう。

しかし、です。わたしたち自身は、もちろん、パウロの言葉を迂闊な言葉であるとだけ言って済ますことはできません。明らかな意図をこめて書いている面もある、とも考えるべきです。それは何でしょうか。

前後を読めばはっきり分かることがあります。それは、パウロが「苦しめられている」姿には、イエス・キリストの苦しむ姿が映し出されているということです!

「わたしたちは、いつもイエスの死を体にまとっています、イエスの命がこの体に現れるために」。この意味は、わたしたち(キリスト者!)が、この信仰のために、この教会のために、あるいはこの社会のために、そしてこの人生そのもののために苦しんでいる姿には、あの十字架にかけられた救い主イエス・キリストの姿が、生々しく映し出されている、ということです!

このことに、パウロは大いに励まされていたのだと思います。わたしたちの姿の中に、イエス・キリストのお姿が映し出されることに、です。あんなに嫌な目にあっているなら逃げたらいいのに、辞めたらいいのに、と周りの人が言いたくなるほどに苦しんでいるのに、いつものように起き上がり、立ち上がり、身支度をして出かける、このわたしたちの姿に、十字架上でお苦しみになっておられるイエス・キリストのお姿が映し出されることに、です!

イエス・キリストを信じる者たちは、イエス・キリストの十字架上の苦しむ姿に、胸を打たれ、心砕かれて、信じるようになったのです。人を愛し、世界を愛し、助けるために命をささげてくださった、その姿に胸を打たれ、心砕かれて、信じるようになったのです。

そうであるならば、わたしたちの結論は、はっきりしています。わたしたちの苦しむ姿に救い主の姿が映し出されるとするならば、そのわたしたちの姿を見てもらうことこそが伝道なのです。わたしたちが苦しむ姿には、人を救う力がある。苦しむこと自体が、価値ある人生なのです。

そのことを信じるゆえに、わたしたちは、行き詰まらないし、失望しないのです。打ち倒されても“どっこい生きて”いるのです。

(2007年12月30日、松戸小金原教会主日礼拝)


2007年12月24日月曜日

苦しみを乗り越える力、それは愛


コリントの信徒への手紙一13・13

「それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。」
 
クリスマスイブの礼拝において「愛」について共に考えることは、わたしたちにとってふさわしいことであると思います。

神は、独り子イエス・キリストを世にお遣わしになりました。「ここに愛があります!」(ヨハネの手紙一4・9、10)。

御子イエス・キリストのご降誕は、神の愛の証しです。イエス・キリストのご存在は、神の愛そのものなのです。

今読みましたコリントの信徒への手紙一13・13は、使徒パウロが書いた言葉です。信仰と希望と愛はいつまでも残るとパウロは言いました。いつまでも残るとは、永続的であるということです。

またパウロは、この三つの中で最も大いなるものは愛であると言いました。大いなるとは偉大である、ということです。そしてそれは、いつまでも残るという点にかかるのだと思います。最も大いなるものとは、この文脈では、最も長く残り続けるもののことです。最も長く残り続けるもの、最後の最後に残っているものは、愛である、とパウロは書いているのです。

イメージできるとしたら、マラソンレースです。信仰と希望と愛がレースをしているのです。いろんなものと一緒に走ってきました。しかし、最後まであきらめずに走り続けてきたのが、信仰と希望と愛です。トップスリーというよりも、他のものはみんな脱落していった、あるいは失われてしまった、という感じです。

しかし、ともかく三つは残った。信仰と希望と愛。三者とも表彰台の上に立っています。金メダルと銀メダルと銅メダル。真ん中で金メダルをかけてもらって笑っている、ガッツポーズをとっているチャンピオンが愛である。そういう話であると考えることができます。

しかし、どうでしょうか。ここで、ちょっと立ち止まって考えてみたいと思います。

はたして、このパウロの言葉は、わたしたちにとって本当に納得行くものでしょうか。わたしたちの現実に照らし合わせてみて、どうでしょうか。信仰と希望と愛は、いつまでも残っているでしょうか。心もとないものは、ないでしょうか。

信仰はどうでしょうか。「信仰なんか、とっくの昔に忘れてしまいました」。そういう話を、わたしたちは、何度となく聞くではありませんか。

希望はどうでしょうか。「夢も希望もありません」という言葉をしょっちゅう聞きます。年齢は関係ないかもしれません。中学生、いや小学生でも、人生に絶望してしまう子供たちがいるではありませんか。

愛はどうでしょうか。これも微妙です。もしかしたら、「愛されたい」という思いだけは、最後まで残っているかもしれません。しかしそれは「愛している」という思いでしょうか。わたしたちは、ほんとうに最後の最後まで神と人を愛しているでしょうか。ここに大きな問いがあります。

しかし、今日私は、皆さんにはぜひ、良い意味で安心していただきたいと願っています。今夜はぜひ、安心してお休みいただきたいところです。でも、どうしたら安心できるのでしょうか。

一つの本を見つけました。今から50年も前に書かれたものです。その中に書かれていることが、わたしに深い慰めを与えてくれました。次のように書かれていました。

「使徒パウロがコリントの信徒への手紙一13章に“愛”という文字を記しているところは、“イエス・キリスト”という名前に置き換えることができます。イエス・キリストこそが、この世界に実現した歴史的現実としての愛そのものなのです。」(A. A. ファン・ルーラー『最も大いなるものは愛である』、原著De meeste van deze is de liefde、168~169ページ。)

「愛」をイエス・キリストという名前に置き換えることができるとは、どういうことであるかということは、実際にやってみればすぐにお分かりいただけることです。

「イエス・キリストは忍耐強い。イエス・キリストは情け深い。ねたまない。イエス・キリストは自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える」。

このように読むことが許されるのなら、本当に素晴らしいことです。イエス・キリストはまさにこのとおりのお方だからです。忍耐強く情け深いのは、イエス・キリスト御自身です。イエス・キリストがそのような愛を示されたのです。そして、イエス・キリストのご存在そのものが愛そのものなのです。

わたしたちが注意しなければならないことは、聖書における愛の教えを、ただ単に道徳的な意味だけで理解してはならないということです。

「わたしたちはいかに愛すべきか」という問いは、道徳的な問いです。たとえば、昨日の説教で取り上げましたヨハネの手紙一4章のテーマは、わたしたちはイエス・キリストに示された神の愛を一つの模範にしながら、人間同士どのようにして互いに愛し合うべきであるかという問いかけがなされていたわけですから、これのほうは道徳的な問いです。このこと自体は重要なことです。軽んじられてはなりません。

しかし、わたしたちは、キリスト教的な愛の意味を人間の行為という面だけに限定してしまうことはできません。キリスト教信仰は、宗教です。宗教は道徳を超えるものです。わたしたちにとって重要なことは、人間がいかに愛し合うべきかという道徳の問いだけではありません。神がわたしたちをどのように愛してくださっているかという、宗教の問題こそが重要なのです。

信仰も希望も、そして愛までも、すっかりどこかに行ってしまった。まさに不信と絶望の中にいる。そのような心や生活の状態に、わたしたちは、じつは、しょっちゅう陥っているのではないでしょうか。

わたしたちが苦しい状況にあるとき、つらいことがあるとき、わたしたちは、神に祈ることができません。苦しい時には祈ればよいと簡単に言うことはできません。苦しい時には祈るべき言葉すら見つからない。それがわたしたちの現実の姿です。

しかし、そのときに、です。

「“愛”という文字は“イエス・キリスト”というお名前と置き換えることができます。」

いつまでも残る、最も大いなる愛は、イエス・キリストです!

このイエス・キリストにおいて、神が、あなたを愛しておられます!

そして、その愛は「いつまでも残る」ものです。

あなたが信仰も希望も愛も見失っているときにも、神はあなたを愛しておられます!

あなたは、そのように信じてよいのです。

そのように信じるとき、あなたの心の中に、深い平安と慰めが訪れるでしょう。

クリスマスおめでとうございます!

(2007年12月24日、松戸小金原教会クリスマスイブ礼拝)
 

2007年12月23日日曜日

神の愛、イエス・キリスト


ヨハネの手紙一4・7~12

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。」(4・9)

クリスマスおめでとうございます。今日は楽しくまたうれしい日です。救い主イエス・キリストがお生まれになりました。このわたしの救い主が来てくださったのです。

しかし、このように私が申しますと、一つの疑問が生まれるかもしれません。「救い主、救い主と言うけれど、その方が持って来てくださった“救い”とは何のことだろうか」と。今日考えてみたいと願っているのは、キリスト教的な意味での救いとは何なのかです。

救いの意味は、救済ないし救助です。この字を見て多くの人が最初に思い浮かべることは、難民救済や災害救助、あるいは貧しい人への施しというようなことではないでしょうか。それももちろん重要です。熱心に行うべきです。しかしキリスト教的な意味での救いとはそのようなものだけであると私が語るなら、ちょっと違うのではないかと思われるに違いありません。もちろん私も、それだけではないと考えております。

問題にすべきことは、救いの“中身”は何かです。こういう言い方もできるでしょう。イエス・キリストがもたらしてくださったものは、わたしにとって、何の役に立つのか、それはうれしいものなのか、ありがたいものなのかという問いです。何かご利益(りやく)があるのか、と言い換えてもよいでしょう。それとも、キリスト教とご利益うんぬんは、全く無縁であると言うべきでしょうか。

今日の聖書の個所に目を落としていただきたいと願います。ここに書かれていることが、今申し上げた問いの答えです。一言で言いますと、それは「愛」です。また「わたしたちが互いに愛し合うために必要な要素」です。イエス・キリストをとおして神がわたしたちに与えてくださる救いの中身は、要するに“互いに愛し合う人生”です。愛も、希望も、そして喜びもない人生を救い主が、それとは正反対のものに造りかえてくださるのです。

それこそが、まさにキリスト教のご利益(りやく)です。そのように私は、はっきりと申し上げることができます。
 
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです。」

分かるようでちょっと分かりにくい言葉であると思います。「互いに愛し合いましょう」と言われている以上、ここに語られているのは、明らかに、人間同士の愛です。あなたとわたしの愛です。そうしますと少し分かりにくいと感じられる面が現われてきます。とくに今の人々がおそらく感じるであろうことは、人間同士の愛に神が登場する必要があるのだろうかという問いであると思います。「神を信じていない人々であっても、十分な意味で愛し合っているではないか」という問いです。

実際問題として「愛する者は皆、神から生まれ、神を知っている」でしょうか。「愛することのない者」は、神を知らない人でしょうか。わたしは、あの人を心から愛している。あの人も、わたしを心から愛してくれている。このわたしたちの絆は、だれにも邪魔することができないほど固いものである。しかし、わたしたちは何も、神を信じているわけではない。それほど信心深くないし、神とか宗教には興味がない。そのように考える人々のほうが、今の時代の中では、圧倒的な多数になっているのではないでしょうか。

私自身には、そのような現代の風潮を一方的に批判したり、裁いたりしたいというような気持ちはありません。「神を信じていない人は、本当の愛を知らないから、だから、あのように汚れている、乱れている関係に陥ってしまうのである。ほら、やっぱりそうなった」。そのように言って済ませることはできないと考えております。

私がそのように考える理由は、はっきりしています。神を信じている我々は喧嘩しないのか、という問いがあるということです。神を信じている我々は、いつでも必ず清廉潔白、正しい生活を送っているのか、という問いがあるということです。あるいは反対に、神を信じていない人々の愛は常に汚れていて、常に乱れていて、常に破綻に至るのか、という問いがあるということです。それほど事柄は単純ではないのではないでしょうか。

しかし、わたしは、このように考え、語ることにおいて、今日開いているヨハネの手紙に書かれていることは間違っている、と申し上げたいわけではありません。ただ、短絡的な理解に陥らないように、気をつけなければならない、と思っているだけです。

間違わないために注目すべき点は、9節以下に書かれています。

「神は、独り子を世にお遣わしになりました。その方によって、わたしたちが生きるようになるためです。ここに、神の愛がわたしたちの内に示されました。わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
 
ここに登場する「独り子」が救い主イエス・キリストです。大切であると思われるのは、神は独り子を「世に」お遣わしになった、と記されている点です。これは、先週まで三回にわたって学んできましたルカによる福音書2章の、ベツレヘムの羊飼いたちの前に主の天使が現われて救い主イエス・キリストのご降誕を告げた、あの個所に記されていることに関係しています。主の天使と天の大軍は「地には平和、御心に適う人にあれ」と歌いました。この「地」と「世」は、ほとんど同じ意味であると考えることができるのです。

「地」であれ「世」であれ、いずれにせよ、それは、わたしたちが生きているこの地上の世界を指しています。とくに「世」(コスモス)と言われている場合、それをわたしたちが日常的に用いている最も卑近な言葉で翻訳するとしたら、「世間」です。「神は独り子を世間にお遣わしになった」。このように翻訳することさえできるのだということです。

そして、その場合の「世間」とは、言うまでもなく、神を信じている人々だけが住んでいる世界に限定されるわけではありません。「世」の意味はどう間違っても、信者の集まりとしての教会だけを指しているわけではありません。むしろ逆です。教会はその中に含まれていますが、まさに全人類、その中に信者である人も信者でない人も含まれているこの世界、まさに全世界のことを、聖書は「世」と呼んでいるのです。

そこに救い主イエス・キリストは来てくださいました。そして、この方は、御自身の命をささげて、人の罪を贖うみわざを行ってくださいました。キリストの贖いのみわざとは何かということについて、ほんの少しですが事情を説明しておきます。

この話は要するに、神はきよく正しい方であり、曲がったことが大嫌いなお方であるという点から始まります。神の正しさは、罪を犯す人間に対しては死の罰をもって報いないかぎり満足しないものです。しかし、神は人間を惜しんでくださり、また愛してくださいました。神がお選びになったのは、死の罰をもって人間を滅ぼす道ではなく、何とかして人間を生きることができるようにするために、独り子を世に遣わし、十字架の上で罪人の身代りとなる犠牲として供えてくださるという道でした。御子の死によって償いは完了しましたので、人間と神との関係に和解が成立しました。神は御子イエス・キリストを救い主として信じる人々の罪を赦し、神への感謝と喜びをもって生きる永遠の命を与えてくださることを約束してくださったのです。

しかし、です。たった今申し上げたことの趣旨は、罪を赦していただくことができるのは、イエス・キリストを信じる者たちだけである、ということです。けれども、それではイエス・キリストは初めから、信じる者たちだけのところに来てくださったのかというと、決してそうではないのです。イエス・キリストは「地」にいる「世」の民、すなわち地上の世界に生きる全人類のために来てくださった。父なる神は御子を、全人類を救うためにお遣わしになった。このこともまた、わたしたちは、はっきりと信じてよいのです。

ここには一見、矛盾があると思われるかもしれませんし、その矛盾をわたしたち自身も認めなければならないようにも思われます。私が申し上げていることは、救い主イエス・キリストは全人類のために、すなわち“万人”のために来てくださったということと同時に、それにもかかわらず、イエス・キリストによって救われるのは、信じる者たちだけである、すなわち“信者”だけが救われる、ということだからです。

どこに矛盾があるのでしょうか。もし救い主がまさに神から遣わされた救い主であり、かつその方が全人類のために遣わされた方であるというのであれば、その救い主の持っておられる救いの力は、信者であろうが・なかろうが関係なく、まさに全人類に及ぶと信じられるべきではないか、ということです。もしわたしたちが信者だけが救われると言うのであれば、救い主の力を狭く限定することになるのではないか、ということです。

しかし、です。この問題の解決の一部は先週お話ししたとおりです。イエス・キリストの救いの恵みは、おいしいごちそうであるということです。しかもそれは、だれが食べても「うまい!」と感動するであろう、まさに万人に通じる、万国共通、世界共通の超絶品のごちそうである、ということです。

しかし、その味を知ることができるのは、食べた人だけです!食べるか・食べないかは、本人次第です。メニューの写真も公開されています。店の前には、美味しい香りも漂っています。それでも店に入らない、食べようとしないのは、本人の責任です。それ以上強制することはできないのです。

「ここに愛があります」と言われています。この意味は何でしょうか。考えられる可能性は、今申し上げた矛盾点を、そのまま「愛」と呼ぶということです。どういうことか。イエス・キリストに示された神の愛は、強制的な愛ではない、ということです。「今は食べたくない」と言っている人の口を梃子(てこ)でこじ開けて無理やり捻じり込むような、暴力的な愛ではない、ということです。

それはむしろ、もっとデリケートな愛です。デリカシーのある愛です。それがイエス・キリストに示された「神の愛」の本質であると理解することが可能です。信仰を強制すること、「信仰のない人の愛は必ず破綻する」と強く言い放つこと、「だから信仰のない人は駄目なのだ」と裁くこと、「信仰のない社会は絶望的である」と考えて世捨て人になること。こういうのは「愛」の本質からは最もかけ離れているのだということです。

これ以上は言わないでおきます。申し上げたいのは、否定的なことでも批判的なことでもありません。「互いに愛し合うために必要な要素」です。肯定的で積極的な要素です。

それは「神の愛」であると言われています。私はそれを、繰り返し、デリケートな愛と呼んでおきます。デリカシーのある愛です。強制と暴力の反対です。謙虚さがあり、可能な限りの譲歩があり、また十分な協議と相互理解がある。お互いに納得づくであり、深い信頼と愛情がある。そのようなデリケートで優しい関係です。美味しいごちそうを一緒に食べて、ほんとうに美味しいと喜び、うれしそうな顔で満足している人々の姿です。

そのような「神の愛」をイエス・キリスト御自身が示してくださいました。それは本当に優しくデリケートなものであり、今もそうあり続けています。押しつけがましいものではありませんでした。ガリラヤの人々と共に平和に過ごされた日々において、エルサレムでの戦いの日々において、そして現在、天に挙げられてイエス・キリストの体なる教会と共に生きておられる日々において。

(2007年12月23日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年12月16日日曜日

栄光と平和の満ちる世界


ルカによる福音書2・13~14

「すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。『いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。』」

今日を含めて三回、救い主イエス・キリストがお生まれになったときに、ベツレヘムの羊飼いたちに起こった不思議な出来事を学んできました。羊飼いたちは、野宿をしながら夜通し羊の群れの番をしていました。そこに主の天使が近づいて来て、主の栄光が周りを照らしました。そして、天使が「民全体に与えられる大きな喜び」を羊飼いたちに告げたのです。

その喜びの内容は、「あなたがたのために救い主がお生まれになった」ということでした。その意味は、救い主という仕事をする人が来ました、で終わるものではありません。その救い主によってあなたがた自身が救われる、ということです。その救い主は、あなたがたを、あなたを救うお方である、ということです。

そして、その喜びの知らせは「民全体」に与えられたものであると言われている以上、救われるのは羊飼いたちだけではなくまさに「民全体」であると言わなければなりません。そして、この「民全体」の意味は全人類であると理解すべきであると、先週申しました。そうです、救い主イエス・キリストが持っておられる救いの力は、わたしたち自身を含む、全人類にとって有効なのです。

しかし、このように言うだけでは、まだ足りません。加えて申し上げねばならないことがあります。それは、たとえ救い主の持っておられる救いの力が“全人類にとって有効”であるとしても、それは一方的に押しつけられるようなものではない、ということです。

イエス・キリストの救いの力は、いわば、美味しいごちそうです。しかし、それを本当に美味しいと感じるのは、それを食べたことがある人だけです。あるいはまた、そのときにお腹がすいていた人だけです。食べたことがないし、食べるつもりもないし、今は別のものを食べて満腹しているという人にとっては、「これは美味しいものだ」と言われても、その味を知ることはできませんし、美味しいと思うこともありえません。

イエス・キリストを食べる、あるいは、キリストの救いの力を食べるとは、もちろん、すなわち、信じることです。信じたことがないし、信じるつもりもないし、今は別のものを信じて生きているという人には、イエス・キリストの救いの力が及ぶこともありえないのです。

その意味で、教会はレストランです。「ここで、美味しいごちそうを食べてください」と勧める務めがあります。店構えを整えたり、部屋の掃除をしたり、チラシを配ったり看板を立てたりすることは、わたしたちの仕事です。しかし、「要らない」という人の口を無理やりこじ開けて食べさせることはできませんし、そのようなことをすべきでもないのです。

しかし、わたしたちにできることもあります。実際食べた者たちが、「これ美味しいよ」と多くの人に教えてあげることです。レストランの評判を伝える最も有効な方法は口コミです。

また、実際にそれをいつも食べているわたしたちが、美味しそうな顔をすることです。楽しそうに店に通うことです。そうすれば行列ができる店になる。「あそこに行けば何かがある」と思うのです。

イエス・キリストの救いの力が「全人類」に及ぶために必要なことは、その救いの力によって実際に救われた人々が本当に心から喜んで生きていることです。わたしたちの喜ぶ姿が、わたしたちの笑顔が、世界に救いをもたらすのです。

主の天使に天の大軍が加わった、とあります。どういう意味でしょうか。考えられることを申し上げておきます。理解の鍵と思われるのは、羊飼いたちの前に現れた「主の天使」は単数であるということです。ここにいる天使は、ひとりです。ひとりの天使が、羊飼いたちに向かって福音の説教をしたのです。

しかし、そこに天の大軍が加わりました。もちろん、それは複数の存在です。説教は、基本的に一人でするものです。ある意味で孤独な仕事でもあります。しかし、もし複数の説教者が思い思いに同時に説教しはじめたら、聴く側の人にとっては、たぶんそれを聞き取ることができません。言葉が重なり合って、何を言っているのか分かりません。

しかし、そのとき説教者が本当に「わたしは孤独だ」と考えるとしたら、大きな間違いです。その説教者の背後に、天の大軍がいます!それは賛美する存在です。聖歌隊を思い浮かべるべきでしょうか。選び抜かれ、特別な訓練を受けた人々。おそらくそれだけではありません。

むしろ、それは、神を賛美する存在のすべてです。福音の喜びを賛美奉仕という仕方で表現する存在、それこそが「天の大軍」の姿なのです。

もちろん、神賛美の歌声も聴きとることができます。何を言っているのか分からないということはありません。しかし、賛美と説教は明らかに異なります。説教そのものは歌ではありません。私は今、ここで歌っているわけではありません。説教は論理的な言葉です。論理を用いて語ることができるだけです。

しかし、賛美は論理を超えた言葉です。メロディーがあり、リズムがあり、ハーモニーがあります。説教と賛美。これは礼拝の基本的な要素です。この点から言えば、説教者はなんら孤独ではありません。ベツレヘムで行われた世界で最初のキリスト教礼拝は、天使と天の大軍のコラボレーション(共同作業!)によって行われたのです!

