2010年11月28日日曜日

なぜ私にキリストが必要か


ローマの信徒への手紙8・1~8

「従って、今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることはありません。キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです。肉の弱さのために律法がなしえなかったことを、神はしてくださったのです。つまり、罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り、その肉において罪を罪として処断されたのです。それは、肉ではなく霊に従って歩むわたしたちの内に、律法の要求が満たされるためでした。肉に従って歩む者は、肉に属することを考え、霊に従って歩む者は、霊に属することを考えます。肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります。なぜなら、肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです。従いえないのです。肉の支配下にある者は神に喜ばれるはずがありません。」

今年のアドベントを、なんだか感慨無量で迎えることができました。今年もいろいろありました。もう忘れておられるかもしれませんが、そもそも今年はわたしたち松戸小金原教会の30周年でした。記念誌を発行したり記念礼拝をおこなったりしました。夏には会堂の外装工事がありました。T長老の大きな手術もありました。KさんやH長老も入院され、その後、退院されました。

いま挙げているのは、教会としての三つ、四つくらいの出来事です。わたしたちのそれぞれの個人としての出来事には、もちろんもっともっとたくさんのことがありました。しかし、次から次へと、いろんなことがあったのに、わたしたちはもう忘れてしまっているかもしれません。それは、わたしたちが忘れっぽいからではありません。すべてのことを神に感謝しているからです。神さまがすべてのことをしてくださったと信じることができたので、すっかり安心しているのです。もちろん苦しいこともありました。しかし神がわたしたちに苦しみに耐える力、苦しみを乗り越える力を与えてくださいました。今なお苦しみの中にある方がおられるでしょう。しかし、神がその方の心に希望と喜びを与えてくださり、今の苦しみを何とか乗り越えることができるように励ましてくださっています。だから、わたしたちは、悪い意味で引きずっているものは、何もありません。すべてが解決し、安心して、今ここに立つことができているような気がします。

「喉元過ぎれば熱さを忘れる」は、もっぱら悪い意味だけで用いられる諺であるようです。しかしわたしたちには、忘れてもよい苦しみもあるのだと思います。何もかも憶えていなくてはいけないのでしょうか。良いことや楽しいことならば、憶えていればいい。しかし、悪いことや苦しかったことまでいつまでも憶えていなくてもよいのです。どんどん忘れてください。忘れても構わないのです。

しかし、もちろんこんなことを私がいくら言いましても、皆さんは憶えておられることはいつまでも憶えておられるでしょう。だからこそ私は安心して「どうぞどんどん忘れてください」と言えます。私がこう言ったから皆さんが忘れるわけではないからです。私のせいにはしないでください。しかし良いことだけ、楽しいことだけを、どうぞ憶えていてください。悪いことや苦しいことは、どんどん忘れてください。そうすることがわたしたちに許されているし、そうすべきでもあるのです。

このように言いますと、開き直ったことを言っているというふうに思われてしまうかもしれません。そういう面も全く無いとは言えませんが、そういうことよりも、私が考えていることは、人間の心や体には限界があるということです。神さまがわたしたちを限界ある存在に造ってくださったのです。わたしたちの心や体はまるで、その中に入る分量が決まっている容れ物のようなものなのです。中に入ってくるものがある程度の量を超えると、溢れ出してしまうのです。それとも、わたしたちの脳は無限の大きさをしているのでしょうか。わたしたちの体は無限の力を持っているのでしょうか。そのようなことはありえない。すべての人に限界があるのです。

だからこそ「忘れてください」と言っているのです。どのみち限界があるわたしたちの心と体なのですから、悪いことや苦しいことばかりで一杯にしなくてもよい。外に出せるものは、どんどん出したらよいのです。もちろん、わたしたちには「忘れなさい」などと言われても忘れられないことが、体脂肪のようにたくさん詰まっているでしょう。しかし、だからこそわたしたちは、心のダイエットに真剣に取り組まなければならないのです。余分なものは、すっかり外に出してしまうことが必要なのです。

今日は何の話なのかが分からなくなりそうなので、そろそろ本題に入ります。今日の主題は「なぜ私にキリストが必要か」です。もちろんわたしたちはキリストが必要だと信じています。だからこそキリスト教を信じているし、教会に通っています。今さら問うほどのことではないかもしれません。しかし、今日考えたいことはその理由です。「なぜ」必要かです。あるいは、その事情についての説明です。だらだらやるつもりはありません。ワンポイントに絞ります。ここを押さえておいてほしいという一つの点だけをお話しいたします。

それが、今まで前段としてお話ししてきたことに、実は全部関係しています。いちばん大切な点は、わたしたちの心や体は限界ある容れ物のような存在であるということです。その中には良いものだけではなく、悪いものもたくさん詰まっているのですが、この容れ物自体にどのみち限界がありますので、悪いものは外に出してしまえばよいし、良いものだけが残るようにしたらよいのです。そうすることがわたしたちに許されていますし、そうしなければならないのです。

何を外に出すべきなのでしょうか。それが今日の聖書の個所に使徒パウロが書いている「肉の思い」(6節)です。「肉の思いは死であり、霊の思いは命と平和であります」(同上節)と記されています。「肉の思いに従う者は、神に敵対しており、神の律法に従っていないからです」(7節)とも記されています。ここで「肉の思い」の意味は「神に敵対する思い」です。つまり罪です。罪とは、神に敵対することです。神に背を向けることであり、神を憎むことであり、神の御心に反する生き方をすることです。それはわたしたちには許されていないことです。神に敵対する思いとしての罪はわたしたちの外側に出してしまわなければなりません。もしわたしたちが心のダイエットに取り組むとするならば、わたしたちの「罪」をわたしたちの存在の外側へと絞り出してしまわなければならないのです。

しかし、その次にすぐ出てくる問題は、それがわたしたちに可能かどうかです。「絞り出しなさい」などと言われてもなかなか出て行かないのが、わたしたちの罪です。ですから、わたしたちの心にはいつまでも葛藤が残ります。わたしたちの心の中に葛藤が残り続けること自体をパウロが責めているわけではありません。彼の中にも罪は残っています。「肉の思い」が残っています。しかし、それだけではなく、彼の心の中には「霊の思い」もあるのです。「霊の思いは命と平和であります」と記されています。「平和」の意味は「神との平和」です。それは「神に敵対すること」の反対です。敵対の反対は和解です。つまり、「平和」とは「神との関係が敵対関係ではなく、和解されている関係である」ということです。それは、神さまと私が仲良くなることです。神が私を心から喜び楽しんでくださることであり、私もまた神を喜び楽しむことです。神と私が仲良く一緒に遊ぶことです。

それは、わたしたちには可能なことです。神がわたしたちにそれを可能にしてくださったのです。神がわたしたちに何を可能にしてくださったのでしょうか。神に敵対する思い、神を憎む思いだけではなく、神を喜ぶ思いを持つことを可能にしてくださったのです。

それが、今日の個所に「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」(2節)と記されていることの意味です。書かれていることの表現自体は難しいものですが、言われている意味は比較的単純です。パウロが言おうとしていることは、わたしたちの心と体との中に「霊」と「罪」が共存しているということです。しかし、ただ共存しているというだけではなく、「霊」あるいは「霊の法則」が、「罪」あるいは「罪と死との法則」よりもいわば分量的に勝っているということです。「霊」と「罪」が綱引きして、「霊」が勝利したのです。

そしてここで思い起こしていただきたいことが、わたしたちの心と体は、限界がある容れ物のような存在であるということです。無限の大きさを持っているわけではありません。「霊」が溢れるほどに豊かにわたしたちの存在を満たすならば、わたしたちの中で「罪」の占める割合は小さくなっていくのです。これは、わたしたちが小学校で勉強する足し算、引き算のようなものです。あるいは理科の時間で勉強する、ビーカーの中の濁った水のうえに澄んだ水を注いでいくと水全体がだんだん澄んでいくことにも似ています。ビーカーの容量の限界を超えた水は、外側にどんどん溢れて行くからです。もちろん、そのようにしても、どこまでいっても、完全な真水にはなりません。しかし全体としての濁りはどんどん薄まっていきます。そういうことが、わたしたちの心と体にも確かに起こるのです。

いま私は「霊」「霊」と言っていますが、ここでパウロが書いている「霊」の意味は、どう読んでも聖霊のことです。聖霊とは、わたしたちの存在の外側から内側へと注ぎこまれる存在であり、わたしたちの内側に宿ってくださる、あるいは住み込んでくださる存在であり、それは端的に神さまのことです。それは神の霊であり、キリストの霊でもあり、聖霊なる神のことです。「霊の思い」(6節)とは、聖霊なる神の思いであり、神のお考えであり、神のご意志、すなわち神の御心のことです。その意味での「霊」すなわち聖霊なる神のご存在が、わたしたちの心と体の中で「罪」と共存しているのです。しかし、聖霊なる神のご存在がわたしたちの存在の中で満ち溢れるならば、罪の占める割合は小さくなるのです。罪によって濁った心は、聖霊が注ぎ込まれることによって、だんだん澄んでいくのです。

たった今、私は「聖霊とは神の霊であり、キリストの霊でもある」と言いました。その意味を説明する時間はもうありませんが、一言でいえば、聖霊とは父なる神がイエス・キリストにおいてわたしたちに御自身の御心を伝える手段であるということです。その神の御心の具体的な内容は、「罪を取り除くために御子を罪深い肉と同じ姿でこの世に送り」(3節)というものです。「御子」はキリストです。つまり、パウロが書いているのは、神がキリストを「この世に送った」理由ないし目的です。それは「罪を取り除くため」であるというのです。

神がキリストを世に遣わされた目的は罪を取り除くことです。ただし、「取り除く」と言っても完全に無くなるわけではありません。いわば薄まること、または薄めることです。濁りきって飲めない水ではなく、なんとか飲める程度の水にすることです。私と神との関係が敵対関係であることをやめて和解されたものになり、仲良くなることです。神が私を喜び楽しんでくださり、私も神を喜び楽しむことができるようになることです。そのために、神は御子をこの世に送ってくださったのです。

なぜ私にはキリストが必要なのか。その答えは、「私が神を喜ぶことができるようになるため」です。私の心に「喜び」を増し加えてくださるために、キリストはお生まれになったのです。

(2010年11月28日、松戸小金原教会主日礼拝)

2010年11月27日土曜日

神学とは日本語である

牧師である私にとって、教会の仕事というのは毎日楽しくてしょうがないものなのですが、とにかくずっしり重くて疲れるのは、中会や大会の仕事です。

それは他でいう「教区」とか「教団」の仕事のようなものです、といえば、一般的には少しは分かりやすくなるでしょう。牧師には、通常自分がそこに住んでいる場所としての「教会」の仕事もありますが、複数の「教会」が地域ごとに集まって作る包括的な組織としての「中会」や「大会」の仕事もあるのです。

いま書いた意味での「教会」の仕事をすると牧師は元気になりますが、「中会」や「大会」の仕事をするとぐったり疲れます。理由もだいたい分かります。中会や大会の仕事の大部分は「会議」だからです。

私は何が苦手かといって、とにかく会議が苦手なのです。だから疲れる。一日の終わりの疲労感が明らかに違います。

中会も、大会も、疲れるから大っ嫌いだぁ。あんなこと、好きでやってるわけじゃねぇんだよぉ。

��とか書くと、「会議軽視だ」とか言われて罷免された法務大臣のように、私もやられますかね)。

と、私がこういう愚痴をこぼしているときは、たいてい、「ボクはぁ、本当はぁ、ファン・ルーラーのオランダ語テキストをぉ、読みたいと思っているのにぃ、ちっとも読むことができないのはぁ、中会や大会のせいであってぇ、ボクのせいではないんですよぉ」と言い訳したりお詫びしたりしなければならないと思っているときです。

ファン・ルーラーを翻訳するための、まとまった時間が欲しいです。欲しいです。欲しいです。

しかし、教会の牧師ですから、教会の仕事を最優先することは当たり前のことです。しかし、私は「中会」や「大会」の仕事もしなくてはなりません。私は今、東関東中会の伝道委員会の責任者です。その者は、自分自身で伝道もしなくてはなりませんが、「伝道とは何か」を中会レベルで考える仕事もしなければなりませんし、「伝道とは何か」を中会レベルで考える仕事の場を作り出す仕事(講演会や研修会などの準備の仕事)もしなければなりません。

つい最近、ある方に書き送ったメールの中に「教会の牧師たちにとって、神学の季節は短いものです」と書きました。

日本キリスト改革派教会の場合、定期大会が年一回あり、定期中会が年二回あり、臨時の会議も複数回あります。しかし、そのような大きな会議の場を成り立たせるための(議案を構築していくための)委員会活動は年がら年中おこなっていまして、大きな会議が近づけば近づくほど集中力が求められ、疲労度が増します。他の仕事をすべて後回しにしてでも全くかかりきりにならなくては完成しないような緻密さを要求される仕事ばかりです。

ですから、大きな会議がおこなわれる前後の期間は「神学どころでなくなってしまう」という、私がいちばん嫌いな言い方をしなければならなくなるのが実情です。一年のうちから大会や中会の大きな会議が行なわれる前後の期間を除いていって、最後に残るのが、その牧師の「神学の季節」です。(ややこしいことを書きましたが、分かりました?)

