2025年12月26日金曜日

愚かな半生をシュトーレンにたとえる

シュトーレンとローストチキンを初めて作る

【愚かな半生をシュトーレンにたとえる】

2015年12月末日に改革派教会を退会してちょうど10年。牧師按手は1992年12月に日本基督教団で受けたまま、というか改革派教会での再按手は行われず効力の連続性は認められている。年金関係は非連続だが、そこはどうでもいい。10年経ての感想は、私は結局「日本基督教団の人」だったようだということだ。

生後(65年)すぐ教会生活開始、小学校入学前の6歳(71年)で成人洗礼、24歳(90年)教団補教師、27歳(92年)正教師、31歳(97年)改革派移籍。つまり教団生活の「前期」31年。戻ってからを「後期」とすれば10年なので合わせて41年。うち教団教師として17年。改革派生活は19年。うち教師として17年半。

計算が合っているだろうか。教団補教師准允前24年+准允後「前期」7年+改革派神学生(聴講生3か月+正科1年3か月)+改革派教師17年半+教団教師「後期」10年=60年(歳)。合っている。成分としては「教団41年:改革派19年」。いつの間にか改革派教会にいたことがまるで瞬間的なエピソードになっている。

教団成分(41年)と改革派成分(19年)が今の私の中で分離していると思わないし、葛藤もない。60歳で初めてシュトーレンを作ったので比喩に使える。卵黄とアーモンドパウダーとバターのマジパン入りの黄色い小麦粉と、ドライイースト入りの白い小麦粉を混ぜ、色の違いが無くなるまでこねる。あの感じ。

その生地の中にラム酒にしっかり漬けたドライフルーツと、オーブンで素焼きしたミックスナッツを加え、がっちり固めてオーブンで焼き、溶かしバターとグラニュー糖をまぶして休ませ、粉糖をまぶしてシュトーレン完成。すぐに食べるよりも数日から数週間経て食べるほうが、さらに熟成が進んで美味しい。

イースト入り「白い粉」とマジパン入り「黄色い粉」で、どちらが「教団」でどちらが「改革派」だろうか。「黄色い粉」はキャラメルのようで、それだけで美味しいが膨らまない。ドライフルーツとミックスナッツは何だろう。入れないとシュトーレン的にならない。私の成分の話なので、バイクか。料理か。

ここまで書いて、「そもそも私は美味しいのか」という問いが湧いてきた。それは自分では分からない。料理の評価は食べてくださる方がするものだと逃げの一手を打っておく。現在60歳の私に「移籍」はもうないので、今後加わる要素があるとしても、ドライフルーツとミックスナッツの量や種類にとどまる。

いま書いていることにタイトルをつけたくて「愚かな半生をシュトーレンにたとえる」としてみたが、60歳で「半生」を語ってよいかで迷い、ChatGPTに尋ねたら「全く不自然ではありません。慎みを感じます」とほめてくれた。お世辞が上手だね。老いては子に従え。いや、老いてはエーアイに従え、かもね。

2025年11月26日水曜日

『希望の神学』(1964年)出版前の「希望の神学」批判

説教の準備としてファン・ルーラーを読む

【『希望の神学』(1964年)出版前の「希望の神学」批判】

次週「終末と希望」と題する説教をするために、ファン・ルーラーの論文をいくつか読んだ。ひとつは「教会はそれ自体で目的でもある」(De kerk is ook doel in zichzelf, 1966)、もうひとつは「聖書の未来待望と地上の視点」(Bijbelse toekomstverwachting en aards perspectief, 1968)。

もうひとつ「ファン・セルムス教授への応答」(Antwoord aan professor Van Selms, 1958)も読んだが、これは終末論というより予定論の議論。刺激的だったが、次週の説教とは直接関係ない。内容について書くと説教で話すことが無くなるので、それはお楽しみ。興味をひかれたのは、今回読んだ版の特質。

「教会はそれ自体で…」は論文集『待望と成就』(Verwachting en voltooiing, 1978)、また「聖書の未来待望と…」は『神学論文集』第2巻(Theologisch werk Deel 2, 1971)に収録され、私も遅くとも1998年までには所有していた。しかし、オランダ語力に欠け、読んだとは言えない状態で放置していた。

本日読んだのは、2007年刊行開始の『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld Werk)に収録された版。驚いたのは、「教会はそれ自体で…」の既出版はファン・ルーラーがドイツ語で発表したものを別の人がオランダ語に訳したものだったこと。「聖書の未来待望と…」は著者の死後、別の人が手を加えた形跡があること。