そして、天使と天の大軍の大合唱の内容は、本質的に祈りであったということも加えて申し上げておきます。説教、賛美、そして祈り。祈りも礼拝を構成する重要な要素です。

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ」と言われています。「あれ」とは「あれ!」と命令しているのではなく、「ありますように」と祈っているのです。「いと高きところ」とは天です。天とは、神がおられるところです。それ以上の意味はありません。つまり、天の大軍が歌っていることは、「神のおられる天に、栄光がありますように」であり、神御自身に栄光がありますように、です。

そして、「地」とは、この世界です。神が創造された万物の生きているこの地上の世界です。この地上の世界に生きる「御心に適う人に」平和がありますように、と歌われているのです。

またここに新たな問題が生じます。「御心に適う人」とは誰のことだろうか、という問題です。しかし、これは難しい問題ではありません。先ほど申し上げたことのほとんど繰り返しであると思っていただいて構いません。

ここで歌われている「御心」の意味は、第一義的には神の意志です。神というお方は、御自身の意志を持っておられる存在です。意志とは、要するに、考えです。思想であり、計画であり、方針です。プランであり、スケジュールです。そして、それを決断すること、決定することです。その一切の意味を含んでいるのが「御心」という言葉です。

そして、その神御自身の決断と決定による計画ないし方針に「適う人」とは、もちろん、それに従う人です。神の御心を信頼し、それに従順に服従する人です。その人々のもとに平和がありますように、と言われているのです。

しかし、このようにだけ申しますと、おそらく皆さんの心の中に、ある一つのイメージが描かれてしまうのではないかと予想いたします。それは次のようなイメージです。

「御心に適う人」とは、要するに、神が決定されたことにただ忠実に従うことができる人のことである。その場合、たとえその決定された内容が納得行かないものであっても、理解できないものであっても、承服できないものであっても、いわば軍隊式に、上からの命令に対しては下の者は黙って従うしかないという仕方で、何が何でも、我慢強く、神について行く人のことである、というようなイメージです。

そして、そこに付け加わる密かな思いは「それはわたしではない」ということではないでしょうか。わたしはそんなに従順ではないし、我慢強くもない。納得の行かないことには、ついて行けない。そのようなわたしは「御心に適う人」には、なれそうもない、と。

しかし、私の願いは、どうかそういうふうに理解しないでいただきたいということです。ここで歌われている「御心に適う人」の意味は、そういうことではありません。我慢強さとか、悪い意味での禁欲的な絶対服従というようなことは、全く関係ないのです。

その事情は、むしろ、先ほどの繰り返しであると申し上げた通りです。「御心に適う人」とは、レストランで美味しいごちそうを食べて「ああ、本当に美味しい」と喜んでいる人です。美味しいものを食べて、美味しいと感じ、「美味しい」と言うだけのことです。そこには、命令だの服従だのというような強制的な要素は、微塵もありません。

実際、神の御心の本質は、喜びです。神御自身が喜びに満ちあふれた方であり、また、その喜びを何とかして地上の世界と、そこに生きるすべての者たち、とりわけわたしたち人間の中に伝えたいと、神御自身が願っておられます。神は、わたしたち神の子たちを、何とかして喜ばせたがっておられる父親なのです。

自分の子どもを何とかして嫌な思いにさせ、どうにかして苦しみを味わわせようとする親がいるとしたら、本当に困った存在です。イエスさま御自身が、次のようにおっしゃいました。「あなたがたのだれが、パンを欲しがる自分の子供に、石を与えるだろうか。魚を欲しがるのに、蛇を与えるだろうか」(マタイによる福音書7・9~10)。

そういう親は一人もいない、と言いきれない現実の中にわたしたちが生きていることはどうやら事実です。しかし、それはもちろん、非常に残念なことです。実際、そのような親のもとで幼少期を過ごした人々の中には、この世界そのものを愛することも受け容れることもできないと感じ、苦しんでいる人が大勢います。

もちろん親だけのせいにするわけにはいきません。社会的環境、あるいは政治、あるいは宗教にも、大いに責任があります。

繰り返し虐待を受けてきた人々にとっては、この世界こそが地獄であると感じるものであるに違いない。そして、その人々にとっては、この世界の中から取り上げられること、地上の世界から飛び出し、別の世界へと移されることこそが真の救いである、と言いたくなる場面があるに違いない。そのような思いの中にいる人々のことを、私が全く知らずにいるわけではないのです。

しかし、です。イエス・キリストはとにかく来てくださいました。救い主はお生まれになりました。わたしたちはこのことにしっかり踏みとどまるべきです。イエス・キリストがお生まれになったことは歴史的事実です。誰も否定できません。この世界は、イエス・キリストが来てくださった世界です。キリストの救いが実現した世界であり、少なくともそれが始まった世界です。ともかくここは“救いなき絶望の世界”ではないのです!

そしてこの方の救いのみわざは、とにかく行われました。そして、この方によって現実に救われた人は大勢います。この私もそうですし、ここにいる皆さんがそうです。教会の中にいる人々は、本当に厳しく辛いところを通って来た人々ばかりです。しかし、救い主イエス・キリストへの信仰によって慰めと喜びを与えられて生きています。

わたしたちの笑顔は、世間知らずな笑顔ではありません。むしろ、わたしたちは、ごちそうを食べた者たちなのです。神の恵みを喜び楽しんでいる者たちです。その意味で、わたしたち自身が「御心に適う人」なのです!

ですから、天使が祈ってくれた「地上の平和」は、将来的にもしかしたら実現するかもしれないが、願っても祈ってもなかなか手の届かない、虚しい望みにすぎないようなものではありません。むしろ、それは、あなたの目の前にあります。救い主イエス・キリストを信じて生きる人生そのものが、わたしたちの体験しうる「地上の平和」なのです!

(2007年12月16日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年12月9日日曜日

大きな喜びの告知


ルカによる福音書2・10~12

「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。』」

今日お読みしましたのは、ベツレヘムの羊飼いたちに対して、主の天使が告げた言葉の一部です。

天使はまず、「恐れるな」と言いました。それは、9節にあるように、羊飼いが「非常に恐れた」からです。恐れている相手に、恐れてはならないと言っているのです。

羊飼いたちが恐れた理由は「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」からです。不思議な光景だったからでしょう。あるいは驚くべき、あるいは恐るべき光景だったからではないでしょうか。

私はまだ、天使なるものを見たことがありません。皆さんの中で、「私は見たことがある」という方がおられましたら、ぜひ教えていただきたいところです。もし会えるものなら、いつか会ってみたいと願っています。

しかし、もしかしたらそれを見る場面が、わたしたちにもあるかもしれない、と考えてみることはできそうです。そして、もしそれが起こるとしたらどのような場面なのだろうかと、具体的に想像力を働かせてみることはできそうです。

それはどういう場面でしょうか。おそらくそれは、天国の光景ではないかと思います。わたしたちは「天国に行く」と言います。この言い方が絶対に間違っているなどと、私は言ったことはありません。わたしたちはたしかに天国に行くのです。

しかし、わたしたちは、天国には「死んでから行く」と言いますし、そのように考えるでしょう。もしかしたら羊飼いたちも、わたしたちと同じように考えたのかもしれません。今わたしたちは天使を見ている。ということは、今ここはまさに天国である。ということは、わたしたちはもう死んでいるのではないか。あるいは、まもなく死ぬということか。天使がわたしたちを「お迎えに来た」のではないだろうか、と。

しかし、天使は羊飼いたちに「恐れるな」と言いました。このことは、おそらくわたしたちにも当てはまることです。もし、わたしたちが地上の人生の中で天使に出会うという不思議な出来事が起こったときにも、おそらく天使は、羊飼いたちに語ったのと同じ言葉をわたしたちにも語るでしょう。「恐れるな!」と。

そもそも天使は、何も、わたしたちを「お迎えに来る」存在ではないのです。そういう話は、本当に、全く別の宗教の話です。キリスト教の話ではありません。

キリスト教の話は正反対です。天使がわたしたちを天国に連れて行くのではありません。天使が、わたしたちの生きているこの地上の世界に、“天国の喜び”を持って来てくれるのです!

ですから、わたしたちも、もし地上で天使に出会うことがあったとしても、「ああ連れて行かれる」と恐れるべきではありません。むしろ、喜ぶべきです。地上の世界が、わたしたちの生きている現実が、闇から光に変わると信じるべきです。こちらで、天国の喜びを味わうことができるのだと、感謝すべきなのです。

さて、ここで話を少し先に進めます。「恐れるな」の次に天使が語った言葉は「わたしは民全体に与えられる大きな喜びを告げる」です。この御言葉がわたしたちに対して持っている意義は、非常に大きいものです。注目していただきたい言葉は二つです。第一は「民全体」、そして第二は「大きな喜びを告げる」です。

第一の「民全体」の意味から申し上げます。二つの意味が考えられる、と解説されています。一つは「神の民イスラエル」です。聖書の神を信じて生きている信仰者たちです。しかしもう一つの意味は「全人類」です。どちらの意味なのかを確定することは、文法的には不可能です。

私の考えは、“どちらの意味にもとれる”ということ自体に意義がある、ということです。ここでわたしたちが深く考えてみるべきことは、「喜び」の本質は何なのかということです。ここでの「喜び」の内容は、もちろん「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった」ことです。救い主イエス・キリストがお生まれになった。この出来事こそが「喜び」です。

しかし、その次にすぐに起こる問題がある。それは、はたしてそれは、本当に「喜び」なのかということです。なぜそれが問題なのか、またすぐに起こる問題なのでしょうか。それは、次の点に注目していただきますと気づいていただけるはずです。すなわち、それは、救い主イエス・キリストがお生まれになったというこのことを、喜ぶ人だけではなく、喜ばない人もいるということを、わたしたちはよく知っている、という点です。

そもそも「喜び」は、一方通行では成り立たないものです。「喜べ」と命令されたからといって、「喜ぶほうがいいよ」と勧められたからといって、誰でも必ずすぐにそうすることができるようになるというような性格のものではありません。

キリスト教などには全く興味がない、という人にとっては、救い主イエス・キリストがどこに・どのように生まれようと全く関係ありません。イエス・キリストのご降誕を喜び、感謝し、お祝いすることができるのは、少なくともキリスト教に興味があるという人だけです。この宗教、この信仰を、わたしの宗教、わたしの信仰として受け入れている人だけです。

この点からしますと、主の天使が救い主イエス・キリストのご降誕を「大きな喜び」として告げ知らせた「民全体」の意味は、もっぱら「神の民イスラエル」です。聖書の神を信じる信仰者たちです。そのように限定して考えることは、不可能ではありません。

しかし、そのように言い切ってしまうことには問題もあります。問題は、信仰者は固定しているのだろうか、ということです。今信じている人々だけが信仰者なのだろうか、ということです。今日はまだ信じていないかもしれないが、明日は信じるかもしれない人々を加えることはできないだろうか、ということです。今年は信じていないかもしれないが、来年は信じることができるかもしれない人はいないでしょうか。五年後はどうでしょうか。十年後はどうでしょうか。

今はまだ、イエス・キリストが、どこに・どのように生まれようと、全く興味がないと思っている。しかし、そのような人々の中に、ある日・あるとき、突如として、キリスト教への関心を抱く人がいるかもしれない。教会に通うようになり、説教を聴くようになり、聖書を読むようになる。かつてはどうでもよいと思っていたことが、「なんと。わたしは、とんでもない思い違いをしていた。この救い主イエス・キリストは、このわたしのために生まれてくださったのだ」ということに気づき、深く認識し、心動かされ、喜びと感謝に満たされる人がいるかもしれない。

その希望をわたしたち自身が捨てることは、ありえないことです。その希望をすっかり失ってしまっているような教会は、そもそも存在する意味がありません。この点から言うならば、「民全体」は、「全人類」の意味で理解することが許されていると思います。天使の知らせは、今すでに信仰者である人々だけに届けられたものではなく、これから信仰者になる人々にも届けられたのです!

もう一つ、注目していただきたいと、私が先ほど申し上げました言葉は、「大きな喜びを告げる」という言葉です。ご理解いただきたいことは、このまさに「大きな喜びを告げる」(ユーアンゲリゾーマイ)という言葉自体が「福音の説教」を意味する、ということです。つまり、天使がベツレヘムの羊飼いたちに行ったことは「福音の説教」である、ということです。

わたしたちが「説教」というものを耳にする場所は、主に教会です。教会の礼拝です。そのことが、この羊飼いたちにも当てはまると言ってよいでしょう。すなわち、二千年前のベツレヘム、この場面で起こった出来事の本質は、わたしたちがまさに今ここで行っている教会の礼拝と同じである、ということです。

ただし、そのときの説教者は、牧師ではありません。主の天使が説教者です!しかし、そこで語られたのが「説教」であることには変わりがありません。

神の御言葉が語られ、それが、聴く人々の心に届き、受け入れられ、信じられるところに、真の礼拝があります。

先週の説教で私が最初に申し上げたことは、ベツレヘムでキリスト教が始まったということでした。今読んでいるこの個所に記されているのは、全世界、全人類、全歴史における最初のキリスト教礼拝の場面である、ということです!

その意味では、わたしたちは、天使に直接出会う必要はもはやありません。わたしたちには、この教会があります。この礼拝があります。ここで毎週、説教が語られています。二千年前の天使が語ったのと本質的に同じことが、教会の礼拝の説教において語られています。

私の顔がもう少し天使のようであればよいのに、と思わずにはいられません。しかし、顔など見ないでください。強いて言えば、言葉を聴いてください。あるいは、聖書を直接読んでください。そして、どうか、信じてください!喜んでください。あなたのために、わたしのために、イエス・キリストがお生まれになったのだ、ということを。

そのとき、皆さんの心に、本当の「喜び」が生まれるでしょう。天使が告げた「大きな喜び」が、あなたの喜び、わたしの喜びになるでしょう。

救い主は「布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子」の姿をしている、と天使は告げました。生まれたばかりの赤ちゃんは、その姿を見つめる者たちの心をなごやかにしてくれるものです。もちろんここでも正反対の反応を起こす人々のことを思い浮かべずにいられません。子どもは苦手です。そういうふうにおっしゃる方がいます。おそらく、心の中が何らかの理由で穏やかでない方です。

しかし、その場合にじっと考えてみていただきたいことがあります。自分自身もかつては赤ちゃんだったではないか、ということです。この赤ちゃんと同じ姿、何もできない、求めるばかりの、泣くばかりの存在だったではないか、と。

赤ちゃんの存在は、平和のシンボルであると同時に、希望のシンボルです。赤ちゃんを大切に思う心は、地上の世界の歴史的将来を大切に思う心に通じます。赤ちゃんが大切にされない社会の将来は、暗黒です。

おそらく、ベツレヘムの羊飼いたちにとっても、同じことが言えるでしょう。自分たち自身は必ずしも裕福だったり幸福だったりしなかったかもしれません。平凡な日々を過ごしていたかもしれない。社会にも政治にも絶望していたかもしれません。

しかし、その現実を変えてくれる存在が、この地上にお生まれになった。今は「飼い葉桶の中」という、必ずしも裕福でも幸福でもない場所にいる。しかし、この方こそが救い主である。

今はまだ、乳飲み子だけれども、やがて立ち上がる。

やがて言葉を語りはじめる!

やがて働きをはじめ、救いのみわざを行ってくださる!

それは、彼ら自身にとっての生きる勇気、希望の力になったことでしょう。

「この人生、捨てたものではない」と確信できる根拠となったでしょう。

(2007年12月9日、松戸小金原教会主日礼拝)

2007年12月2日日曜日

神の栄光の舞台


ルカによる福音書2・8~9

「その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。」

「その地方で」とは救い主イエス・キリストがお生まれになったユダヤのベツレヘムのことです。今から二千年前のベツレヘムで起こったことは何でしょうか。

いろんな答えがありうると思います。私の答えは、こうです。そこで“キリスト教”が始まったのです!今やキリスト教は全世界に広がる一大宗教です。ベツレヘムはキリスト教の発祥の地である、ということです。

ただし、今申し上げたことは厳密な言い方ではありません。15節で羊飼いたちが「さあ、ベツレヘムに行こう」と言っています。しかし8節の「その地方」は明らかにベツレヘムです。すでにベツレヘムにいる人が「ベツレヘムに行こう」と言うのは奇妙なことです。

しかしこれは難しいことではないと思います。考えられることは、そのとき羊飼いたちがいた場所は、同じベツレヘムであっても中心ではなく、周辺であったに違いないということです。わたしたちも時々「松戸に行く」とか「柏に行く」と言うではありませんか。すでに松戸市民であり、柏市民であるにもかかわらずです。それだけで、行き先はどこであるかの話は、十分に通じています。

もし今私が申し上げたことが正しいとするならば、ここで分かることが一つあります。それは、キリスト教の発祥の地はベツレヘムの中心ではなく、周辺地域であった、ということです。しかもその場所は、「羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた」ような地域であった、ということです。

いずれにせよ間違いなく言いうることは、少なくともそこは“都会”と呼ばれるような地域ではありえなかった、ということです。人がたくさん集まる宿場町でもなければ繁華街でもありません。もしかしたら整備された道もない。おそらく学校もない。先生も学生もいない。それは、わたしたちの多くが“田舎”とか“過疎地”と呼ぶような地域です。

そのようなところで「キリスト教」が始まったのです!キリスト教は「洗練された都会の宗教」として始まったわけではないのです。このあたりのことについては今日、改めて根本的に考え直されなければならないものがあるように思います。

羊飼いたちは「野宿」をしていた、とあります。「夜通し羊の群れの番をしていた」ともあります。それでは彼らは、夜が明けて朝が来ると、野宿をやめてそれぞれ自分たちの家に帰り、温かい布団にもぐって眠ったのでしょうか。

そうではなさそうです。朝になっても昼になっても、彼らは同じ場所で生活していたのです。温かい布団はあったかもしれません。しかし、その布団が敷かれている場所は地面です。サソリやヘビ、さまざまな虫やミミズが這っている地面です。鷹や鷲、スズメバチやコウモリが飛んでくるかもしれない、オオカミや野犬が襲いかかってくるかもしれない、危険に満ちた野外です。

当時の人々は、だいたいみんな似たり寄ったりの生活をしていたのでしょうか。そんなことはありません。豪勢な王宮に住んでいた人々もいました。大きな神殿で生活していた宗教家たちもいました。そのように聖書が証言しています。

しかし、キリスト教は王宮や神殿に住んでいる人々から始まったものではありません。夜だけではなく、朝も昼も、多くの危険に満ちた野外で生活していた人々から始まったのです!

9節に、その人々のところに「主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らした」とあります。最初に注目していただきたいのは、「近づき」(エペステー、(原)エピステーミ)という言葉です。これは「近づく」という意味の他に「やってくる」、「上に立つ」、「傍らに立つ」、そして「襲いかかる」という意味にもなる言葉です。

しかも、この言葉(エペステー)は、多くの場合、それが予期せぬ突然の出来事、不意打ちの出来事であることを示します。そのようにギリシア語の辞書などに書かれています。これで分かることが二つあります。

第一は、ベツレヘムの羊飼いたちの前に主の天使が現れるというこの出来事は、前後の脈絡など全くなかった、まさに「突然」起こったことであったということです。言い換えればそれは、羊飼いたちの側に「主の天使に来てもらいたい」という長年の祈りがあり、彼らの祈りに応える仕方で天使たちが来てくれた、というような事情ではないということです。彼らの切なる祈りが、主の天使を“呼び寄せた”わけではない、ということです。

そしてこの点が、これから申し上げる第二の事柄につながります。「近づく」という言葉に含まれる「突然の」というニュアンスから分かる第二の事柄は、そこにいたベツレヘムの羊飼いたちの“心”の中にあったものをも表しているに違いない、ということです。

彼らは天使の到来など全く予期していなかったし、祈ってもいなかったし、期待もしていなかったのです。ここでわたしたちが問題にしなければならないことは、その理由です。

羊飼いたちは、絶望を感じていたのではないでしょうか。お世辞にも「恵まれている」とは言えない生活。「私は社会的に取り残されている」という絶望感を覚えるような過酷な労働。このあたりで、わたしたち自身の現実と重ね合わせてみることができそうです。

光が当たるのは、われわれではなく、別の人々である、と思い込む。それはただの思い込みでもなく、まさに事実であり、現実である。未だかつて脚光など浴びたことは一度もないし、これからもないだろうと自覚している人々。しかし、一抹の寂しさや絶望さえも感じていたのではないでしょうか。

羊飼いたちが天使の到来を「突然」の出来事として認識した理由は、そのようなことはそもそも最初から諦めていたことであり、願うのもむなしいことであると感じていたことだったのではないでしょうか。

そのような人々のところに主の天使が「近づいて」来た!このように、これは、羊飼いたちの“心”に深くかかわる出来事であった、と理解することは重要であると思われます。

しかし、それだけではありません。今申し上げた「近づく」(エペステー)という言葉が持っている、いくつかのニュアンスはまだまだたくさんありますし、それぞれ重要な意味をもっています。

第一に「やってくる」というニュアンスがある、と申しました。その意味は、こうです。その日その時まで存在しなかったものが存在するようになった、ということです。まさに前代未聞の出来事が起こった、ということです。

第二に「上に立つ」というニュアンスもある、と申しました。その意味は、こうです。もともと地上の世界に存在しなかったものが到来したのだけれども、しかしまた、それは地上に属するものへと完全に同化してしまうのではなく、あくまでも天上に属するものであり続けるという仕方で「近づいた」のだ、ということです。

しかし、それはまた、第三に「傍らに立つ」という意味にもなります。それは、ここで羊飼いたちと天使との関係は、単なる(悪い意味での)上下関係ではありえない、ということです。天上に属する存在が地上に属する者たちを“上から”威圧し、屈服させ、支配するために来たのではありません。「傍らに立つ」というかぎりにおいて「助ける」という意味にもなります。天使は、羊飼いたちに温かく寄り添い、助けるために来たのです。

しかし、それだけではありません。先ほど第四に申し上げました「襲いかかる」というニュアンスも重要です。羊飼いたちも人間であるかぎり、罪を持っていたからです。

「天使」とは神の使いであり、神の代理者です。神が人間にお求めになることを伝えに来る存在です。そのため、「主の天使」は、“神の啓示”という概念とほとんど一致します。天使の言葉は、そのまま神の言葉です。神が人間にお求めになることは、自分の罪を悔い改めることです。そして神の御心に喜んで従うこと、そのような者として生きることです。

しかも、そこで重要なことは、相手が神であるということです。神はなんでもご存じの方なのですから、神の御目に見えない場所は、どこにもないのです。人間に隠れる場所はありません。全部見えています。見えていない、と思い込んでいるのは人間です。隠れて悪いことをする。誰にも分からないだろうと考える。そのような人間の前に、神は、突然現れるのです。抜き打ちテストを仕掛けてこられるのです。しかも、その抜き打ちテストは、人間を断罪するためにではなく、人間を罪の中から救うために行われるものなのです。

さて、次に考えていただきたい問題は、「主の栄光」とは具体的に言うと何なのか、また、主の栄光が照らした「周り」とは具体的には何なのか、ということです。この件についてご理解いただきたいことを、三点だけ申し上げておきます。

第一は、「主の栄光」という概念の意味は、神御自身の存在とみわざの放つ豊かな輝きのことであり、それは「主の救い」という概念とほとんど一致するということです。つまり、「主の栄光」とは、主なる神の救いのみわざの輝きのことです。創造のみわざも主なる神のわざですが、創造のみわざは人間の罪によって汚されました。神の創造のみわざとしてのこの世界とわれわれ人間たちが輝くためには、この世界を罪から救い出す力を持つ神の救いのみわざが必要なのです。

そして、この意味での「主の栄光」が照らす「周り」とは、ほとんど間違いなく、地上の世界とそこに住む人間のことです。しかもそれは、人間の体だけでなく、心も含んでいます。それは「主の栄光が周りを照らした」ことによって「彼らは非常に恐れた」と書かれているとおりです。なぜなら、「恐れる」のは人間の“心”だからです。彼らが恐れたのは、その心を主の栄光が照らし、そこに救いの御手が及んだからです。“心”に対する影響を考えなければなりません。

しかしそれだけではありません。これから申し上げる第二の意味は、今申し上げた第一の点に行きすぎが起こらないための歯止めにする意図があります。今日の個所に描かれている出来事を、人間の“心”の問題だけに押し込めてしまってならないと思うからです。宗教の問題を心理学の問題にしてしまってはならないのです。

それは、主の栄光が照らす「周り」のなかには人間の心だけではなく、少なくとも体が含まれていますし、人間だけでもなく、世界とその中にあるすべてのものが含まれているということです。まさに神が創造された現実のすべてです。つまり、ここで言われている「周り」とは、「地上の現実」という概念と内容的にほとんど一致する、ということです。

第三に申し上げることは、第二の点の言い換えです。主の栄光が照らす「周り」の第一義的な意味は、まさに「地上の現実」であり、そこに主の天使が「近づいてきた」のです。ご理解いただきたいことは、この話は、このとき羊飼いが一時的に地上を離れて、天上の世界に行き、そこで主の栄光に照らされたという話ではないということです。羊飼いたちは、彼らの暗く惨めな現実から一時的に逃避して、主の栄光の満ちあふれる天上の世界を垣間見て、心の慰めと平安を得ただけである、というふうに考えてはならないのです。

もしそうだとするならば、地上の世界は、相変わらず暗黒のままです!

