2007年11月11日日曜日

「教会は会議を重んじる」

使徒言行録15・1~21(連続講解第37回)



日本キリスト改革派松戸小金原教会 牧師 関口 康





「教会は会議を重んじる」というタイトルをつけました。今日は、この事柄に集中してお話しいたします。



先週学んだ個所で、伝道者パウロとバルナバの第一回海外派遣が終了しました。二人はしばらくの間、アンティオキアに滞在し、その地の教会に身を置きました。おそらく彼らは、長旅の疲れが癒され、次の旅行に備えるための充電期間を過ごすことを願ったに違いありません。



ところが、です。アンティオキア教会で、この二人の伝道者とある人々との間に一つの論争が起こりました。要するに、教会の中でけんかが始まったのです。



「ある人々がユダヤから下って来て、『モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない』と兄弟たちに教えていた。それで、パウロやバルナバとその人たちとの間に、激しい意見の対立と論争が生じた。」



論争の内容は、はっきりしています。論点は要するに、「キリスト者になる」とは、どういうことであるのか、です。



パウロたちの主張は、人が救われるのはイエス・キリストへの信仰による、というものでした。そして、その信仰は神の恵みであるというものでした。神の恵みによって、信仰によって人は救われる。そしてその人は信仰に基づいて洗礼を受け、イエス・キリストの体なる教会のメンバーになることが許される。キリスト者になるために、それ以上の条件は何もない、というものでした。



ところが、そのパウロたちの主張をどうしても受け入れることができなかった人々が、アンティオキア教会の中に混ざっていたようです。恵みと信仰、そして洗礼を受けるだけでは、人はキリスト者を名乗ることができないと、その人々は考えました。キリスト者を名乗るからには、聖書に基づいて、とりわけモーセの律法に基づいて割礼を受けなければならない。洗礼に加えて、割礼も必要である。キリスト者になるためには、洗礼を受けるだけでは不十分である、と考えたのです。



この論争の本質は、どこにあるのでしょうか。いろんな見方ができると思います。



パウロたちにとって最も重要であったのは、彼らが第一回伝道旅行において取り組んだ「異邦人への伝道」という点でした。つまり、彼らの関心は、どうしたら異邦人を教会に受け入れることができるのか、ということでした。



異邦人とはユダヤ人にとっての外国人のことであり、それは同時にユダヤ教徒にとっての異教徒のことです。その人々の特徴は、ユダヤ人たちとの比較において、最も明らかにされます。異邦人の特徴は、聖書の御言葉をきちんと学んだことがないということであり、従って、聖書にどんなことが書かれているかをほとんど全く知らず、それゆえ聖書の教えに従って生きたことがない、という点に集約されるのです。



しかしそこにある問題は、少なくとも当時の状況においては、キリスト教会のメンバーの大多数がユダヤ人たちであった、という事実です。ユダヤ人たちの特徴は、異邦人との比較において明らかにされます。ユダヤ人たちは、聖書に書いてあることは何かを幼い頃から学んできている。また、聖書の教えに従って(あるいは「従わされて」)生きてきた、という事実とプライドを持っている人々である、という点に集約されるのです。



そのようなユダヤ人たちが大多数を占めていた教会の中に、異邦人を受け入れること。これがパウロたちの使命となり、課題ともなったのです。「課題」と言わなくてはならない理由は、そこに大きな困難が伴うことは、火を見るよりも明らかだからです。



そこで起こる大きな困難の内容は、おそらくわたしたちにもすぐにピンと来るものです。以前、ある場所で小池正良先生(日本キリスト改革派船橋高根教会前牧師)が「伝道とは異文化間コミュニケーションでもある」と教えてくださいました。そのとおりです。伝道とは生き方、考え方、言葉遣いなど、文化の異なる人々を受け入れ、共に生きることです。



しかしまた、そこには大きな困難が伴います。関東の人と関西の人。それだけでも未だに難しい問題があると思います。都会の人と田舎の人。戦争体験者と未体験者。若い人と年配者、などなど。異なる文化の持ち主が共に集まり、共に生きる。それが、現実の教会の姿でもあります。しかしまた、そこには難しい問題があるのです。



選択肢は、少なくとも二つあると思います。第一の選択肢は、強い影響力を持っている人々が、自分たちの文化を教会全体に押し広げることです。一つの教会の中に異なる文化が共存することを認めず、一つの文化を共有する団体になるよう強いることです。あるいは、強いることまではしなくとも、異なる文化の人々に対して終始一貫、批判的・否定的な視線を向けることです。



しかし第二の選択肢があります。パウロたちが選んだのは、これです。自分自身も含むユダヤ人たちの側が、ぎりぎりまで譲歩する道です。異なる文化の持ち主に対してユダヤ人たちの文化を強制しない道です。



しかもそれは、我慢や忍耐というレベルにとどまるものではありません。我慢や忍耐というレベルにとどまるならば、結局そこには、批判的・否定的な視線が残り続けると思います。教会の中に「我慢している人々」と「我慢されている人々」の二種類の人々がいる、という状態が残り続けます。そのような状態がいつまでも続くことは、わたしたち人間にとっては、心理的にも感情的にも、耐えられるものではありません。