「別の人」と言っても、前者は友人牧師、後者はファン・ルーラーの妻の可能性が高いので、さほど不自然な話ではない。後者の妻は、1970年に62歳で突然亡くなった夫が未整理のまま遺した大量の論文をかき集めて、全6巻の『神学論文集』(Theologisch werk)のうち第1巻を除く5巻分の編集を担当した人。

新しい『著作集』(Verzameld Werk)には、「教会はそれ自体で...」はファン・ルーラー自身がドイツ語に訳す前に書いたオランダ語のオリジナルテキスト、また「聖書の未来待望と...」は(おそらく編集者によって)えんぴつで書き込まれた〝改変〟を排したオリジナルテキストが、それぞれ収録されている。

内容には触れないが、ほんの少しだけ。「教会はそれ自体で目的でもある」(1966年)がなぜ最初ドイツ語で発表されたかと関係ある。初出は1960年12月8日にボンでモルトマンの弟子たちを対象に行った講演。『希望の神学』(1964年)が出版される前に「希望の神学」を批判するためにドイツに乗り込んだ。

ファン・ルーラーを読むのは楽しいが、個人的な趣味に過ぎないと思われているかぎり、没頭しきれない。商売はごく初期の頃に研究費捻出のために検討したが、今は全く考えていない。ポイント稼ぎをする立場にもない。しかし、ファン・ルーラーの「遺言」が利いてくる状況にすでにあるし、強まっている。

2025年11月10日月曜日

有楽町で映画「ボンヘッファー」鑑賞

ヒューマントラストシネマ有楽町(東京都千代田区)

【有楽町で映画「ボンヘッファー」鑑賞】

今日は有楽町で映画「ボンヘッファー」を鑑賞。帰りに教文館で『ボンヘッファー説教全集1』を買い、銀座から日比谷線で梅島に戻る。映画は史実通り。ドキュメンタリー的な作品と言えるが、芸術的な完成度が高いと思った。説明がほとんどないので、せめて何人かの名前や場所についての予備知識が必要。

大したことはない。ボンヘッファーはドイツ人。父が医者。ニューヨークユニオン神学大学に留学したこと。ドイツ帰国後マルティン・ニーメラー牧師と出会ったこと。ニーメラーはボンヘッファーと出会った頃は、教会と牧師は社会の問題にかかわるべきでないという姿勢だったが、その後考えを変えたこと。

ニーメラーは「告白教会」に参加し、フィンケンヴァルデ説教者研修所にボンヘッファーを神学教授として招聘したこと。説教者研修所の教え子ベートゲがボンヘッファーの伝記を書いたこと。これぐらいの知識でなんとかなると思う。HPをよく見て「この人がニーメラーさんなのね」が分かる程度で大丈夫。

映画「ボンヘッファー」HP
https://hark3.com/bonhoeffer/

未鑑賞の方のために内容に触れないようにするが、気になっているのはボンヘッファーがピストルを持っているように見えるポスター。これで英語題「Bonhoeffer: Pastor, Spy, Assasin」。ボンヘッファーがまるでジェームズ・ボンドかイーサン・ハント。内容にかかわるので詳細は言えないが、誤解を招く。

来週の説教で少し詳しく取り上げる予定。

映画「ボンヘッファー」パンフレット(左)
『ボンヘッファー説教全集1』(右)

私の書棚のボンヘッファーの本

2025年11月6日木曜日

世間知らず

人口知能Copilotに「バブル期の六本木」を描いてもらいました


【世間知らず】

私の経歴を知らないらしい(知らなくていい)牧師と雑談中、私ではないが私も知っている人について「あの人は東神大に高校からストレートに入学したから世間知らず、人の世話ができない」と来たので「そうそう」と調子を合わせておいた。こういうのをステレオタイプと言うと思う。血液型占いのたぐい。

とはいえ、ストレート組の人数は昔から1ケタ台。私と同期は8人。男女4人ずつ。それでスタートして、2年編入組、3年編入(学士入学)組、大学院編入組が加わって来て、6年フルコース卒業までに30人近くになった。当然、編入生たちは全員ストレート組より年上。神学のスタートはストレート組のほうが先。

編入生たちはみんなストレート組と仲良くしてくれたが(ということにしておくからね)、ストレート組が生意気に見えていただろう。他大を出て来たと言っても、何学部だろうと所詮は半可通だろうとこちらも思っていて、負ける気はしなかった。唯一負けていたのは恋愛経験。他大経験者には敵わなかった。