われわれの日常生活は、神の救いも神の恵みも及ばない、まさに暗黒の世界のままです!

しかしそうではありません。主の栄光が輝いているのは天上の世界だけではありません。「輝いているのは天上だけであり、地上は真っ暗だ」と考えてはなりません。主の救いはわたしたちが生きているこの現実、この社会、わたしたちの(あまりにも平凡で、退屈で、砂を噛むような)この日常生活に届いています。わたしたちが救われるのは、この地上の世界においてです。地上の世界は「神の栄光の舞台」(カルヴァン)なのです!

そして、それこそが、神の御子なる救い主イエス・キリストが地上にお生まれになった意味です。主の栄光をもって地上の世界を豊かに輝かせてくださるためです。短く言えば、わたしたちがこの地上の人生を元気に喜んで生きることができるようにしてくださるために、イエス・キリストは来てくださったのです!

(2007年12月2日、松戸小金原教会主日礼拝)


2007年11月25日日曜日

「主の恵みにゆだねられて」

使徒言行録15・30~41(連続講解第39回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「バルナバはマルコと呼ばれるヨハネも連れて行きたいと思った。しかしパウロは、前にパンフィリア州で自分たちから離れ、宣教に一緒に行かなかったような者は、連れて行くべきではないと考えた。そこで、意見が激しく衝突し、彼らはついに別行動をとるようになって、バルナバはマルコを連れてキプロス島へ向かって船出したが、一方、パウロはシラスを選び、兄弟たちから主の恵みにゆだねられて、出発した」(15・37~40)。



今日読みました範囲(15・30~41)には、大きく分けて二つのことが書かれています。



第一は、パウロとバルナバがエルサレムからアンティオキア教会へと帰り、エルサレムで行われた教会会議の結論を伝えたところ、アンティオキア教会の人々が喜ぶ場面です(15・30~35)。



第二は、そのパウロとバルナバが一つの問題をめぐって対立関係に陥ってしまい、結局二人は別の道を行くことになったという、いささか残念でもある場面です(15・36~41)。



この二つの場面を続けて読むことは、何が何でもそうしなければならないようなことではありません。しかし、続けて読むことによって、一つの点が明らかになると思います。



それは、とくにパウロの側の問題であると言えます。以前申し上げたことを、もう一度繰り返しておきます。ここで分かることは、パウロという人は、よくも悪しくも強い人であった、ということです。



どういうことか。エルサレムでの教会会議が「キリスト者は割礼を受ける必要はない」という結論を出すことができた背景に、異邦人伝道を行った経験と実績に基づいてそのことを強く主張したパウロの信仰ないし神学があったことは否定することができないということです。



パウロが教会会議を説得したのです。そのように考えることができます。逆に言えば、もしそのときパウロが、そのことを強く主張しなかったとしたら、教会会議がそのような決定をくだすことはなかったであろう、とさえ思われるのです。



だれだって、もめごとや争いごとになるようなことを言うのは、嫌なものです。しかし、パウロは違いました。語るべきことを、はっきりと語りました。真理を大切にしました。真理を明らかにするために、論争をも厭いませんでした。その論争に勝利する力もありました。パウロのおかげで教会全体に新しい道が切り開かれたのです。その意味で、パウロは非常に強い人であった、と考えることができるのです。



しかし、です。そのパウロの強さがあまりよろしくない結果を生み出す原因にもなったことも否定できません。それが、バルナバとの対立であったと、私は思います。



バルナバとパウロの対立の原因は、以前もお話ししたことです。第一回目の伝道旅行の際に二人の助手として連れて行ったマルコが、旅行の途中、二人の了解なしにエルサレムへと帰ってしまいました。そのことについての評価が、違っていたのです。



バルナバは寛大な人であったと言えます。マルコの離脱を裏切り行為だとは考えませんでした。マルコのことを、落伍者であるとも失敗者であるとも考えませんでした。だからこそバルナバは、マルコをもう一度新たな伝道旅行に連れて行くよう主張したのです。



ところが、パウロは違いました。もう二度とマルコを連れて行くべきではないと考えました。先ほど「二人の了解なしに」と言いました。もし了解していたならばパウロが激怒することはありえなかったはずです。パウロとしては、マルコは伝道には向かない人間であり、その面において弱い人間であると判断しました。マルコの弱さを、パウロは許すことができなかったのです。



それは逆に考えると、パウロが強い人だったからだと思われます。いささか強すぎる。強い人は弱い人の気持ちが分からない面を持っています。自分にできることが自分以外の人にできないのはどうしてなのかを、理解できない。自分にできることは誰にでもできる、と思っているようなところがあるのです。



しかし、ここは考えどころです。私は今、パウロに対して、やや批判的な言葉を並べています。けれども、私は基本的にパウロが好きです。好きだ嫌いだという次元で語るべきではないかもしれませんが。



パウロの強さは、時として、それまで仲間であった人を敵に回してしまうような結果を生み出すものであったことは明らかです。バルナバさえも敵に回してしまう。これは非常にまずいやり方です。しかし、ここで問わなければならないことは、教会にとって重要なことは何なのか、ということです。



もっとも、これは、教会だけの話ではないように感じられます。会社でも同じようなことが言えるでしょう。わたしたちにとって究極的に重要なことは、仲間を大切にすることなのか、それとも、与えられた仕事を忠実に果たすことなのか。ここに分かれ道があると思われるのです。



会社の話のほうが分かりやすいかもしれません。社長である人が、新卒の社員を雇う。少し仕事をしてもらって見えてきたのは、この人はその仕事には向かない人であるということであった。あるいは、与えられた仕事を、途中で投げ出してしまった。



こういう場合に、それでも雇い続けるのがバルナバの道です。向かないことが分かった時点で辞めてもらうのがパウロの道です。少しはピンとくるものがあるでしょうか。



しかし、ここでわたしたちが、パウロは冷たい人間であると考えるべきかどうかは微妙です。もしかしたら、パウロは、じつはとても温かい人なのです。



「この仕事はあなたには向いていない」と、はっきり言うことは、相手を一度は間違いなく傷つけることにもなります。しかし、逆にいえば、そのことをはっきりと伝えることによって、その仕事を続けることを諦めてもらうことは、無理な仕事を背負い込んだ結果、その人がひどい失敗を犯すことを、あらかじめ防ぐことでもあるのです。



そこで重要なことは、その失敗によって傷つくのは、無理な仕事を背負い込んだ人自身と、その仕事を背負い込ませた人の両方であるということです。また、それだけでもなく、事が「伝道」であるかぎり、一人の伝道者の失敗によって傷つくのは、教会であり、求道者であり、そしてまた、教会のかしらであるイエス・キリスト御自身であり、神御自身である。そのことを、パウロはよく知っていたのではないでしょうか。



バルナバの道は、一見すると温かい。しかし、別の見方をすれば、弱い人を「戦場」に引きずり出すことになっているのかもしれない。そして、その場合に倒れるのは、マルコだけではない。バルナバも倒れる。教会も倒れる。それは最悪の結末なのです。



今、私が考えていることは、主に、牧師たちのことです。教会の皆さんのことについて何かを言いたいわけではありません。私の認識では、日本の教会においては、教会に通う若い青年たちをつかまえては、だれかれ構わず、「牧師になれ、牧師になれ」と強く勧めてきた歴史があります。



そういうことを熱心に言うのは、たいてい牧師です。



自分の仕事がこの世の中で最高の仕事であるかのように!



自分以外の人の仕事は、取るに足らない仕事であるかのように!



そして、私が知っていることは、牧師になることを人から勧められて実際になった人々のうち、かなり多くの人が数年で辞めているということです。なかには、自分自身と家族、そして教会の人々を深く傷つけて。



ここで考えさせられることは、一つの教会が生み出され、維持されることにはどれほどの努力と涙が注がれてきたのかということです。一つの教会が破壊されることによって、どれほどの人が傷つくか!



そして同時に考えさせられることは、その責任はどこにあるのか、ということでもあります。少なくともその責任の一端は、まさにだれかれ構わず「牧師になれ、牧師になれ」と勧める人々にもあるのではないか。そういう言葉を“無責任に”発する人々にも責任があるのではないか、ということです。



ご参考までに。私が牧師になることを決心したのは、高校3年の夏休みでした。だれかに勧められたわけではありません。自分で決めました。牧師には最初は反対されました。私があまりしつこいので、しぶしぶ神学校入学の推薦書を書いてくださいました。



私の決心は最初の日以来、揺らいだことがありません。まさに実感として、私の心の中で、神御自身が一生懸命に語っておられるのです。黙っておられないのです。その神が、私を黙らせてくださらないのです。そういう感覚を、いまでも持っています。その意味では、自分で決めた、という言い方は間違いかもしれません。私と神の二人で決めたのです。だから、続けることができます。神を裏切ることは、私にはできないのです。



そして、その私は滅多なことで誰かに対して「牧師になれ」とは言わないで来ましたし、これからも言わないでしょう。こればかりは誰かに勧められてなるものではないと信じているからです。私の経験からすれば、その人の心の中で神御自身が騒ぎはじめられ、その言葉をその人自身も語らざるをえない状況に追い込まれるまでは、この仕事に就くことは不可能なのです。



そして、その状態になったときは、伝道をやめることができません。理由もわからないような仕方で、途中でやめることができません。逆にいえば、それを途中でやめることができる人は、伝道の仕事には向かないのです。



マルコを少しかばっておきます。マルコは伝道そのものをやめてしまったわけではありません。だからこそ、マルコは、バルナバの再度の要請に応じて、キプロス島に出かけることができました。



しかし、です。伝道は、狭い意味での伝道者、いわゆる教師だけがするものではありません。教会のみんながすること、信徒がすることです。マルコがバルナバについて行ったのは、教師としてついて行ったのか、それとも信徒の一人としてついて行ったのかという問い方は許されるものではないでしょうか。少なくともパウロは、間違いなく、マルコは自分とは同じ立場ではありえない、という判断を下していたのです。



パウロは強い人でした。そのことは間違いなく言えます。しかし、冷たい人であったという判断は、たぶん間違いです。強いて言うならば、かばう相手を間違わなかったのです。マルコをかばうのではなく、神と教会をかばいました。この判断が重要なのです。



それは、別の言い方をすれば、だれが伝道するかは究極的な問題ではない、ということでもあります。パウロが新たに選んだパートナーはシラスという人でした。教会はパウロとシラス「を」主の恵み「に」委ねました。パウロとシラス「に」主の恵み「を」委ねたわけではない、という点が重要です。伝道の主体は「主」御自身なのです。教師と教会、すなわち、狭義の伝道者と広義の伝道者は、「主」に仕えることができるだけなのです。



ただし、それは、まさか、伝道の仕事はだれにでもできることであるし、だれがやっても同じである、という意味ではありません。申し上げたいことは全く正反対です。重要なことは、だれが伝道するかではなく、伝道それ自体である、ということです。だれが神の救いを宣べ伝えるかが重要なのではなく、神の救いが宣べ伝えられることそれ自体が重要なのです。教会の伝道は、「地上における神のみわざ」なのです!



神のみわざを人間の勝手で中断してはなりません。それゆえ、伝道の仕事を「途中で」放棄する人は、伝道者には向かないのです。神の本質は、永続性ないし継続性にあるからです。パウロの判断は正しかったのです!



(2007年11月25日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月18日日曜日

「自由への決断」

使徒言行録15・22~29(連続講解第38回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「そこで、使徒たちと長老たちは、教会全体と共に、自分たちの中から人を選んで、パウロやバルナバと一緒にアンティオキアに派遣することを決定した。選ばれたのは、バルサバと呼ばれるユダおよびシラスで、兄弟たちの中で指導的な立場にいた人たちである。聖霊とわたしたちは、次の必要な事柄以外、一切あなたがたに重荷を負わせないことに決めました。偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けることです。モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているからである。」



先週、わたしたちが学んだことは、「教会は会議を重んじる」ということでした。教会は会議を重んじます。その意味は大きく分けて二つある、と言うべきです。



第一は、教会はどんなことでも会議で決める、ということです。教会は、特定の個人の意見で振り回されることを最も嫌うのです。個人的な意見が全体の方向性を全く決定してしまうというようなことは、教会にとっては好ましい結果ではありません。教会の中心に立っているのは神御自身です。神の御霊が教会の会議に集まる一人一人に働いてくださり、その御霊に導かれて教会の方向性が決定されるのです。わたしたちの教会政治の原則は、独裁主義ではなく、複数指導体制なのです。



しかし、です。今申した点だけでは、まだ十分ではありません。第二の意味があります。「教会が会議を重んじる」ということの意味は、教会とは会議で決まったことについてはこれをきちんと守る団体でもあるということです。教会会議の主は、神御自身なのです。そこで決まったことは神御自身の御心であり、命令であると信じるべきなのです。



ある教会の実例です。ある問題について、教会の役員会で時間をかけて話し合い、また会員総会でも相談して、ひとつの決定を下した。ところが、次の日曜日になると牧師が、みんなで決めたこととは正反対のことを語り始めた。「妻(牧師夫人)が反対したからだ」という。こういうのは本当によくない。教会の中心は特定の個人ではありません。



教会が会議を重んじることの意味のなかには、特定の個人の独裁や暴走を食い止めるという側面もあります。とりわけわたしたちが採用している「長老主義」という教会政治のあり方の根本には、教職者による全面的支配を避けるという目的があるのです。



そのことは、二千年前の教会においても行われました。アンティオキア教会で起こった大きな意見対立によって当時のキリスト教会全体が分裂の危機にさられました。その問題に決着をつけるために、エルサレムで使徒会議が招集されました。しかしそこに集まったのは使徒たちだけではありませんでした。「長老たち」(15・2、15・22)も参加したのです!



対立が起こった点は、次のようなことでした。ユダヤ(おそらくエルサレム)から来たある人々がアンティオキア教会の中で一つの点を非常に強調して語り始めました。それは、人がキリスト者になるためには洗礼を受けるだけでは不十分である。割礼を受けなければならない、ということでした。割礼は、当時のユダヤ人男性の全員が受けていたと思われます。つまり、「割礼を受けなければならない」という要求が突きつけられたのがアンティオキア教会の中のユダヤ人以外の人々、つまり異邦人であったことは明らかです。



この要求によって起こったことは、一言でいえば、異邦人が教会のメンバーに加わる際のハードルが非常に高くなったということです。割礼には当然のことながら一時的にせよ激しい苦痛を伴います。つまり、このユダヤ人たちの要求は事実上、あの痛い目に合っていないような人間を教会のメンバーに加えることはできないと言っているのと同じです。



それでも構わないと、願い出る人もいたかもしれません。しかし、どう考えてもそれは少数派です。多くの人々は、痛い目に会うために教会に来たいわけではない。わたしたちの負うべき痛みや苦しみは、もっと他のところにあるはずです。人生そのものが苦しいのです。生きていること、そのこと自体に痛みが伴うのです。



そして、わたしたちの多くが教会に求めることは、わたしたちがこの人生の中で今まさに味わっている痛みや苦しみを耐え忍ぶことができる力と勇気と慰めを得ることでしょう。そうではないでしょうか。



しかし、です。この人々が要求したことは、そうではありませんでした。体を傷つけなさいというのです。痛い目に会いなさいというのです。そうでないような人間は、教会のメンバーになど加えてやるものかというのです。これは明らかに、教会の敷居を高くするやり方です。門をできるだけ狭くし、だれにも入らせないようにするやり方です。



この人々の主張に対して最も強く反発したのが、第一次海外伝道を体験してきたばかりのパウロとバルナバでした。正反対である!「伝道」という使命を担っているわたしたち教会がしなければならないことは、自分たちの敷居をわざわざ高くして、人々を恵みからできるだけ遠ざけることであるはずがない。むしろ、可能なかぎり敷居を低くすることではないのか。そのように彼らは考えたに違いありません。



もちろん教会は、ただ単なる人集めをしたいのではありません。しかし教会のメンバーに加わりたいと願っている人の前で「キリスト者になるとは、あれもしなければならないし、これもしなければならないということなのだ」と並べたてることによって、「そうか、わたしたちはお呼びでないのだ。ここに参加することは最初から無理だったのだ」と悟らせるように仕向けるようなのは、いかにもばかげたやり方ではありませんか。



パウロたちは、この問題が個人的な対立のような形で扱われることを望まず、公の教会会議の場できちんと結論を出すことを望みました。そして、その声はエルサレム教会にも届き、彼らの願いどおりの会議がエルサレムで行われることになったのだと考えられます。



ところで、パウロたちが、この問題が公の形で扱われることを望んだ理由は、聖書には明らかにされていません。わたしたちにできることは、それは何なのかを想像してみることだけです。一つの点だけ申し上げておきたいことがあります。



それは、わたしたちが受ける洗礼はあまりにも弱すぎると感じられるかもしれない、という点にかかわることです。どういう意味か。わたしたちが洗礼を受けた証拠は、わたしたちの体のどこにも残っていないということです。まさかお勧めするわけではありませんが、たとえばわたしたちが様々な誘惑の中で、もし「わたしはキリスト者である」という事実を隠しておきたいと願うならば、それはいとも簡単にできるでしょう。客観的な証拠などどこにも残っていないからです。裸にされて調べられても、どこにも何もありません。



今ならば、洗礼式の写真が残っているかもしれません。それが証拠だと言われるなら、そうかもしれない。また、書類的なものはすべて教会に保管されています。それも証拠だといえば言えなくもない。しかし、そういうことは、おそらく、実際の場面ではほとんど問題にならないと思います。うんと乱暴な言い方を許していただくなら、わたしたちは、いざとなったらいつでも“しらばっくれる”ことができます。洗礼を受けたことのしるしが、わたしたちの体には、どこにも残っていないからです。



アンティオキア教会のなかですべてのキリスト者が割礼を受けることを求めたユダヤ人たちの動機は、「モーセの慣習に従って」という点、つまり、(旧約)聖書に書かれている原則を守るべきだという点にあったようだということについては、十分に考慮される必要があります。しかし動機はそれだけなのか、もっと他にもあるのではないかということも、いろいろと想像することがわたしたちには許されていると思います。



その中で、私は“洗礼の弱さ”という点を、どうしても、避けて通ることができません。「洗礼を受けている」ということをわたしたちは隠すことができる。わたしたちの頭の上に注がれた水は流れて消えてしまいます。割礼の場合はそうは行きません。一生消えない傷として、痛みの記憶とともに、このわたしの体に残り続けます。いざとなれば、「ここに証拠がある」と、客観的に提示することができます。



そういう“しるし”が、「わたしたちにも欲しい」と感じるときがあるかもしれません。「このわたしはキリスト者である」ということを明確に示すことができる何かが。これを求める気持ちは普遍的なものではないか。この点が、当時の人々が「この問題は教会会議を開いて結論を出すべきだ」と考えた理由の一つではないかと、私には思われるのです。



しるしが欲しいという気持ちはわたしたちにもあるかもしれません。教会の歴史の中にもそのような試みは、絶えずありました。しかし、どうするか。体のどこかを切るのか。消えない字でも彫るのか。髪の毛を剃るのか。そのように見える服を着るのか。シールでも張るのか。バッジでも付けるのか。特殊な合い言葉でも交わすのか。忍者みたいに。



しかし、これは誘惑なのです!洗礼を受けたというだけでは自分がキリスト者であるという事実をいざとなれば隠すことができる、という点も十分な意味で誘惑かもしれません。しかし、しかし、です。そのための何らかの客観的なしるしを求めることもまた、誘惑であり、ある意味で、後者は前者よりも、もっと大きな誘惑なのです。



なぜなら、そのような外見上の事柄は、わたしたちにとっては、ポーズや演技やお芝居にさえなりうるからです。そのようなしるしに隠れて、心の中では全く別のことを考えているということが、わたしたちには十分にありうるのです。



そのことについてパウロは、ローマの信徒への手紙にはっきりと書いています。「あなたは律法の文字を所有し、割礼を受けていながら、律法を破っているのですから。外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また、肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません」(ローマ2・27~28)。



事実として、また事柄の真実として語りうることは、わたしたちは、客観的なしるしを持つと、それに隠れて嘘をつきはじめるのだ、ということです。しるしなど、いっそ何もないほうがよい。それがないことによって、わたしには隠れ蓑などどこにもないのだ、と繰り返し悟るのです。わたしたちに必要なことは、芝居がかった態度そのものから自由になること、すなわち「救われる」ことなのです!



