2015年4月13日月曜日

牧師は転勤族です

山梨県甲斐市の教会で(1998年11月29日撮影)
いまは千葉県松戸市の教会の牧師であるが、高知県南国市の教会でも、福岡県北九州市の教会でも、山梨県甲斐市(当時は中巨摩郡敷島町)の教会でも牧師であった。こうした移動は多くの牧師が経験する。「牧師さんにも転勤があるんですか」と驚かれることがあるが、「あるんです」としか答えようがない。

教会の牧師に転勤があるのは、教会が地上的・時間的存在であることの証しである。一人の牧師は永遠には生存しない。弱りもするし、死にもする。老若の交代をせざるをえないときは、どのみち来る。純粋に縁故・世襲で教会を守っているところもあれば(それが悪いわけではない)そうでないところもある。

そして次のようなことが起こる。A教会のX牧師が辞職または死去した場合はB教会のY牧師を招聘する。A教会とB教会の距離が近ければ両方の教会の牧師でありうるが、遠ければY牧師はB教会を辞職してA教会の牧師になる。するとB教会に牧師がいなくなるので、B教会はC教会のZ牧師を招へいする。

いま書いたことは「牧師さんにも転勤があるんですか」と驚かれることがあるので説明しているだけだが、字にすればだれでも理解できる当たり前のことだ。しかし、驚く人が悪いわけではないし、説明が億劫なわけでもないので、尋ねられれば何度でも同じことをお答えする。納得していただくまで説明する。

ちなみに私は、過去・現在合わせた4つの教会のうち、1つを除く3つの教会で「二代目牧師」だった。事柄を詳細に言えば「教会」になる前の「伝道所」の時期にはもっと多くの教師がかかわっていた。しかし「教会」になってからの「牧師」としては私が「二代目」であるという教会を3つも経験してきた。

私が「二代目牧師」であったのが多かったことの意味は、私は「若い教会」の牧師だったということだ。具体的には「戦後生まれの教会」を指す。太平洋戦争後、日本国憲法で信教の自由が保障されるようになった後に設立された教会だ。それを「若い教会」と言い、戦前生まれの教会と区別されることがある。

だからどうだと言いたいわけではない。日本の(プロテスタント)教会の中には150年を超える歴史を持つ教会がある。しかし最初の一つの教会がその後のすべての教会の産みの親であるわけではない。江戸時代の「鎖国」が解かれたのち、海外から多種多様な教派・教団の宣教師が来て教会を作ったからだ。

一人の教師が一つの教会の牧師を150年続けた例はない。もしかしたら私が不勉強で知らないだけで、そういう例があるのかもしれないが。一度も牧師交代を経験していない教会や、二代目、三代目くらいの教会はすべて「若い教会」である。戦前から存在する「古い教会」は多くの牧師交代を経験してきた。

なんでこんなことを書いているのかについては、特に理由や脈絡はない。強いていえば、繰り返しになるが、「牧師にも転勤があること」を驚かれることが実際にあるので、そろそろ周知されてもいいかなと思って書いているだけである。現時点では他意はない(ということにしておこうと要らぬ思わせぶり)。

私自身の過去3回(4回目はまだ)の辞任・辞職の体験から得た印象としては、「嫌われて辞めるほうが正解」。そのほうが、次の牧師さんがやりやすいはずだ。「偉大な先生」の後任者はやりにくいに決まっている。まあ、私の場合はどこから見ても偉大さのかけらもないので、何の心配もなかったわけだが。