その意味では「東神大ストレート組は世間知らず」確定で問題ない。私と雑談した牧師さんの言うとおり。果敢な恋愛をしたくても、範囲が狭くて身動きがとりにくいだろう。私はちょうどバブルの頃で、「デートカー」と呼ばれた赤いシルビアに乗っていたが、妻になってくれた人以外と出かけたことがない。

宴会経験も乏しい。注ぐとか注がれるとか、何を注文するかとか、いまだに分からない。自分から誘うことはないが、誘われることはある。飲み物や料理を選ぶのは「世事に疎いので」と言って笑いをとって、他の人に任せる。今の私を生意気呼ばわりする人はいないが、イヤだと思えば私を誘わなければいい。

もう1点追加する。高校からストレートで東神大に入学したら世間知らず呼ばわりされる件は、卒業後半世紀ほど経ても粘着的に言い続けられる。私の半世紀前は小学生なので私のことではないが、教会がしばしば壊れたレコードのように(前世紀的比喩)ステレオタイプを再生産し続けることを認識している。

複数の大学を卒業するとか、さらに留学して学位を取るなどしないと牧師になれないわけではないだろう。それほど潤沢な資金と能力があるなら、別の働きにつくほうがよほど世のため人のために役立つのではないかということまでは言わないでおく。言わないでおくからね。

2025年11月5日水曜日

中高生の頃に読んだ本

デカルト『改訳 方法序説』1980年版

【中高生の頃に読んだ本】

「中高生のころ夢中になって〇〇を読んだ」を言う人の話を聴くたびに、そのころ私は何を読んでいただろうと振り返るが、ほとんど思い出せない。農業高校の園芸科専任教諭だった父の本棚は、主専攻の果樹園芸学や、途中から教えることになった造園学の本で埋め尽くされていて、全く関心を持てなかった。

父の本棚に聖書はあったが、ひとりでは理解できなかった。牧師が説教で聖書の話をしないので独学を思い立ったが、岡山市内のどの大手書店の宗教コーナーにも聖書以外のキリスト教書はほとんどなく、『ノストラダムスの大予言』が幅を利かせていた。キリスト教書店が岡山にあるのを当時は知らなかった。

私の出身中高は公開している。どちらもくじ運が良かっただけで自慢にならない。それでも学校の話をしたい理由は、実家から片道10キロの自転車通学を中高 6 年続けたことを言いたいから。苦労自慢ではない。帰りみち必ず、書店か公立図書館でキリスト教書を探すか、悪友の家で遊ぶか、児島湾を見ていた。

そして「当時の私なりに徹底的に探しても、私の中高時代の岡山でまともなキリスト教書は見つからなかった」と言いたいから。1970年代後半から80年代前半まで。前後のことは分からない。岡山のキリスト教書店を知らなかったのは不覚。中高の図書室に期待したことはない。雰囲気が嫌いで近づかなかった。

当時の岡山市内の大手書店といえば紀伊国屋と丸善。小さな書店も探した。よく立ち寄った公立図書館は古い建物だった頃の市立伊島と、高 3 の春(1983年 4 月)に開館した市立中央。ひかれる本はほとんどなかったが、背表紙が好きでつい手に取って読んだのは『三島由紀夫全集』。思想に共感したことはない。

「そういえば」と当時繰り返し読んだ本が少なくとも 2 冊あったことを思い出した。デカルト『改訳 方法序説』(角川文庫、改訳35版、1980年、画像現物)。中 3 か高 1 で購入。線引き多数。もう 1 冊はアンドレ・ジッド『狭き門』。現物は見当たらない。読みながら内心をかき乱された記憶あり。たぶん泣いた。

私は覚えていないが、伯母から教えてもらったのは、 2 歳か 3 歳の頃の私が本の前に座ってずっと読んでいるタイプだったそう。父に読んでもらうたびに笑った絵本は、題名を思い出せない。さんかくちゃんとしかくちゃんとまるちゃんが相撲をとる話。行司が「ひが~し~、まるぼうろ~」と言うところで笑う。

コロボックル童話集や南総里見八犬伝も好きだったが、なにせ小 1 が1972年。「ガッチャマン、マジンガーZ、レインボーマン」勢ぞろい。アニメを見るほうが手っ取り早くなって来た。私の左目が「仮性近視」と診断されたのは小 3 。テレビの観すぎ。親の判断で私の高校卒業まで実家からテレビが撤去された。