わたしたちのしるしは、実は、ちゃんとあります。それは、この信仰そのものです。信仰に基づく生活です。それ以外には、わたしたちがキリスト者であることを証明するものは何もありません。キリストの香りを放つのは、わたしたちの心です。信仰・希望・愛、そして喜びです。喜びの人生です!



二千年前の教会会議が決定したことは、まさにそのことです。一つの点が高らかに宣言されました。



教会会議によって宣言された内容は、(いくらかの特例を除いて)わたしたちキリスト者には「いかなる重荷も負わされない」ということです。いくらかの特例とは、「偶像に献げられたものと、血と、絞め殺した動物の肉と、みだらな行いとを避けること」です。これはヤコブの発言(15・13~21)によって加えられた特例です。



ヤコブの趣旨は「モーセの律法は、昔からどの町にも告げ知らせる人がいて、安息日ごとに会堂で読まれているから」(15・21)、当時のキリスト教会の中でも常識の範囲内の事柄になってきている、ということです。つまり、この特例の意図は、「キリスト者は常識的であるべきである」ということです。それ以上のことではないのです。



そのとおり。わたしたちキリスト者は、特殊である必要はありません。むしろ、一般的であり、常識的であることが、神から求められているのです。



(2007年11月18日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月11日日曜日

「教会は会議を重んじる」

使徒言行録15・1~21(連続講解第37回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「教会は会議を重んじる」というタイトルをつけました。今日は、この事柄に集中してお話しいたします。



先週学んだ個所で、伝道者パウロとバルナバの第一回海外派遣が終了しました。二人はしばらくの間、アンティオキアに滞在し、その地の教会に身を置きました。おそらく彼らは、長旅の疲れが癒され、次の旅行に備えるための充電期間を過ごすことを願ったに違いありません。



ところが、です。アンティオキア教会で、この二人の伝道者とある人々との間に一つの論争が起こりました。要するに、教会の中でけんかが始まったのです。



「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。」



論争の内容は、はっきりしています。論点は要するに、「キリスト者になる」とは、どういうことであるのか、です。



パウロたちの主張は、人が救われるのはイエス・キリストへの信仰による、というものでした。そして、その信仰は神の恵みであるというものでした。神の恵みによって、信仰によって人は救われる。そしてその人は信仰に基づいて洗礼を受け、イエス・キリストの体なる教会のメンバーになることが許される。キリスト者になるために、それ以上の条件は何もない、というものでした。



ところが、そのパウロたちの主張をどうしても受け入れることができなかった人々が、アンティオキア教会の中に混ざっていたようです。恵みと信仰、そして洗礼を受けるだけでは、人はキリスト者を名乗ることができないと、その人々は考えました。キリスト者を名乗るからには、聖書に基づいて、とりわけモーセの律法に基づいて割礼を受けなければならない。洗礼に加えて、割礼も必要である。キリスト者になるためには、洗礼を受けるだけでは不十分である、と考えたのです。



この論争の本質は、どこにあるのでしょうか。いろんな見方ができると思います。



パウロたちにとって最も重要であったのは、彼らが第一回伝道旅行において取り組んだ「異邦人への伝道」という点でした。つまり、彼らの関心は、どうしたら異邦人を教会に受け入れることができるのか、ということでした。



異邦人とはユダヤ人にとっての外国人のことであり、それは同時にユダヤ教徒にとっての異教徒のことです。その人々の特徴は、ユダヤ人たちとの比較において、最も明らかにされます。異邦人の特徴は、聖書の御言葉をきちんと学んだことがないということであり、従って、聖書にどんなことが書かれているかをほとんど全く知らず、それゆえ聖書の教えに従って生きたことがない、という点に集約されるのです。



しかしそこにある問題は、少なくとも当時の状況においては、キリスト教会のメンバーの大多数がユダヤ人たちであった、という事実です。ユダヤ人たちの特徴は、異邦人との比較において明らかにされます。ユダヤ人たちは、聖書に書いてあることは何かを幼い頃から学んできている。また、聖書の教えに従って(あるいは「従わされて」)生きてきた、という事実とプライドを持っている人々である、という点に集約されるのです。



そのようなユダヤ人たちが大多数を占めていた教会の中に、異邦人を受け入れること。これがパウロたちの使命となり、課題ともなったのです。「課題」と言わなくてはならない理由は、そこに大きな困難が伴うことは、火を見るよりも明らかだからです。



そこで起こる大きな困難の内容は、おそらくわたしたちにもすぐにピンと来るものです。以前、ある場所で小池正良先生(日本キリスト改革派船橋高根教会前牧師)が「伝道とは異文化間コミュニケーションでもある」と教えてくださいました。そのとおりです。伝道とは生き方、考え方、言葉遣いなど、文化の異なる人々を受け入れ、共に生きることです。



しかしまた、そこには大きな困難が伴います。関東の人と関西の人。それだけでも未だに難しい問題があると思います。都会の人と田舎の人。戦争体験者と未体験者。若い人と年配者、などなど。異なる文化の持ち主が共に集まり、共に生きる。それが、現実の教会の姿でもあります。しかしまた、そこには難しい問題があるのです。



選択肢は、少なくとも二つあると思います。第一の選択肢は、強い影響力を持っている人々が、自分たちの文化を教会全体に押し広げることです。一つの教会の中に異なる文化が共存することを認めず、一つの文化を共有する団体になるよう強いることです。あるいは、強いることまではしなくとも、異なる文化の人々に対して終始一貫、批判的・否定的な視線を向けることです。



しかし第二の選択肢があります。パウロたちが選んだのは、これです。自分自身も含むユダヤ人たちの側が、ぎりぎりまで譲歩する道です。異なる文化の持ち主に対してユダヤ人たちの文化を強制しない道です。



しかもそれは、我慢や忍耐というレベルにとどまるものではありません。我慢や忍耐というレベルにとどまるならば、結局そこには、批判的・否定的な視線が残り続けると思います。教会の中に「我慢している人々」と「我慢されている人々」の二種類の人々がいる、という状態が残り続けます。そのような状態がいつまでも続くことは、わたしたち人間にとっては、心理的にも感情的にも、耐えられるものではありません。



もっとも、アンティオキア教会のなかで、パウロたちと対立することになった人々は、我慢も忍耐もできなかった人々です。彼らは自分たちが割礼を受けていたのです。自分の生きてきた道は正しいという確信を持っていました。そのため、教会の中に割礼を受けていない人がいることが許せなかったのです。そのような人々が教会の中に存在すること、そのような人々を受け入れることは、このわたしの人生を否定されるのと同じである、というふうに感じたのではないでしょうか。



この種の対立は、しばしば、とても深刻なものになります。決して小さなことではありません。お互いの人生をかけての勝負事になる。感情的にも激しいぶつかり合いへと発展し、お互いの心や体に深い傷をもたらしかねません。そのことをわたしたちはよく知っていると思いますし、またそのことを二千年前の教会も、よく知っていたのです。



感情的な激突を避けるための知恵は何でしょうか。会議を開くことです。それが人類の知恵であり、神の教えです。二千年前の教会もまた、教会内の紛争を処理するという目的のために「教会会議」を開くことにしたのです。これは、非常に重要なことです。



「この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。」



今日の個所、使徒言行録15章に紹介されている「エルサレムの使徒会議」は、二千年のキリスト教史の最初に開かれた、言葉の最も正しい意味での「教会会議」です。



教会会議は、まさに「会議」でなくてはなりません。会議とは落ち着いて理性的に語り合い、決議する場所です。そして理性的に語り合うとは、論理を用いて真理について語りあうことです。「私はこう思う」とか「誰かがこう言った」と言い合うだけでは、会議にはなりません。大きな声で相手をねじ伏せるようなやり方などは、論外です。



そして、その会議が真理を問題にしているかぎり、その会議は必ず「裁判所」としての機能を持つ必要があります。最終的には、白いものを「白い」と言い、黒いものを「黒い」と言わねばなりません。どちらでもないものは「どちらでもない」と言わねばならないのです。裁判的要素のない会議は、ただの虚しいおしゃべりです。



そして、ここでわたしたちが知っておくべきことは、この歴史的に最初の「教会会議」が開かれることになった理由ないし動機は、先ほどすでに申し上げましたとおり、教会内の紛争を収めるためであった、ということです。逆に言えば、それは、教会というところは、二千年前から、つまり教会の歴史の最初から、もめごとだらけであった、ということをも意味しています。「がっかりする」とお感じの方もおられるかもしれません。



教会内に紛争がない、ということはありません。歴史的に一度もなかったと言い切ってよいほどです。紛争がない教会などは、いまだかつて存在しなかったし、これからも存在しないでしょう。



しかし、わたしたちは、そこで絶望してはならないのです。違いが生じるのは、その先です。教会は内部の紛争を収め、交通整理をすることによって、感情的に対立する両者の間に和解をもたらし、共に生きる道を模索してきました。それが「教会会議」を開く意味です。少なくとも日本キリスト改革派教会は、厳密な意味での「教会会議」を重んじることにわたしたち自身の存在をかけてきたのです。



今日も礼拝後に、11月の定期小会・執事会を開きます。わたしたちの教会で毎月開いている小会は正規の「教会会議」です。わたしたちの小会は仲良くしていますので、ご安心ください。今、わたしたちの教会の中には何の紛争はありません。



今月23日に湖北台教会で行われる東関東中会2007年度第二回定期会も、正規の「教会会議」です。わたしたちの中会にも今のところ何の紛争もありません。平和そのものです。



先月大阪で行われた日本キリスト改革派教会第62回定期大会も正規の「教会会議」です。大会も平和そのものです。大きな紛争などは何もありません。



しかし、次のように語ることをどうかお許しいただきたいと願います。それは、現時点で、わたしたち松戸小金原教会の中にも、東関東中会の中にも、大会にも紛争がないのは、「紛争が起こらないように」、まさに教会会議(小会・中会・大会)そのものが全力を尽くして見張り番の役を背負っているからでもあるということです。見張り役にある者たちの共通認識は、次のようなことです。



第一に、教会の中で受ける心の傷は、わたしたちを最も深く傷つけるものであるということです。そのことをわたしたちは、よく知っていますし、また教会生活の中で体験的に学んできています。



第二に、教会で受けた傷は、教会の中で、また教会自身によって、癒されなければならない、ということです。教会の中で受けた傷は、教会の外で癒されることはないし、またそのような解決方法が善いとも思えません。



そして第三に、言葉の正しい意味での「教会会議」を支配しているのは、実は、わたしたち人間ではなく、人間の思いではなく、神御自身であり、神の御霊である、ということです。そのように、わたしたちは、はっきり語ることができます。人間の思いの支配する会議は「教会会議」ではありません。そこには赦しも慰めも救いもありません。



しかし、「教会会議」は違います。そこには赦しがあり、慰めがあり、救いがあります。そこに集められた人々の信仰のうちに、聖霊なる神御自身が宿ってくださるのです!



「教会会議」も間違いを犯すことがありえます。完璧な真理は地上の教会には明らかにされていないからです。しかし信頼していただきたいことがあります。それは、教会会議が犯した間違いは、次の教会会議で神御自身が訂正してくださるのだ、ということです。



わたしたちは、教会会議の主を信頼するゆえに、この命を「教会会議」に預けることができるのです。



(2007年11月11日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月4日日曜日

「苦しみの意味と力」

使徒言行録14・21~28





「二人はこの町で福音を告げ知らせ、多くの人を弟子にしてから、リストラ、イコニオン、アンティオキアへと引き返しながら、弟子たちを力づけ、『わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない』と言って、信仰に踏みとどまるように励ました。また、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命し、断食して祈り、彼らをその信ずる主に任せた。それから、二人はピシディア州を通り、パンフィリア州に至り、ペルゲで御言葉を語った後、アタリア州に下り、そこからアンティオキアへ向かって船出した。そこは、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である。到着するとすぐ教会の人々を集めて、神が自分たちと共にいて行われたすべてのことと、異邦人に信仰の門を開いてくださったことを報告した。そしてしばらくの間、弟子たちと共に過ごした。」



パウロとバルナバの第一次海外派遣は、ここで終了いたします。彼らは海外に出かけて、いったい何をしたのでしょうか。そのことが今日の個所に明らかにされています。



21節の「この町で」は、直前の20節に出てくる「デルベ」のことです。デルベの町で、パウロとバルナバは「多くの人を弟子にした」と書かれています。気になるのはこの場合の「弟子」とは誰の弟子なのかということです。



この問いの答えは明快なものでなければなりません。「キリストの弟子」です!「パウロの弟子」でも「バルナバの弟子」でもありません。この点を読み間違えてはなりません。



「弟子にする」という表現が用いられているのは、使徒言行録にはこの個所だけですし、また、使徒言行録と同じ著者であるルカによる福音書には出てきません。しかし、マタイによる福音書には出てきます。「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」(マタイ28・19)。



これはイエス・キリストの宣教命令です。すべての民を「わたしの弟子」、つまりイエス・キリストの弟子にすることが教会の伝道の目的なのです。



パウロとバルナバの働きも、彼ら自身の弟子を増やすことではありませんでした。このわたしの言うことを聞く人間が何人増えたというようなことに、おそらく彼らは何の関心もありませんでした。彼らはそのようなことを嫌がっていたと思います。キリスト教信仰にとってそのような感覚は、最も遠いものであり、うんざりすることだからです。



しかしまた、そのことは、ある面から言えば、人間の社会においては避けがたい運命、抵抗しがたい誘惑であると言わねばならないことかもしれません。政治家が自分の支持者を集めるように、宗教家が自分の弟子を増やそうとする。それは、事の成り行きとしては避けがたいことかもしれないのです。



パウロたちもその事情をよく分かっていました。だからこそ彼らは意識的ないし意図的に、伝道とは自分の弟子を増やすことではないということを具体的な行動と実践において明らかにしました。



この点で注目していただきたいのは22節の「信仰に踏みとどまるように励ました」という言葉と、23節の「彼らをその信ずる主に任せた」という言葉です。



今日の個所でパウロたちがしていることは、それまで歩んできた道を引き返すことです。ピシディア州のアンティオキア、イコニオン、リストラ、デルベと歩いてきた。その同じ道を今度はデルベ、リストラ、イコニオン、アンティオキアと引き返す。その目的は彼ら自身が伝道した町のなかで、イエス・キリストへの信仰を受け入れ、洗礼を受け、教会のメンバーになった人々に再び出会い、信仰に踏みとどまるように励ますことでした。



ご理解いただきたいのは、パウロたちが勧めたのは「信仰に踏みとどまること」、つまり、彼らが宣べ伝えたイエス・キリストへの「信仰」に踏みとどまることであって、われわれから受けた恩義に踏みとどまりなさい、感謝しなさいというようなことではなかったことです。恩義に踏みとどまれというような話は、仁侠道の一種であり、キリスト教信仰から最も遠いものなのです。



そしてパウロたちは、そのことを明らかにするためにこそ、23節に書かれているとおり、弟子たちのため教会ごとに長老たちを任命したのです。そして、「彼ら」つまり「長老たち」を「その信ずる主に任せた」のです。



どういうことか。要するに、パウロたちは、ひとつの町、ひとつの教会に長くとどまり続けることを意識的に避けた、ということです。彼ら自身の弟子をつくらないためです。キリスト者が文字どおり「キリスト者」であり続けること。パウロ主義者やバルナバ主義者をつくらないこと。そのために、彼ら自身は潔く身を引くのです。



しかしまた、彼らの伝道によって、町ごとに信仰者の群れが生み出され、そこに教会が形成されていった。その教会を大切にする責任が、パウロたちにもあった。そのために、教会を守る責任者として長老たちを任命し、その長老たちを「その信ずる主」、すなわち、救い主イエス・キリスト御自身「に」任せたのです。



ですから、別の言い方をすれば、パウロたち自身の仕事の目標は、たしかに旅先の地に信者の群れを生み出すことではありましたけれども、より具体的に言えば、その地に複数の長老を任命することであり、われわれの言葉で言えば「小会を組織すること」であって、それ以上のことは彼らの仕事ではなかったということです。あとのことはすべて長老たちが行うのです。
 
26節にも、23節にあったのと同じような表現が出てきます。「そこ〔アンティオキア〕は、二人が今成し遂げた働きのために神の恵みにゆだねられて送り出された所である」。



「二人」、すなわちパウロとバルナバの二人は、アンティオキアにおいて、神の恵み「に」ゆだねられました。神の恵み「が」彼らにゆだねられたわけではありません。それは、23節において長老たちがその信ずる主なるイエス・キリスト「に」任せられたのであって、パウロたちが長老たちにイエス・キリスト「を」任せたのではないのと同様です。



ここで考えなければならないことは、神の御子なる救い主イエス・キリストは、生きておられる方であるということです。また、恵み深い父なる神は、生きておられる方であるということです。「イエス・キリスト」も「神の恵み」も、パウロたち伝道者たちがだれか他の人々に「はい、どうぞ」と手渡して預けることができるような、物のような存在ではないということです。



むしろ事情は正反対です。御言葉の教師たちが、長老たちが、そしてすべてのキリスト者たちが、父なる神と御子イエス・キリスト「に」任せられ、ゆだねられるのです。このことも間違えてはなりません。



さて、ここで話をもう一度前のほうに戻します。パウロたちが旅先の町々で福音を宣べ伝えた結果ないし成果としてうみだされたキリスト者たちとその教会に対してパウロたちが語った言葉は「わたしたちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なくてはならない」というものでした。この意味は何なのだろうか、ということを考えてみたいと思います。



私にとって気になることは、ひとつです。この点は皆さんにぜひお尋ねしたいことでもあります。「多くの苦しみを経なくてはならない」という言葉は、22節によりますと、弟子たちを「力づける」言葉であったと言われています。



問題は、皆さんならば、このような言葉で「力づけ」られるでしょうかということです。「苦しみがあります」とか「苦しまなければなりません」という言葉を聞くと、たちまち元気がなくなるとか逃げ出したくなるという方はおられませんか。この点がちょっと気になる、いや、かなり気になる点です。



しかも、明らかなことは、パウロたちが語っている、わたしたちが経なくてはならない「苦しみ」の内容は、どう考えてもやはり、教会をたてあげ、守り抜くことに伴う苦しみであるということです。はっきり言えば、パウロたちが語っていることの趣旨は、教会は楽しいばかりのところではなく、苦しいところでもある、ということです。



しかし、教会の何がそんなに苦しいのでしょうか。それは、わたしたち自身が、すでに十分に味わってきたことです。



毎週の礼拝に通うこと。このこと自体が楽しいばかりのことではなかったし、今もそうであるし、これからもそうであろうということを、わたしたちはよく知っています。



教会生活は、それを始めるときには喜びと感謝と興味がいっぱいあるものです。しかし問題は、それを続けることができるかどうかです。喜びも感謝も興味もそのうち失われていくのです。長く続けることができそうもないという理由で最初から入ることを躊躇している人々も大勢いることを、私は知っています。



また、とくに小さな子供たちにとっては、日曜日の朝に早起きをするということだけでも一苦労です。教会には近くに住んでいる人々だけではなく、遠くに住んでいる人々もいます。一人で通っている人々だけではなく家族揃って通っている人々もいます。「揃って」というところに、これまた大きな苦労が生じます。



ともかく、わたしたちひとりひとりがこの礼拝のために毎週払っている苦労は、決して過小評価されるべきではないのです。



また、教会を維持することのために、わたしたちは、多くのささげものをささげてきたし、ささげているし、ささげ続けるであろうということも、決して楽なことではないし、涙が出てくるような苦労があります。



そしてまた、教会は人間が集まるところであり、そこには人間の問題が必ずあるのです。いろいろなトラブルもある。嫌になって逃げ出したくなるような場面は、教会生活のなかには、何度でも訪れるのです。



加えて外からの妨害や迫害もあります。わたしたち教会の者たちにとっては命に代えても惜しくないほど大切なことが、教会の外側にいる人々にとっては、どうでもよいことであり、無意味なことに見える。そのように面と向かって言われる。そのような人々の声に、わたしたち自身が負けてしまうことがあるのです。



わたしたち自身に原因や責任がある場合もあります。毎週日曜日、教会から帰ってくるたびに愚痴を言う。疲れ果て、くたびれ果てて、蒼い顔して、寝込んでしまう。「そんなにつらいんだったら、教会なんかやめたらいい」と家族の人々が本気で心配してくれる場合があります。人が苦しんでいる姿は、つまずきにもなるのです。



しかし、勇気を持とうではありませんか。教会には何の苦しみもありませんと語ることはうそになりますし、聖書の証言に反していますので、そのように語ることは私にはできません。



それでもなお申し上げたいことは、教会の存在は決して無意味ではないし、無駄でもないということです。たとえ苦しみがあっても、教会には命をかけて守り抜く価値があり、意味があるということです。この町に教会があることは、わたしたち教会の者たちにとってだけではなく、町の人々にとっても意味があり、価値があるのです。



みんなで一緒に苦しみましょう!私も苦しみます。教会は「地上における神のみわざ」なのです。教会はイエス・キリストの体なのです。天地創造のみわざは、教会なしに行われました。しかし、救いに関して言えば、神さまは教会なしには何もなさらないのです。



わたしたちが苦しんで、涙も流して、一生懸命に支えて、つくりあげていく地上の教会をとおして、神御自身が救いのみわざを行われるのです。



その意味で、わたしたちの苦しみが、神の力なのです。



(2007年11月4日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年11月3日土曜日

「小金原憲法九条の会」結成三周年への祝辞

「キリスト教の立場から」―「小金原憲法九条の会」第二回例会での発言(2005年5月19日)



本日は小金原憲法九条の会が三周年をお迎えになりましたことをお慶び申し上げます。また、そのお祝いの会の会場として松戸小金原教会をお選びいただき、感謝いたします。またゲストとして松戸小金原教会の教会役員(長老と称します)でありハープ奏者である佐々木冬彦さんをお選びいただきましたことも、本当にうれしく思います。



佐々木さんの紹介をするようにと命ぜられました。しかし、佐々木さんはとても照れ屋の方なので、ここで私がいろいろ言うと、きっと困ってしまわれると思います。とにかく素晴らしい方です。佐々木さんのハープの音色をとにかく聴いてください、と申し上げておきます。私と佐々木さんは1965年(昭和40年)生まれの同い年です。この教会の牧師と長老という関係であると共に親しい友人でもあります。心から推薦させていただきます。



また講師である映画監督、池谷薫さんには、本日初めてお目にかかります。素晴らしい講演をしていただけることと期待しております。よろしくお願いいたします。



松戸小金原教会のこの建物は、ちょうど2000年に新しく建て直しました。そのとき以来、この建物を地域の方々、とくに小金原地区の方々のためにお役に立つように用いることができないかと祈り願ってきました。今日のような会、とりわけ平和のために開かれる会に用いていただけるなら、それこそわたしたちが願ってきたことです。本当にありがたいと思っています。



平和というテーマはキリスト教においても重要なテーマです。わたしは今、「キリスト教においても」と、少し遠慮がちに申しました。本当は「キリスト教においてこそ」と語りたいのです。宗教が平和を祈り求めないはずがないではありませんか!平和のために祈らないような宗教とは、いったい何なのだろうかと思います。



わたし自身は、小金原憲法九条の会のメンバーに加えていただいている者です。しかし、今日の会は教会が主催ではありません。今日、わたしたちは、宗教・思想・信条をこえて集まっています。佐々木さんが奏でる美しいハープの音色を聴きながら平和とはどのような音色であるかを想像してみていただきたいと思います。また、池谷さんの力強い御講演を伺いながら、わたしたちが求める平和とは何であるのかを改めて学び、考える会であると思います。そのような会が行われることを、教会の者たちは心から感謝しているのです。



教会の者たちが信じているイエス・キリストは、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」(新約聖書・マタイによる福音書5・9)とお語りになりました。これは、平和を実現するために武器をとって戦え、という意味ではありません。イエス・キリストは一度も武器をおとりになりませんでした。それどころか、どのような迫害の中にあっても、非暴力・無抵抗を貫かれました。そのことは多くの人々に知られています。教会もまた、イエス・キリストがこのような方であるからこそ、尊敬し、信仰の対象とし、この方の教えを学び、この方に従って生きていきたいと願うのです。



今日は宗教・思想・信条をこえて集まっている会です。しかし、わたしは、教会だからこそできることもある、と思っています。



それは、まさに今日、戦争に反対しない教会があり、そのようなキリスト教があるではないか、と多くの人々から思われているということを、わたしたちは知っているからです。「ヨーロッパを見てごらんなさい、アメリカを見てごらんなさい、みんな戦争しているではないですか。あの人々の背後にキリスト教があるではないですか!キリスト教こそ戦争の宗教ではないのですか」と。



教会にもできること、いや教会だからこそできることがある。それは、日本国憲法九条の改憲に反対している教会もあるのだということ、そして世界の平和を実現していくために祈りかつ働くキリスト教もあるのだということをわれわれの存在をもって証明することです!