この意味での「神学の季節」は、中会や大会での責任が重くなればなるほど、短くなっていきます。今の私は、たぶん一年の四分の一(3ヶ月)くらいが残っていれば、いいほうです。10年前は「たっぷり神学できた」のですが、今は違います。

しかし、神学は手を抜いてはなりません。はっきり言いますが、神学の大部分は翻訳です。そして翻訳は手を抜くと読者も訳者も地獄を見ます。時間をかけない翻訳ほど悲惨なものはありません。つまり「時間をかけない神学ほど悲惨なものはない」のです。

そして、私が最も重要なことだと思っているのは、このブログではお馴染みの翻訳理論家の山岡洋一氏の受け売りなのですが、「翻訳は日本語である」という点です。

翻訳の目標は「こなれた訳」ではありません。翻訳の目標は「日本語であるものにすること」です。それが日本語でなければ翻訳ではないのです。その訳者自身の頭の中で原文の意味を(その言語の文法に基づいて)百パーセント理解できていたとしても、翻訳された文章が日本語としては支離滅裂であるならば、「それは翻訳ではない」と判定せざるをえないのです。

だから大変です。山岡先生の受け売りですが、文学作品に出てくる登場人物のセリフとしてのI love you.の翻訳は「私はあなたを愛しています」ではありません。「私はあなたを愛しています」という言葉を日常生活で使う日本人を私は寡聞にして知りません。「私はあなたを愛しています」と、このとおりの言葉でプロポーズをした(された)人がいるでしょうか。臭いセリフであるという以前に、また「こなれた訳」であるかどうかという以前に、それは「日本語ではない」のです。

「原文のニュアンスを残しながらこなれた日本語に近づけていく」という離れ業を考える人がいますが、その努力は尊重するとしても、そのような努力を経て仕上げられた文章は、おそらく「日本語ではない」ので、つまりそれは「翻訳ではない」のです。

私がめざしている「翻訳」も、山岡洋一先生がおっしゃる意味での「翻訳」ですので、だから大変です。時間がかかります。

私にとっては「日本語でなければ神学ではない」のです。翻訳なき神学は存在しないからです。

つまり、「神学とは日本語」なのです。



2010年11月23日火曜日

しかし私は「カルヴァン主義者」です

しかし、どうか誤解がありませぬように。

「日々新しい言葉を語らなければならない」と信じている私は、その一方で、相当確かな意味で「カルヴァンとウェストミンスター信仰規準に固執している」者でもあります。要するに、私は「カルヴァン主義者」であると自覚しています。この枠組みの中には「創造から神の国まで」のすべてを論じる場(locus)が備えられているのですから、この枠組みに「固執」するときにこそ、この世界のすべてを自由かつ大胆に論じつくすことができるのです。

勘違いしている人たちは、この枠組みには広大な視野があるということを理解できず、狭く小さく切り取った何かだと思い込んでいるのです。

事実として、カルヴァンとウェストミンスター信仰規準が示した枠組みは「三位一体論的・聖霊論的視座」であり、それこそが、私が力を込めて取り組んできたファン・ルーラーの神学との親和性をも示す「歴史的改革派神学」の枠組みそのものなのであって、この枠組みを我々が守ることによってこそ悪い意味での「キリスト一元主義」、すなわち、まるで神は「子なる神」としてしか存在しえないかのような粗末で乱暴な議論、の狭さに陥らないための防波堤を得ることができるのです。

また、私がこだわっている「病床聖餐反対論」の根拠もウェストミンスター信仰規準への固執あってこそです。私は、病床聖餐を実際におこなっている人のことをとやかく言いたいのではなく、「私はおこなわない」と言っているだけなのですが、「なんじは病床聖餐をおこなわねばならない(must)」と強要されるときには、全面的に反対の態度をとります。とくに現在進行中の牧師不足の時代にあって、そうでなくても数少ない教師たちが(多大な時間が割かれる)病床聖餐のために「振り回される」ことは有害無益です。

いずれにせよ、私は、もし日本キリスト改革派教会が「カルヴァンとウェストミンスター信仰規準に固執すること」をやめるならば、教派存立の根拠を失うだろうと考えています。そのことを「カルヴァンが嫌った」かどうかは私にはあまり関係ないことです。「カルヴァンに愛されたい」とは思いませんので。

ところで、今日(火曜日)は、東関東中会の2010年度第二回定期会です。午前中におこなわれる付帯役員懇談会で「これからの中会形成 ~東関東中会伝道の緊急課題~」というテーマで、私が発題する予定です。その原稿が、つい先ほどやっとできあがりました。しんどいなあ・・・。

BAVINCK, Herman [1854-1921] (ヘルマン・バーフィンク)

ヘルマン・バーフィンクは、1854年12月13日、オランダ王国ドレンテのホーヘフェーンに生まれた。父ヤン・バーフィンクは、オランダ改革派教会(国教会系、Nederlandse Hervormde Kerk)の「分離派」の牧師であった。

カンペン神学校卒業後、ライデン大学神学部において1880年に神学博士号を取得した。学位論文のタイトルは「ツヴィングリの倫理学」(De Ethiek van Ulrich Zwingli)であった。フリースランドにあるフラネカーの教会にわずか一年間ながら牧師として仕えた後、1882年から1902年までカンペン神学校で教えた。

カンペンで教えている間にオランダ改革派教会(国教会系)の大分裂が起こった。バーフィンクはアブラハム・カイパー(Abraham Kuyper [1837-1920])をリーダーとする新しいオランダ改革派教会(Gereformeede Kerken in Nederlands)に移籍した。そして1902年から1921年に亡くなるまで、アムステルダム自由大学神学部におけるカイパーの後任者として、組織神学の教授であった。

政治への関心も強く、キリスト者たちの声を国会に届ける議員として活躍した。なかでも、1905年から1907年までは「反革命党」の(暫定)党首であり、また1911年には上院議長を務めた。

バーフィンクの詳細な伝記は、ここをクリックしてください。

バーフィンクの主著『改革派教義学』(Gereformeerde Dogmatiek)全四巻のオランダ語版全文が、ウェブ上に公開されています。



第一巻(1895年)


第二巻(1897年)


第三巻(1898年)


第四巻(1901年)



ENDEREN, Johannes van [1923-2004] (ヨハンネス・ファン・ヘンデレン)

ヨハンネス・ファン・ヘンデレンは、1923年4月13日、ハウダ(ゴーダ)に生まれた。



アペルドールンキリスト改革派神学大学(現「アペルドールン神学大学」)を卒業後、ユトレヒト大学で神学博士号を取得した。ユトレヒトにおける専攻は教理史であり、ヘルマヌス・ヴィトジウスについての学位論文を書いた。その後、ズットフェン教会に牧師として仕えた。そして、1954年から1993年までアペルドールンキリスト改革派神学大学の組織神学教授を務めた。



主要著作(年代順)



『信仰告白と神学』(Confessie en theologie - Kampen 1975)



『信仰と教会の連続性』(De continuiteit van geloof en kerk - Kampen 1977)



『契約と選び』(Verbond en verkiezing - Kampen 1983)



『賜物としての義認』(Gerechtigheid als geschenk. Gedachten over de rechtvaardiging door het geloof - Kampen 1988)



『改革派教義学概説』(Beknopte Gereformeerde dogmatiek (met W.H. Velema) - Kampen 1992)



『御言葉の規範に従って』(Naar de norm van het Woord - Kampen 1993)



『新しい天と新しい地』(De nieuwe hemel en de nieuwe aarde - Kampen 1994)



『教理史入門』(Orientatie in de dogmageschiedenis - Zoetermeer 1996)



『教義から頌栄へ』(Van doxa tot doxologie. In: Onthullende woorden. Opstellen aangeboden aan prof dr J. de Vuyst - Leiden 1997)



『ブルンナーと教会』(Brunner en de kerk. In: Om de Kerk. Opstellen aangeboden aan prof dr W. van't Spijker - Leiden 1997)



NOORDMANS, Oepke [1871-1956] (ウプケ・ノールトマンス)

1937年5月17日(聖霊降臨節第二主日)の青年礼拝での説教



関口 康訳



「キリスト・イエスによって命をもたらす霊の法則が、罪と死との法則からあなたを解放したからです」 (ローマの信徒への手紙8・2)



「同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます」(ローマの信徒への手紙8・26)



ペンテコステ(聖霊降臨日)は、お祝いの日です。



この日、わたしたちは、キリストはわたしたちをお見捨てになられたわけではない、ということを思い起こします。キリストは、わたしたちを助けに来てくださいます。



聖霊は、わたしたちをあらゆる真理へと導く助け主であり(ヨハネ16・13)、わたしたちが悲しんでいるときに励ましてくださる慰め主です。聖霊は、弱いわたしたちを助けてくださるのです。



主イエスは地上に来てくださいました。これが福音です。そして、天に昇られました。これが福音の終わりです。



今、わたしたちの助け、わたしたちの慰めは、どこに残っているのでしょうか。



それを知るのは、わたしたちがペンテコステをお祝いするときです。



わたしたちは、主イエスなしで、この地上に生きているわけではありません。主イエスは、わたしたちを孤児のままでおかれません(ヨハネ14・18)。それが喜びの知らせ、すなわち福音なのです。



わたしたちは、ここで、この世界の上で、ありとあらゆる力によって、丸裸のさらしものにされています。これでわたしが申し上げたいことは、主イエスは助け主として、わたしたちに福音を教えてくださるべきお方である、ということです。



主イエスは、わたしたちの目が見えないとき、見えるようにしてくださいます。



足が動かないとき、歩けるようにしてくださいます。



重い病のとき、きよめてくださいます。



悪の力にとらわれているとき、助け出してくださいます。



わたしたちが死ぬとき、よみがえらせてくださいます。



こうして、わたしたちは、今や何とか、最悪の人間と呼ばれなくて済んでいます。わたしたちが罪深い者であるとき、主イエスは、そこから救い出してくださいます。



主イエスは、そのことを、御自身の聖霊を通して行なってくださるのです。



わたしたちは、自分の頭で考えていることだけが起こりうることだ、と思い込むべきではありません。わたしたちの心の中に、別の考えが訪れることがありえます。



孤独の内に生きている人であっても、見捨てられてはいません。その人は、いかに生きるべきかを学ぶべきです。



人生は神の作品です。しかし、そうだと言い張るだけでは、まだ駄目です。そのことが、聖霊を通して、人に教えられなければなりません。



そのとき、わたしたちの命は、永遠の命になります。それが実現しないのであれば、そのとき、わたしたち人間は死んでいるのと同じです。無間の死を味わっているのと同じです。



それは、もっと古びてしまうことであり、もっと悪くなってしまうことです。それは、もっと悲惨になること、もっと醜くなることです。



そのような人生は、最も憂鬱な苦役です。そのようなことをさせるために、神は人間をお造りになったのではありません。ひとは、聖霊を受け取らなくてはなりません。そうでなければ、その人は、完成された人間とはいえません。



聖霊を受け取っていないとき、その人は、生きているのではなく、死んでいるのです。罪の赦しを与える聖霊だけが、わたしたちを、からだのよみがえりと永遠の命に、生かしめるのです。



聖霊は、今、地上に来られています。誰かがイエス・キリストを信じているなら、その人は聖霊を受け取っているのです。信仰とは、より高く、より新鮮な空気の中で呼吸することなのです。「目を上げ、心を高くあげよう!」 (賛美歌の歌詞)。



今や、聖霊がわたしたちに信じさせてくださることは、どのような事柄でしょうか。



わたしたちは、教会のメンバーとして、洗礼を受け、あるいは主の晩餐に与ることを許されている者として、使徒信条を持っています。



「われは、父なる神、イエス・キリスト、聖霊を信ず」と告白します。わたしたちは、まさに存在する何者かであるひとりの神を信じているだけではありません。そのようなことは、異教徒でも行っていることです。異教徒は、そのような神を探し求めています(使徒言行録17・27参照)。



わたしたちは、それ以上のお方を信じています。わたしたちの父なる創造者は、天地万物の創造者です。聖書によれば、主イエスは我らの贖い主です。これが福音です。



ペンテコステの聖霊は、わたしたちの慰め主です。これが使徒の働きです。



このようにして、わたしたちは、神を知るのです。聖霊は、そのことに基づいて、わたしたちに確信を与えてくださるのです。



第一に、主イエスのよみがえりがあります。もしキリストがよみがえられなかったとしたら、宣教は無駄であり、あなたの信仰も無駄になります(コリント一15・14)。



そこから聖霊が確信を与えてくださいます。ペトロはペンテコステの祝いの場で説教を行いました。聖霊は力強い論拠をお用いになります。それは、しばしば、確信の殻を叩き割る、あらゆる非日常的な論拠なのです。



そうです、あなたは、人生をとおして、永遠に向かって行かなくてはなりません。あなたは、両手・両足・五感を持つだけで、他は何にもないような人間ではありません。それらは、獣でも持っているものです。



あなたは、他のものを身につけなければなりません。あなたはキリスト教会のメンバーです。第二のアダムとしてのキリストは、あなたの先祖です。



聖霊は、あなたの弱さを助けに来てくださいます。そのとき人生は栄えるのです。霊の結ぶ実は、愛、忍耐、寛容、親切、信仰、柔和、節制(ガラテヤ5・22)。聖霊の賜物を持たない者は、落伍者です。



しかし、その人は、それらの賜物を、聖霊をとおして与えられていないわけではありません。聖霊の賜物は、他の被造物にではなく、まさに人間に与えられるものです。



信仰者も一人の人間です。希望、そして愛。聖霊の賜物に欠けているならば、枯れ果ててしまうのです。



BARTH, Karl [1886-1968] (カール・バルト)

カール・バルト[Karl Barth 1886-1968]は、スイス生まれのプロテスタント神学者。



1886年5月10日、スイス連邦バーゼルに生まれる。



父は、スイス改革派教会教師でベルン大学神学部教授のフリッツ・バルト。



カールは、ベルン大学神学部卒業後、ベルリン大学、テュービンゲン大学、マールブルク大学に留学。



教師候補者の資格を得て、ジュネーヴのドイツ語改革派教会副牧師に就職。



教師として任職された後、ザーフェンヴィル改革派教会牧師に就職。



ザーフェンヴィルでスイス社会民主党に入党。労働組合を支援し、工場経営者たちと対立。教会内で牧師排斥運動が起こる。



その後は教会の牧師としてではなく、大学教員としてゲッティンゲン大学(アメリカ長老教会の寄付に基づく改革派神学講座担当教授)、ミュンスター大学、ボン大学、バーゼル大学の各神学部で教鞭をふるい、弁証法神学運動、「ドイツ教会闘争」の理論的指導者となる。



バルトの書斎から生まれる著作の数々が、20世紀の神学的状況をリードし続けた(仕事中の写真)。



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なかでも、多く版を重ねた主著『ローマの信徒への手紙注解』 (Der Römerbrief)と、9千ページ以上に及ぶ大著『教会教義学』 (Die Kirchliche Dogmatik) 全4巻(14分冊)は、あまりにも有名。また、「バルメン神学宣言」の執筆を担当した。



[オランダ改革派神学との関係]



オランダ改革派教会、とくにNederlandse Hervormde Kerk(国教会系)とGereformeerde Kerken in Nederlands(総会派系)の二大教団は、それぞれの内部で、バルト神学の受容をめぐって分裂した。



