ブーケンセントルム版『ファン・ルーラー著作集』 |
いろんな教会で説教するようになったのは昨年度教務教師だったときからで、それ以前は教会定住の牧師として基本的に毎週同じ教会で説教していた。その頃の説教スタイルは一定していたが、現在は各教会の実情に合わせて変えている。不統一感は自分でも否めないが、ぜひ事情と趣旨をご理解いただきたい。
ただし、教会定住の牧師だったときから(現在復帰を希望している)今日に至るまで私の説教において一貫している「人間と人間性への全面的な肯定」(その中には「自己肯定」が含まれる)という神学的論点は、ファン・ルーラーの神学への同意と共感に基づいている。これはおそらく生涯変わらないだろう。
この論点は私がファン・ルーラーの著作を読み始めてから加わってきたことではない。記憶にないほど相当以前から悩んでいた問題(私の教会生活は0歳から開始され現在51歳まで中断なく継続されている)にファン・ルーラーが、私が生まれるよりもはるか前から取り組んでくれていたことが分かったのだ。
1950年代後半のドイツで、若き説教学者ボーレンと若き教義学者モルトマンがオランダからドイツに講演旅行に来たファン・ルーラーと出会い、甚大な影響を受けた。世界的な神学者と自分を並べて語るおこがましさはないつもりだが、彼らがどれほど感動し、全く新しい視野が開けたかが私はよく分かる。
ファン・ルーラーの神学は、説教と教義学を根本から問い直す。教会の心臓にメスを入れる。軽々しいことではありえない。しかし、強い決心と勇気をもって取り組み、道半ばで62歳で病気で倒れた。世界的知名度に乏しいのはオランダ国内の教会と神学の改革に集中していたからだ。海外旅行をしなかった。
ファン・ルーラーは生涯「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)のメンバーだったが、ファン・ルーラーの神学的視野は広く、教派を超え、国境を越えて重んじられた。彼の神学について書かれた多くの博士論文の中にカトリック教会の神学者が著したものもある。
私がファン・ルーラーのオランダ語著作を読み始めて20年になる。もっと前からファン・ルーラーの著作を読んでおられた先輩がたもおられる。私の願いは、今後も研究を続行し、日本の教会と神学に貢献することである。しかし現在は、研究はおろか生活もままならない。支援していただきたく願っている。