そのような機会をわたしたち教会に与えてくださったそのことを、小金原憲法九条の会の方々に、感謝しております。



お集まりの皆様には、どうか、ごゆっくりお過ごしくださいますようお願いいたします。



(2007年11月3日、小金原憲法九条の会結成三周年記念会、於松戸小金原教会)



2007年10月28日日曜日

「人間崇拝との対決」

使徒言行録14・1~20



今日の個所にもパウロとバルナバの海外宣教の様子が記されています。先週わたしたちは石丸新先生をお迎えして特別伝道集会を行いました。伝道とは何でしょうか。この問いを考えながら、今日の個所をご一緒に読んでいきたいと思います。



「イコニオンでも同じように、パウロとバルナバはユダヤ人の会堂に入って話をしたが、その結果、大勢のユダヤ人やギリシア人が信仰に入った。」



「イコニオンでも同じように」の「同じように」の意味は、ほかの町で行ったのと同じように、ということではありません。ほかのユダヤ人たちと同じように、という意味です。ユダヤ人たちは安息日ごとに会堂に集まっていたのです。パウロたちは、「ユダヤ人たちと同じように」、安息日ごとに会堂に足を運んだのです。



そして、パウロたちは、ユダヤ人の会堂に入って「話をした」とあります。これは文字どおりの意味で理解すべきです。申し上げたいことは、ここで「話をした」には「御言葉を宣べ伝えた」というほどの強い意味はない、ということです。



彼らは、まさに文字どおり「話をした」だけかもしれないと考えてみる必要があります。「おしゃべりをした」というほどの意味かもしれません。とにかく強い意味はありません。おそらく本当に、ただ「話をした」だけなのです。



わたしが今ここで何を言おうとしているのかは、おそらくすぐにお気づきいただけることです。二千年前のパウロたちが、イコニオンという町で伝道をしました。その方法は、毎週の安息日に、ユダヤ人たちの集まる会堂にとにかく足を運び、もちろんそこでユダヤ人たちと顔を合わせ、そこでとにかく「話をする」ということであった、ということです。



伝道においてはこういうことが大切なのです。営業の訓練のようなものです。地道に足を運ぶ。顔をつなぐ。話をする。これが信頼を獲得するための方法です。すなわち、相手がこのわたしの言葉に耳を傾けてくれるようになるための信頼関係を構築していくための、おそらく唯一の方法なのです。



この点では伝道も同じです。伝道とは神の御言葉をこのわたしの言葉で伝えることです。もしこのわたしの言葉に耳を傾けてくれる人がいないとしたら、伝道は絶対に成り立ちません。そして、このわたしの言葉に耳を傾けてくれる人が起こされることと、このわたしが周りの人々から信頼されるようになることとは無関係ではありません。信頼できない人の言葉を誰が聞くでしょうか。「わたしのことは信頼してくださらなくても結構ですから、わたしの語る言葉を信じてください」という言い方が通用するでしょうか。信頼できる人が語る言葉だから聞くのです。伝道の前提には人間同士の信頼関係がある、ということを考える必要があるのです。



ただし、そこで大事なことは、そのようにする目的は何なのかを、はっきりと認識し、把握しておくことだと思います。教会の目的は伝道です。ただ仲良くなればよいということではありません。



また、伝道に関してわたしたちが知っておくべき、もう一つの点があります。それは、伝道においては、どれだけ時間をかけても、地道に足を運んで話をすることによって信頼関係を築き、神の御言葉の真実を語り、救いの喜びを伝えたいと願っても、全く逆の方向に事柄が展開していくことがありうるということです。



「ところが、信じようとしないユダヤ人たちは、異邦人を扇動し、兄弟たちに対して悪意を抱かせた。それでも、二人はそこに長くとどまり、主を頼みとして勇敢に語った。主は彼らの手を通してしるしと不思議な業を行い、その恵みの言葉を証しされたのである。町の人々は分裂し、ある者はユダヤ人の側に、ある者は使徒の側についた。異邦人とユダヤ人が、指導者と一緒になって二人に乱暴を働き、石を投げつけようとしたとき、二人はこれに気づいて、リカオニア州の町であるリストラとデルベ、またその近くの地方に難を避けた。そして、そこでも福音を告げ知らせていた。」



パウロたちの前で起こったことは、御言葉を受け入れて信仰に入った人々と、そうではない人々とに分けられた、ということです。しかも、そのことがただ個人的な問題であるとか、心の中の問題であるというような次元に収まるものではなかったことが分かります。



町が分裂しました。そして文字どおりの「暴動」が起こりました。物理的な暴力をもって、パウロたちを町から排除しようとする、あるいは殺そうとする人々が現れたのです。社会問題、政治問題へと発展したのです。



伝道がただ単に「友達を増やすこと」にとどまるものではないし、それだけであってはならないと言われる点の理由が、ここにもあるように思います。もし伝道が「友達づくり」にとどまるものであるならば、迫害など起こりようがないのです。



なぜ迫害が起こるのでしょうか。神の御言葉は、真理そのものだからです。真理というものは、それを愛する人々にとっては救いとなります。しかし、この世の中には、真理を憎む人々もいるのです。真理を突きつけられると、偽りに満ちた自分自身のあからさまな姿が、暴露されるからです。そこで素直に悔い改めることができればよいのですが、悔い改めるどころか、逆恨みする。真理を嘲笑し、攻撃し、排除しようとするのです。



パウロたちは、石を投げつけようとする人々に気づいたときには、「難を逃れた」とありますとおり、要するに逃げました。それでよいのです。野蛮な人々の暴力によって怪我をさせられる必要はありません。暴力に対して暴力によって立ち向かうことが勇敢さを示す道ではありません。御言葉の宣教において、福音の伝道において、その言論活動において、真理を真理として語ることができる。反対者に屈しない。それが真の勇敢の道なのです。



さて、次の段落には、イコニオンで起こった暴動から逃れて辿り着いたリストラという町での出来事が記されています。このリストラの町で起こったことは、イコニオンで体験したこととは、かなり違うものでした。



「リストラに足の不自由な男が座っていた。生まれつき足が悪く、まだ一度も歩いたことがなかった。この人が、パウロの話すのを聞いていた。パウロは彼を見つめ、いやされるのにふさわしい信仰があるのを認め、『自分の足でまっすぐに立ちなさい』と大声で言った。すると、その人は踊り上がって歩きだした。群集はパウロの行ったことを見て声を張り上げ、リカオニアの方言で、『神々が人間の姿をとって、わたしたちのところにお降りになった』と言った。そして、バルナバを『ゼウス』と呼び、またおもに話す者であることから、パウロを『ヘルメス』と呼んだ。町の外にあったゼウスの神殿の祭司が、家の門の所まで雄牛数頭と花輪を運んで来て、群集と一緒になって二人にいけにえを献げようとした。」



パウロたちは、何をされたのでしょうか。最も短く言えば、神さま扱いされたのです。言うならば、祀り上げられたのであり、神棚の上にあげられそうになったのであり、神社が建てられそうになったのです。



パウロたちがしたことは、生まれたときから一度も歩いたことがなかった、足が不自由な人を立たせたことでした。絶対にありえないと思われてきたことが、ありえた。不可能を可能にする人が現われた。それが、パウロたちが神扱いされた理由であると思われます。こういう話は、わたしたち日本人にとっては少しも珍しいことではありません。日本には、そこいらじゅうに「カミサマ」がたくさんいるではありませんか。



そして、日本の中では、周りの人々に神扱いされている人は、私の知る限り、そのことを喜んでいるし、満足しているように見えます。謙遜のために笑いながら否定することはあっても、むきになって否定するようなことはないのではないかと思います。「あなたは神である」と言われて、悪い気はしないのではないでしょうか。



これが、先ほど私が申し上げた、イコニオンでの出来事とリストラでの出来事との違いであると感じられる点です。彼らがイコニオンで味わったのは、信仰に入る人々を得ることができたという喜びと同時に、厳しい迫害でした。しかし、リストラで味わったのは、神扱いです。ある意味で迫害の正反対です。うやうやしく扱われること、最大限の尊敬を受けることです。ほめたたえられること、絶賛されることです。尊敬され、ほめられて、腹を立てる人がいるでしょうか。通常はニッコリ笑う場面ではないでしょうか。



ところが、です。パウロたちはこの点では、わたしたち日本人の多くがとる態度とは、おそらく全く違います。彼らは本当に腹を立て、むきになり、必死になって、「わたしたちは神ではない。わたしは神ではない」ということを、声を大にして主張したのです。



「使徒たち、すなわちバルナバとパウロはこのことを聞くと、服を裂いて群集の中に飛び込んで行き、叫んで言った。『皆さん、なぜ、こんなことをするのですか。わたしたちも、あなたがたと同じ人間にすぎません。あなたがたが、このような偶像を離れて、生ける神に立ち帰るように、わたしたちは福音を告げ知らせているのです。この神こそ、天と地と海と、そしてその中にあるすべてのものを造られた方です。神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。』こう言って、二人は、群集が自分たちにいけにえを献げようとするのを、やっとやめさせることができた。」



パウロたちは、なぜ、神さま扱いされることを嫌がったのでしょうか。理由は明白です。わたしたちの信仰、キリスト教信仰がそれを許さないのです。



人間は神ではない。人間は神によって造られた被造物である。創造者と被造物の間には、永遠の隔たりがある。被造物はいかなる意味でも神ではない。もしこの点がゆるがせにされるならば、キリスト教信仰の終わりを意味する。教会のいのちの終わりを意味するのです。



教会は、神は神であること、そして人間は人間であることを重んじます。人間が神になること、人間を神にすることは許されていないのです。人間が人間として生きること、「人間らしく生きること」のうちに真実があり、誠実さがあります。神を名乗る人間はすべてでたらめな存在なのです。



今日は宗教改革記念礼拝として行っています。敬意をこめて、宗教改革者カルヴァンの言葉を引用しておきたいと思います。



カルヴァンは今日の個所の注解のなかで興味深いことを書いています。それは、説教には二つの段階がある、ということです。



第一の段階は「無根のでっち上げられた無数の神々を取り除くこと」であり、第二の段階は「天と地の創造主であるこの神はどんなかたであるかを教えること」です(カルヴァン『新約聖書註解 使徒行伝下』、益田健次訳、432ページ参照)。



わたしは、これを「説教の二つの課題」と呼んでおきます。二つともどうしても避けて通れないことです。神ではないものを「神ではない」と語ること。すなわち、人間は人間であり、物は物であると語ること。正直に語り、あるがままの存在を指し示すこと。うそを言わないこと、言わせないこと。これが説教の第一の課題なのです。



そして、まことの神とはどんな方であるかを教えることが説教の第二の課題なのです。



(2007年10月28日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年10月20日土曜日

公会主義を説く改革派宣教師S. R. ブラウン

2002年2月20日(2007年10月20日加筆修正)


昨日〔2002年2月19日〕、私は、ほぼ丸一日かけて、日本史上最初にプロテスタント・キリスト教を宣べ伝えたことで知られる米国オランダ改革派教会宣教師、S. R. ブラウン[1810~1880年]の書簡集を読んでいました。全378ページもある、第一級の歴史資料です。


日本におけるブラウンの働きについては、短い文章で書くことは不可能なほど大きなものがありました。とくに彼が力を注いだのは、聖書を日本語に翻訳すること、日本のプロテスタント神学校の先駆けとなったブラウン塾の創立、そして日本史上最初のプロテスタント教団となった「日本基督公会」の創立などに集約されます。


書簡の内容の多くは献金依頼のために割かれています。あるときは「母教会〔米国オランダ改革派教会〕が『ケチ』だと非難されたり、母教会の名が『なまけもの』だとか『利己心』と同義語に使われるのは堪えられません」(同上書、187ページ) という殺し文句まで用いながら。現実世界に生きている者として当然の要求であり、宣教師の責任に属する事柄です。


このブラウンは日本伝道に大きな夢を持っていました。1862年11月8日の書簡には、次のように記されています。


「わたしは、しばしば、独りごとに、いや仲間にも言っているのですが、この日本国がキリスト教国となったら、どんなにすばらしいだろう、と。この国民に福音の喜ばしい感化を与えることができるよう、神は力をあらわしてくださるでしょう。もしそうなれば、日本を地上の楽園とすることも不可能ではありません。この美しい谷や野原、山腹、農家、村落、町村、都市、全国どこにでもきかれる『南無阿弥陀仏』という祈祷が『なんじ、高きにいます神よ』または『天にましますわれらの父よ、み名をあがめさせたまえ』という祈りに変わる時代は現に来つつあるのです。」 (同上書、115~116ページ)


ブラウン宣教師がこの夢を見たときから、はや140年。はたして、日本は「地上の楽園」になったでしょうか。彼はナイーブな楽天家でありすぎたのでしょうか。


また、1872年9月28日の書簡には、「日本基督公会」という教団名称の意味に関して次のように記されています。


「神よ願わくは、日本におけるキリスト教の発達に関心を持つ者として、同一なる公会の精神と統一した目的とに結合されて、キリスト教国における教会の美をはばむ分派をば、できるかぎり、この国から排除せられんことを。そして、もし、ただ組合教会とか、長老教会とか、リフォームド教会とかの相違が、異教徒に見えないよう、かくされてしまって、教会のこれらの分派が、少しもあらわれずに…すべてのものが、ひとりの共通の『主』と『かしら』につらなって、一つの教壇に立ちうるようになったならば、わたしたちの後から日本に来るものは、どんなに幸いでありましょう。」(同上書、286ページ)


「公会主義」と称せられるこのブラウンの夢は、しばしば、現在の日本における最大のプロテスタント合同教団である「日本基督教団」の存在を肯定的に評価する人々によって引用されるものでしょう。


しかし、これについて我々はどのような評価を下すべきでしょうか。たとえば熊野義孝先生の文章に見られるような「反省」、すなわち、「ただ聖書にのみ即する神学であるならば、それは単一全般的な神学であることを観念的に誇りうるかも知れないが、すでに伝統といふ以上、そこには諸教会の伝統が並存しているのであるから、現実的にはもはや教派的ならざる神学は存在しがたいではないか、といふ反省が促される」(熊野義孝著『教義学』、第一巻、新教出版社、1954年、45~46ページ)という物言いは、ブラウンが警戒する「キリスト教国における教会の美をはばむ分派」を促進するものとみなされるべきなのでしょうか。


はたして、すべての教派の存在は、すなわち「分派」なのでしょうか。このようなことを言いながら、ブラウン自身は紛れもなく「米国オランダ“改革派”教会」の宣教師以外の何ものでもなかったのではないでしょうか。彼はやはり、あまりにもナイーブすぎたのでしょうか。やや手厳しく言えば、「公会主義を説く改革派宣教師」ブラウンは自分自身の中で存在と思想が内部分裂を起こしていた、と言えないでしょうか。


しかし、私はこのようなことを考えながら、ブラウンの次の文章を読んでいたとき、思わずハッとさせられるものを感ぜざるをえませんでした。


「今、この国土〔日本〕から、改宗者が集められている、宣教の初期において、イエス・キリストを愛するものは、すべて、この地の教会が一つで、分かれることなく、わたしたちの本国の教会とか、他の国の教会のように、分派によって、異教徒を迷わし、教会の力を弱めることなく、むしろ「日本基督公会」(the Church of Christ in Japan)という、そうした土台をおくことを要望するに相違ないと思います。」(同上書、282ページ)


この文章が書かれたのは「1872年9月4日」です。この時期、アメリカの教会や「他の国の教会」が分裂し、その結果として教会の力が弱まっていたことはなるほど確かです。


ブラウンの時代、アメリカ全土は南北戦争で悩まされ、その影響で教会もまた南・北に分裂していき、互いに争い合うなどの悲劇を味わっていました。彼の書簡集にも繰り返し、わたしの悲しみは南北戦争だと書いています。


また、オランダ系アメリカ人たちの精神的故郷であるオランダ本国の改革派教会(国教会系と称されるNHK教会が米国RCAの出自)も1834年に起こった「第一次大分裂」(アフスヘイディングと呼ばれる)の傷がいえぬまま、1886年にはアブラハム・カイパーをリーダーとするグループのNHKからの離脱が起こります(「第二次大分裂」「ドレアンシー」などと呼ばれる)。つまり、ブラウンが生まれた1810年のオランダ王国に存在した唯一の「改革派教会」は、ブラウンの死(1880年)の後まもなく、三つの「改革派教会」へと分裂してしまうのです。


ブラウンの思いの中にこれがあったのではないか。オランダの国土は日本の九州地方と同じくらいの面積しかないと言われます。その狭い国の中でなぜ「オランダ改革派教会」が分裂しなければならないのか。なぜ「改革派教会」は一つではありえないのか。書簡集によるとブラウンは、米国オランダ改革派教会の機関紙“Sower”(種まく者)などを日本ミッション宛に定期的に送ってもらっていました。そこから当然、オランダ改革派教会の分裂情報の詳細も逐一伝えられていたはずです。


今日の評者がブラウンたちの「公会主義」をいろいろと批判することについては、その自由が確保されて然るべき面があるでしょう。しかし、その際に我々が考慮すべきであろうことは、まさに当時、彼自身が「母教会」と呼んで愛していたアメリカやオランダの「改革派教会」が分裂の真っ最中であった、このことを彼は深く憂慮し、何とかしなければならないと心に誓い、神に祈っていたのではないかという点です。


オランダ改革派教会の牧師であり神学者であったアーノルト・A. ファン・ルーラー(1908年~1970年)は、1969年に「家庭内争議の終焉」  と題する講演を行い、その中でオランダ国内における「改革派ファミリー」が再一致すべきこと、そして、「西暦2000年までに」再合同すべきことを呼びかけました。具体的には彼の属する国教会系NHKと上記カイパーが創立したGKNとの再合同です。


ファン・ルーラーの夢の実現は残念ながら西暦2000年には間に合いませんでした。[しかし、まもなくゴールに到達しようとしています。もちろん、まだまだ多くの問題が山積されたままのようですが。](2004年にオランダプロテスタント教会が誕生しました)。


私の夢もまた、日本においても、せめて「改革派・長老派の伝統を継承する諸教会」は再一致すべきであり、可能ならば再合同すべきではないだろうかということにあります。


外資系の教派はともかく、国内で自立して行かなければならない国内の改革派・長老派諸教派は、このままだと共倒れの危険がありはしませんか。


一般企業ならば、とっくの昔に合併整理されているような危ない橋を我々は「信仰で乗り越えていく」という。もちろんそうに違いないのですけれども。


しかし、しかし、です。今や、我々教会人たちが信仰をもって生きていくための基盤としてのこの世の生活そのものが脅かされつつあるという紛れも無い事実を、我々はどのように考えるべきでしょうか。


この場合の「我々教会人たち」とは、牧師ひとりだけではなく、教会役員たち、信徒のみなさんも含みます。会堂建築ブームで教会が抱える借金は膨れ上がり、「自由献金」として始められたものは、やがて各個教会の負担金と化して行く。“増税感”は否めません。我々は観念の中だけで生きているのではないのです。


構造改革・意識改革の必要は、現在の教会の中にこそあるのです。それは教団・教派を越えた課題であると私は考えております。


2007年10月14日日曜日

「異邦人の光」

使徒言行録13・44~52



今日の個所において明らかにされているのは、パウロとバルナバの伝道には“光の面”と“陰の面”があった、または“喜びの側面”と“悲しみの側面”があったということである、と表現できるかもしれません。
どういうことでしょうか。御言葉を読みながらご説明したいと思います。



「次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た。しかし、ユダヤ人はこの群集を見てひどくねたみ、口汚くののしって、パウロの話すことに反対した。」



伝道における“光の面”と“陰の面”、あるいは“喜びの側面”と“悲しみの側面”とは何なのか。それは、わたしたちがすでに、十分に味わい尽くしていることです。



それは何なのか。神の御言葉を宣べ伝えるわざは、たとえそれを教会と説教者とがどれほど力強く熱心に、あるいは念入りかつ用意周到に行ったとしても、そこで必ず、信じて受け入れる人々と同時に、信じることも受け入れることもしない人々が現われる、ということと関係があります。



それどころか、教会と説教者が神の御言葉を宣べ伝えるわざを行うことに力強く熱心であればあるほど、かえってますます力強く熱心に反対してくる人々が現われると言うべきかもしれません。



先週と先々週、ピシディア州のアンティオキアの会堂(シナゴーグ)で行われたパウロの説教を学びました。その説教を聴いた人々が「次の安息日にも同じことを話してくれるように」(42節)パウロに頼みに来ました。そして次の安息日は、「ほとんど町中の人々」がパウロの説教を聴くために集まってきたというのです。



これはすごいことだ、と思わされます。16世紀の宗教改革者カルヴァンは、使徒言行録13・44の解説として、面白いことではありますが、わたしたちにとっては身につまされる(他人事でない)ことを書いています。



「人々が大勢集まったということによって、次のことが立証される。すなわち、パウロとバルナバとは安息日から安息日までの間を、遊んで暮らしていたのではなく、ふたりが異邦人のために尽した労苦は決して無用ではなかったということだ。というのは、人々の心が非常に立派に導かれたために、皆がもっと十分にその全部を知りたいと願ったからだ」(『新約聖書註解 使徒言行録 上』、益田健次訳、新教出版社、1968年、409頁)。



カルヴァンが書いていることを別の言葉で言い換えると、どうなるか。要するに、主の日ごとに行われる教会の礼拝に集まる人々の人数によって、教会と説教者が(とくに説教者が!)、主の日から主の日までの間を「遊んで暮らしていたかどうか」が分かる、ということです!