バルトの存命中、オランダにおいてバルト神学を強く支持したことで国際的に有名になった改革派教義学者は、国教会系(NHK)では、Th. L. ハイチェマ(フローニンゲン大学教授)とK. H. ミスコッテ(ライデン大学教授)である。



また総会派系(GKN)の教義学者G. C. ベルカウワー(アムステルダム自由大学教授)は、最初はバルトを批判する側に身を置いていたが、次第にバルト擁護の立場へとスタンスを変えていったことで知られる。



ファン・ルーラーは、フローニンゲン大学神学部在学中、ハイチェマ教授の下で教義学を学ぶうちに、いったんは「純血のバルト主義者」(本人談)となるが、在学中にバルト批判に転じ、その後は、オランダで最も有力なバルト批判者の一人に数えられるまでになった。



COCCEIUS, Johannes [1603-1669](ヨハンネス・コクツェーユス)

関口 康



最近のわたしの心を魅了している問題は、十七世紀の改革派契約神学者、なかでもヨハンネス・コクツェーユス(Johannes Cocceius [1603-1669])において確立された「贖いの契約」(pactum salutis)という概念が、その後の改革派教義学における三位一体論とキリスト論と聖霊論とをつなぐ扇の要のような役割を果たしてきた経緯もしくは歴史的展開は、今日においていかなる意味を持っているのだろうか、というあたりのことです。



コクツェーユスの契約論において重要な概念は次の三つです。



「贖いの契約」(pactum salutis)
「恵みの契約」(foedus gratiae)
「わざの契約」(foedus operum)



それぞれの概念の定義は非常に難しいのですが、「贖いの契約」の内容だけは、はっきりしています。



それは、父なる神と神の御子イエス・キリストとの間の契約、すなわち「三位一体の神の内部の契約」(foedus Dei trinitatis intra)というべきものであり、「御子イエス・キリストの仲保者職への任職」(constitutio Mediatoris)です。



これに対して、「恵みの契約」も、「わざの契約」も、神と人間との間の契約です。



この「贖いの契約」(pactum salutis)は、キリスト教信仰の教義的体系化ということを考えていくためには、非常に重要であり、かつ必要不可欠な概念であると思われます。



コクツェーユスの場合は、「贖いの契約」における御父と御子との関係についても、「恵みの契約」や「わざの契約」における神と人間との関係についても、全く同じ「友情」(amicitia)という言葉で説明されます。



コクツェーユスの語る「贖いの契約」(pactum salutis)の内容と、ファン・ルーラーが「喜び」(vreugde)と呼んでいるものとは同一のものではないかと、わたしは数年前から考えてきたのですが、ファン・ルーラーのテキストの読みのほうがなかなか進まなくて(書物をじっくり読む時間が無くて)苦しんでいるところです。



裏が取れ次第、「喜びの神学の歴史的展開―カルヴァンからコクツェーユス、そしてファン・ルーラーへ―」(仮題)というような大論文でも書きたいところですが、「書きたいなあ」と、ただ思っているだけです。



御父と御子との関係も、神と人間との関係も、押しなべてコクツェーユスのように「友情」と呼ぶか、ファン・ルーラーのように「喜び」と呼ぶか。どちらも同じであると考えてよいか。



これは非常に重要な問題である、と感じています。



ENDEMANN, Samuel [1727-1789] (サムエル・エンデマン)

サムエル・エンデマンは、マールブルク大学神学部教授、改革派神学者。



著書 Institutiones theologicae dogmaticae. Tom. I-II. Hanover, 1777, 1778.



        Compendium Theologiae dogmaticae in Usum Auditorum, Frankfort-on-Main, 1782.



WITSIUS, Hermannus [1636-1708] (ヘルマヌス・ヴィトジウス)

ヘルマヌス・ヴィトシウス(Hermannus Witsius [1636-1708])年は、北ホーラントのエイクハイゼン生まれ、フローニンゲン、ライデン、ユトレヒトの各大学で学び、1656年から牧師になり、オランダ国内の三つの教会の牧会に当り、その後1675年からフラネカーで、1680年からユトレヒトで、1698年からライデンで神学教授を歴任。正統主義神学とコッツェーユスの契約神学との仲介役を務めようとしたが失敗した、とされる。



バーフィンク文献目録

1880年



「フルドリヒ・ツヴィングリの倫理学」 De ethiek van Ulrich Zwingli, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1880



1881年



Synopsis purioris theologiae, disputationes quinquaginta duabus comprehensa ac conscripta per Johannem Polyandrum, Andream Rivetum, Antonium Walaeum, Antonium Thysium, S.S. Theologiae Doctores et Professores in Academia Leidensi. Editio sexta. Curavit et praefatus est H. Bavinck, Lugduni Batavorum apud Didericum Donner, 1881



1883年



「神についての聖なる学」 De wetenschap der H. Godgeleerdheid. Rede ter aanvaarding van het leeraarsambt aan de Theologische School te Kampen, uitgesproken den 10 Jan. 1883, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1883



1884年



「ダニエル・シャンテピー・ド・ラ・サウサイェ教授の神学」 De theologie van Prof. Dr. Daniel Chantepie de la Saussaye. Bijdrage tot de kennis der ethische theologie, Leiden (D. Donner) 1884



1888年



「キリスト教の公同性と教会」 De Katholiciteit van Christendom en Kerk. Rede gehouden bij de overdracht van het rectoraat aan de Theol. School te Kampen op 18 December 1888, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1888



1889年



「雄弁について」 De Welsprekendheid. Eene lezing voor de studenten der Theol. School te Kampen, 28 November 1889, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1889



1894年



「一般恩恵」 De Algemeene Genade. Rede gehouden bij de overdracht van het rectoraat aan de Theol. School te Kampen op 6 December 1894, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1894



1895年



『改革派教義学』第一巻 Gereformeerde Dogmatiek I, Kampen (J.H. Bos) 1895



1896年



—, M. Noordtzij, D.K. Wielenga en P. Biesterveld, Opleiding en theologie, Kampen (J.H. Kok) 1896



—, M. Noordtzij, D.K. Wielenga en P. Biesterveld, Nadere verantwoording, Kampen (J.H. Kok) 1896



1897年



『改革派教義学』第二巻 Gereformeerde Dogmatiek II, Kampen (J.H. Bos) 1897



「心理学の諸原理」 Beginselen der psychologie, Kampen (J.H. Bos) 1897



Het Vierde eener Eeuw. Rede bij gelegenheid van het vijf en twintig-jarig bestaan van de „Standaard”, Kampen (J.H. Bos) 1897



1898年



『改革派教義学』第三巻 Gereformeerde Dogmatiek III, Kampen (J.H. Bos) 1898



1899年



「カンペン神学校とアムステルダム自由大学」 Theologische School en Vrije Universiteit. Een voorstel tot vereeniging, Kampen (J.H. Bos) 1899



「教会規程と学問の自由」 Het recht der Kerken en de vrijheid der wetenschap, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1899



「神学教授の職務」 Het Doctorenambt. Rede bij de overdracht van het rectoraat aan de Theologische School te Kampen op 6 Dec. 1899, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1899



1901年



『改革派教義学』第四巻 Gereformeerde Dogmatiek IV, Kampen (J.H. Bos) 1901



Ouders of getuigen. Toelichting van art. 56 en 57 der Dordsche Kerkorde, Kampen (Ph. Zalsman) 1901 (gebundelde artikelen uit De Bazuin, 31 augustus 1900 — 22 februari 1901)



「世界に打ち克つ信仰の力」 De Wereldverwinnende Kracht des Geloofs. Leerrede over 1 Joh. 5 : 4b, uitgesproken in de Burgwalkerk te Kampen den 30sten Juni 1901, Kampen (Ph. Zalsman) 1901 (ter gelegenheid van de aanwezigheid van Paul Kruger)



『賛美のいけにえ』 De offerande des Lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het heilige avondmaal, ’s-Gravenhage (Fred. H. Verschoor) [1901]1



『賛美のいけにえ』(第二版) De offerande des Lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het heilige avondmaal, ’s-Gravenhage (Fred. H. Verschoor) [1901]2



『信仰の確かさ』 De zekerheid des geloofs, Kampen (J.H. Kok) 1901



「創造か進化か」 Schepping of ontwikkeling, Kampen (J.H. Kok) 1901 (Lezing, gehouden te Arnhem, Zutphen, Amsterdam en Haarlem, 1901)



「雄弁について」 De welsprekendheid. Eene lezing, [gewijzigde herdruk], Kampen (G.Ph. Zalsman) 1901



1902年



「共に働くこと」 Samenwerking. Referaat gehouden op den 14en Bondsdag van den Nederlandschen Bond van Jongelingsvereenigingen op Geref. Grondslag [9 mei 1902] te Amsterdam, [Ermelo] (Vereeniging „De Gereformeerde Jongelingsbond”) [1902]



『現代人のモラル』 Hedendaagsche moraal, Kampen (J.H. Kok) 1902 [titelblad Nijmegen]



Blijven of heengaan? Een vraag en een antwoord, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1902



「礼拝と神学」 Godsdienst en Godgeleerdheid. Rede gehouden bij de aanvaarding van het Hoogleeraarsambt in de Theologie aan de Vrije Universiteit te Amsterdam, op Woensdag 17 December 1902, Wageningen (N.V. Drukkerij „Vada”) 1902



1903年



「召命と再生」 Roeping en wedergeboorte, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1903 (eerder verschenen in 40 artikelen onder de titel ‘Onmiddellijke wedergeboorte’ in De Bazuin van 29 maart 1901 tot 2 mei 1902)



『ダニエル・シャンテピー・ド・ラ・サウサイェ教授の神学』(第二版) De theologie van Prof. Dr. Daniel Chantepie de la Saussaye. Bijdrage tot de kennis der ethische theologie, Leiden (Donner) 1903 2



「賛美のいけにえ」(第三版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilige Avondmaal, ’s-Gravenhage (Verschoor) [1903]3



『信仰の確かさ』 De zekerheid des geloofs, Kampen (J.H. Kok) 19032



1904年



De Unie „Een school met den Bijbel”. Feestrede, Utrecht (De Unie „Een school met den Bijbel”) 1904 (gehouden bij gelegenheid van de herdenking van het 25-jarig bestaan van de Unie „Een school met den Bijbel”, op Donderdag 7 April 1904 in het Gebouw voor Kunsten en Wetenschappen te Utrecht)



『キリスト教的な学問』 Christelijke wetenschap, Kampen (J.H. Kok) 1904



『教育原理』 Paedagogische beginselen, Kampen (J.H. Kok) 1904



「キリスト教世界観」 Christelijke wereldbeschouwing. Rede bij de overdracht van het rectoraat aan de Vrije Universiteit te Amsterdam op 20 october 1904, Kampen (J.H. Bos) 1904



「キリスト教学の将来」 De toekomst van het christelijk onderwijs. Rapport en advies door het bestuur van de Vereeniging voor Gereformeerd Schoolonderwijs aangeboden aan de eerstkomende Algemeene Vergadering, [samengesteld door M. Noordtzij, H. Bavinck, e.a.], Kampen (J.H. Bos) 1904



1905年



— en anderen, Advies inzake het Gravamen tegen Artikel XXXVI der Belijdenis, Amsterdam etc. (Heker en Wormser) 1905



「キリスト教政治と中立政治」 Christelijke en neutrale staatkunde. Rede ter inleiding van de deputatenvergadering, gehouden te Utrecht, op 13 April 1905, Hilversum (Witzel & Klemkerk) [1905]



「知識と学問」 Geleerdheid en wetenschap. Rede uitgesproken bij de opening der lessen aan de Vrije Universiteit te Amsterdam, op 20 september 1905, Amsterdam (Heker & Wormser) [1905]



『賛美のいけにえ』(第四版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het heilige Avondmaal, ’s-Gravenhage (De Mildt) [1905]4



1906年



「改革派学校同盟の課題」 De taak van het Gereformeerd Schoolverband, Hilversum (Klemkerk) [1906] (Voor onderwijs en opvoeding, 1) (Rede gehouden op de tweede algemeene vergadering van „Gereformeerd Schoolverband” te Utrecht, 10 okt. 1906)



『ビルダーデイク 思想家にして詩人』 Bilderdijk als denker en dichter, Kampen (J.H. Kok) 1906 (uitgegeven ter gelegenheid van de 150ste geboortedag van Willem Bilderdijk)



『改革派教義学』第一巻(第二版) Gereformeerde Dogmatiek I, Kampen (J.H. Kok) 1906 2



「キリスト教の本質」 Het Wezen des Christendoms, overdruk uit: Almanak van het studentencorps der Vrije Universiteit voor het jaar 1906, Amsterdam (Herdes) 1906, 251-277



1907年



Peter Gijsbert Buekers en —, Evolutie, Baarn (Hollandia-drukkerij) 1907 (Pro en Contra Betreffende Vraagstukken van Algemeen Belang, Serie III, No. 3)



「キリスト教世界観」 Christliche Weltanschauung, ・ersetzt von Hermann Cuntz, Heidelberg (Carl Winter) 1907 (vertaling van Christelijke wereldbeschouwing, 1904)



『賛美のいけにえ』(第五版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het heilige avondmaal, ’s-Gravenhage (Verschoor) [1907]5



1908年



「キリスト教的諸原理と社会的諸関係」 Christelijke beginselen en maatschappelijke verhoudingen, Utrecht (Ruys) 1908 (Christendom en maatschappij, serie 1, nr. 1) [opgenomen in Verzamelde Opstellen, 121-150]



『クリスチャンホーム』 Het christelijk huisgezin, Kampen (J.H. Kok) 1908



『啓示の哲学』 Wijsbegeerte der openbaring. Stone-lezingen voor het jaar 1908, gehouden te Princeton N.J., Kampen (J.H. Kok) 1908 (bevat ook andere Amerikaanse lezingen)



『改革派教義学』第二巻(第二版) Gereformeerde Dogmatiek II, Kampen (J.H. Kok) 1908 2



『賛美のいけにえ』(第六版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilige Avondmaal, ’s-Gravenhage (De Mildt) 1908 6



1909年



『啓示の哲学』(英語版) The Philosophy of Revelation. The Stone Lectures for 1908-1909, Princeton Theological Seminary, New York (Longmans, Green & Co.) 1909 (10 lezingen, waarvan alleen de 7 eerste in Princeton werden gehouden)



