2007年9月2日日曜日

「キリスト者と呼ばれて」

使徒言行録11・19~30



今日の個所あたりから、話の内容が、前向きなものへと展開していきます。



それまでは、ほとんどユダヤ人のほうばかりを向いていたキリスト教会の人々の目が、あるときを境に異邦人のほうを向くようになりました。異邦人にイエス・キリストの福音を宣べ伝えることは、父なる神の御心であり、かつ、それこそがイエス・キリストの弟子としてふさわしい道であると教会が確信し、実際に異邦人に対する伝道を開始したのです。



しかし、ここで一つ重要なことを申し上げておきたいと思います。それは、二千年前の教会がユダヤ人以外の人々、つまり異邦人を教会の仲間に加える決心ができたのは、「差別や偏見はいけない。教会はどんな人でも受け入れなければならない」というようなスローガンのようなものがあって、それに基づいて門を開いた、というような順序ではなかったということです。それは事実に反します。最初にスローガンありきで始まった話ではない。最初にあったのは、むしろ“ニード”です。



「ステファノの事件をきっかけにして起こった迫害のために散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで行ったが、ユダヤ人以外のだれにも御言葉を語らなかった。」



今日の個所の最初に書かれていることは、使徒言行録8・1~3の記事を思い起こさせるものです。あのステファノの殉教がきっかけでエルサレム教会に対する大迫害が起こったのです。エルサレム教会の人々は、ステファノに続けとばかりに皆が迫害者に立ち向かい、抵抗運動を始めたのかといいますと、そうではありませんでした。



使徒たち以外は皆、つまり全員、ユダヤとサマリアの地方に散っていきました。つまり、迫害の手から逃げたのです。逃げてもよいのです!逃げるべきなのです!とどまって戦うこと、戦って死ぬことだけがキリスト者の道ではないのです。



ただし、です。彼らは、迫害の手、殺害の恐怖からは逃げましたが、神とイエス・キリストと教会の前から逃げたわけではありませんでした。散らされていった先で、イエス・キリストの福音を宣べ伝えました。一生懸命に伝道したのです。



しかし、最初はユダヤ人だけに伝道していました。こういう言い方ができるかもしれません。エルサレムから散らされていった人々は、ユダヤ人の言葉(当時はアラム語)しか語ることができなかった。だから、ユダヤ人を相手に語る他に為すすべがなかったのではないか、ということです。私も今のところ、日本語以外に喋れる言葉がありませんので、私が外国に行ったとしても、当分の間は、そこにいる日本人にしか話すことができそうもない、という点で、彼らの立場、あるいは“限界”が、よく分かるような気がします。



「しかし、彼らの中にキプロス島やキレネから来た者がいて、アンティオキアへ行き、ギリシア語を話す人々にも語りかけ、主イエスについて福音を告げ知らせた。主がこの人々を助けられたので、信じて主に立ち帰った者の数は多かった。」



ところが、新しい展開が起こりました。エルサレムから散らされていったユダヤ人たちのたどり着いた先に、外国生まれ・外国育ちのユダヤ人、あるいは外国生活を体験したことのあるユダヤ人がいました。その人々はギリシア語を喋ることができました。その人々と、エルサレムから散らされてきた人々が、いわば手を組んだ。それによって外国にいるユダヤ人以外の人々、つまり、異邦人に伝道することができるようになったのです。



外国語が使えるということは、やはりすごいことであると、私は思います。そこにある壁をまさにぶち破ることができます。大きく深い谷にそれを渡っていくための橋をかけることができます。その意味で私は、外国語を学ぶことや、翻訳の仕事をすることは、「横のものを縦にする」というような簡単なことでも単純なことでもない、と信じています。



むしろそれは、命がけでトンネルを掘ることです。新しい状況に足を踏み入れ、新しい出会いの中で、神と共に生きる新しい仲間を得ることです。それが簡単なことでしょうか。単純なことでしょうか。私には、そのように考えることはできません。



そのようにして、外国語を用いて語ることができるユダヤ人たちの伝道によって、異邦人たちの中からイエス・キリストの福音を信じて救われる人々が生み出されはじめました。教会の歴史の新しいページに、新しい文字が書き始められたのです。



「このうわさがエルサレムにある教会にも聞こえてきたので、教会はバルナバをアンティオキアへ行くように派遣した。バルナバはそこに到着すると、神の恵みが与えられた有様を見て喜び、そして、固い決意をもって主から離れることのないようにと、皆に勧めた。バルナバは立派な人物で、聖霊と信仰とに満ちていたからである。こうして、多くの人が主へと導かれた。それから、バルナバはサウロを捜しにタルソスへ行き、見つけ出してアンティオキアに連れ帰った。二人は、丸一年の間そこの教会に一緒にいて多くの人を教えた。」



外国にある教会に新しい動きがあることを知ったエルサレム教会は、態度を変えざるをえませんでした。聖書の伝統的な解釈を捨て、新しい解釈の立場を正式に採用せざるをえませんでした。異邦人もまた、何の差別もなく、教会の正式なメンバーとして受け入れることができる、ということを公に認めざるをえませんでした。