これは恐るべき言葉であり、聞くのもつらい言葉ですが、無視することはできません。説教の出来栄えとそれを聴きたいと願い、実際に足を運ぶ人々の人数は、決して無関係ではない、ということです。



しかし、です。これから申し上げることは、ぜひご理解いただきたいところです。それは教会の教師、説教者たちにとっては、説教の準備のための苦労ならば、いくらでもする覚悟があるということです。



少なくともわたしたち改革派教会の教師たちは、礼拝の説教にこの命をかけてきました。他の仕事や働きの面で「がんばれ」と言われても、たいていの教師が不器用で、情けないほど何にもできません。しかし、その分、礼拝の説教に全力を注いで来たのです。



カルヴァンが書いていることも、ぜひそのような意味でご理解いただきたいと願っています。説教の準備のために力を注がないこと。いいかげんで済ましてしまうこと。説教の準備以外の事柄に時間と力を奪われてしまうこと。このことを指して、カルヴァンは、「〔一週間を〕遊んで暮らしていた」と言っているのです。



そして、もう一つ申し上げておきたいことは、説教者たちにとって、説教の準備のための苦労と苦闘、また御言葉に反対する人々が現われること自体は、伝道における“悲しみの側面”ではなく、“喜びの側面”に属することなのだ、ということです。



“悲しみの側面”とは、何のことでしょうか。今申し上げていることは、それは、教会が宣べ伝える神の御言葉を信じないで、反対し、立ち向かってくる人々がいる、ということ自体ではない、ということです。



説教を聴いて反発を感じるとか、意見を述べることは、何の問題もないどころか、当然のことであり、歓迎すべきことです。説教は一方通行であってはなりません。説教も十分な意味で「対話」であり、「コミュニケーション」なのです。



それでは“悲しみの側面”とは何でしょうか。答えを言います。それは、伝道の現場には、必ずと言ってよいほど、パウロたちの前に集まって御言葉を熱心に学ぼうとしている大勢の人々の姿を見て、ひどくねたみ、口汚くののしる、まさしく今日の個所に出てくるユダヤ人たちのような人々が現われることです。



わたしたちの場合でいえば、わたしたちが日曜日ごとに教会に通うことを快く思わず、何とかして邪魔をし、妨害しようとする力の問題です。そのような力が強く働きはじめるとき、わたしたちが痛感することは、伝道における“悲しみの側面”なのです。



神の御言葉の真理を学び尽くすためには非常に長い時間がかかると思います。一回聴くだけで分かるという人はいません。われわれの持っている聖書は、外国語の辞書、あるいは日本の六法全書(市販のもの)は、同じくらいの重さ(重量)です。これをわたしたちは文字どおり一生かけて学んでいくのです。必要なことは“学ぶ”ことです。“知る”とか“感じる”ということ以上です。



聖書を“学ぶ”ためには、間違いなく、多くの時間がかかります。とにかく長く続けること、地上の人生が終わるまで続けること、それが教会生活にとって重要なことなのです。



そのことをぜひ自覚していただきたいのです。反発を感じることは、何の問題もありませんし、むしろ当然のことであり、歓迎されるべきことでさえあります。反発を感じるということは、その人が御言葉を聴いている証拠だからです。聴いていない言葉には、反発を感じることもありません。



教会生活をやめ、御言葉を聴くことをやめてしまうこと、あるいは、何らかの外的な力が働いて“やめさせられること”。



そのような人々の姿を見ることが、教会と説教者にとっていちばんつらいこと、悲しいことなのです。伝道の現場において、それを見なければならない場面がある。それこそが“悲しみの側面”なのです。



「そこで、パウロとバルナバは勇敢に語った。『神の言葉は、まずあなたがたに語られるはずでした。だがあなたがたはそれを拒み、自分自身を永遠の命を得るに値しない者にしている。』」



パウロは、ここでもやはり、少し腹を立てているように読めなくもありません。しかし、パウロたちが語っていることは、ユダヤ人たちに対する“厳粛かつ冷静な抗議”です。



ユダヤ人たちのどの部分に対する抗議なのでしょうか。それはもちろん、その場にいた異邦人たちが神の御言葉を熱心に学ぼうとしているのを妨害してきたことに対して、です。



彼らはなぜ邪魔するのでしょうか。なぜ「口汚くののしる」のでしょうか。異邦人たちの自由に任せたらよいではありませんか。



彼らは、なぜ干渉するのでしょうか。他人のしていることに、やかましく口を出すのでしょうか。「キリスト教だけは絶対にやめなさい」と言いはじめるのでしょうか。全く余計なお世話です。わたしたちの理解の範囲を超えるものがあります。



「『見なさい、わたしたちは異邦人の方に行く。主はわたしたちにこう命じておられるからです。「わたしは、あなたを異邦人の光と定めた、あなたが、地の果てにまでも救いをもたらすために。」』異邦人たちはこれを聞いて喜び、主の言葉を賛美した。そして、永遠の命を得るように定められている人は皆、信仰に入った。こうして、主の言葉はその地方全体に広まった。」



ここでパウロたちは、一つの重大な決心を口にしています。「わたしたちは異邦人の方に行く」。これは、神の御言葉を信じることも受け入れることもしない、あなたがたユダヤ人たちの方ではなく、という意味です。彼らは、実際にそうしました。



そして、御言葉を信じることも受け入れることもしない人々に対し、「足の塵を払い落として」出て行きました。腹いせで行っていることではありません。神の言葉の尊厳を守るために行っていることであると、理解すべきです。



ユダヤ人たちは、ある意味で喜んだと思います。目の上のたんこぶが自分たちの側から「別のところに行く」と言いはじめ、実際にそうしてくれたのですから。



しかし、です。重要なことは、このときパウロたちは、ユダヤ人たちの前から、尻尾を巻いて逃げたわけではないということです。伝道が思うように進まないから、ここで伝道するのはもうやめた、という話ではない、ということです。



この点でパウロは、きわめて戦術家であり、戦略家であったと言うべきです。ローマの信徒への手紙に、次のように書いてあるとおりです。



「ユダヤ人がつまずいたとは、倒れてしまったということなのか。決してそうではない。かえって、彼らの罪によって異邦人に救いがもたらされる結果になりましたが、それは、彼らにねたみを起こさせるためだったのです。・・・わたしは異邦人の使徒であるので、自分の務めを光栄に思います。何とかして自分の同胞にねたみを起こさせ、その幾人かでも救いたいのです」(ローマ11・11~14)。



短くいえば、パウロが異邦人伝道を志した真の理由はユダヤ人の救いのためであった、ということです。パウロの願いは、異邦人が先に救われ、喜びの人生を送りはじめることによって、その姿を見るユダヤ人の心の中に「ねたみ」が起こることでした。「あの人々があんなに喜んで生きているには何らかの理由があるに違いない」。キリスト者の姿を見て、そのように思い、キリスト教会に通いはじめる人々が多く起こされることを願いました。それこそが、パウロの異邦人伝道の真の目的であり、動機だったのです。



なんと“壮大な”話でしょうか。これは、間違いなく“途方もない回り道”の話です。自分の家族のだれかが、信仰を受け入れてくれない。その人を何とかして信仰に導くために、隣近所の人々をまず先に導き、その人々自身が心から喜んで信仰生活を送っている姿を(信仰を受け入れない)自分の家族に見てもらい、信仰生活を始めるかどうかを考えてもらうのだ、と言っているようなものです。



伝道とはまさにそのようなものであると申し上げておきます。わたしたちが聖書を学ぶために一生の時間が必要であるように、教会の伝道にもとてつもない時間がかかるのです。



しかしそれは伝道における“陰の面”ではなく“光の面”です。伝道に時間をかけないこと、地道でないこと、すぐに目に見える成果を求めて挫折してしまうことが“陰の面”なのです。



(2007年10月14日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年10月7日日曜日

「復活の命の力」

使徒言行録13・26~43



今日の個所に記されているのは、パウロの説教です。パウロの説教のうち、聖書の中で読むことができる最古のものです。ただし、今日は途中から読みました。



これは、ピシディア州のアンティオキアという町の会堂(シナゴーグ)での安息日礼拝において行われた説教です。説教の前に「律法と預言者の書」、つまり(旧約)聖書が朗読されました。そして、会堂長の使いがパウロたちのところに来て、「兄弟たち、何か会衆のために、励ましのお言葉があれば、話してください」と彼らに伝え、その願いに応じる形でパウロが立ち上がり、この説教を語り始めたのです(13・14~15)。



ですから、ここで重要と思われるのは、このパウロの説教は「そのとき会堂に集まっていた会衆を励ますために語られた言葉」であるという点です。



そもそもすべての説教はそのようなものである、と言うべきかもしれません。説教は、目の前にいてくださる方々のために語られるものです。そしてまた、すべての説教は目の前にいてくださる人々を「励ます」ためのものです。説教が励ましの言葉になっていないとしたら、どこかに根本的な間違いがあるのだと、説教者たちは強く自戒すべきです。



さて、このパウロの説教は、皆さんにとってどのようなものでしょうか。先ほどすでに一度読みました。第一印象は、実はとても重要です。私自身は、このパウロの説教は必ずしも分かりやすい話ではないと感じました。かなり難しい説教である。一度聴いただけでは、さっぱり分からない。そのように感じました。皆さんは、いかがでしょうか。



42節に、このパウロの説教を実際に聴いた人々が、「次の安息日にも同じことを話してくれるようにと頼んだ」とあります。この人々はパウロの説教がとても素晴らしいと思ったので、このようにお願いしているのでしょうか。もちろんその面もあるだろうと思います。しかし、ちょっと引っかかるのは、なぜ「同じ話」なのかという点です。



44節に明らかにされていることは、「次の安息日になると、ほとんど町中の人が主の言葉を聞こうとして集まって来た」ということです。これで分かることは、今週パウロの説教を聴いた人々が、来週には、たくさんの人を誘って一緒に聴きに来た、ということです。良い説教ができたときには、来週も同じ説教をする、というのは、悪くない方法かもしれません。



しかし、です。この人々が、なぜ次の安息日にも「同じ話」を要求したのかという点で、もう一つ考えられることがあります。それは、やはり、この説教は一度聴いたくらいでは十分に分からなかった、ということではないだろうか、ということです。



ただし、です。もう一つ感じた印象は、いくらかパウロを弁護するものです。この説教を聴いていた人々は、(旧約)聖書についての知識を非常に豊富にもっている人々であったに違いないということです。このあたりはわたしたちとはいくらか違う点かもしれません。



実際、この説教の冒頭(16節)でも、26節でも、パウロはこの説教を聴いている人々を「イスラエルの人たち、ならびに神を畏れる方々」(16節)、「兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち」(26節)と呼んでいます。



これで分かることは、外国に住むユダヤ人たちは、安息日ごとに会堂に集まって(旧約)聖書を一生懸命に勉強していたに違いないということです。一を聞けば十を知るほどまでに。だからこそパウロは、(旧約)聖書の出エジプト記のモーセたちの四十年の荒れ野の旅からサムエル記のダビデ王の着任までのほとんど千年分くらいの話を、短い言葉で一気に語りきることができたのです。



そして、「神は約束に従って、このダビデの子孫からイスラエルに救い主イエスを送ってくださったのです」(23節)とパウロは語ります。このように語ることによって、パウロは、キリスト教会のかしらなる救い主イエス・キリストと(旧約)聖書との歴史的なつながりを明確にしているのです。モーセも、ダビデも、すべてキリスト教会のかしらなる救い主イエス・キリストと歴史的には明らかにつながっているし、彼らこそがイエス・キリストの道備えをしてきたのである、と語っているのです。



つまり、パウロがこの説教の中で最初に強調しているのは、(旧約)聖書とキリスト教会の連続性の要素です。さらに言えば、(旧約)聖書とエルサレム神殿を中心に据えるユダヤ教団の存在とキリスト教会との連続性の要素も強調されていると考えてよいでしょう。



しかし、です。あるいは、だからこそ、です。歴史的に見れば明らかに連続していると語りうる二つの存在、すなわち、旧約聖書とキリスト教会、ないしエルサレム神殿の宗教とイエス・キリストの宗教、その両者の関係を理解できない、受け入れようとしないその人々は、あのエルサレムに住む人々であり、その指導者たちである、とパウロは明言しています。そして、その人々が、イエス・キリストを罪に定め、死刑にした、ということを明らかにしています。



「『兄弟たち、アブラハムの子孫の方々、ならびにあなたがたの中にいて神を畏れる人たち、この救いの言葉はわたしたちに送られました。エルサレムに住む人々やその指導者たちは、イエスを認めず、また、安息日ごとに読まれる預言者の言葉を理解せず、イエスを罪に定めることによって、その言葉を実現させたのです。そして、死に当たる理由は何も見いだせなかったのに、イエスを死刑にするようにとピラトに求めました。こうして、イエスについて書かれていることがすべて実現した後、人々はイエスを木から降ろし、墓に葬りました。』」



ただし、です。重要と思うことを付け加えておきます。それは、これはパウロの説教である、ということです。どういうことか。パウロという人は、イエス・キリストが十字架にかけられたときにはまだ、(パウロ自身の言葉を借りて言えば)「エルサレムに住む人々やその指導者たち」の側に立っていた人である、ということです。この点が忘れられてはならないのです!



パウロは、そのような自分の過去などは全く忘れ去ってしまって、今ではもうすっかりイエス・キリストとキリスト教会の側に立ってしまった上で、エルサレムに住むあの連中が悪い、全くひどい連中だと、まるで他人事のように、知らん顔して、相手方を一方的に責め立てているのでしょうか。そんなふうにパウロの説教を聴いたり、あるいは読んだりしてよいでしょうか。それは違うと、私は思います。



パウロは、この説教を語りながら、胸の痛みを感じていたと思います。キリキリ痛んでいた。パウロは、そういう人です。パウロが自分の心の痛みを告白していることで有名なのはローマの信徒への手紙9・1以下です。その個所にパウロは「わたしには深い悲しみがあり、わたしの心には絶え間ない痛みがあります」(ローマ9・2)と書いています。「肉による同胞」であり、「兄弟」であるユダヤ人たちのことで胸が痛いと言っています。パウロにとってユダヤ人たちのことは他人事ではなかったからです!



この「他人事でないと感じること」、胸がキリキリ痛むこと、このあたりがどうも、先週の説教の中で私が触れました、伝道者パウロの“怒りっぽさ”という点と大いに関係あると思われてなりません。



パウロの目から見るとイエス・キリストを受け入れようとしないユダヤ人たちの姿は、ついこのあいだまで自分自身もそうであった姿に見えたことでしょう。パウロからすると、自分自身がかつて、いや、ついこのあいだまでそのような者であっただけに、しかし今は、全く違う者へと造りかえられたと感じるほどに、わたしはイエス・キリストの側に立っている、と実感できる人間になっているゆえに、イエス・キリストを受け入れないユダヤ人たちの姿を見れば見るほど、イライラするような感覚にとらわれたのではないでしょうか。



私は今、パウロが怒ったりイライラしたりすることが良いことだと言っているわけではありません。申し上げたいことは、パウロの怒りや苛立ちには、明らかに理由があったということだけです。イエス・キリストを受け入れないユダヤ人たちの姿に、かつての自分自身の姿を見いだしていたに違いないのです。



伝道者パウロの怒りには、悪い側面ももちろんあります。しかしまたそれは、パウロを伝道へと押し出す力、パウロをして「福音を告げ知らせないなら、わたしは不幸なのです」(一コリント9・16)と言わしめた力(爆発力!)の源にもなっていたのではないかと見ることができるかもしれません。



「『しかし、神はイエスを死者の中から復活させてくださったのです。このイエスは、御自分と一緒にガリラヤからエルサレムに上った人々に、幾日にもわたって姿を現されました。その人たちは、今、民に対してイエスの証人となっています。わたしたちも、先祖に与えられた約束について、あなたがたに福音を告げ知らせています。つまり、神はイエスを復活させて、わたしたち子孫のためにその約束を果たしてくださったのです。(中略)ダビデは、彼の時代に神の計画に仕えた後、眠りについて、祖先の列に加えられ、朽ち果てました。しかし、神が復活させたこの方は、朽ち果てることがなかったのです。だから、兄弟たち、知っていただきたい。この方による罪の赦しが告げ知らされ、また、あなたがたがモーセの律法では義とされえなかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです。』」



この説教の後半部分、すなわち、話題の中心にあることは怒りでも裁きでもありません。今ここで御言葉を語っているパウロは、怒りに任せて相手を怒鳴りつけるようなパウロではありません。イエス・キリストにおける救いの事実を告げ知らせる福音の使者、慰めと励ましの説教者です。



そして、この説教の中心にあるのは、イエス・キリストは死者の中から復活された、ということです。



イエス・キリストの復活が、なぜ「励まし」なのでしょうか。死者がよみがえることが、なぜ喜びの知らせなのでしょうか。パウロが挙げている理由は大きく分けて二つあります。



第一は、主なる神は、救い主イエス・キリストを死者の中から復活させてくださること、すなわち、「朽ち果てるままにしておかれないこと」によって、ダビデの子孫たち、神の民イスラエルに属する人々に対する「約束」を守ってくださった、ということです。



言葉を変えて言えば、天地の造り主なる神は、御自身の民との間にお立てになる約束に対して、どこまでも忠実であり続けてくださる方である、ということです。



約束を守り抜いてくださる方は、信頼できる方です。約束を破る人は、信頼されません。この単純な真理において、「神さまは永遠に信頼しうるお方である」と示すことにおいて、パウロは、人々を励ます言葉を語っているのです。



第二は、神が復活させてくださった救い主、イエス・キリストによる罪の赦しの恵みは、永久に有効であるということです。「朽ち果てる存在」が提供する罪の赦しの恵みなるものがたとえあるとしても、それは、その存在が朽ち果てると同時に、効力を失うのです。



しかし、そうではない。イエス・キリストは、永遠に生きておられるのです。



その方の救いのみわざ、罪の赦しの恵みは、いつまでも朽ちることも変わることもない無限の力を持っているのです!



