特定秘密保護法案の採決に抗議しに行った日(2013年12月3日) |
まあでも、ここでやたら道徳くさいっぽいことを書いてしまえば、「今から40年前的まんが世界」の中では、炊事も洗濯も皿洗いもぜんぶやってくれるロボかメカが欲しい、くださいという話のパターンがあったけど、ほんとにメカとロボが手に入った今は「ヒマすぎて死にそう」と言い出す人がいるという。
「もちろん」とかは言わなくてもいいと思いますが、まあでも「もちろん」面倒くさいですよ、毎日毎日、炊事、洗濯、食器洗い、買い物。だけど最近はロボにもメカにも負けない自信、とかはないですけど(ないない)、月並みにいえば慣れますよ的ではありますし、そもそもそれ自分のことでしょーにと。
自分の下着くらい自分で洗えよ、自分の茶碗くらい自分で洗えよ、そりゃそうですよねと気づいたのがかなり遅かったので、エラそうなこととかは全く言えないレベルですけどね。でも、まあなんかね、ある時期に悟りました。これも月並み系ですが、自分のことくらい自分でしましょうねの喜びを悟りました。
あとの問題は、それが「価値ある行為」だと自分で本気で思えるかどうかですよね。その問いはたしかに最後まで残り続けるでしょう。「そんなこと」はメカやロボでもできる。だから「価値がない」のか、それとも、だから「価値がある」のか。私は「価値ある」と思えるので、続けることができています。
ですし、おしなべてあらゆることに当てはめることは無理でしょうし、かなりの部分で想像の域を超えられないことではありますが、世で「脚光」を浴びている方々のしていることを多少の比喩をまじえて要約すれば、要するに、炊事、洗濯、皿洗い、買い物、掃除「のようなこと」をしているんじゃないかと。
イエスさまのお言葉で「小事に忠実な者は大事にも忠実である」というのがありましてね。いえべつに、お説教しようと思って書いていたわけではないのですが、ふと思い出しました。毎日の家事に忠実な者は世を動かすデカイ仕事にも忠実であるということですよね。自分のパンツくらい自分で洗いましょう。