もっとも、アンティオキア教会のなかで、パウロたちと対立することになった人々は、我慢も忍耐もできなかった人々です。彼らは自分たちが割礼を受けていたのです。自分の生きてきた道は正しいという確信を持っていました。そのため、教会の中に割礼を受けていない人がいることが許せなかったのです。そのような人々が教会の中に存在すること、そのような人々を受け入れることは、このわたしの人生を否定されるのと同じである、というふうに感じたのではないでしょうか。



この種の対立は、しばしば、とても深刻なものになります。決して小さなことではありません。お互いの人生をかけての勝負事になる。感情的にも激しいぶつかり合いへと発展し、お互いの心や体に深い傷をもたらしかねません。そのことをわたしたちはよく知っていると思いますし、またそのことを二千年前の教会も、よく知っていたのです。



感情的な激突を避けるための知恵は何でしょうか。会議を開くことです。それが人類の知恵であり、神の教えです。二千年前の教会もまた、教会内の紛争を処理するという目的のために「教会会議」を開くことにしたのです。これは、非常に重要なことです。



「この件について使徒や長老たちと協議するために、パウロとバルナバ、そのほか数名の者がエルサレムへ上ることに決まった。」



今日の個所、使徒言行録15章に紹介されている「エルサレムの使徒会議」は、二千年のキリスト教史の最初に開かれた、言葉の最も正しい意味での「教会会議」です。



教会会議は、まさに「会議」でなくてはなりません。会議とは落ち着いて理性的に語り合い、決議する場所です。そして理性的に語り合うとは、論理を用いて真理について語りあうことです。「私はこう思う」とか「誰かがこう言った」と言い合うだけでは、会議にはなりません。大きな声で相手をねじ伏せるようなやり方などは、論外です。



そして、その会議が真理を問題にしているかぎり、その会議は必ず「裁判所」としての機能を持つ必要があります。最終的には、白いものを「白い」と言い、黒いものを「黒い」と言わねばなりません。どちらでもないものは「どちらでもない」と言わねばならないのです。裁判的要素のない会議は、ただの虚しいおしゃべりです。



そして、ここでわたしたちが知っておくべきことは、この歴史的に最初の「教会会議」が開かれることになった理由ないし動機は、先ほどすでに申し上げましたとおり、教会内の紛争を収めるためであった、ということです。逆に言えば、それは、教会というところは、二千年前から、つまり教会の歴史の最初から、もめごとだらけであった、ということをも意味しています。「がっかりする」とお感じの方もおられるかもしれません。



教会内に紛争がない、ということはありません。歴史的に一度もなかったと言い切ってよいほどです。紛争がない教会などは、いまだかつて存在しなかったし、これからも存在しないでしょう。



しかし、わたしたちは、そこで絶望してはならないのです。違いが生じるのは、その先です。教会は内部の紛争を収め、交通整理をすることによって、感情的に対立する両者の間に和解をもたらし、共に生きる道を模索してきました。それが「教会会議」を開く意味です。少なくとも日本キリスト改革派教会は、厳密な意味での「教会会議」を重んじることにわたしたち自身の存在をかけてきたのです。



今日も礼拝後に、11月の定期小会・執事会を開きます。わたしたちの教会で毎月開いている小会は正規の「教会会議」です。わたしたちの小会は仲良くしていますので、ご安心ください。今、わたしたちの教会の中には何の紛争はありません。



今月23日に湖北台教会で行われる東関東中会2007年度第二回定期会も、正規の「教会会議」です。わたしたちの中会にも今のところ何の紛争もありません。平和そのものです。



先月大阪で行われた日本キリスト改革派教会第62回定期大会も正規の「教会会議」です。大会も平和そのものです。大きな紛争などは何もありません。



しかし、次のように語ることをどうかお許しいただきたいと願います。それは、現時点で、わたしたち松戸小金原教会の中にも、東関東中会の中にも、大会にも紛争がないのは、「紛争が起こらないように」、まさに教会会議(小会・中会・大会)そのものが全力を尽くして見張り番の役を背負っているからでもあるということです。見張り役にある者たちの共通認識は、次のようなことです。



第一に、教会の中で受ける心の傷は、わたしたちを最も深く傷つけるものであるということです。そのことをわたしたちは、よく知っていますし、また教会生活の中で体験的に学んできています。



第二に、教会で受けた傷は、教会の中で、また教会自身によって、癒されなければならない、ということです。教会の中で受けた傷は、教会の外で癒されることはないし、またそのような解決方法が善いとも思えません。



そして第三に、言葉の正しい意味での「教会会議」を支配しているのは、実は、わたしたち人間ではなく、人間の思いではなく、神御自身であり、神の御霊である、ということです。そのように、わたしたちは、はっきり語ることができます。人間の思いの支配する会議は「教会会議」ではありません。そこには赦しも慰めも救いもありません。



しかし、「教会会議」は違います。そこには赦しがあり、慰めがあり、救いがあります。そこに集められた人々の信仰のうちに、聖霊なる神御自身が宿ってくださるのです!



「教会会議」も間違いを犯すことがありえます。完璧な真理は地上の教会には明らかにされていないからです。しかし信頼していただきたいことがあります。それは、教会会議が犯した間違いは、次の教会会議で神御自身が訂正してくださるのだ、ということです。



わたしたちは、教会会議の主を信頼するゆえに、この命を「教会会議」に預けることができるのです。



(2007年11月11日、松戸小金原教会主日礼拝)