2015年4月16日木曜日

「現場」にいるだけでは全く分からないので仕方なく「書斎」に引きこもらざるをえないことがあります

神学デフレ底値なし
本日、私の『ウェスレー著作集』(新教出版社)が3冊増えました。第1巻(新約聖書註解上)、第4巻(説教中)、第7巻(神学論文下)です。まだ全部は揃いませんが、一番のお目当ての「神学論文」の上下を入手できましたので、かなり満足しています。

立て続けに『ボンヘッファー選集』全9巻、『標準ウェスレイ日記』全4巻、そして『ウェスレー著作集』を4巻買いました。ひどく派手に散財していると思われるかもしれませんが、これだけ買ってやっと2万円くらいですからね。神学デフレ底値なし。長年願っても手が届かなかった者としては福音ですが。

著作集などの連番ものをどういうふうに本棚に並べるかは人によると思うのですが、私は番号が若い順に左から右に並べていくのがいちばん心が落ち着きます。逆の人いますよね。右から左の人。まあべつに全く個人の自由ですけど。でも私は落ち着かないです。そういう本棚見ると全部並べ替えたくなります。

それと、完璧に実行するのは無理だと思っていますが、大雑把にであれば、著者の年齢というか活動年代の古い順に、上から下に、そして左から右に並べていくようなことも実はしています。ウェスレーは18世紀の人で、ボンヘッファーは20世紀の人ですから、ウェスレーが左で、ボンヘッファーは右です。

ジャンルの区別も、できるだけしています。特に「神学」の場合、その中の4つの部門である「聖書神学、歴史神学、組織神学、実践神学」は「過去・現在・未来」の順、つまり時系列順であると考えられますので、古いほうから左から右に並べています。聖書神学はいちばん左で、実践神学はいちばん右です。

神学以外のジャンルの区別方法については、私には精密な知識がありませんので、私の本棚を専門家の方々がご覧になると笑われてしまうかもしれませんが、著者の年齢や活動年代が分かる本は、とにかく古い順に左から右に並べています。哲学、社会学、政治学などの本を、そんなふうな感じに並べています。

私の書斎の本棚はそんなふうになっていますので、書斎の中にいるかぎり必要な本を見つけるのはわりと簡単です。正確に覚えていなくても、「あの本はあのあたりにある」と予測できます。連番ものは番号の若い順に、またそれ以外は著者の年齢か活動年代の古い順に、それぞれ左から右に並んでいますので。

その分、書斎を一歩出るとダメです。何も分からなくなります。私が読む本や論文に引用されている他の本や論文を置いている図書館はほとんどないし、本屋もないです。スマホやタブレットで電子書籍を読むのが嫌いなので、読むなら紙の本になります。なので、本を読み始めると、引きこもってしまいます。

まして、自分の論文を書くことになれば自分の書斎以外のところで書くことはありえない状態です。脚注も引用文も全く付けることができません。もちろんそれは私だけの話ではないと思いながら書いています。多くの方々がそれぞれの「自分の書斎」を作って自分の文章を書いておられるのだと思っています。

もうなんだか古典の部類になった感さえある「事件は会議室で起きているのではなく、現場で起きている」という意見には私も基本的に賛成なのですが、「現場」にいるだけでは全く分からないので仕方なく「書斎」に引きこもらざるをえないことがありますので、そのときはご容赦いただきたく願っています。

書斎の本棚について自分で決めているもう一つのルールを書き忘れました。単純な話です。著者別で並べている本に関しては、左から右に(1)その著者の著作集・全集がある場合はそれ、(2)その著者「の」(of)単著ないし共著、(3)その著者「についての」(on)単著ないし共著を並べています。