『啓示の哲学』(ドイツ語版) Philosophie der Offenbarung, Vorlesungen (Stone Lectures) fuer das Jahr 1908 gehalten in Princeton N.J. von Herman Bavinck, o. Professor der Theologie in Amsterdam. Autorisierte Uebersetzung aus dem Hollaendischen von Hermann Cuntz, Heidelberg (Carl Winter’s Universitaetsbuchhandlung) 1909 [in opbouw]



『神の大いなるみわざ』 Magnalia Dei. Onderwijzing in de christelijke religie naar gereformeerde belijdenis, Kampen (J.H. Kok) 1909



『ジャン・カルヴァン』 Johannes Calvijn. Eene lezing ter gelegenheid van den vierhonderdsten gedenkdag zijner geboorte: 10 Juli 1509-1909, Kampen (J.H. Kok) 1909



『雄弁について』(第三版) De welsprekendheid. Eene lezing, Kampen (G.Ph. Zalsman) 1909 3



1910年



『改革派教義学』第三巻(第二版) Gereformeerde Dogmatiek III, Kampen (J.H. Kok) 1910 2



1911年



『モダニズムと正統主義』 Modernisme en Orthodoxie. Rede gehouden bij de overdracht van het Rectoraat aan de Vrije Universiteit op 20 October 1911, Kampen (J.H. Kok) [1911]



『改革派教義学』第四巻(第二版) Gereformeerde Dogmatiek IV, Kampen (J.H. Kok) 1911 2



『賛美のいけにえ』(第六版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilige Avondmaal, Kampen (J.H. Kok) 1911 6



『賛美のいけにえ』(第七版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilige Avondmaal, Kampen (J.H. Kok) 1911 7



1912年



『キリスト教』 Het Christendom, Baarn (Hollandia-drukkerij) 1912 (Groote godsdiensten, Serie II, No. 7)



「改革派学校同盟の課題」 De taak van het Gereformeerd Schoolverband, Hilversum (Klemkerk) [1912]2 (Voor onderwijs en opvoeding, 1) (Rede gehouden op de tweede algemeene vergadering van „Gereformeerd Schoolverband” te Utrecht, 10 okt. 1906)



『クリスチャンホーム』(第二版) Het christelijk huisgezin, Kampen (J.H. Kok) 1912 2



1913年



『キリスト教礼拝研究ハンドブック』 Handleiding bij het onderwijs in den christelijken godsdienst, Kampen (J.H. Kok) 1913



『伝道について』 Evangelisatie, Utrecht (Ruys) 1913 (Christendom en maatschappij, serie 5, nr. 9)



『キリスト教世界観』(第二版) Christelijke wereldbeschouwing. Rede bij de overdracht van het rectoraat aan de Vrije Universiteit te Amsterdam op 20 october 1904, Kampen (J.H. Kok) 1913 2 (vgl. bij 1904 en 1929)



1914年



—, H. Visscher en H.J. van Wijlen, De opleiding van den onderwijzer, Amsterdam (De Standaard) [1914] (Voor onderwijs en opvoeding, 9) (Rapport voor de Algemeene Vergadering van „Gereformeerd Schoolverband”)



『戦争の問題』 Het probleem van den oorlog, Kampen (J.H. Kok) 1914 (verbeterde uitgave van een opstel verschenen in Stemmen des Tijds 4 (1914v) 1 (nov. 1914) [opnieuw uitgegeven in Oorlog en Christendom, 30-58]



1915年



Anne Anema, —, Pieter Arie Diepenhorst, Theodorus Heemskerk en Simon de Vries Czn, Leider en leiding in de Anti-Revolutionaire Partij, Amsterdam (Ten Have) 1915, 19152



「無意識について」 Over het onbewuste, Amsterdam (Kirchner) 1915 (Referaat gehouden op de Wetenschappelijke samenkomst der Vrije Universiteit op 7 juli 1915)



Feestrede, gehouden bij gelegenheid van de herdenking van het 25-jarig bestaan van den Schoolraad voor de Scholen met den Bijbel, op Woensdag 7 April 1915, in het Gebouw voor Kunsten en Wetenschappen te Utrecht, s.l. (Schoolraad voor de Scholen met den Bijbel) [1915]1, 2



「オランダにおける心、宗教、社会の力」 Mental, Religious and Social Forces in the Netherlands, published for the P.P.I.E., The Hague (Commercial Department of the Netherlands Ministry of Agrculture, Industry and Commerce) [1915] (A General View of the Netherlands, XVII)



1916年



De overwinning der ziel. Rede uitgesproken in de algemeene vergadering van het achtste Nederlandsche philologencongres te Utrecht, 26 april 1916, Kampen (J.H. Kok) 1916



De opvoeding der rijpere jeugd, Kampen (J.H. Kok) 1916



1917年



De nieuwe opvoeding, Kampen (J.H. Kok) 1917



1918年



「キリストへの聴従と現代人の生」 De navolging van Christus en het moderne leven, Kampen (J.H. Kok) [1918] (Schild en pijl, jaargang 1, aflevering 3) [opgenomen in Kennis en Leven, 115-144]



『現代社会における女性』 De vrouw in de hedendaagsche maatschappij, Kampen (J.H. Kok) 1918



『改革派教義学』全四巻(第三版) Gereformeerde Dogmatiek I-IV, Kampen (J.H. Kok) 1918 3



『賛美のいけにえ』(第九版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilige Avondmaal, Kampen (J.H. Kok) [1918]9



『雄弁について』(第四版) De welsprekendheid. Een lezing, Kampen (J.H. Kok) 1918 4



『信仰の確かさ』(第三版) De zekerheid des geloofs, Kampen (J.H. Kok) 1918 3



1919年



『創造か進化か』(第二版) Schepping of ontwikkeling, Kampen (J.H. Kok) 1919 2



1920年



「キリスト教、戦争、市民契約」 Christendom, Oorlog, Volkenbond, Utrecht (G.J.A. Ruys) 1920; herdruk, met naschrift, van 2 artikelen in Stemmen des tijds, 9 (1919) 1,1-26, 2,105-133 (nov.-dec. 1919) [opnieuw uitgegeven in Oorlog en Christendom, 84-125]



「聖書と宗教に基づく心理学」 Bijbelsche en religieuze psychologie, Kampen (J.H. Kok) 1920 (bundeling van artikelen uit Orgaan van het Gereformeerd Schoolverband, 1912-1920)



『賛美のいけにえ』(第十版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilige Avondmaal, Kampen (J.H. Kok) [1920]10



1921年



Verzamelde opstellen op het gebied van godsdienst en wetenschap, met een woord vooraf van Coenraad Bernardus Bavinck, Kampen (J.H. Kok) 1921



1922年



「認識と生」 Kennis en Leven. Opstellen en artikelen uit vroegere jaren, verzameld door Ds C.B. Bavinck, Kampen (J.H. Kok) 1922 (gebundelde opstellen uit de jaren 1880-1918)



『賛美のいけにえ』(英語版) The Sacrifice of Praise. Meditations before and after receiving access to the table of the Lord, translated by Rev. John Dolfin. - 2nd ed. - Grand Rapids, Mich. (Kregel) 1922 2 (vertaling van De offerande des lofs, 1901)



1923年



『心理学の諸原理』(第二版) Beginselen der psychologie, bezorgd door V. Hepp, Kampen (J.H. Kok) 1923 2



1928年



『改革派教義学』第一巻(第四版) Gereformeerde Dogmatiek I, Kampen (J.H. Kok) 1928  4



De nieuwe opvoeding, Kampen (J.H. Kok) 1928 2



『教育原理』(第三版) Paedagogische beginselen, Kampen (J.H. Kok) 1928 3



『改革派教義学』第二巻(第四版) Gereformeerde Dogmatiek II, Kampen (J.H. Kok) 1928 4



1929年



『改革派教義学』第三巻(第四版) Gereformeerde Dogmatiek III, Kampen (J.H. Kok) 1929 4



『キリスト教世界観』(第三版) Christelijke wereldbeschouwing. Rede bij de overdracht van het rectoraat aan de Vrije Universiteit te Amsterdam op 20 october 1904, Kampen (J.H. Kok) 1929 3 (vgl. bij 1904 en 1913)



1930年



『改革派教義学』第四巻(第四版) Gereformeerde Dogmatiek IV, Kampen (J.H. Kok) 1930 4



『クリスチャンホーム』(第三版) Het Christelijk huisgezin, Kampen (J.H. Kok) 1930 3



1931年



『神の大いなるみわざ』(第二版) Magnalia Dei. Onderwijzing in de christelijke religie naar gereformeerde belijdenis, met een voorrede van C.B. Bavinck, Kampen (J.H. Kok) 1931 2



1932年



Handleiding bij het onderwijs in den christelijken godsdienst, Kampen (J.H. Kok) 19322



De opvoeding der rijpere jeugd, Kampen (J.H. Kok) 19322



1935年



L. ファン・デア・ツウェープ著『バーフィンクの教育学』 De paedagogiek van Bavinck, met een inleiding tot zijn werken door L. van der Zweep, Kampen (J.H. Kok) [1935] (bevat bloemlezing uit de werken van Bavinck)



1940年



『賛美のいけにえ』(第十五版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilig Avondmaal, Kampen (J.H. Kok) [1940]15



1948年



『賛美のいけにえ』(第十六版) De offerande des lofs. Overdenkingen voor en na de toelating tot het Heilig Avondmaal, Kampen (J.H. Kok) [1948]16



1951年



『神論』(『改革派教義学』からの抜粋の英語版) The doctrine of God, translated, edited and outlined by William Hendriksen, Grand Rapids, Mich. (Eerdmans) 1951 (vgl. bij 1979)



1953年



『啓示の哲学』(英語版) The Philosophy of Revelation, Grand Rapids, Mich. (Eerdmans), 1953 (reprint uitgave 1909) (L.P. Stone lectures 1908-1909 e.a.)



1956年



『神の大いなるみわざ』(英語版) Our reasonable faith, translated by Henry Zylstra, Grand Rapids, Mich. (Eerdmans) 1956 (vertaling van Magnalia Dei, 1909 vgl. bij 1977)



1964年



Synopsis of overzicht van de zuiverste theologie samengevat in twee en vijftig verhandelingen en beschreven door Johannes Polyander, Andreas Rivetus, Antonius Walaeus, Antonius Thysius . . . Naar de zesde uitgave bezorgd en van voorrede voorzien door H. Bavinck . . . In de Nederlandse taal overgezet door Dirk van Dijk, deel 1, Enschede (J. Boersma) 1964 (vgl. bij 1966 en 1975)



1966年



Synopsis of overzicht van de zuiverste theologie samengevat in twee en vijftig verhandelingen en beschreven door Johannes Polyander, Andreas Rivetus, Antonius Walaeus, Antonius Thysius . . . Naar de zesde uitgave bezorgd en van voorrede voorzien door H. Bavinck . . . In de Nederlandse taal overgezet door Dirk van Dijk, deel 2, Enschede (J. Boersma) 1966 (vgl. bij 1964)



1967年



『改革派教義学』全四巻(第五版) Gereformeerde dogmatiek I-IV, Kampen (J.H. Kok) 1967 5



1968年



『キリスト教の公同性と教会』(第二版) De katholiciteit van Christendom en kerk, ingeleid door G. Puchinger, Kampen (J.H. Kok) 19682



1975年



Synopsis of overzicht van de zuiverste theologie samengevat in twee en vijftig verhandelingen en beschreven door Johannes Polyander, Andreas Rivetus, Antonius Walaeus, Antonius Thysius . . . Naar de zesde uitgave bezorgd en van voorrede voorzien door H. Bavinck . . . In de Nederlandse taal overgezet door Dirk van Dijk, deel 1, Enschede (J. Boersma) 19752 (tweede druk niet verder verschenen, vgl. bij 1964 en 1966)



1976年



『改革派教義学』全四巻(第六版) Gereformeerde dogmatiek I-IV, Kampen (J.H. Kok) 1976 6



1977年



『神の大いなるみわざ』(英語版、再版) Our reasonable faith, translated by Henry Zylstra, Grand Rapids, Mich. (Baker Book House) 1977 (reprint) (vertaling van Magnalia Dei, 1909, vgl. bij 1956)



1979年



『神論』(英語版、再版) The doctrine of God, translated, edited and outlined by William Hendriksen, Edinburgh (The Banner of Truth Trust) 1979 (reprint van de uitgave 1951)



1980年



『信仰の確かさ』(英語版) The certainty of faith, [translated by Harry der Nederlanden], St. Catherines, Ontario (Paideia Press) 1980 (vertaling van De zekerheid des geloofs, Kampen (J.H. Kok) 1901, vgl. ook onder 1998)



1994年



‘Als Bavinck nu maar eens kleur bekende’. Aantekeningen van H. Bavinck over de zaak-Netelenbos, het Schriftgezag en de situatie van de Gereformeerde Kerken (november 1919), bezorgd door G. Harinck, C. van der Kooi en J. Vree, Amsterdam (VU Uitgeverij) 1994



1996年



『終末論』(『改革派教義学』からの抜粋、英語版) The last things. Hope for this world and the next, edited by John Bolt, translated by John Vriend, Grand Rapids (Baker Books), Carlisle (Paternoster Press) 1996 (vertaling van Gereformeerde dogmatiek IV, hoofdstuk 11, Over de laatste dingen)



1998年



『改革派教義学』全四巻(第七版) Gereformeerde dogmatiek I-IV, Kampen (Kok) 1998 7 (in twee banden)



Mijne reis naar Amerika, bezorgd en toegelicht door George Harinck, Barneveld (De Vuurbaak) 1998 (Ad Chartas-reeks 2)



『信仰の確かさ』(英語版) The certainty of faith, [translated by Harry der Nederlanden], Potchefstroom (Institute for Reformational Studies) 1998 (Scientific contributions of the PU for CHE. Ser. F1, IRS study pamphlets, nr. 364) (vertaling van De zekerheid des geloofs, Kampen (J.H. Kok) 1901, vgl. ook onder 1980)



1999年



『創造論』(『改革派教義学』からの抜粋、英語版)In the beginning. Foundations of creation theology, edited by John Bolt, translated by John Vriend, Grand Rapids, Mich. (Baker Books) 1999 (vertaling van: Gereformeerde dogmatiek II, hoofdstuk 5, Over de wereld in haar oorspronkelijke staat)



