2009年3月17日火曜日

カール・バルトの影響(1)

拙論「ファン・ルーラーの喜びの神学(1)―喜び楽しんでよいのは「神」だけか―」をお読みくださった方から早速「ファン・ルーラーとカール・バルトは影響を受け合っているのか」という貴重なご質問をいただきましたので、謹んでお答えいたします。



ファン・ルーラーへのバルトの影響は決定的なものです。ポジティヴにも、しかしネガティヴにも。

ファン・ルーラーの大学(神学部)時代の組織神学の教授がハイチェマと言い、オランダ初のバルト主義者と呼ばれた人でした。博士論文執筆の際の指導教授にもなってもらいました。そのハイチェマを介しての影響です。

ファン・ルーラー自身の言葉で言えば、学生時代の(たぶん途中までの)ファン・ルーラーは「純血のバルト主義者」であった(やや冗談めかした誇張も含まれますが)ほどです。

しかし、ファン・ルーラーは学生時代(1920年代!)からすでにバルトの「限界」に気づき、反発も感じていました。ひとことでいえば、バルトの神学は「氷のように冷たい」という感覚であり、歴史や文化などに正当な位置を与えないものだという点への不満でした。

そして、その最初の思いがふくらみ、バルトの神学全体へのトータルな批判へと発展していきました。たとえば、現在『季刊 教会』に連載されているファン・ルーラーの「キリスト論的視点と聖霊論的視点の構造的差違」(牧田吉和先生の訳)には、バルト神学(だけではありませんが)へのトータルな批判の意図が込められています。

もっとも、年齢的には22歳の差があり(バルトのほうが上)、また国際的知名度(というか国際的売り込み)の上でもバルトのほうがはるかに優っていましたので、バルトはファン・ルーラーをほとんど全く相手にしませんでした。

また、誤解がありませぬように一応申し上げておきますと、拙論「ファン・ルーラーの喜びの神学(1)」の主旨は、まさか「日本キリスト改革派教会批判」ではないし、「日本のカルヴィニスト批判」でもないということです。もっと広い話です。ここを読み間違えられて、「ああやっぱりな」とか思われてしまいますと、非常に困るところです。