2017年7月8日土曜日

今の私はどういう状態なのか

昨年春(2016年4月)に日本キリスト改革派教会から日本キリスト教団に教師籍を戻した(教規上は「転入」)ばかりの私が、なぜ今、日本バプテスト連盟の教会で月2回のペースで説教をさせていただいているのかについて誤解されると困るので書くが、次はバプテストに移ろうとしているわけではない。

昨年度宗教科(聖書科)の代用教員として勤務した学校のチャプレンが日本バプテスト連盟の方で、その先生の紹介で昨年度は月1回のペースで説教を依頼されてきた教会で、今年度も月2回のペースで続けてほしいとご依頼があったのでお引き受けしているだけで他意は全くない。くれぐれも誤解なきように。

私の経歴をご覧になって「教会を転々としている」と評する方がおられたが、同世代の牧師の中ではごく平均的な移動回数であることを表明しておく。まして「教団を転々としている」かのように思われるのは本当に困る。しかし、説教をさせていただいている日本バプテスト連盟の教会には心から敬意を表する。

ちなみに、私が教会の牧師として経験と訓練を受けたのは、日本キリスト教団の旧日本基督教会系の2つの教会(高知県、福岡県)とやはり旧日本基督教会系の日本キリスト改革派教会の2つの教会(山梨県、千葉県)である。つまりすべてはいわゆる改革派・長老派(カルヴァン主義)の系統の教会であった。

しかし、日本キリスト教団に戻ってきた以上、70数年前に日本キリスト教団に合流したすべての旧教派グループと対等にお付き合いさせていただきたいと願っている。牧師として私が受けてきた教会的訓練の内容に「汎用性」があると信じている。この点はぜひともご理解いただきたいと強く願っている。

もうひとつ書いておく。私は時々「説教の塾」の悪口を書くことがあるが、私は大学時代に彼らと全く同じ教育を受けた者であり、基本的にほとんど同じ線に立ちつつ、日本の教会の宣教において新たな一歩を踏み出したいと願っている者としての「愛情表現」だと思って受け流していただけると助かる。

礼拝の形式や内容についてのこだわりはない。1954年讃美歌でも讃美歌21でも聖歌でも新聖歌でも歌う。ガウンを着ろと言われれば着るし、着るなと言われれば着ない。説教は10分と言われれば10分で終わるし、40分と言われれば40分で終わる。「汎用性」も「順応性」も訓練されてきた。

唯一私にできないのは「異言の祈り」くらいだが、私にその賜物が与えられていないのと、これから特別に求める思いがないだけで、批判はないし、揶揄する気持ちなどは微塵もない。幸いなことにそれを私に強いる人はだれもいない。私が立っているのは今年500年を迎えた「宗教改革の伝統」以上でも以下でもない。

私が讃美歌をうたうとほめていただけることがある。何の楽器も弾けず楽譜も読めない人間なので、穴があったら入りたくなる。大学を卒業するまでほめられたことはない。ほめられたりするようになったのは、結婚して(幸せで)太ったころからだ。突き出たお腹がスーパーウーハーになったかもしれない。

説教の形式や内容についてもこだわりはない。聖書原典の解説でも、個人的体験の証しでも、使徒信条やハイデルベルク信仰問答等に基づく教理説教でも、付箋やプロジェクターを用いたアクティヴラーニング説教でも、教会の求めに応じてする。福音のために何でもする。私も共に福音にあずかるためである。

ただし、説教の際にいつも念頭にあるのは、自然に任せていると高齢者の集まりになりやすい教会を、ただ「慰める」だけでなく、現状維持を無批判に肯定するだけでなく、より未来へと目を向け、若い世代の参加を強く求め、神の恵みを引き渡していく教会にしていくにはどうしたらよいかという問いである。