『ライデンの友情』 Een Leidse vriendschap. De briefwisseling tussen Herman Bavinck en Christiaan Snouck Hurgronje, 1875-1921, J. de Bruijn en G. Harinck (red.), Baarn (Ten Have) 1999 (Passage 11)



世界の「キリスト教民主党」

アルバニア Albania
Albanian Christian Democratic Movement
Christian Democratic Party



アンドラ Andorra
Andorran Democratic Centre (Centre Demòcrata Andorrà, CDA)



アンティグア・バーブーダ Antigua and Barbuda
First Christian Democratic Party



アルゼンチン Argentina
Christian Democratic Party (Partido Demócrata Cristiano, PDC)



アルバ Aruba
Aruban People's Party (Arubaanse Volkspartij/Partido di Pueplo Arubano, AVP)



オーストラリア Australia
Democratic Labor Party
Christian Democratic Party



オーストリア Austria
Austrian People's Party



ベラルーシ Belarus
Belarusian Christian Democracy (BCDP) (in process of registration)
Conservative Christian Party of the Belarusian People's Front



ベルギー Belgium
Christian Democratic and Flemish (Christen-Democratisch en Vlaams, CD&V) (オランダ語)
Humanist Democratic Centre (Centre démocrate humaniste, CDH) (フランス語)
Citizens' Movement for Change (フランス語)
Christian Social Party (Belgium) (ドイツ語)
Christene Volkspartij (現在活動していない) (オランダ語)
Christian Social Party (Belgium, 現在活動していない) (オランダ語ならびにフランス語)



ボリビア Bolivia
Christian Democratic Party (Partido Democrata Cristiano, PDC)



ボスニア・ヘルツェゴビナ Bosnia and Herzegovina
Christian Democrats
Croatian Democratic Union of Bosnia and Herzegovina
Croatian Peasant Party - New Croatian Initiative (Nova Hrvatska Inicijativa, NCI-S)



ブラジル Brazil
Christian Social Democratic Party (Partido da Social Democracia Brasileira)
Democrats (Democratas, former PFL)



ブルガリア Bulgaria
Bulgarian Christian Coalition
Union of the Democratic Forces (Saiuz na demokratichnite sili, UDF-BG)



カナダ Canada
Parti démocratie chrétienne du Québec



チリ Chile
Christian Democratic Party of Chile (Partido Demócrata Cristiano de Chile, PDC)



コロンビア Colombia
Christian National Party
Christians for Community



コンゴ・キンシャサ Congo-Kinshasa
Christian Democrat Party
Congolese Alliance of Christian Democrats
Democratic Social Christian Party (Parti Democrate Social Chretien, PDSC)
Federalist Christian Democracy-Convention of Federalists for Christian Democracy



コスタリカ Costa Rica
Social Christian Unity Party (Partido de Unidad Socialcristiana, PUSC)



クロアチア Croatia
Croatian Christian Democratic Party (現在活動していない)
Croatian Christian Democratic Union (Hrvatska demokratska zajednica, HDZ)
Croatian Demochristians (現在活動していない)
Croatian Demochristian Party
Croatian Democratic Union
Croatian Democratic Party (現在活動していない)



キューバ Cuba
Christian Democratic Party of Cuba (Partido Demócrata Cristiano de Cuba, PDC)
Cuban Democratic Project



キプロス Cyprus
Democratic Rally (Dimokratikos Synagermos, DISY)



チェコ共和国 Czech Republic
Christian Democratic Union - Czechoslovak People's Party (Křesťanská a demokratická unie – Československá strana lidová, KDU–ČSL)
Christian Democratic Party (のちにCivic Democratic Partyと合併)



デンマーク Denmark
Christian Democratic Party (Kristendemokraterne, KD-DK)



ドミニカ共和国 Dominican Republic
Christian Democratic Union
Quisqueyano Christian Democratic Party
Social Christian Reformist Party (Partido Reformista Social Cristiano, PRSC)



東ティモール East Timor
Christian Democratic Party
Christian Democratic Party of Timor



エクアドル Ecuador
People's Democracy-Christian Democratic Union (Democracia Popular-Unión Demócrata Cristiana, DP/UDC)



エルサルバドル El Salvador
Christian Democratic Party (El Salvador) (Partido Demócrata Cristiano, PDC)



エストニア Estonia
Party of Estonian Christian Democrats



欧州連合 European Union
European People's Party



フィジー Fiji
Christian Democratic Alliance (現在活動していない)



フィンランド Finland
Christian Democrats



フランス France
Union for French Democracy
Democratic and Social Centre (現在活動していない)
People's Republican Movement (現在活動していない)



ジョージア Georgia
Christian Democrat Union of Georgia (CDUG)



ドイツ Germany
Centre Party
Christian Democratic Union (Germany) (Christlich Demokratische Union Deutschlands, CDU)
Christian Social Union of Bavaria
Christian Democratic Union (東ドイツ) (現在活動していない)



ジブラルタル Gibraltar
New Gibraltar Democracy



ギリシア Greece
Popular Orthodox Rally



グアテマラ Guatemala
Guatemalan Christian Democracy (Democracia Cristiana Guatemalteca, DCG)



ハイチ Haiti
Christian Democratic Party



ホンジュラス Honduras
Christian Democratic Party of Honduras (Partido Demócrata Cristiano de Honduras, PDC)



ハンガリー Hungary
Christian Democratic People's Party
Fidesz - Hungarian Civic Union (Fidesz – Magyar Polgári Szövetség, FIDESZ)
Hungarian Democratic Forum (Magyar Demokrata Fórum, MDF)



インドネシア Indonesia
Christian Democratic Party Indonesia
Kristen Katolik Indonesia



アイルランド Ireland
Fine Gael (FG)



イタリア Italy
Movement for Autonomy
New Christian Democracy
Union of Christian and Centre Democrats (Unione dei Democratici Cristiani e di Centro, UDC)
UDEUR Populars
Christian Democracy (Italy, current)
Christian Democracy (Italy, historical)
Forza Italia (現在活動していない)



コソボ Kosovo
Albanian Christian Democratic Party of Kosovo



レバノン Lebanon
Christian Democratic Party of Lebanon (Union Chretienne Democrate Libanaise (UCDL))



ラトビア Latvia
Latvia's First Party



リトアニア Lithuania
Homeland Union – Lithuanian Christian Democrats (Lietuvos Krikščionys Demokratai, LKD)
Lithuanian Christian Democrats (現在活動していない)



ルクセンブルク Luxembourg
Christian Social People's Party (Chrëschtlech Sozial Vollekspartei, CSV)



マルタ Malta
Nationalist Party (Malta) (Partit Nazzjonalista, PN)



マケドニア Macedonia
VMRO–DPMNE



メキシコ Mexico
National Action Party (Mexico) (Partido Acción Nacional, PAN)



モルドバ Moldova
Peasants' Christian Democratic Party
Popular Christian Democratic Party
Christian-Democratic People's Party (Moldova) (Partidul Popular Creştin Democrat)



ナミビア Namibia
Christian Democratic Party (現在活動していない)
Christian Democratic Union (現在活動していない)
Damara Christian Democratic Party (現在活動していない)
Namibia Christian Democratic Party (現在活動していない)



オランダ Netherlands
Christian Democratic Appeal (Christen Democratisch Appèl, CDA)(三つの解散したキリスト教民主党が合併)
Anti Revolutionary Party (現在活動していない。1879年にアブラハム・カイパーが創設した世界初のキリスト教民主党)
Catholic People's Party (現在活動していない)
Christian Historical Union (現在活動していない)
Christian Union (二つの解散したキリスト教民主党が合併)
Reformed Political Alliance (現在活動していない)
Reformatory Political Federation (現在活動していない)
Reformed Political Party (党方針をめぐる対立により反革命党(ARP)から1918年に分裂)



オランダ領アンティル Netherlands Antilles
National People's Party (Curaçao) (Nationale Volkspartij)



ニュージーランド New Zealand
The Kiwi Party



ニカラグア Nicaragua
Nicaraguan Christian Democratic Union
Nicaraguan Social Christian Party
Popular Social Christian Party (現在活動していない)



ノルウェイ Norway
Christian Democratic Party (Norway) (Kristelig Folkeparti, KrF)



パナマ Panama
People's Party



パラグアイ Paraguay
Partido Democrata Cristiano (PDC)



パプアニューギニア Papua New Guinea
Christian Democratic Party



ペルー Peru
Christian Democrat Party(Union Democrata Cristiana (UDC))
Christian People's Party (Peru) (Partido Popular Cristiano, PPC)



フィリピン Philippines
Lakas-Christian Muslim Democrats (Pilipino-Christian Muslim Democrats (Lakas-Kampi-CMD))



ポーランド Poland
Civic Platform
Law and Justice
Polish People's Party



ポルトガル Portugal
Democratic and Social Center / People's Party



ルーマニア Romania
Christian Democratic People's Alliance
Christian Democratic People's Party
National Democratic Christian Party (Partidul Naţional Ţărănesc, PNŢCD)
New Generation Party – Christian Democratic
Romániai Magyar Kereszténydemokrata Párt (RNKDM)



ロシア Russia
Union of Christian Democrats of Russia (CDU-CR)



ルワンダ Rwanda
Christian Democratic Party



サモア Samoa
Christian Democratic Party (現在活動していない)
Samoan Democratic United Party



サンマリノ San Marino
Sammarinese Christian Democratic Party (Partito Democratico Cristiano Sammarinese, PDCS)



サントメ・プリンシペ São Tomé and Príncipe
Christian Democratic Front



セルビア Serbia
Christian Democratic Party of Serbia (Demohrišćanska Stranka Srbije, DHSS)



スロバキア Slovakia
Christian Democratic Movement (Kresťanskodemokratické hnutie-BG, KDH)
Party of the Hungarian Coalition (Strana maďarskej koalície, SMK-MKP)
Slovak Democratic and Christian Union – Democratic Party (Slovenská demokratická a kresťanská únia – Demokratická strana, SDKÚ-DS)



スロベニア Slovenia
New Slovenia (Nova Slovenija, NSi)
Christian Democratic Party



南アフリカ South Africa
African Christian Democratic Party
United Christian Democratic Party
Christian Democratic Alliance
Christian Democratic Party (South Africa)
Christen Party/Christian Party (South Africa)



スペイン Spain
Basque Nationalist Party
Democratic Union of Catalonia
People's Party (Partido, Popular, PP)



スウェーデン Sweden
Christian Democrats (Sweden) (Kristdemokraterna, KD)



スイス Switzerland
Christian Democratic People's Party of Switzerland (Christlichdemokratische Volkspartei/Parti démocrate-chrétien , CDP,PDC)
Evangelical People's Party of Switzerland (Evangelische Volkspartei der Schweiz, EVP)
Federal Democratic Union



シリア Syria
Christian Democratic Party of Syria



ウクライナ Ukraine
Christian Democratic Union (Ukraine)(Християнсько-демократичний союз, CDU)
Party of Christian-Popular Union (現在活動していない)



イギリス United Kingdom
Christian Peoples Alliance
Christian Democratic Party



ウルグアイ Uruguay
Christian Democratic Party of Uruguay (Partido Demócrata Cristiano, PDC)



ベネズエラ Venezuela
Copei – Social Christian Party of Venezuela (Partido Social Cristiano de Venezuela)



序章 改革派教義学の「改定」の流れ

我々の方針は、きわめて簡明かつ具体的なものである。我々は「改革派教義学」というものを無の状態から創出する(creatio ex nihilo)のではなく、それの「改訂」を行っているという自覚のもとに執筆作業を進めていくのである。



日本キリスト改革派教会を足場にする神学を営む者たちにとって、この目標は理解しやすいものである。岡田稔著『改革派教理学教本』(新教出版社、1969年)がある。古くなったこの本を新しい時代に適した教本へと作り直せばよい。我々が取り組むべき課題は、より端的に言えば、岡田教本の全面改訂作業なのである。



岡田教本は従来のさまざまな教義学教本を参照しているが、その中で最も強く依拠しているのがアメリカのカルヴァン神学校で教えたルイス・ベルコフ(Louis Berkhof [1873-1957])の『組織神学』(Systematic Theology)であるということは明白である。このベルコフの教本の初版は『改革派教義学』(Reformed Dogmatics)というタイトルで出版された。そして、そのベルコフは自分の教義学教本をオランダの、特にヘルマン・バーフィンク(Herman Bavinck [1854-1921])の『改革派教義学』(Gereformeerde Dogmatiek)を参照しながら書いたのである。



つまり、事柄を単純化して言うならば、岡田教本の改訂作業に取り組む者たちは、岡田が依拠したベルコフの教本の土台とされたバーフィンクの教本を精読し、その長所と短所を見抜きつつ、問題点を克服し、今日的により説得力のある神学的表現を獲得していくという仕事を避けて通ることができないのである。



バーフィンクは、19世紀末から20世紀初頭までのアムステルダム自由大学で教義学を教えた人である。バーフィンクの分厚い書物が改革派教義学の新しい一時代を切り開いた。ただし、この本を読むことができるのは、オランダ語を理解できるごく少数の人々だけであった。



しかし、前世紀の終わりごろ、我々に朗報が伝えられた。バーフィンクの『改革派教義学』の全巻がアメリカの「オランダ改革派神学翻訳協会」(Dutch Reformed Translation Society)によって英訳され、全世界的に読まれはじめた。バーフィンク研究が国際的に展開していくのは、これから、すなわち21世紀以降である。



とはいえバーフィンクが1921年に亡くなった人であること、つまり、カール・バルト(Karl Barth [1886-1968])の全盛期を知らない世代の教義学者であるということは否定できない。神学思想史的に見て時代遅れの神学であると判断されても仕方ない。ここに「改訂」の必要性が生じる。



バーフィンクの立場を基本的に受け継ぎながらバルト神学との対話を試みたのは、アムステルダム自由大学における教義学講座の後継者ヘリット・コルネーリス・ベルカウワー(Gerrit Cornelis Berkouwer [1903-1996]) である。



ところが、ベルカウワーの主著『教義学研究』(Dogmatische studien)はバーフィンクの基本路線の中にバルトの言葉を入れ子にして全体を膨らましただけのようなものであり、ベルカウワー自身の神学を真に新しく展開しているものとは言いがたく、いくらか物足りないところがある。



