2015年4月8日水曜日

要するにduplex ordoの問題に最も関心があります

葛藤と苦悩は深まるばかりです
「いま自分が最も信頼している神学体系」の意味であれば、最も愛読している組織神学は、私はやはりファン・ルーラーのものです。私がここ何年も最も悩んでいる問題でありながらなかなか手を付けることができないのは、duplex ordoの問題です。その問題にファン・ルーラーが苦しんだのです。

ダブルスタンダードとかダブルバインドとかいえば、だいたいぴんと来る人は多いでしょう。duplex ordoを硬く訳せば「二重基準」でしょうか。ファン・ルーラーがこの概念を持ち出すとき強く考えていたのは、近現代のデモクラティックな社会の中の「国立大学神学部」の存立の意義の問題です。

日本には「国立大学神学部」そのものは存在しないわけですが、文科省が考える「科学・学問」の枠組みと代々の教会が「神学」という形でとらえてきた「科学・学問」の本来の姿との間の著しい葛藤と苦悩を伴う相互関係の問題と同じです。しかし私は、その葛藤と苦悩を肯定的にとらえたいと考えています。

葛藤が無くなってしまうことが悪い意味でのカルト化であると私は受けとめています。葛藤がない形で文科省的なるものと同化したうえで「教会の神学」の外套をまとっているだけなのもカルト化でしょうし(なぜならそれは「神学」を偽装する必然性がないのに忍び込んで来ているだけの怪しい存在なので)。

葛藤がない形で文科省的なものを全否定し、全面対決姿勢をとるのもカルト化でしょう(なぜなら「エセ科学」のくせに「神学」を名乗りたがっているだけの怪しい存在なので)。葛藤があるということは、神学のプライドはズタズタに傷つけられっぱなしですが、それを肯定的に受けとめたいという意味です。

こんなことをいくら書いてもよく分からないと思いますが、分からないようにわざと書いていますので(分かるように書くと差しさわりがある話ですので)、「何を言ってるのか分からない」という感想が正解です。ファン・ルーラーに限らず、こういう問題で葛藤しうる人、苦悩しうる人を、私は尊敬します。