(2007年10月7日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年9月30日日曜日

「励ましの言葉」

使徒言行録13・13~25



「パウロとその一行は、パフォスから船出してパンフィリア州のペルゲに来たが、ヨハネは一行と別れてエルサレムに帰ってしまった。パウロとバルナバはペルゲから進んで、ピシディア州のアンティオキアに到着した。そして、安息日に会堂に入って席に着いた。律法と預言者の書が朗読された後、会堂長たちが人をよこして、『兄弟たち、何か会衆のために励ましのお言葉があれば、話してください』と言わせた。そこで、パウロは立ち上がり、手で人々を制して言った。」



先週から使徒言行録の後半部分に入りました。後半部分の中心テーマは教会の海外伝道です。先週の個所からサウロは「パウロ」に変わりました。パウロは外国で通用しやすい名前なのです。これがいちばん単純な説明であると思います。



しかし、パウロとバルナバの宣教旅行は、名前を変えれば何とかなるというような単純なことでは済みません。単純なことでも簡単なことでもありませんでした。そのことがすぐに明らかにされています。



先週の個所には地中海のキプロス島伝道の様子が書かれていました。キプロスの歴史に少しだけ触れておきます。キプロスは紀元前76年にローマ帝国に併合されていましたが、非常に早い時期からキリスト教信仰を受け入れ、今日までキリスト教の伝統を受け継いでいる島です。そのキプロスのキリスト教史の最初期にバルナバとパウロの二人が関与していたことが明らかにされているのです。



しかし、その内実は非常にたいへんなものでした。とくにパウロは、一人の偽預言者との激突を余儀なくされました。詳しい内容は省略いたします。



それでもその結果は良かったというべきです。キプロス島駐在のローマ総督がキリスト教信仰を受け入れました。パウロとバルナバ、この二人の伝道が成功をおさめたのです。



ただし、です。前後関係から見ればキプロス伝道がきっかけになったとも思われるのですが、伝道者たちの間になんだかちょっと変な感じの動き、不穏な空気が始まった様子も見てとれるのです。今日の個所の最初に書かれていることが、それです。



何が分かるのでしょうか。少なくとも二つのことがはっきりと分かります。



第一に分かることは、ここに書いてあるとおり、「ヨハネ」がエルサレムに帰ってしまうという衝撃的な出来事が起こったということです。



このヨハネは「マルコ」とも呼ばれた人です。この人物、ヨハネ・マルコがパウロとバルナバの助手として彼らと一緒に海外伝道に出かけたわけですが(13・5)、何があったのでしょうか、結果的に二人の伝道者の前から助手が逃げ出して、エルサレムに帰ってしまったのです。



第二に分かることは、ここに書いてあることをじっと見なければ分からないことですが、先週の個所までは二人の伝道者の名前は「バルナバとサウロ」と紹介されていましたが、今日の個所からは「パウロとバルナバ」と紹介されているということです。



問題は、名前が紹介されている順序です。順序は決して無関係ではありません。キプロス島の事件が起こるまでは、この伝道チームの中ではバルナバのほうが主導権を握っていた。ところが、この事件が起こってからは、今度はパウロのほうが主導権を握るようになったのだと考えることができるのです。それほど名前が紹介される順序は重要なのです。



また、13節にははっきりと「パウロとその一行は」と記されています。その意味は、この宣教団体(ミッションボード)のリーダーはバルナバではなくパウロであるということです。



そして、私は今申し上げましたこの第二の点と、先ほど申しました第一の点、すなわち、ヨハネ・マルコが海外伝道の仕事を事実上途中で放り投げてエルサレムに逃げ帰ってしまったこととは無関係ではないように思われてなりません。



結びつけ方は強引かもしれません。しかし、こういうことは現実の伝道、現実の教会においては決して珍しいことではないということを考えざるをえません。



私の読み方は次のとおりです。彼らの助手ヨハネ・マルコは、バルナバ先生にはついて行きたいと願い、ついて来たが、パウロ先生にはついて行けないと考えたのです。



キプロス伝道の際に明らかになったことは、パウロ先生はすぐ怒るということです。初めて出会った相手であろうと、にらみつけて怒鳴りつける。あんな乱暴でけんか腰の先生にはついて行けません、と思ったのではないでしょうか。



理由は必ずしもこれではないかもしれません。しかし、ともかく、ヨハネ・マルコの側に何らかの理由があってパウロについて行けなくなったことは事実です。バルナバ先生とはうまく行く。しかしパウロ先生とはうまく行かない。そんな様子が何となく伝わってくるのです。



またバルナバのほうも、今のところはまだ大丈夫ですが、もうまもなく(15・36以下)パウロとは別行動をとることになります。その仲たがいの原因が、じつはヨハネ・マルコの離脱行為に対する評価の違いでした。



バルナバはヨハネ・マルコのことが好きなのです。変な意味ではありません。お互いに伝道者として大切に思っているのです。だから、バルナバはパウロと別れた後に再びヨハネ・マルコと共にキプロス島に行き、一緒に伝道を続けます。



バルナバという人は、教会の中でだれよりも先にパウロのことを信用したときと言い、海外伝道が途中で嫌になっちゃったヨハネ・マルコのことをもう一度伝道に連れ出すときと言い、温かいというか、手厚いというか、お人よしというか、ちょっとやさしすぎる人です。今、わたしたちの目の前にバルナバのような人がいるとしたら、おそらく周囲の好感度は高いのではないかと思わされます。



ところが他方、パウロのほうは伝道の途中で仕事を投げ出して帰ってしまうような人間など二度と信用しない。絶対に信用しない。そういう激しいというか、厳しいというか、恐ろしいというか、容赦のない性格を持った人。そういう面をパウロは持っていたのです。いずれにせよ、パウロとバルナバは非常に対照的な存在であったと考えることができそうなのです。



私は今、一つのやや小さな問題にしつこく拘っているわけですが、拘る理由があるからです。それは、伝道を妨げる要因は、必ずしも教会の外側にあるだけではないということです。実際にはもっと大きな要因が教会の内側にあるかもしれないということを疑ってみる必要があるということです。



一言でいえば、教会の内輪もめです。あるいは伝道者同士の主導権争い、小競り合いです。また伝道者の乱暴なやり方、強引なやり方です。けんか腰で人を怒鳴りつけたりするやり方、それは伝道なのかという問いがあるということです。そのような乱暴で強引でけんか腰なやり方にはついて行けないと言い出す人も出てくるという問題です。



全く単純明快な事実は、伝道は人間が行うことであるということです。あるいは、教会が、と言ってもよい。人間の集まりである教会が、伝道するのです。



申し上げたいことは、伝道者は生身の人間であるということです。教会の牧師も長老も執事も生身の人間なのです。だから、人の言葉に傷つくこともある。すっかり嫌になって途中で実家に帰ってしまう人もいる(私の話をしているのではありません。一般論です)。



教会の兄弟姉妹だからといって言いたい放題、好きなことを言ってはならないのです。お互いに労わる気持ちを持つべきです。



内側でもめている教会にだれが入ってきたいと思うでしょうか。そのような雰囲気は、外から入ってくる人にはすぐに分かるのです。肌触りで分かる。直感的に分かるのです。



しかしそれでは、パウロのやり方はすべて間違っていたのでしょうか。そんなことは決してありません。パウロの強さは仇になることもある。もめごとの種にもなりかねない。しかし、パウロの強さがあったからこそ突破できた壁もある。乗り越えられた谷間もあるのです。バルナバの優しさが仇になるときもあるでしょう。



こういうことをいろいろと考えてみることが今日の個所では重要です。



パウロとバルナバは、「アンティオキア」という町に到着しました。やや紛らわしいですが、彼らの海外伝道を背後から支援している「アンティオキア教会」のある町とは全く別のアンティオキアです。



そして興味深いことは、二人がこのアンティオキアで行ったことは、安息日に会堂に入って席に着いたことであり、会堂で「律法と預言者の書」、つまり(旧約)聖書が朗読されたことであり、会堂長がパウロのところまで来て何か話をしてくれとお願いしたことであり、その願いを受けてパウロが立ち上がり、その場で説教をはじめたことです。



気づく必要があることは、この一連の流れはまさにわたしたちが今ここで行っているのと(曜日は違いますが)ほとんど全く同じようなことであるということです。



伝道、伝道と一言で言いますが、パウロにとって伝道とは安息日に説教することだったということです。それは当時から今日に至るまで変わっていません。安息日の礼拝の中で行われてきたことの中心は、聖書朗読と説教なのです。そこに賛美歌が加わる。われわれが行っているこの礼拝の姿は昔から何も変わっていないのです。



安息日以外はパウロたちはどうしていたのか。もちろんいろいろとやることはたくさんあったと思いますが、大きなことは移動です。安息日ごとの礼拝に出席し、そこで説教を行うためにいろんな町の教会に行く。その一つの教会から他の教会への移動や諸連絡のために安息日以外の週日が用いられていた様子が伝わってくるのです。



一言でいえば、教会の礼拝こそが伝道であるということです。教会の礼拝こそが伝道の王道です。伝道の他の方法を否定するつもりはありません。しかし、礼拝が中心から抜け落ちてしまっているような伝道の方法は、パウロたちが採用しなかったやり方です。それはわたしたちのやり方ではありません。



そしてパウロは会堂長から「励ましの言葉を語ってほしい」という依頼を受けました。この点も非常に興味深いと私には感じられます。果たしてこれから始まるパウロの説教は、この依頼どおり本当に「励ましの言葉」になっているのか、どの部分が・どのように「励まし」になるのかということに興味を抱きますが、今日はこの説教の内容に入る時間はもう残っていません。来週お話しいたします。



しかし最後に、内容ではなく、このパウロの説教について注目しておきたい点を一つだけ述べておきます。それは、このパウロの説教は使徒言行録のなかで、また聖書全体のなかで、パウロ自身が行った説教としてその文章が文字になって残っている最初のものであり、つまり最古のものであるということです。若き伝道者パウロの最も旧い説教原稿の内容がここにあるということです。パウロの伝道活動の初期における初々しさのようなものを感じることができればと思います。



すべての説教者、すべての牧師にかけだしの頃がありました。一生懸命のあまり周囲の人々を傷つけたり、人間関係を壊してしまったりすることもある、かもしれません。



言い訳は見苦しい。しかし、若い頃には、動かない壁を動かすための、越えがたい谷間を越えるための、力任せの試行錯誤もある。そのことをご理解いただきたい面もあります。



(2007年9月30日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年9月23日日曜日

「魔術師との対決」

使徒言行録13・1~12



ごく大雑把な話ではありますが、今日の個所から、使徒言行録の後半部分に入ります。これまで学んできた使徒言行録の1章から12章までが、いわば前半部分です。前半部分の中心にあるのはエルサレム教会の誕生と歩みです。



エルサレム教会の最初は、もっぱらユダヤ人たちで占められていました。しかし大きな方向転換があった。異邦人たちを積極的に教会に受け入れるべきだという機運が高まってきた。しかし、前半部分において、それはまだ機運にすぎないものでした。



それに対して、後半部分の中心にあるのは、教会自身による異邦人伝道です。具体的に言えば、異邦人伝道のために最も大きな役割を果たした使徒パウロの活動の様子を中心に描かれています。



間違ってはならないことがあります。それは、パウロの伝道は、個人的な性格のものではない、ということです。使徒言行録の後半部分、またパウロ書簡にも繰り返し書かれていることは、パウロの異邦人伝道の“教会的”な性格です。パウロは、教会によって派遣された海外宣教師なのです。このことを、わたしたちは、決して忘れてはなりません。



パウロの異邦人伝道は、彼の個人的な趣味のようなものではありません。観光旅行ではありません。外国が好きだったのだ、というような話にされては困ります。



「宣教旅行」という表現が誤解のもとかもしれません。たしかに「旅行」には違いありませんが、パウロのしたことは観光旅行ではありません。事柄の本質から言えば、「宣教旅行」ではなくてむしろ「海外派遣」であると表現すべきです。



喜びや楽しみの要素を否定するつもりはありません。しかし、パウロが楽しんだのは、観光でありません。伝道すること、この仕事を、心から喜び楽しんだのです。



「アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。『さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。』そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。」



アンティオキア教会を一つの新しい宣教の拠点として、海外伝道へと派遣されることになった最初のメンバーは、バルナバとサウロでした。そしてもう一人、マルコという名もあるヨハネ(ヨハネ・マルコ)が助手として同伴しました。



「バルナバとサウロ」という順に紹介されていることには、もちろん意味があります。少なくとも最初の時点で主導権をもっていたのはバルナバのほうだった、ということです。バルナバが主事、サウロは補佐という関係であった、ということです。



この関係の理由も明らかです。キリスト教会の激しい迫害者であったサウロをなかなか信頼しようとしなかったエルサレム教会のメンバーの中で、サウロのことをいちばん最初に信頼し、みんなを一生懸命説得することによって、サウロとエルサレム教会の間をとりもったのが、バルナバでした(使徒9・26~28)。



また、「バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った」(使徒11・25)とも書かれていました。バルナバがアンティオキア教会にサウロを連れ帰った目的は、一緒に伝道したかったからです。サウロのほうは、嫌々ながらというわけではなかったと思いますが、バルナバに引きずられ、いくらか強引に連れて行かれるような格好で、海外での伝道を始めたのです。



先ほど私が少し強調気味に言いました、パウロの伝道活動には“教会的性格”があるという点の根拠は、バルナバとサウロの出発に際して、アンティオキア教会の人々が「二人の上に手を置いて出発させた」(3節)です。



教会の中で誰かの(頭の)上に手を置く行為は、今日の教会が受け継いでいるとおり、任職・任命の行為です。神の力が受け渡されることを象徴的に示す行為です。この二人を海外宣教師に任命したのは、教会なのです。



「聖霊によって送り出されたバルナバとサウロは、セレウキアに下り、そこからキプロス島に向け船出し、サラミスに着くと、ユダヤ人の諸会堂で神の言葉を告げ知らせた。二人は、ヨハネを助手として連れていた。島全体を巡ってパフォスまで行くと、ユダヤ人の魔術師で、バルイエスという一人の偽預言者に出会った。この男は、地方総督セルギウス・パウルスという賢明な人物と交際していた。総督はバルナバとサウロを招いて、神の言葉を聞こうとした。魔術師エリマ――彼の名前は魔術師という意味である――は二人に対抗して、地方総督をこの信仰から遠ざけようとした。」



二人は、船に乗って島に渡るという、まさに文字どおりの「海外」へと出かけました。キプロス島に行きました。そこには「ユダヤ人の諸会堂」、つまり複数のシナゴーグがありました。ユダヤ人の居住区があったと考えてよいでしょう。



そして、今日の個所の中心にあるのは、彼らがキプロス伝道の中で最初に出会った厄介な人物との“対決”の話です。教会の海外伝道史上初の記念すべき妨害者(?)である、と言えるかもしれません。



6節以下に登場するユダヤ人の魔術師は「偽預言者」とも呼ばれています。この人には、バルイエスという名前とエリマという名前があったようです。これは同一人物です。



そして、重要なことは、このユダヤ人の偽預言者であり、魔術師である「バルイエス=エリマ」がバルナバとサウロの伝道活動を妨害しようとした最初の人物として紹介されている、ということです。



詳しい事情は、ここに書かれているとおりです。事の発端は、ローマ帝国からキプロス島へと派遣されていたと思われる地方総督セルギウス・パウルスが、バルナバとサウロに興味を示したのでしょう、自分のところに招いてくれたようです。そこで二人はこの総督にさっそく伝道しようとしたわけです。伝道することが、彼らの目的だったからです。



ところが、この総督は、以前から「バルイエス=エリマ」のほうと、付き合いがありました。「偽預言者」とあるのは、バルナバとサウロ、また教会の側がつけた名前であって、「バルイエス=エリマ」自身が「偽預言者」と名乗っていたわけではありません。彼自身は、「われこそが真の預言者なり」と語っていたことでしょう。



その言葉をセルギウス・パウルスは信用した。そして、おそらくこの総督は、宗教的な事柄に関しては、事あるごとにこの預言者に相談していたのではないでしょうか。つまり、「バルイエス=エリマ」はセルギウス・パウルスの宗教的アドバイザーであったと考えることができるでしょう。



政治と宗教の関係という大げさな問題を考えなければならないほどの場面ではないかもしれません。総督と預言者の関係が個人的なレベルにとどまるものだったのか(たとえば悩み相談など)、それとも、この預言者がセルギウス・パウルスを介してキプロス島の政治そのものに直接大きな影響を与えていたのかというようなことまでは、分かりません。



ここで分かることは、この預言者がセルギウス・パウルスとバルナバとサウロとが接触することを非常に嫌がったということです。考えられることは、うんと俗っぽい言い方を許していただくならば、「自分のお客さんを奪われる」というような感覚だったのではないか、ということです。



日本でも、教会の伝道の妨げになるのは、しばしば、他の宗教です。他の宗教がすべての原因である、と言ってもよいのではないかと思うくらいです。お葬式はどこでやるとか、お墓はどこにするというような話の中で、ふだんはほとんど関係を持つこともないお寺とかお宮の人が、われわれの前に姿を現わし、必死になって教会からわれわれを遠ざけようとする。それと似たようなことが、二千年前のキプロス島でも起こったのです。



ですから、「バルイエス=エリマ」は、「魔術師」とか「偽預言者」と呼ばれていて何か非常に特殊な人であるかのように見えますが、よく考えてみますと、わたしたちにとってこの人物は非常に近いところにいるような、どこかで見たことがあるような、われわれの目の前にいるような、そのような存在であると考えることができそうなのです。



そうです、「バルイエス=エリマ」は、われわれのすぐ近くにいるのです!



「パウロとも呼ばれていたサウロは、聖霊に満たされ、魔術師をにらみつけて、言った。『ああ、あらゆる偽りと欺きに満ちた者、悪魔の子、すべての正義の敵、お前は主のまっすぐな道をどうしてもゆがめようとするのか。今こそ、主の御手はお前の上に下る。お前は目が見えなくなって、時が来るまで日の光を見ないだろう。』するとたちまち、魔術師は目がかすんできて、すっかり見えなくなり、歩き回りながら、だれか手を引いてくれる人を探した。総督はこの出来事を見て、主の教えに非常に驚き、信仰に入った。」



サウロ(ここからパウロ!)は、怒ったのだと思います。気が短い感じ、けんか腰で、眼光鋭く睨みつけながら、大声で怒鳴りつけている様子が伝わってきます。



このようなおっかないやり方はどうだろうか、少しまずいやり方ではないかと、かなり疑問に思わなくもありません。私も、10年くらい前はこんな感じの人間だったので、反省させられます。もうちょっとやわらかい態度をとるほうがいい・・・かもしれません。



事実、このときのサウロの言葉が相手の心と体に対して、ものすごく大きなショックとダメージを与えたことは間違いありません。その場で目が見えなくなってしまいました。やり方として、パウロの側にいくらか乱暴な面があったことは、否定できません。



とはいえ、その事件の結果として、セルギウス・パウルスがキリスト信仰を受け入れるという大きな出来事が起こりました。だから他人を大声で怒鳴りつけてもよいという話にはなりませんが、バルナバとパウロの伝道が良い結果を生み出したこと自体は評価されるべきです。



今日の個所から学びうることは、一人の人が新しく信仰生活・教会生活を始めること、続けていくことのためには、どうしても“対決”することを避けて通れない相手がいる、ということです。



わたしたちが新しい道に進んでいくためには、その相手から逃げることができません。



きちんと向き合わなければなりません。



そのことは昔から今日に至るまで変わっていない、というこの事実を知ることが、日々信仰の戦いの中にあるわたしたち一人一人にとっての慰めになるように思います。



(2007年9月23日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年9月16日日曜日

「悪の問題」

使徒言行録12・13~25



ユダヤの王ヘロデ・アグリッパの邪悪な謀略によって、使徒ペトロが逮捕されました。ところがペトロは、天使の助けを得て牢を脱出し、キリスト者たちの集まっている家の門の前まで無事に帰ってくることができました。ほっと胸をなでおろしてよい場面です。



ところが、ペトロは、もうひとふんばり、頑張らなければなりませんでした。ペトロは帰ってくることができたのだということを、教会の人々が、なかなか信じてくれなかったからです。



「門の戸をたたくと、ロデという女中が取り次ぎに出て来た。ペトロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもしないで家に駆け込み、ペトロが門の前に立っていると告げた。人々は、『あなたは気が変になっているのだ』と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、『それはペトロを守る天使だろう』と言い出した。しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。ペトロは手で制して彼らを静かにさせ、主が牢から連れ出してくださった次第を説明し、『このことをヤコブと兄弟たちに伝えなさい』と言った。そして、そこを出てほかの所へ行った。夜が明けると、兵士たちの間で、ペトロはいったいどうなったのだろうと、大騒ぎになった。ヘロデはペトロを捜しても見つからないので、番兵たちを取り調べたうえで死刑にするように命じ、ユダヤからカイサリアに下って、そこに滞在していた。ヘロデ王は、ティルスとシドンの住民にひどく腹を立てていた。そこで、住民たちはそろって王を訪ね、その侍従ブラストに取り入って和解を願い出た。彼らの地方が、王の国から食糧を得ていたからである。定められた日に、ヘロデが王の服を着けて座に着き、演説をすると、集まった人々は、『神の声だ。人間の声ではない』と叫び続けた。するとたちまち、主の天使がヘロデを撃ち倒した。神に栄光を帰さなかったからである。ヘロデは、蛆に食い荒らされて息絶えた。神の言葉はますます栄え、広がって行った。バルナバとサウロはエルサレムのための任務を果たし、マルコと呼ばれるヨハネを連れて帰って行った。」



女中のロデは、ペトロの声だと、すぐに分かりました。しかし、相当驚き、また慌てたのでしょう、門を開けてペトロを家の中にかくまう前に、教会のみんなのところに行き、ペトロが帰ってきたことを報告しに行ったのです。



ところが、ここに新たな問題が起こります。教会の人々が、ペトロが帰ってきたことをなかなか信じてくれなかったのです。「ロデは、本当だと言い張った」とあります。これを内容的に言い直すとしたら、「あれは本当にペトロの声だった、と言い張った」ということです。なぜなら、彼女は、まだペトロの顔も姿も見ていないのですから。



ロデに対して、教会の人々が言い出したことは、「あなたは気が変になっている」とか、「それはペトロを守る天使(の声)だろう」ということでした。私は、この個所を読みながら、このように教会の人々が言い出した、あるいは言い張った理由は何だろうかという点を考えてみたいと感じました。



この問いに答えることは少しも難しいことではないと思います。単純明快です。一言でいえば、教会の人々は「ペトロはもはや絶対に帰って来ない」と確信していたに違いないということです。



使徒ヤコブが殺されたという事実が彼らにとってのまさに現実であったと言うべきです。ヤコブがあのように殺されたのだから、ペトロも当然殺されるであろうし、あるいはすでに殺されているかもしれないと、彼らが考えたであろうことは間違いありません。



そして、そのことが、彼らにとっての不動の確信となっていった。ペトロがわれわれのところに帰ってくることなど絶対にありえないという、ほとんど限りなく信仰に近い思いにまで至った。だから、ロデの言葉をなかなか信じることができなかったのです。



そして、ここでまた「天使」です。ロデが聞いた声は、「ペトロを守る天使だ」と彼らが言い張ったというわけです。どうやら初代教会の中には、一人一人のそばにいて、その人を守ってくれる天使の存在、守護天使のような存在を信じる信仰があったようです。私にも、そういう天使がいてくれたらいいのですが。



しかし、気になることがあります。それは、彼らが目に見えない守護天使のような存在については信じるが、ペトロが帰ってきたことについてはなかなか信じようとしなかった点です。たとえば私自身にとっては、目に見えない天使の存在を信じるよりも、ペトロが帰ってきたという話のほうが、はるかに信じやすいことなのです!