そして、エルサレム教会は、異邦人が多く集まっている教会としては最も重要な拠点と思われたアンティオキアの教会に伝道者バルナバを派遣し、また、バルナバはタルソスにいたサウロ(パウロ)のところに行き、(おそらく)「一緒に伝道しよう!」と呼びかけて連れ出し、バルナバとサウロの二人がチームを組んで、アンティオキア教会を拠点にして異邦人伝道を始めることになったのです。



これでお分かりいただけるであろうことは、二千年前の教会においても、現実の場面では、生きた事実のほうが先行し、教会の決め事や方針は、事実の後から追いかけていくことになった、ということです。



ここで皆さんに覚えておいていただきたいことは、教会も“既成事実”には弱いということです。原理・原則ももちろん重要です。「聖書にはこう書いてある。だから、われわれはこうすべきである」と主張することは、重要です。しかし、ある意味で、もっと重要なことがあります。それは目の前の現実、現在進行中の事実です。



さらに言えば、われわれの目の前でまさに生きている人間が重要であり、現実に立っている「このわたし」と「わたしたち」が重要です。なぜなら、今ある現実と今生きている人間の存在は、いかなる原理・原則によっても、消し去られたり・踏みにじられたりしてよいものではないからです。



原理・原則を振りかざし、振り回して、自分の周りにいる人々を斬って捨てていくことは、いとも簡単なことです。あの人はこの規格に合わない、あの基準に合わないと言って、刀をぶんぶん振り回して、周りにいる人々をどんどん斬り捨てていくことで、気持ちよいかもしれないのは、その刀を持っている本人だけです。その人の周りには、累々と死骸が転がっているのです。



人を生かすことが神の御言葉を語る者たちの使命であり、責任なのではないでしょうか。人を傷つけ、叩きのめし、立ちあがる力さえ奪ってしまうような説教がある、ということを、私は知らないでいるわけではありません。しかし、それは単純に、間違いです。横暴です。



原理・原則が先にあるのではなく、目の前の現実が先にあります。今まさに生きている「あなたとわたし」が、先にあるのです。このわたしたちの現実が「神の御言葉によって改革されていくこと」が重要なのです。



「このアンティオキアで、弟子たちが初めてキリスト者と呼ばれるようになったのである。」



バルナバとサウロのチーム伝道は、功を奏し、大成功をおさめたようです。彼らはそこに、たった一年間しかいなかったようですが、彼らの伝道の成果として、アンティオキア教会の会員たち(これが「弟子たち」の意味です)が、人類の歴史上初めて「キリスト者」(クリスティアヌース)と呼ばれるようになった、というのです。



これは、おそらく彼らにつけられたあだ名です。あるいはニックネームです。「キリストさん」とか「キリストくん」というくらいの意味です。



それが良い意味で言われたことなのか、悪い意味だったのか、それとも両方だったのか、そのへんははっきりとは分かりません。しかし、おそらく一つだけはっきり言えることがある。それは、アンティオキア教会の人々は、「キリストさん」・「キリストくん」と、自分たちのことがイエス・キリストのお名前と一緒くたに呼ばれてしまう、それほどに、このわたしとキリストとは切っても切れない関係にあるのだということを、このわたし自身も認め、周りの人々も認めてくれ、そのことを本当に心から喜び、誇りに感じることができた、そのような人々であったに違いない、ということです。



そのような、生き生きとした信仰の持ち主たちを生み出すことができた、という点に、バルナバとパウロの伝道の成果を見ることができると思います。



キリストとこのわたしが、切っても切れない関係である、という様子は、何に例えればよいでしょうか。もし私が佐々木冬彦さんのことを「ハープくん」と呼んでも、みんなが納得すると思います。わたしはできれば「説教くん」と呼ばれたいのですが、まだ皆さんに納得していただけるほどには至っていない、まだまだ修行が足りないかもしれません。



アンティオキア教会の人々の姿は、そう、こんなところに引き合いに出されるのは少し可哀想ではありますが、イエスさまが最高法院で裁判を受けておられる真っ最中に、三度もイエスさまのことを「知らない」と言って、関係を否定したあのペトロの姿とは決定的に違います。



アンティオキア教会の人々は、イエスさまのことを「知らない」とは絶対に言わなかったでしょう。知らないどころか、まさに切っても切り離せない。存在そのものにおいて、まさに「キリストさん」・「キリストくん」になりきることができました。そのことを、彼らは、心から喜ぶことができたのです。



皆さんは、松戸小金原教会の会員であることが、恥ずかしいでしょうか。



クリスチャンであることが、恥ずかしいでしょうか。



何か隠しておきたいようなところがあるでしょうか。



そうではない、と言ってほしい。そうではない、と言えるようになりたい。



そう願います。



(2007年9月2日、松戸小金原教会主日礼拝)