2015年4月3日金曜日

「本当のイースター」を教会で味わいませんか

復活の希望に輝いています
日本の有名人が国際「キリスト教」大学に入学したとか、日本のマスコミが突然「イースター」を言い出してくれるとかでも、教会には全く追い風が吹いてくる気がしないのは、ある意味で健全なことかもしれぬなと、悲痛な負けず嫌い発言。

アメリカの日本占領政策の最終段階に入った感じなんですかね、よく分かりませんが。だって、すごい急ですよね、「イースター、イースター」。我々教会がそれに反対する理由は全くないと思っています。教会には全く影響ないです。

そーそー、クリスマスと同じですよね。クリスマスのときのように言えばいいじゃないですか。「本当のイースターを教会で味わいませんか」。そういうことをチラシとかに書くと、教会の内部から「『本当の』とはなんだ、けしからん。世間に対する見くだしだ。教会の傲慢だ」と非難されるのがオチですが。

まあ考えてみれば、「イースター」という言葉すら知らない人が国内に多い原因は、義務教育課程の教育内容から完全にシャットアウトしてきたからでもあるわけですよね。そのほうが異常でもあると思いますし、イースターは教会が占有するにはあまりにも大きすぎる普遍性を持っていると思いますけどね。

いつもなんだか皮肉っぽい言い方ですみません。実物の私は、そんなに皮肉っぽい人間ではないつもりなんですけどね。まじめに書いているつもりですが、どうも筆致が軽すぎて、よく叱られます。