とはいえ、私は、初代教会の人々は目に見えない天使のような存在を信じる、迷信的な人々であった、というような仕方で、簡単に片付けることはできないだろうと考えます。そのようなことではなく、むしろ、ここで重要なことは先ほど触れたのと同じ点です。



考えられることは、彼らはこの場面で天使の存在を持ち出さなければならないほどまでに、ペトロが帰ってくることはもはや絶対にありえないことである、という確信を持っていたのではないか、ということです。



そして、ここでただちに考えさせられることがあります。それは、ペトロはもはや絶対に帰って来ないという確信の裏側にあるものは何かということです。



これもはっきりしています。彼らがこのような確信を抱かざるをえないほどに、当時でいえばヘロデの権力、あるいはまた、もう少し普遍的に言い直せば一つの国の最高権力者が有する力、まさしく国家権力というものは、初代教会の人々にとって大きすぎるものだった、ということです。あそこにいる、あの人々に捕まってしまったら、われわれの人生はもう終わりなのだ、と考えざるをえなかった、ということです。



もちろん、それは、今のわたしたちについても、ある程度までは、同じことが言えるのだと思います。六十年前の日本では、はっきりとそのように語る必要があったでしょう。お上に逆らうことなど、ありえないことでしたでしょう。いったんあそこに、あの人々に捕まってしまったら、何をどう言い張っても無駄であると、思い知らされたことでしょう。



いちばん短い言葉でいえば、わたしたちは国家権力をなめてはいけないのだと思います。必要以上に恐れることはありませんし、おびえる必要はありませんが、なめてかかるような態度は間違っていると言わざるをえません。



しかし、です。ペトロは教会のみんなのところに帰ってくることができました。帰ってくることができたということは、国家権力を悪用してキリスト教会を弾圧する人間(具体的にはヘロデ・アグリッパ)の策略に打ち勝ったのだ、ということに他なりません。



ここで確認しておきたいことは、国家権力を悪用する人々の策略は、敗れることもある、ということです。彼らは神ではありません。彼らは全能ではありません。彼らにも限界があり、敗れることがあるのです。



そのため、わたしたちは、彼らの手のうちに落ちたら、“絶対に”帰ってくることができない、という確信など、持つ必要がないし、持つべきではないのです。そのような“絶対”などありえないのです。



ただし、それでもなお、国家の権力者たちが、一般市民に対してそのように思いこんでしまわせる何かを持っていることは事実でしょう。彼らが持っているものは、要するに、お金と軍隊です。軍隊をもっていない権力者たちは、それを持ちたくて持ちたくて仕方がない。また、他の国よりも強い兵器や武器を手に入れたくて手に入れたくて仕方がない。



金に飽かして軍隊を動かし、思うままに自分の国を支配し、他の国まで手を伸ばそうとする。そして、自分の思いどおりに動かないとか、失敗を犯した兵隊や軍人などがいようものなら、ただちに殺し、首をすげかえる。現に、ヘロデ・アグリッパは、ペトロの脱走を阻止することができなかった番兵たちを「死刑にするように」命じたのです。



しかし、このヘロデにも、最期の日が訪れました。



ここでも、またもや「天使」が登場します。重要な場面に、ことごとく天使が登場する。これが聖書の世界です。



ヘロデ・アグリッパが腹を立てていたという「ティルスとシドン」は、ヘロデの支配下にない地域でした。異教の地でもありました。



ヘロデ王家には一応ユダヤ教の信仰的伝統は受け継がれていましたが、彼ら自身は敬虔でも熱心でもなかったことは明白です。



そのため、「ティルスとシドン」に対してヘロデが腹を立てていた理由は、その地域の人々がユダヤ教を信じなかったから、ということではなく、ただ単に、自分の思い通りにならない地域である、というだけのこと、つまり権力欲を持っている人にとって、その欲求が満たされきらない、まさに欲求不満が生じる対象であった、ということに他なりません。



しかし、そのティルスとシドンの地域の人々は、ヘロデの国(ユダヤ)から食糧を得ていたために、彼らがヘロデの支配下に全く落ちてしまうことはなくても、政治的・経済的な面で実質的にヘロデに取り入る必要があったということのようです。



そのため、その人々がヘロデが演説しているときに言ったという「神の声だ。人間の声ではない」という言葉は、要するに、おべっか、おべんちゃらのたぐいであったと考えるべきです。権力者というのは、そのような言葉を聞きたくて聞きたくて仕方がない人々であるということを、彼らは熟知していたようです。



ついでに言えば、ヘロデ・アグリッパは、“ヘロデ大王のお坊ちゃま”でしたから、親の七光りで権力の座に登りつめた人である分、あまり苦労してきていない。人の誉める言葉の裏側にある真意を読み取ることができないのです。



わたしたちは、逆のことをいつも考えておくべきでしょう。「あなたは神だ」とか「人間を越えている」とかいう言葉をもって近づいてくる人がいたら、警戒しましょう。また、人から誉められるときは、注意しましょう。間違っても、いい気になってはなりません。その言葉の裏側にある真意を、読み取りましょう。



しかし、ヘロデは、おそらく、いい気になりました。「神の声だ」と言ってもらえることに満足し、慢心し、そしておそらく興奮して、いろいろと喋りだしたのでしょう。



その演説の真っ最中にヘロデは、「主の天使」によって撃ち倒されました。神御自身の手によって裁かれたのです。



そのようにして、初代教会に、一時的な平和が訪れました。邪悪な権力者に対して教会にできることは、武器を手にして立ち向かうことではなく、本当にただ、まさに祈ることだけでした。そして、文字どおり“神に任せること”だけでした。神御自身が悪を裁いてくださることを、“ただ信じること”だけでした。



ある人々にとっては、教会のそのような態度は、全く馬鹿馬鹿しいものに見えるかもしれません。しかし、われわれは、真剣そのものです。



神でないものを神としない。神と呼ばない。神でないものに捕らわれたときに、絶対に助からないなどと信じ込むことをやめる。これらの点で、われわれは真剣そのものです。



邪悪な人々の支配は、いずれにせよ有限なものです。今の苦しみはやがて過ぎ去ります。



全き平安と喜びが、わたしたちへと訪れるでしょう。



(2007年9月16日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年9月9日日曜日

「主がわたしを救い出してくださった」

使徒言行録12・1~12



「そのころ、ヘロデ王は教会のある人々に迫害の手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。そして、それがユダヤ人に喜ばれるのを見て、更にペトロをも捕らえようとした。それは、除酵祭の時期であった。ヘロデはペトロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越祭の後で民衆の前に引きずり出すつもりであった。こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。ヘロデがペトロを引き出そうとしていた日の前夜、ペトロは二本の鎖でつながれ、二人の兵士の間で眠っていた。番兵たちは戸口で牢を見張っていた。すると、主の天使がそばに立ち、光が牢の中を照らした。天使はペトロのわき腹をつついて起こし、『急いで起き上がりなさい』と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。天使が、『帯を締め、履物を履きなさい』と言ったので、ペトロはそのとおりにした。また天使は、『上着を着て、ついて来なさい』と言った。それで、ペトロは外に出てついて行ったが、天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。第一、第二の衛兵所を過ぎ、町に通じる鉄の門の所まで来ると、門がひとりでに開いたので、そこを出て、ある通りを進んで行くと、急に天使は離れ去った。ペトロは我に返って言った。『今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。』こう分かるとペトロは、マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアの家に行った。そこには、大勢の人が集まって祈っていた。」



今日の個所に出てくる「ヘロデ王」は、ヘロデ大王の息子、ヘロデ・アグリッパです。ヘロデ大王もひどい男であったことが聖書に記されていますが、息子ヘロデ・アグリッパも本当にひどい男でした。



ヘロデがしたことは、明らかに、国家的権力を悪用した一宗教に対する迫害行為です。ヘロデは国王です。一国の王が自分の手下を使ってヨハネの兄弟ヤコブを殺し、さらに、エルサレム教会の最高指導者であったペトロを、全く理由もなく不当に逮捕したのです。それは国家権力による犯罪行為です。



「ヨハネの兄弟ヤコブ」とは、使徒と呼ばれたイエス・キリストの十二人の弟子の中の一人です。つまり、このヤコブは十二使徒の中では最初の殉教者になった人であるということです。キリスト教会全体の中では、ステファノに続く二番目の殉教者になりました。ヤコブという名前の使徒は二人います(使徒の名前の一覧表はマタイ10・2~4、マルコ3・16~19、ルカ6・14~16に出てきます)。最初の殉教者となったヤコブは、「アルファイの子ヤコブ」のほうではなく「ゼベダイの子ヤコブ」です。当時の教会には、もうひとり、イエスさまの弟として登場するヤコブもいますが、その人でもありません。



ちょっと気になることがあるとしたら、このヤコブの殉教の場面は、ステファノの殉教の場面と比べますと、あまりにも簡単すぎるのではないだろうか、ということです。短く一言で語られています。分量が問題ではないかもしれませんが、ステファノのためには6章と7章の二章分が割かれています。ステファノが教会の執事に選ばれてから殉教の死に至るまでの歩みが事細かに紹介されています。しかしヤコブの殉教は一言です。いくらか公平さに欠くような気がしなくもありません。



ゼベダイの子ヤコブについて分かることを、ちょっとだけご紹介しておきます。マルコによる福音書10・35~45を見ますと、そこにゼベダイの二人の息子ヨハネとヤコブに関係する話が出てきます(マタイによる福音書20・20~28に平行記事があります)。



この二人がイエスさまのところに行き、「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが」と言い、イエスさまが「何をしてほしいのか」とお尋ねになったとき、「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください」と願った、という話です(マタイの場合は、この二人がではなく、彼らの母がイエスさまにそのように願った、という話になっています)。



そのようなことを言う彼らに対して、イエスさまは「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない」と言われました。そして、「このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか」とのお尋ねに対し、この二人は「できます」と答えました。



注目していただきたいのは、その彼らに対するイエスさまご自身のお答えです。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる」。



イエスさまがお飲みになる杯、イエスさまがお受けになる洗礼とは、イエスさま御自身が、全人類の救いのために、十字架にかかって死んでくださることでした。



その杯をあなたがたも飲むことになる、とイエスさまがおっしゃったことの意味は何でしょうか。あなたがたもいつか、イエスさまと同じような姿で死ぬ、殺されるということではないでしょうか。イエスさまは、使徒たちの前で次のようにおっしゃいました。



「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかしあなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10・42~45)。



イエスさまがそのようにおっしゃっている目の前にいたゼベダイの二人の子どものうちのひとり、ヤコブが、十二使徒のなかの最初の殉教者になったのです。



ただ、深く考えさせられることは、ステファノと言い、ヤコブと言い、彼らの殉教の死とは何なのか、ということです。その死にはどのような意味があるのか、ということです。イエス・キリストの死も、ある意味で同じことを考えさせられるものです。



イエスさまもステファノも、そしてヤコブも、自分で望んで死んだわけではありません。殺す側の人々には大した理由もない、はっきり言えばふざけ半分の、遊び足りない人々が自分の好奇心を満足させるためという程度のことで、イエスさまもステファノも、そしてヤコブも殺されたのです。



そのようなことで人が簡単に殺されてよいのかと、怒りを覚えざるをえません。とくに、この点は決して誤解されてはならないと思うことは、教会はそのような国家権力者の横暴に対して、ただ黙って泣き寝入りをするような者たちではない、ということです。



ただし、そのような場合にわたしたちの採りうる方法は、逃げることです。ぜひご理解いただきたいことは、迫害者から逃げることは迫害者に対する抵抗を意味する、ということです。神さまがわたしたちに与えてくださっているこの自由において喜んで生きる人生の行く手を妨げるいかなる不当な力に対しても、わたしたちは戦わなければなりません。その場合の戦いとは、わたしたちを不自由の中に閉じ込めようとする人々のもとから解放されること、要するに、逃げることなのです。



ここで私に思い起こされるのは、モーセの十戒の第十の戒め、「隣人の家を欲してはならない」です。この戒めはだれにも守れないと、しばしば言われます。しかし守らなければなりません。この戒めが禁じていることは、究極的に言えば、このわたしとあなたの間にある境目を不当に越えてはならないということです。プライバシーを侵害してはならない、ということです。



人の自由を奪う人々が犯す罪は、まさしくこれです。あなたとわたしは、あなたが思うほど親しくもないし、近くもない。そう思っている相手が、突然ぴょんと、境目を越えて不当に侵入してくるのです。国家権力者のような赤の他人が突然襲いかかり、人の自由と喜びを奪おうとする。人の命を簡単に踏みにじるのです。



ペトロが逮捕された。それを知らされた教会がただちに始めたことは、ペトロのために祈ることでした。「祈るしかない」と、よく言われます。私自身はあまり使いたくない言葉なのですが、たしかに、わたしたちに残された最後の手段は、まさに「祈りしかない」と言うべきかもしれません。



相手は国家権力です。人の命を簡単に奪うことができる、恐ろしい存在です。しかし、教会の使命は死ぬことではなく、生きることです。生き延びて、救い主イエス・キリストが与えてくださった救いの喜び、信仰の喜び、自由の喜びをもって生きることです。



逃げることも、隠れることも、引きこもることも、必要なときがあるのです。そうすることは、卑怯なことでも、臆病なことでもありません。



教会の祈りに、主が答えてくださいました。主なる神御自身が、ペトロの前に「天使」を送ってくださり、牢のすべての鎖と鍵を壊してくださり、ペトロを全く自由にしてくださいました。そして、ペトロは、彼のために祈っている教会のみんなのもとに帰ることができたのです。



「天使」という話が出てくると急に興ざめする、という方もおられるかもしれません。あまりにも非現実的な感じがするからでしょうか。しかし、私は聖書に出てくる「天使」の話が嫌いではありません。面白いなあと思いながら、いつも読みます。



なぜなら、聖書に「天使」が出てくる場面は、たいてい、説明不可能と思えるような、あるいは絶対にありえないと感じるようなことが起こるときだからです。いちいち、その個所を挙げるのは省略いたします。天使が登場する場面は、人間の予想や推理では絶対に不可能と思えるような状況がまさに奇跡的に変えられるときであり、そこに道がなかったところに新しい道が開かれるような場面です。



そのような場面が、わたしたちの人生に、実際にある!



なんだかよく分からないのだが、とにかく不思議な仕方で道が開けた。



そういうことが、実際にあるのです。



それこそ「天使」でも登場しなければこの話は決して完結しそうもないと思えるような場面が、わたしたちの人生に何度となく出現するのです。



ですから、私にとっては、「天使」が登場する人生のほうが、それが登場しない人生よりも、はるかにリアルなものに思えてならないのです。



皆さんは、これまでの人生の中で起こってきたすべてのことを、きちんと、理路整然と、「天使」とか「奇跡」という言葉を用いないで、説明することができるでしょうか。私はそれができません。だいたい、あまりきちんと覚えていません。子どもの頃のことなどは、ほとんど忘れました。昨日のことさえも正確に思い出すことはできません。不可能です。



そういう中で、しかし、わたしたちにはそのように語ることが許されている言葉がある。その言葉を、ペトロが語っているのです。



「主が天使を遣わして、わたしを救い出してくださった」。



学校の試験の答案にこのように書いたら、落第点をつけられるかもしれません。



しかし、教会は違います。



合格です!



(2007年9月9日、松戸小金原教会主日礼拝)



2007年9月2日日曜日

「キリスト者と呼ばれて」

使徒言行録11・19~30



今日の個所あたりから、話の内容が、前向きなものへと展開していきます。



それまでは、ほとんどユダヤ人のほうばかりを向いていたキリスト教会の人々の目が、あるときを境に異邦人のほうを向くようになりました。異邦人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えることは、父なる神の御心であり、かつ、それこそがイエス・キリストの弟子としてふさわしい道であると教会が確信し、実際に異邦人に対する伝道を開始したのです。



しかし、ここで一つ重要なことを申し上げておきたいと思います。それは、二千年前の教会がユダヤ人以外の人々、つまり異邦人を教会の仲間に加える決心ができたのは、「差別や偏見はいけない。教会はどんな人でも受け入れなければならない」というようなスローガンのようなものがあって、それに基づいて門を開いた、というような順序ではなかったということです。それは事実に反します。最初にスローガンありきで始まった話ではない。最初にあったのは、むしろ“ニード”です。



「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。」



今日の個所の最初に書かれていることは、使徒言行録8・1~3の記事を思い起こさせるものです。あのステファノの殉教がきっかけでエルサレム教会に対する大迫害が起こったのです。エルサレム教会の人々は、ステファノに続けとばかりに皆が迫害者に立ち向かい、抵抗運動を始めたのかといいますと、そうではありませんでした。



使徒たち以外は皆、つまり全員、ユダヤとサマリアの地方に散っていきました。つまり、迫害の手から逃げたのです。逃げてもよいのです!逃げるべきなのです!とどまって戦うこと、戦って死ぬことだけがキリスト者の道ではないのです。



ただし、です。彼らは、迫害の手、殺害の恐怖からは逃げましたが、神とイエス・キリストと教会の前から逃げたわけではありませんでした。散らされていった先で、イエス・キリストの福音を宣べ伝えました。一生懸命に伝道したのです。



しかし、最初はユダヤ人だけに伝道していました。こういう言い方ができるかもしれません。エルサレムから散らされていった人々は、ユダヤ人の言葉(当時はアラム語)しか語ることができなかった。だから、ユダヤ人を相手に語る他に為すすべがなかったのではないか、ということです。私も今のところ、日本語以外に喋れる言葉がありませんので、私が外国に行ったとしても、当分の間は、そこにいる日本人にしか話すことができそうもない、という点で、彼らの立場、あるいは“限界”が、よく分かるような気がします。



「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」



ところが、新しい展開が起こりました。エルサレムから散らされていったユダヤ人たちのたどり着いた先に、外国生まれ・外国育ちのユダヤ人、あるいは外国生活を体験したことのあるユダヤ人がいました。その人々はギリシア語を喋ることができました。その人々と、エルサレムから散らされてきた人々が、いわば手を組んだ。それによって外国にいるユダヤ人以外の人々、つまり、異邦人に伝道することができるようになったのです。



外国語が使えるということは、やはりすごいことであると、私は思います。そこにある壁をまさにぶち破ることができます。大きく深い谷にそれを渡っていくための橋をかけることができます。その意味で私は、外国語を学ぶことや、翻訳の仕事をすることは、「横のものを縦にする」というような簡単なことでも単純なことでもない、と信じています。



むしろそれは、命がけでトンネルを掘ることです。新しい状況に足を踏み入れ、新しい出会いの中で、神と共に生きる新しい仲間を得ることです。それが簡単なことでしょうか。単純なことでしょうか。私には、そのように考えることはできません。



そのようにして、外国語を用いて語ることができるユダヤ人たちの伝道によって、異邦人たちの中からイエス・キリストの福音を信じて救われる人々が生み出されはじめました。教会の歴史の新しいページに、新しい文字が書き始められたのです。



「このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。」



外国にある教会に新しい動きがあることを知ったエルサレム教会は、態度を変えざるをえませんでした。聖書の伝統的な解釈を捨て、新しい解釈の立場を正式に採用せざるをえませんでした。異邦人もまた、何の差別もなく、教会の正式なメンバーとして受け入れることができる、ということを公に認めざるをえませんでした。



そして、エルサレム教会は、異邦人が多く集まっている教会としては最も重要な拠点と思われたアンティオキアの教会に伝道者バルナバを派遣し、また、バルナバはタルソスにいたサウロ(パウロ)のところに行き、(おそらく)「一緒に伝道しよう!」と呼びかけて連れ出し、バルナバとサウロの二人がチームを組んで、アンティオキア教会を拠点にして異邦人伝道を始めることになったのです。



これでお分かりいただけるであろうことは、二千年前の教会においても、現実の場面では、生きた事実のほうが先行し、教会の決め事や方針は、事実の後から追いかけていくことになった、ということです。



ここで皆さんに覚えておいていただきたいことは、教会も“既成事実”には弱いということです。原理・原則ももちろん重要です。「聖書にはこう書いてある。だから、われわれはこうすべきである」と主張することは、重要です。しかし、ある意味で、もっと重要なことがあります。それは目の前の現実、現在進行中の事実です。



さらに言えば、われわれの目の前でまさに生きている人間が重要であり、現実に立っている「このわたし」と「わたしたち」が重要です。なぜなら、今ある現実と今生きている人間の存在は、いかなる原理・原則によっても、消し去られたり・踏みにじられたりしてよいものではないからです。



原理・原則を振りかざし、振り回して、自分の周りにいる人々を斬って捨てていくことは、いとも簡単なことです。あの人はこの規格に合わない、あの基準に合わないと言って、刀をぶんぶん振り回して、周りにいる人々をどんどん斬り捨てていくことで、気持ちよいかもしれないのは、その刀を持っている本人だけです。その人の周りには、累々と死骸が転がっているのです。



人を生かすことが神の御言葉を語る者たちの使命であり、責任なのではないでしょうか。人を傷つけ、叩きのめし、立ちあがる力さえ奪ってしまうような説教がある、ということを、私は知らないでいるわけではありません。しかし、それは単純に、間違いです。横暴です。



原理・原則が先にあるのではなく、目の前の現実が先にあります。今まさに生きている「あなたとわたし」が、先にあるのです。このわたしたちの現実が「神の御言葉によって改革されていくこと」が重要なのです。



「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」



バルナバとサウロのチーム伝道は、功を奏し、大成功をおさめたようです。彼らはそこに、たった一年間しかいなかったようですが、彼らの伝道の成果として、アンティオキア教会の会員たち(これが「弟子たち」の意味です)が、人類の歴史上初めて「キリスト者」(クリスティアヌース)と呼ばれるようになった、というのです。



これは、おそらく彼らにつけられたあだ名です。あるいはニックネームです。「キリストさん」とか「キリストくん」というくらいの意味です。



それが良い意味で言われたことなのか、悪い意味だったのか、それとも両方だったのか、そのへんははっきりとは分かりません。しかし、おそらく一つだけはっきり言えることがある。それは、アンティオキア教会の人々は、「キリストさん」・「キリストくん」と、自分たちのことがイエス・キリストのお名前と一緒くたに呼ばれてしまう、それほどに、このわたしとキリストとは切っても切れない関係にあるのだということを、このわたし自身も認め、周りの人々も認めてくれ、そのことを本当に心から喜び、誇りに感じることができた、そのような人々であったに違いない、ということです。



そのような、生き生きとした信仰の持ち主たちを生み出すことができた、という点に、バルナバとパウロの伝道の成果を見ることができると思います。



キリストとこのわたしが、切っても切れない関係である、という様子は、何に例えればよいでしょうか。もし私が佐々木冬彦さんのことを「ハープくん」と呼んでも、みんなが納得すると思います。わたしはできれば「説教くん」と呼ばれたいのですが、まだ皆さんに納得していただけるほどには至っていない、まだまだ修行が足りないかもしれません。



アンティオキア教会の人々の姿は、そう、こんなところに引き合いに出されるのは少し可哀想ではありますが、イエスさまが最高法院で裁判を受けておられる真っ最中に、三度もイエスさまのことを「知らない」と言って、関係を否定したあのペトロの姿とは決定的に違います。



アンティオキア教会の人々は、イエスさまのことを「知らない」とは絶対に言わなかったでしょう。知らないどころか、まさに切っても切り離せない。存在そのものにおいて、まさに「キリストさん」・「キリストくん」になりきることができました。そのことを、彼らは、心から喜ぶことができたのです。



皆さんは、松戸小金原教会の会員であることが、恥ずかしいでしょうか。



クリスチャンであることが、恥ずかしいでしょうか。



何か隠しておきたいようなところがあるでしょうか。



そうではない、と言ってほしい。そうではない、と言えるようになりたい。



そう願います。



(2007年9月2日、松戸小金原教会主日礼拝)