2015年4月7日火曜日

確かに外見は変わりました

サイズが小さくなっただけです
「スマホをやめるか、大学をやめるか」。そのような時代錯誤の二者択一は愚の骨頂だというのが私の立場です。しかし私も、子どもたちの将来について心配の要素がないわけではありません。というか常に心配でイライラしています。しかし、実際に変わったのは「外見」だけだと自分に言い聞かせています。

我々の親より上くらいの世代の人たちがある時期からこぼし始めた不満は「病院に行って長い待合を経ても、医者たちは我々の顔ではなくパソコンの画面ばかり見るようになった」ということです。そのことをこぼす人たちは、その勢い「牧師たちもそうだ」と言いたげなので、耳が痛い話として私は聞きます。

確かに「外見」は変わったからです。今は教会でも、かかってくる電話といえば、セールスか迷惑ファックスくらい。ほとんどの連絡はメールかSNSかビデオ通話。説教や論文の原稿書きも。息抜きの音楽や映画も。かなり長い時間を「パソコンの画面ばかり見る」生活に置き換えられて(しまって)います。

「スマホ」はパソコンの全機能を持ちつつ、デバイスのサイズが小さくなっただけです。我々が子どもの頃は寝っころがって紙のコミックを読んでいたのが、今の子どもは寝っころがってスマホでコミックを読むように「外見」が変わっただけです。甘すぎる見方かもしれませんが。私はダメ親かもしれません。