我々が願っているのは、いみじくもベルカウワーが示してくれたように、バーフィンクにバルトをぶつけることによって「正・反・合」の弁証法的止揚が起こること、そのようにして真に新しい改革派教義学の展開が始まることである。



そして、ユニークさと斬新さにおいて他の追随を許さないのは、ベルカウワーと同時代に活躍したアーノルト・アルベルト・ファン・ルーラー (Arnold Albert van Ruler [1908-1970])の神学である。ファン・ルーラーが行った数多くの神学的問題提起が「ポスト・バルト時代の改革派神学」の新しい可能性を示した。ただし、62歳で亡くなったファン・ルーラーは、彼自身の体系書を書き表すことができなかった。断片としてのみ残っているファン・ルーラーの着想を体系化していく仕事は、彼の遺産を受け継ぐ世代の者たちに遺された。



このようにして、「改革派教義学」の今日的な課題に真剣に取り組んでいくこと、そして、その結実を日本の教会に紹介していくことこそが、我々の使命である。



しかしまた、外国語の書物を日本語に翻訳して紹介すれば事が済むわけではなく、日本の社会と教会の状況に応じた日本語の書物が書かれる必要がある。



関口康日記の2008年1月15日の記事からの抜粋に加筆修正)



キリスト教倫理


世界で初めて結成されたキリスト教民主党「反革命党」の初代党首アブラハム・カイパー(Abraham Kuyper [1837-1920]、オランダ国会図書館所蔵)

■ はじめのことば

関口 康

「キリスト教倫理(Christian Ethics)とは要するに何なのか」という問題を考えていくために最も手っ取り早くかつ実りある方法は、もし自分の国に公党としての「キリスト教政党」なるものが存在し、その党に自分が(国会議員としてでなくても一党員として)所属しているとしたら、そのとき我々はどのような政策を現実に提案することができるだろうかとあれこれ思索してみることを置いて他にないだろうと、私は長年考えてきました。

社会の中で生きているキリスト者に常に問われているのは、その信仰に基づいて思い描かれる「人」と「国」のあり方を「政策」という具体的な形で提案できるかどうかです。それが不可能な場合には、その信仰はどこか抽象化しすぎているのです。

しかしまた、他方で、我々が日本国内でたとえば「キリスト教民主党」(Christian Democratic Party)を云々することがどれほど困難で危険を伴うことであり、また、どれほど虚しさや惨めさが漂う取り組みであるかも、よく分かっているつもりです。

そして、そのようなものがわが国に生まれる可能性というような次元に至っては、どれほど早くても半世紀ないし一世紀以上先のことであるという点も明言しておかねばならないほどです。

しかし、国際社会に目を転じてみますと、「キリスト教民主党」を名乗る政党が世界80数か国に存在し、力強い活動を続けていることが分かります(「世界のキリスト教民主党一覧」参照)。なかでもオランダとドイツの「キリスト教民主党」は、現在の政権与党を担当していることで特に有名です。

これで分かることは、「キリスト教民主党」という具体的な形式をもってのキリスト者の政治参加(Christian Political Engagement)は、理論上の空想にすぎないものではなく、世界史の過去と現在において多くの実践事例があり、成功と失敗の歴史があるということです。

そして私がしきりに考えさせられていることは、日本におけるキリスト者の社会的発言と実践の目標は何なのかということです。どうしたらこの国の政治の場に、わたしたちキリスト者の声が、歪められることなく正しく届くのでしょうか。

「教会は政治問題を扱う場ではない」と語られることが多くなった昨今、それではキリスト者は、いつ、どこで、どのようにして政治に参加すべきでしょうか。

それとも、そもそも「キリスト者としての政治参加」(Political Engaging as a Christian)ということ自体がもはや無理なことであり、今日においては時代遅れであると言われなければならないのでしょうか。我々が「キリスト者として」立ちうるのはもっぱら教会の内部だけであり、せいぜい日曜日の朝の一時間だけである。社会と政治の場においては、中立者のふりでもして、自分の信仰を押し隠して立つというような、世事に長けた使い分けをするほうがよいでしょうか。あるいは、「素人どもは黙って手をこまねいていなさい。どうせ歯が立ちっこないのだから」というご丁寧なアドバイスに聞き従うべきでしょうか。

あなたに謹んでお尋ねしたいのは、このあたりのことです。

「キリスト教民主党」について誰かが、ただ《研究》するだけで、わが国にもそのような政党が即座に誕生するというようなことがたとえ奇跡としてでも起こりうるのであれば、誰も苦労しません。私自身はそのようなことは夢想だにしておりませんので、どうかご安心ください。

しかし、《研究》そのものは、誰にでも、そして今すぐにでも始めることができます。とにかく誰かが研究し続けているということが重要です。同じテーマについての先行の研究者たちを批判する意図などは皆無です。どのような協力でもさせていただきますので、お気軽にご連絡いただけますとうれしいです。

なお、このサイトはこのたび全く新規に開設したものというわけではなく、「ファン・ルーラー研究会」や「信仰と実践」(廃止)という名前のサイトで公開してきた政治ジャンルの情報提供サイトを引き継ぐものです。また、「改革派教義学」「キリスト教倫理」は姉妹関係にあります。両者の歴史的かつ思想的な相互関係は、そのうち明らかにしていきます。古くからお付き合いいただいている方々には、これからもお世話になりたく願っております。

2009年9月5日記す(2009年10月19日 サイト名変更)

ヘルマン・バーフィンク『改革派教義学』序文

本書の立場を短い言葉で明らかにしておくほうがよいだろう。信者たちだけではなく教義学者も「我は聖徒の交わりを信ず」と告白する。教義学者は、人知を越えたキリストの愛がいかに広く、長く、深く、高いかをすべての聖徒たちと共に理解し、告白することができる。何よりも教義学者は、聖徒の交わりにおいて、また聖徒の交わりを通してキリスト教信仰がその中で表明される教義を理解することを学ぶ。この聖徒の交わりには強い力と大きな慰めがある。

教義学は今日重んじられていない。キリスト教の教えは時代に疎んじられている。時おり感じることは、フルーン・ファン・プリンステラーの言葉を用いて言えば(『不信仰と革命』1868年、17ページ)見捨てられた寂しさと孤独感である。しかし、それ以上に覚えることは、この仕事を通して先祖たちとの同盟関係を結ぶことができることへの感謝である。この点が、本書が教父神学やスコラ神学により多くの関心を注ぐ理由である。しかし、現状では、プロテスタントの神学者たちはそれらに対して必ずしも十分に関心を注いでいない。

エイレナイオス、アウグスティヌス、トマス・アクィナスといった人々は、ローマ教会だけに属しているわけではない。彼らはすべてのキリスト教会に属する教父であり、教師である。またローマ教会の神学は宗教改革後すっかり忘れ去られてしまったわけでもない。プロテスタント教会では、ローマ教会と自分たちの相違点と同じくらいローマ教会との共通点があるという認識がほとんどないことが多い。ローマ教会の神学はトマス・アクィナスの後ろ盾を持っている。その神学が息を吹き返した。ローマ神学の再興によってプロテスタントのキリスト者たちは、以下の二つの必要性を自覚しなければならなくなった。それは、ローマ教会との関係を意識する必要性と、その関係に対する明確な判断を与える必要性である。

しかし、改革派教義学は、自分自身のタイプを最も狭く限定するものである。それは、16世紀の(特にスイスの)宗教改革によって受け入れられたキリスト教の宗教と神学のタイプである。そのようなものへと自分自身を狭く限定する理由は、これが唯一の真理だからということではない。私自身の確信に基づいて、相対的に最も純粋な言葉で真理を語るためである。キリスト教というものをその宗教的性格と倫理的性格と神学的性格とにおいて引き立たせて見せてくれる信仰告白は、改革派教会の信仰告白以外には存在しないのである。これほど深く、広く、余裕があって自由な、真にカトリックな(普遍的な)信仰告白は、他のどこにもないのである。

それゆえ私は、宗教と神学の改革が必ずしもスムーズに進んでいないことを強く嘆いている。この点は、教会と学問の改革にも同じことが当てはまる。ヨーロッパ大陸だけではなく、イングランド、スコットランド、アメリカでも、16世紀の宗教改革後の展開が目に見えるものとなったという多くの良い面があるにもかかわらず、すぐにまた停滞や逆行(deformatie)も起こってきた。

私が考えていることは、古い世代の人々の言葉には新鮮さとオリジナリティにおいて後代の者たちをはるかに凌ぐものがあるということであり、そのような古い人々の言葉を引き合いに出すことこそが教義学者に与えられた特権であるということである。改革派神学の歴史は、穀物ともみがらを区別してきた。古いものだからという理由で古いものを愛するというだけであれば、そういうのは「改革派的な」考え方ではありえないし、もはや「キリスト教」ですらない。教義学が問うのは過去において価値を持っていたものは何かという問いではなく、将来において価値を持つべきものは何かという問いである。教義学は過去に根ざしている。しかし、教義学の仕事は将来のためにある。

そのため、本書もまた、最終的には「現代的な」特徴があらわにされていることを願っている。教義学は手に負えないほど膨大な仕事である。現代人はこの仕事に関わろうとしない。しかし、これは先祖たちが書いたり語ったりしてきたことである。そのようなものが今の時代においては書かれることも真面目に語られることもほとんどないというのは、神の前で善いことではないだろう。

本書は神学分野の中で交錯している多くの学派の動向に注意を払っている。その上で私はそれらすべての中で一つの立場を探し当て、一つの見解を選んでいる。異なる立場については、それではそれは我々とどこで食い違うのかを説明する責任がある。しかしまた、異なる立場の中に見いだされるものにも、できるだけ良い評価を行うよう努力している。研究を続けていくうちに、最初は全く存在しないと思われた共通性や類似性が見つかることがある。

本書は、この基本の上に依拠しながら、この分野の研究に専念している人々のための教本であろうと努めるものである。本書は、賛同を得ることができないものだからこそ、人を教義学の研究に駆り立てるものであるかもしれない。この点を考慮して、問いといくつかの信頼できる答えをできるだけ客観的に提示する。参考文献については、読者が自分の立ち位置を素早く確認し、問題解決を助けるものでありうる程度のものを示しておいた。

第一巻では序論と原理論を論述する。第二巻で教義を扱いたいと願っている。第二巻がこの第一巻より大きな規模でないかぎり、どれほど急いでもおそらく二冊で全体のうちの第二部まで進むだけである。詳細な索引は最終巻に載せる予定である。

1895年4月、カンペンにて(関口 康 訳)

ヘルマン・バーフィンク『改革派教義学』全四巻のオランダ語版全文

第一巻(1895年)

第二巻(1897年)

第三巻(1898年)

第四巻(1901年)

バーフィンク文献目録

改革派教義学










Leiden_3


ライデン大学本部棟。アルミニウス論争、ここに始まる。





はじめのことば


関口 康 (日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)


「改革派教義学」の歴史は16世紀スイスの宗教改革者ツヴィングリと共に始まりました。その後カルヴァンの手で主著『キリスト教綱要』が書かれるとまもなく、現在のフランス、ドイツ、オランダ、イギリス、スコットランド、アメリカ等の地域に「改革派教義学」の影響が及びました。もちろん今ではその影響はもっと広い地域に至っています。


しかし、歴史における「改革派教義学」はツヴィングリやカルヴァンら宗教改革期の神学の焼き直しに終わるものではありませんでした。各地域における改革派教会の独自の発展に伴い、教会の学としての「改革派教義学」も独自の発展を遂げ、それぞれの地域性が尊重される仕方で特色ある豊かな神学思想を生み出していきました。地域性尊重という要素は「改革派教義学」の特徴にもなっていきました。


最近はタイトルに「改革派的な」という形容詞を付けた教義学教本が新しく出版されることは少なくなりました。しかし、基本性格と方向性において「改革派的な」教義学は、今でも語り継がれており、その力を失っていません。


手始めに「改革派教義学 人名辞典」のデータベース作成から取りかかることにします。そのうち各神学者の論文や説教の翻訳なども掲載していきます。やがてはすべての情報が体系的に整理されることによって「改革派教義学」の全体像が見えてくることを期待しています。


しかし、私自身の関心は過去の歴史そのものにあるのではありません。目標は豊かな遺産を受け継ぐ「改革派教義学」が我々の時代の中で新しく語り直され、「我々の信仰告白」になり、現代に生きる人々に喜びと勇気をもたらす言葉になることです。


「改革派教義学」への取り組みは多くの人々によってなされてきましたが、未開拓の領域や未解決の問題は山のように残っています。とくに日本の中でこの分野に取り組んできた人々はごく少数です。また私は「日本語で神学すること」の意義に強い関心を持っています。


以上の理由から我々の作業を開始する次第です。参考までに、私が最も尊敬する神学者の一人であるヘルマン・バーフィンクの『改革派教義学』の序文を全訳しましたので、ぜひご一読ください。


2009年1月13日記す(2009年9月5日改訂)


内 容 (随時更新予定)


はじめのことば


序章 改革派教義学の「改訂」の流れ(要旨) New


01 バーフィンク略伝


02 バーフィンク文献目録


03 バーフィンク『改革派教義学』序文


付録1 改革派教義学 人名辞典


付録2 ラテン語・オランダ語対訳 神学用語辞典 New


更新記録


※「序章 改革派教義学の『改訂』の流れ(要旨)」をアップしました(2009年9月1日)。


※「バーフィンク文献目録」を新設しました(2009年8月16日)。




私がブログを書く理由(のB面)

ユーストリームなどを用いて私が何をしようとしているのかと言いますと、当たり前の話ですが、自分の(ひどい)顔と自分の言葉で、いま考えていることを、多くの人たちにお伝えすることです。

私は何年か前、改革派教会が深く関係しているラジオ番組を「くび」になりました。「くび」は言い過ぎですが、私が用意した原稿をスタジオでそのまま読みましたところ、数日後、内容がNGであると判断されたらしく、「録音し直してほしい」と電話がかかってきました。しかし私は、自分が用意した原稿の内容に録音し直さなければならないほどの誤りも行き過ぎも無いと確信していましたので(その確信は今も変わっていません)、再録音の依頼を謹んでお断りし、「私はもう二度とラジオには出ませんので、別の方にお願いします」とお伝えしました。放送内容は差し替えになったはずです。

