2017年7月6日木曜日

日本基督教団教師転入の「奇跡」

現在の借家(千葉県柏市)への転居日の書斎(2015年12月24日)

日本基督教団への転入(復帰)を決心したのは2年前(2015年9月3日木曜日)だが、任地なき籍だけの移動は認めない方針になったと知り、人づてに推薦していただいたが、複数教会から「転入理由が明確でない」という理由で面接なく断られた。「また出ていくかもしれない」とも言われたらしいが、そんなに傍若無人ではないです。

もしかしたら暗に当時所属していた日本キリスト改革派教会への批判を明文化することを求められた可能性があるが(真相は不明)、批判すべきことは何もなかったし、今もないので、求められても無理だった。私にとって日本基督教団は生まれ故郷である。「実家に帰る理由なんてないよ」と思うばかりだった。

どのポケットを叩いてもビスケットが出てこないので困っていたら、「転入理由」を問われない職場が与えられた。それが昨年度1年間代用教員として働かせていただいた日本基督教団関係学校(高校)だった。教員志望だったことは一度もなかったが、やってみるとこれが楽しい仕事だった。心底魅了された。

しかし、いかんせん学校教員としてのスタートが遅すぎた感は認めざるをえず(昨年は50歳でした)、キャリアというかスキルというかに関しては、教会の牧師の仕事のほうが向いているというかそれしかできないというか天職というかではある。でももう一度学校で働かせていただきたいという願いはある。

ただ、どちらでもいいと考えているわけではない。学校の仕事は私にはおそらくもうないと思っている。昨年が楽しすぎて自分の限界や現実を忘れそうな瞬間があったが、何度も冷水をかぶる必要がありそうだ。最初の召しを忘れたことは一度もない。私の職務は教会に仕えること以外の何ものでもありえない。

こういう大真面目なことをついチャラチャラした調子で書いてしまうのは、実は私という人間が本質的に真面目だからだということを、ぜひ見抜いていただきたいと願っている。自分に関してやたら軽率なところがあるかもしれない。差しさわりがあるようならお詫びしたい。

学校勤務が決まったときの実感は「おお海が割れた」だった。私が海を割ったのでなく神が割ってくださった。 「任地なき籍だけの移動は認めない」という日本基督教団の新しい申し合せ事項のもとで「明確な転入理由を言わないかぎり迎えることはありえない」と複数の教会から言われて立ち往生していた。

かたや私は、1998年7月に日本キリスト改革派教会に教師加入したときに「日本キリスト改革派教会の政治と戒規に服すること」を神と教会の前で誓約した者として、心にもない日本キリスト改革派教会への批判を書いたり述べたりすることはできずにいた。それは私にとって「虚偽申告」を意味していた。

そのような虚偽申告(ありもしないウソをつくこと)を一切することなく日本基督教団教師に復帰する(教規上は「転入」)道は日本基督教団関係学校の「教務教師」になることだった。それは私にとっては事実としても実感としても「奇跡」以外の何ものでもありえなかった。神が「海を割って」くださった。

今朝は驚いた。高校で聖書の授業をしている夢を見た。昨年授業をさせてもらった生徒たちだった。見たことがない広い教室だった。みんなにこにこしていた。私も冗談言ったりしていた。終わりのチャイムで目が覚めた。みんな元気そうで安心した。まあ夢だけど。続き見るために二度寝するか(しません)。