同じようなことが、つい最近もありました。まだ本当に最近のことですので、具体的な内容を書きはじめると差しさわりがあるので詳述を控えますが、改革派教会が直接関係している月刊誌に私が書いた原稿がNGになり、編集部の手で全面的に書き直されたうえで、「こういう内容で掲載しますがよろしいでしょうか」という趣旨の連絡がありましたので、「私はもう二度とその雑誌に原稿を書きませんので、別の方にお願いします」とお伝えしました。

私は、私の原稿をNG扱いする人々のことをうらんでいませんし、そういうネガティヴな感情とは全く無縁の気持ちを持っています。ラジオについても月刊誌についても、日々ご労苦しておられるスタッフには心から感謝していますし、その営みも心より尊重いたしますし、応援する気持ちが強いです。

エラソウな言い方をお許しいただけば、私の書くことは、いろんな意味で「時機尚早」なのだと思っています。逆に言えば、時間が解決してくれる何かがあるだろうと見通しています。神学思想史的に見ればとっくの昔に克服されているような過去の何かをただ(慣性の法則に従って)引きずっているだけのような人たちに「おもねる」ようなことを私は望みません。それは神学と信仰の敗北を意味すると、私は考えます。「おもねる」仕事は(もしお望みでしたら)他の牧師たちにお願いいたします。私には、そんなことにかかずらわっている余裕はありません。

ラジオであれ雑誌であれ、もし既存の価値観を無批判に再生産するだけならば、無意味かつ有害です。私は日本キリスト改革派教会の教師ですので、「改革派の枠組みを守ること」など当たり前のことです。しかし我々は、もし日々新しい言葉を語らないならば、我々が日々人間として、歴史的・時間的な存在として、この地上に生きている意味が全く分からなくなります。既存の(そして多くの問題に満ちた)古い価値観によってその立場と名誉を保全されている人たちを守(ってあげ)ることだけが、我々の仕事ではないはずです。

出版事業も、放送事業も、多くの方々の献金で支えられている活動である以上、複雑な事情が絡んでいるでしょうし、いろいろと大変であることは痛いほど熟知しているつもりです。

ですから、彼らには彼らの道を進んでいただくしかありません。しかし私は私の道を進みます。評価は神さまと教会がしてくださるでしょう。それで、おあいこでしょう。私はすべて自腹で、コツコツとブログ記事を書き、ユーストリームの録画をするのみです。

他のメディアが私にはありませんので、今のところこのブログが私の「メディアミニストリー」です。ユーストリームのほうはまだまだ慣れませんが、そのうち何とかします。

2010年11月19日金曜日

禁酒禁煙の問題(というほどでもない)

今日もバタバタしていてちっともパソコンの前に座ることができないのですが、「おーおー、これこれ。こういうことこそブログに書いておくべきだよ」と思いついたことがありますので、ちょっとだけメモっておきます。



私はいわゆる禁酒禁煙主義者ではありません。だれにも積極的に勧めたりしませんし、「強要は犯罪である」という意識は明確に持っておりますが、「服用」としてなら、そして法と道徳に触れない範囲内でなら、「どうぞご自由に」と、静かに見守っていますし、ある程度ならば私も付き合います。



しかし、「豪遊」(?)とか「はしご」とか「泥酔」とか「酒の勢いでどうだこうだ」などというようなことは、これまで45年生きてきましたが、いまだかつてしたことがありませんし、心底イヤだと思うところがあります。そこに軽蔑心が無いのかと問われれば「あるかもしれません」と答える用意があります。



一緒くたにすべきでないことは重々承知しているつもりですが、私という人間は要するに何が嫌いかと言ってしまえば、「(日本的)任侠道のたぐい」と、その臭いがするものが、死ぬほど嫌いです。そういう場所に長くとどまることができません。演歌も大の苦手です。歌詞が嫌い。私は賛美歌が好きです。そうとしか言いようがない。



「そういう場所に出入りしたことのない人間に牧師など務まるのか」という問いかけは、そういうことを直接私に面と向かって言った人はいまだかつて一人もいませんが(少なくとも記憶に無い)、もしいつか私にそれを問う人がいれば「十分務まると思いますよ」と答えようと思っています。



これ、ブログっぽい内容でしょ?(笑) あ、また出かけなくてはならない。それではまた。



2010年11月10日水曜日

「高橋哲也氏の問いかけは正当である(キリスト新聞を読んで)」をめぐって

「高橋哲也氏の問いかけは正当である(キリスト新聞を読んで)」を読んでくださった別の方から反応をいただきました。以下は私の返信文です。コンテクストは読者のご想像にお任せします。(ブログ公開用に若干編集しました)



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なんと、メールと説教の原稿を、ありがとうございました!



いやー、まあ、とてもよい説教だと思いましたよ。お世辞抜きで、ありがとうございました。



(1)まず文章上の表現の問題ですが(それが大事だと思っています)、「です」「ます」と歯切れがよいのが素晴らしいです。加藤常昭氏の影響を受けた人たちが皆、ケロロ軍曹みたいに「なのであります!」になっちゃうのがとにかくウザいと思っていました。「です」と二文字で書けるところをわざわざ「なのであります」と七文字(3.5倍)に引き延ばすわけですから、ああいう書き方は一種の水増し原稿ですよ。しかし、あれはまあ、加藤氏というよりは、さらにさかのぼったところの竹森満佐一氏の影響なのですが、正直、読んでいて恥ずかしいです。



(2)送ってくださった説教原稿は全体として少し長すぎるのではと感じましたが、教会の皆さんがこの長さで慣れておられるなら、私が文句をつけるところではないでしょう。私なんて、この半分くらいですけどね。毎週(長文の)原稿執筆、ごくろうさまです。



(3)「(やっぱり)出たか」と思ったことは、先生のような、ある意味最もストレートな仕方で、高橋氏への(どちらかというと肯定的な)レスポンスを「日曜日の礼拝の説教でおこなう」という形についてです。私はどうかなあと思いました。「ブログには書けても、説教で言えるかなあ」と。特にステファノに結びつけて語れるかなあと。



(4)説教では語るべきではないとか、ステファノの殉教と高橋氏の言説とを結びつけるべきではないとか言いたいわけではないのです。どう言ったらいいのか迷いますが、高橋氏は、何度も繰り返して「わたしはクリスチャンではないのですが」と明言しておられる方です。「わたしはクリスチャンではない」と公の場で明言する人による明確な「教会批判」なのですから、その発言を我々自身が説教の中に持ち出すこと自体で、教会の中から猛烈に反発する人が出て来てもおかしくはない。でも、先生の教会の中に大きな反発が無かったのであれば、この点はセーフなのかもしれません。



(5)高橋氏の言説に対して、教会の中から起こってくるかもしれない拒否反応として予想できるのは、雑な言い方をお許しいただけば、右からの反発と、左からの反発です。右からの反発については説明の必要は無いでしょう。ことが靖国神社批判なのですから。しかし、厄介なのは左からの反発(の可能性)です。左からの反発の例として最も容易に想定できるのは、「殉教を避ける」という論理こそが、戦時中の日本の教会がおこなった「宮城遙拝」を「やむをえなかった」とする苦しい弁明そのものではないかという反発です。



(6)私がブログに書いたことは、「高橋氏の“問いかけ”は正当である」ということにとどめてあります。高橋氏の「答え」が正しいとは、意識的に書きませんでした。ズルいやり方であることは自覚しています。答えは、高橋氏のご著書を(少なくとも二、三冊は)きちんと読んでから出すべきであることは当然でしょう。高橋氏からお贈りいただいた『殉教と殉国と信仰と』は、いま読んでいる最中なのですが、別のことをしている間に妻が来て、「何その本?面白そうね」とか何とか言いながらかっさらって行きました。いまは彼女が夢中になって読んでいますので、なかなか返してくれません。そのうち奪い返し、読み終えたら、感想文を書かせていただくつもりです。



ともかく、反応してくださり、ありがとうございました。反応の無いブログ記事は、やはり、どこかしら哀愁が漂っています。お忙しい中、どうもありがとうございました。議論はいつでもどうぞ。神学と社会の問題になると、血沸き肉躍るものがありますので。



2010年11月7日日曜日

高橋哲哉先生、ありがとうございました!

東京大学 高橋哲哉先生



今日は本当に驚きました。今月45歳になる私の人生の中で、今日ほど興奮した日は数えるほどです。



今朝午前10時から午後2時すぎまで、松戸小金原教会の大掃除をしておりました。ひと段落ついて、奉仕してくださった教会の皆さんがお帰りになるとき、「あれ?関口先生、郵便物が届いていますよ。はい、どうぞ」と手渡してくださった方から受け取ったのは、「白澤社」から直送されたらしきクロネコメール便でした。



「ん、白澤社?どこかで見たことがある名前だな」と思い、郵便物を見ると「著者代送」の文字が。「・・・え?!」と胸騒ぎがして、大急ぎで封を開けました。



すると、その中には、「謹呈 著者」と記された付箋が差し込まれた最新の貴著、『殉教と殉国と信仰と 死者をたたえるのは誰のためか』(白澤社、2010年)と、「同封の書籍は著者・高橋哲哉氏のご依頼によりお手元にお届けするものです」と書かれた編集部からのお便りとが入っていました。



「えーーーーーーーー?!」と、30秒間くらい一人で叫んでしまいました。これはヤバいことになったと、そのとき初めて、すべての事情を察しました。今週火曜日(11月2日)本ブログに書いた拙文、「高橋哲哉氏の問いかけは正当である(キリスト新聞を読んで)」をお読みくださったのですね。そして、そこに「私は(貴著を)まだ手にしていません」と私が書いたことを憂いて(?)くださり、さっそくお贈りくださったのですね。



まさしく汗顔の至り、穴があったら入りたい思いです。ブログは恐ろしいと痛感。しかし、もはや後の祭り。高橋先生、本当にどうもありがとうございました!



まだ一度もお目にかかったことのない方からこれほど大きなご厚意をいただくことは滅多に無く、ただただ驚き、興奮し、感謝しております。



まことに申し訳ないことに、まだ4時間ほど前に受け取ったばかりの貴著でもあり、また職業柄、土曜日と日曜日を最も慌ただしく過ごしている者でもありますので、まだ拝読するに至っておりませんが、ともかくお礼を申し上げたく思い、この文章をしたためております。



本来でしたら当然、直接高橋先生宛てにお礼状を書かせていただくべきところではございますが、私はまだ(?)高橋先生がどこにお住まいかを存じませんし、メールアドレスも存じませんし、「東京大学」宛てに送るのもどんなものかと、あれこれ考え込んでしまいました。



また何より、ごく最近古本市場で入手した石原千秋氏の大学生の論文執筆法』(ちくま新書、2006年)の中で「(この方々の名前を知らない者は)文科系の大学生としてはかなりヤバい状況だと思う」(85ページ)と紹介されている錚々たるプロの批評家たちのリスト(トップ10名)の中に、先生の「高橋哲哉」というお名前が当然のように見つかるほどの、著名な公人であられる方から頂戴したご厚意です。



そのため、たいへん不作法なやり方とは存じますが、本ブログ上で(公に)お礼させていただくことにいたしました。



しかしまた、私のこの文章を読む不特定多数(事実は「不特定少数」ですが)の人たちの中には、「なるほどね。こういうやり方で著者からの謹呈を受けることができるのか。しめしめ」と悪知恵に思い至る人がいるとも限りません。そのような何か不穏な動きがある場合は本記事を即刻削除させていただきますので、遠慮なくダメ出ししてくださいますよう、心からお願い申し上げます。



ともかく、週明け以降となりますが、貴著を謹んで拝読させていただきます。



高橋先生、ありがとうございました。お元気でお過ごしくださいませ。



2010年11月6日



関口 康



2010年11月4日木曜日

キャシー、がんばれ!

今朝の朝日新聞の社会面を見て、「これは無いな」と苦笑しました。

「日本のサンリオのキャラクター『キャシー』がオランダ生まれで国際的に知られているウサギのキャラクター『ミッフィー』に酷似しているとして、アムステルダムの裁判所は2日、サンリオにキャシー関連製品のオランダなど3カ国での生産・販売の即時停止を命令した。(改行)アムステルダム地裁の決定によると、サンリオは10日以内に命令に従わなければ違反金として1日2万5千ユーロ(約280万円)、最高で200万ユーロ(約2億2千万円)を支払わねばならず、本格的な著作権訴訟に発展する可能性がある。即時停止の対象国はオランダのほか、ベルギーとルクセンブルク。(改行)ミッフィーの作者ディック・ブルーナ氏の著作権を管理する企業が10月、販売などの差し止めを求めた(後略)」(朝日新聞、2010年11月4日付け、社会面)。

さらに、新聞紙面には「キャシー」「ミッフィー」それぞれの写真を載せてくれていましたので、両者をじっくり比較して見ることができました。「ミッフィー」は昔から知っていましたが、「キャシー」は、私は今日初めて見ました。

それで思ったことは、「こんなことを言っちゃあ、キャシーが可哀そうだよ・・・」でした。

横に並べて比べて見れば、なるほどたしかに似ています。しかし、あのですね、これって、「キャシー」と「ミッフィー」が似ているんじゃなくて、キャシーもミッフィーも「うさぎ」に似ているだけなんだと思うんですよ、私の目から見ると。

もし、アムステルダムの裁判所のこのような判決を国際的に許してしまったら、これからは、子どもたちが保育園や幼稚園や小学校のようなところで描く(洋服を着て二足歩行する)「うさぎ」の絵のすべてが、ミッフィーの作者ディック・ブルーナ氏の著作権違反である、という話になってしまいそうです。しまじろうに出てくる「みみりん」も、たぶんアウトですね。

サンリオ側は「決定を不服として」いるようですので、ぜひ頑張っていただきたいものです。

キャシー、がんばれ!


2010年11月3日水曜日

高橋哲哉氏の問いかけは正当である(キリスト新聞を読んで)の続き

先ほど書いたこと対して早々の反応をいただきました(S先生、ありがとうございました!)。その答えとして私は以下のようなことを書きました(ブログ用に少し編集しました)。

(1)キリスト新聞を読むかぎり、高橋氏の贖罪論理解そのものが間違っているとは今のところ思いません。高橋氏が問題にしておられるのは、贖罪論を「誤解」してきた教会の過ちのほうだと読めるからです。換言すれば、高橋氏は「贖罪論の誤解」によって教会が引き出してきた「諸帰結」や「諸現象」のほうをご覧になり、いわば「実を見て木を知る」という仕方で、教会が犯してきた過ちを批判しておられると私には読めます。そして、この高橋氏の判断は私見によれば間違っていません。

(2)S先生が引用してくださったY先生の文章の中で若干気になるのは、「それでもイエスの犠牲にお応えする私の犠牲ということのみが、キリスト者の信仰の歩みを形作るのです」の中の「私の犠牲ということのみ」の「のみ」です。なぜ「のみ」(only)なのでしょうか。私を含めて日本の教会の牧師たちは不必要なまでに「犠牲」を強いられている面がありますので、比較的容易にイエスさまの犠牲と自分自身の犠牲とを自己同一化しやすい環境にあります。しかし、我々が今払っている「犠牲」は、イエスさまの「犠牲」とは質的に異なるものではないでしょうか。

(3)ややスコラ神学的な問題意識かもしれませんが、贖罪論はキリスト論だけに属するのではないと私は考えています。贖罪論の課題にはイエス・キリストにおける贖罪のみわざの事実とその意義を解明することだけではなく、聖霊による人間における「贖罪の適用」(applicatio salutis)という点が必ず含まれます。したがって贖罪論は聖霊論にも属するものではないでしょうか。

(4)あと一つ付け加えておきたいのは「罪」の評価の問題です。「罪」は、どこまで行っても神さまにとっては「不本意」なのだと思うのです。もしわたしたちが「罪」そのものを神さまの「本意」とみなすならば、人間側の一種の開き直りを意味してしまいますし、まるで神さまが「罪の作者」であるかのようであることを認めることを意味せざるをえなくなるでしょう。しかし、そのような結論を、我々(少なくとも改革派の者たち)は決して受け入れることができません。もしこのあたりの消息が正しく了解されるならば、イエスさまがおこなってくださった「罪の贖い」もまた、神さまからすれば「不本意」であるはずです。もちろん私はイエスさまが(父なる)神さまの御心に従って十字架についてくださったということを心から信じていますので、イエスさまにとって「(父なる)神さまの御心に従うこと」自体は「本意」だったと説明できるかもしれません。しかし、上記のとおり「罪」も、そして「罪の贖い」も神さまにとっての「不本意」なのだとするならば、イエスさまからすれば、いわば「(イエスさま御自身の)本意」と「(父なる神の)不本意」との板挟みの中で、十字架の死を遂げられたと言えるのではないでしょうか。

(5)ここから先は全くのスコラ的なまさに屁理屈なのですが、もし人間が「罪」を犯さなかったとしたら、イエスさまが「犠牲の供え物」になってくださる必要は無かったのです。その意味で「罪の贖い」(贖罪)は、言うならば「仕方なく」(ファン・ルーラー先生の言葉をお借りすれば「緊急措置として」)行われたみわざです。いま私が書いていることが「イエスは果たして、神のために喜んで死んだのか」という高橋氏の問いかけへの答えになるかどうかは分かりません。しかし、私自身も上記の観点(イエスさまの死は「本意」と「不本意」の板挟みの中にあったのではないかとする推論)を考えるならば、ある意味で高橋氏と同じ問いを抱かざるをえません。

(6)まとめて言えば(ちっともまとまりませんが)、キリスト教から贖罪論を引き抜くことは私にも不可能ですが(この点はS先生やS中会と完全に一致!)、贖罪論の観点だけからキリスト教のすべてを論じつくすのは行き過ぎだろうと考えている次第です。

高橋哲哉氏の問いかけは正当である(キリスト新聞を読んで)

キリスト新聞の最新号(2010年11月6日付、第3161号)に今日、やっと目を通すことができました。第一面のトップ記事のタイトルが「『犠牲の論理』へ警鐘」とデカデカ。記事の内容は、高橋哲哉氏(東京大学教授)他による話題の書『殉教と殉国と信仰と』(白澤社)の出版記念シンポジウムのレポートでした。

残念ながら『殉教と殉国と信仰と』を、私はまだ手にしていません。「書評の依頼でも来ないかな?」と期待していたので自分で買わないでいたというわけではありませんが(でも「来ないかな?」)、先月末あたりの仕事ラッシュや、その中で遭ってしまった車上荒らし(私の目の前で起こった窃盗事件でしたが、長くなるので詳述は控えます)や、その他もろもろで、外出もままならず、書店に行く暇がなかったために、この話題の書にさえ手を伸ばすことができずにいた体たらくでした。

ですから、下に書くことはキリスト新聞の記事だけから純粋に受けた印象です。私が感じたことを一言でいえば、高橋哲哉氏の問いかけは真摯かつ全うなものであり、日本の全キリスト教会は氏の問いに真摯に応えなければならないということです。

「高橋氏は先のシンポジウムで、キリスト教が戦死者を殉教者としてみなしてきた歴史、殉教者の列福と靖国神社による英霊顕彰が持つ『構造的な同系性』、殉教者を尊崇することと神の愛の『絶対的無差別性』の関係などについて指摘した。(改行)講演の冒頭、イエスの十字架上の死を贖罪の犠牲としてとらえることに疑問を呈した同氏の主張に対して、『贖罪論はキリスト教信仰の核心だから譲れない』との反響があったことを紹介し、『欧米の神学者の中にも批判的な議論が存在してきた。贖罪論なしに信仰が成り立たないかどうかは、もはや自明のことではない』と反論。(改行)『殉教という行為が否定される』と懸念する声にも、『それぞれの人が迫害や強制によって追い詰められた状況で下した選択自体は到底否定できない』としながら、『非業の死を顕彰、賛美、美化すること、その死によって何かが購われたとして満足してしまうこと、殉教が模範的な死とされ見習うべきものとなることの危険性を改めて強調した。」(キリスト新聞、同上号、第一面)。

高橋氏は上記の問いかけ以外にもいくつもの重要な問題提起をなさったようですが、私は高橋氏が提起された問いかけのすべてに賛同の意を表明することができます。私自身が長年もやもやと感じてきたことを明瞭な言葉で適切に表現してくださったという思いです。設問内容がきわめて正当なものなのですから、「キリスト教」は、そして「キリスト教会」は、この問いかけに真摯な答えを出さなければなりません。

組織神学的な視点から見れば、高橋氏の問いかけの中には、実にたくさんの論点が含まれています。その中でも特に重要な問いは、「イエスの十字架上の死は贖罪の犠牲なのか」と「贖罪論なしには信仰が成り立たないか」の二つでしょう。

第一の問いに対して、私がすぐに答えられることは、イエスの十字架上の死は、たしかに贖罪の犠牲であるが、イエスの死をわたしたちの死と同列に並べて比較すること自体が間違っているということです。

イエス・キリストについての代々の教会の信仰告白は、「人間の肉をまとった永遠の神の御子」です。「贖罪論はキリスト教の核心だから譲れない」と言い張る人たちは、贖罪論と受肉論という二つの教説はドミノ関係にあるということについても決して譲るべきではありません。「永遠の神の御子の死」と、御子以外の「(普通の)人間の死」は、全く次元が異なるのです。

つまり、「イエス」は他の人間とは比較不可能なきわめて特殊な存在であり、その方の死は歴史上ただ一回かぎり起こった出来事であり、その出来事は決して反復されえないゆえに、イエスの死と他のすべての人間の死とを比較すること自体が、そもそも間違っているのです。

したがって、「殉教」や「非業の死」を「イエスの死に似ている」という理由で美化したり賛美したりすることは、神学的にいえば、完全に誤りです。

第二の問いに対して、私がすぐに答えられることは、結論からいえば、「贖罪論なしには信仰は成り立ちません」。しかし、このことを言いながら同時に言いたいことは、「贖罪論だけではキリスト教は成り立ちません」ということです。

贖罪論だけにまるで自らの全体重をかけてしまったようなキリスト教は、いびつに歪んだ形をしています。それは健全なものではなく、明らかに不健全であり、かつ限りなく異端的なるものに接近している様相を呈しています。

なぜなら、贖罪論の教義はキリスト教信仰の一部分にすぎないからです。キリスト教信仰は贖罪論だけで覆い尽くされているのではなく、少なくとも創造論と終末論があります。また、別の角度からいえば、キリスト教信仰はキリスト論(イエス・キリストの存在とみわざについての教説)だけで成り立っているのではなく、少なくとも神論(御父なる神についての教説)があり、かつ聖霊論(聖霊なる神についての教説)があります。

我々の神は三位一体です。経綸的三位一体論的にいえば、神は贖罪者なる方であるだけではなく、創造者なる方でもあり、完成者なる方でもあります。内在的三位一体論的にいえば、御子だけが神ではなく、御父も聖霊も神です。

したがって、もっぱら「贖罪論」の視点だけをまるでキリスト教の唯一の切り口であるかのようにみなし、イエスの死をまるで「人間の死のあるべき模範」であるかのように美化したり賛美したりすることは、これも神学的にいえば完全に誤りです。

キリスト新聞によると、高橋氏は次のようにも問いかけています。

「(高橋氏は)『殉教者自身が「喜んで死んでいく」ことに対しては違和感を禁じえない』と告白した上で、「国の英霊がお国のために『天皇陛下万歳』と叫び歓喜に打ち震えて死んだとされているように、殉教者が神のために『イエス・キリスト万歳』と叫び歓喜に打ち震えて死んだ、と読めないか。イエスは果たして、神のために喜んで死んだのか』と疑問を投げかけた」(同上面)。

この問いかけに対する即答は私にはできませんが、非常に興味深く、かつ真剣に考え抜くに値する、きわめて重い問いかけであると感じました。

続く


2010年11月1日月曜日

宗教改革記念礼拝

今日は、宗教改革記念礼拝をおこないました。



「信じる者は幸いである」



ヨハネによる福音書20・24~31



http://sermon.reformed.jp/pdf/sermon2010-10-31.pdf (印刷用PDF)



「十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、『わたしたちは主を見た』と言うと、トマスは言った。『あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。』さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。それから、トマスに言われた。『あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。』トマスは答えて、『わたしの主、わたしの神よ』と言った。イエスはトマスに言われた。『わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。』このほかにもイエスは弟子たちの前で多くのしるしをなさったが、それはこの書物に書かれていない。これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また信じてイエスの名により命を受けるためである。」



今お読みしました個所は今年のイースター礼拝でも取り上げたところです。しかし、皆さんの多くはそのとき私が何を話したかをすっかり忘れておられると思いますので、私は安心して同じ話をすることができると思っています。いま、少し意地悪なことを言いました。しかし、今日はイースターのときに申し上げたこととは別の点に強調を置いてお話ししたいと願っています。



全くお恥ずかしい話なのですが、今日が何の日であるかを、先週まで私自身がすっかり忘れておりました。そのため先週の週報では予告も出しておりませんでした。今日は宗教改革記念日なのです。完全に忘れていましたことをお詫びいたします。1517年10月31日、宗教改革者マルティン・ルターが当時のローマ・カトリック教会への激しい批判を記したいわゆる95カ条の提題、その原題は「贖宥の効力を明らかにするための討論」という文書をドイツのヴィッテンベルクの城教会の扉に掲げたとされる日です。そのルターの勇気ある行為が全世界の宗教改革運動の事実上の幕開けとなったため、全世界のプロテスタントの教会がこの日を「宗教改革記念日」として覚えるようになったのです。



なぜルターは10月31日にその貼り紙を教会の扉に掲げたのかという点については定説があります。ご承知のとおり、明日11月1日は教会の暦ではオールセインツと呼ばれ(※)、日本では「聖徒の日」とか「万聖節」などと訳されて重んじられています。それは、松戸小金原教会ではイースターにおこなっている召天者記念礼拝と同じ意味を持っており、遺族を含めて大勢の人が教会に集まる日です。教会に集まる人は当然、教会の扉の前を通って中に入ります。つまり、教会に大勢の人が集まる日に教会の扉に貼り紙をすれば、大勢の人の目に触れます。だからこそ、ルターはその聖徒の日の前日である10月31日を選んだのだと言われています。



しかし、ルターは、ただ単に目立つことをしたかったからその日を選んだというだけではなかったと思われます。ルターがローマ・カトリック教会を批判したその内容とその日を選んだこととは関係していると考えるべきです。ルターが批判したのは、よく知られているとおり、ローマ・カトリック教会が信徒向けに販売していた日本での通称「免罪符」、正確には「贖宥券」と呼ばれるものは無意味かつ有害であるという点でした。それを買うことは当然、教会に献金することにもなるわけですが、そのお金を支払うことによって、すでに亡くなっているがまだ天国に迎え入れられていない中間状態(煉獄)の中で漂っている魂が天国まで「飛び上がる」と、ローマ・カトリック教会が教えていたのです。そのような教えには聖書的な根拠は無く、全くのでたらめであると、ルターは批判したのです。



ですから、このことから分かるのは、ルターが10月31日に教会の門に貼りつけた文書の中で問題にしたことは要するに「人間は死んだ後どうなるのか」という点にかかわることであったということです。だから、ルターがその文書を「聖徒の日」の前日に貼りだしたのだと考えれば辻褄が合います。聖徒の日に教会に集まる人の中にはすでに亡くなった方々の遺族が多く含まれていたわけですから、人間の死と死後の状態について多少なりとも関心を持っている人々であったはずです。別の言い方をすれば、493年前の今日から始まった宗教改革運動がいちばん最初に取り組んだのは「人間は死んだらどうなるか」という問題であったということにもなると思います。それは、少し難しい言い方をすれば、「終末論的な問題意識」と呼ぶことができるものかもしれません。



わたしたちはどうでしょうか。わたしたちは死んだ後どうなるのでしょうか。この問いに対して、わたしたちは躊躇なく間髪入れず「わたしたちは復活する」と答えなければなりません。イエスさまが復活されたのだから、わたしたちも復活するのだと。それこそが聖書の教えであり、わたしたちの信仰です。・・・



(この続きは「今週の説教」にあります。ぜひお読みください。)



※実際の説教では「明日11月1日はハロウィーンですが」と説明してしまいましたが、これは間違いでした。ハロウィーンは「万聖節の前夜祭」なので「今日10月31日はハロウィーンですが」と言わねばなりませんでした。お詫びして訂正いたします。事実関係を訂正したうえで本文からは削除させていただきました。