2025年10月30日木曜日

幼稚とは

購入後5年以内の私物

【幼稚とは】

「子どものころ自分が観た+自分の子どもたちが観ているのを隣に座って観た」アニメやマンガの言葉や描写をたとえに用いて話すと「幼稚」と言われたことがある。21世紀になったばかりの頃。他にどうすればよかったのだろう。ドストエフスキーでも引き合いに出さないかぎり高尚な話にならないだろうか。

「だれから言われたか」や「どんな状況で言われたか」は伏せる。礼拝の説教でなかったことは明言しておく。ふつうに話が通じると思ったら、軽蔑と憤怒が混ざったような非難を食らった。もう一回言う。ドストエフスキーなら良かったのだろうか。芥川か太宰か。音楽はベートーベンかモーツァルトか。

50を過ぎてから常勤・非常勤で学校(小・中・高)で聖書科講師をしたとき、ずれの大きさを意識した。授業で話すことに興味を持ってくれるのは、アニメやマンガやゲームのタイトルや登場人物や出来事の名前が聖書に由来しているときのようだと分かる。逆に言うと、そのつながりが切れたら関心も失うだろう。

私は私で流れに全く乗れていない。今あるもので満足していてこれ以上は不要と思ってしまう。バイクはニンジャ1000初期型。マンガは009以外どれも読めていない。音楽はガーネットクロウさん。映画は007とミッションインポッシブル。後者最新作は多すぎる伏線回収がリズムを壊していて痛々しかった。

2025年10月15日水曜日

私のバイクはなぜ赤いのか

私のニンジャ1000

【私のバイクはなぜ赤いのか】

私のニンジャ1000は2012年式。①前オーナーが交換した速そうだけどうるさいマフラーを購入時にノーマル戻ししてもらった。②元のグレーカウルを2011年式のレッドカウルに交換した。③サイドパニア(後輪左右の荷物入れ)を後付けした。④重すぎるクラッチで腕がもげそうだったのでアシスト&スリッパークラッチを後付けした。

⑤前オーナーがスモークに交換したウィンドスクリーンをクリア(透明)に戻した。⑥タイヤはブリジストンS22をダンロップに交換。⑦クラッチレバーをU-Kanayaに交換。⑧二―グリップパッドを貼った。⑨使い方が分かっていないが座布団。⑩バックステップは前オーナーが交換したかっこいいOver Racingを継承。

ETC(電子料金収受システム)とABS(アンチロックブレーキシステム)とイモビライザー(車両盗難防止システム)はついているが、それ以外の最新電子メカ「ポチッとな」(ちゅどーん!)的なのは全くついていない。それでも免許取得2年の私が何の不自由もない。そういうのがあるともっと快適なのだろうが、無くても何とかなることを証明してやろうではないかという気分にならなくはない。

カウルをグレーからレッドに交換したのは「目立つため」だが、「目立ちたがり」ではなくて「四輪に認識してもらうため」なので、あくまでも安全対策。「いい歳して赤?」とあざ笑われることがたまにあるが、それは誤解なので。四輪側にずっといたので分かる。公道で目立たない地味な二輪は危険なのだ。

2025年10月8日水曜日

脱構築された教会用語の再構築

エビフライとチキンカツ膳(2025年10月8日)


【脱構築された教会用語の再構築】

目くじらを立てているわけではないが、オーマイゴッドやジーザスクライストが「くそー!」ぐらいの意味で、「宗教」は罵倒用語、「神」は「すごい!」程度のほめ言葉、「罪悪感」はカロリーが高いものを食べようとしているときの気持ち。こういう時代の中でどう説教するかをよく考えなくてはならない。

教会が長年用いてきた用語に対するちゃかし、はずし、ずらし、脱構築。個人レベルの思い付きや一時的な流行の範囲の動きではもはやなく、言い方は大げさかもしれないが、不可逆な思想史レベルの流れに見える。その流れにむしろ乗る教界人すら見かけるが、私個人は堪えられない。流行ならば必ず廃れる。

教会が「そういうのやめてね」とか言っても意味がないし、逆効果。流れに自ら乗って「教会もナウい」ところを見せようとしても効果があるかどうか。教会が「原意」を保持する方法は「原点(原典)回帰」(ad fontes)だ、みたいに言えば納得されもしようが、とりでに立てこもる方向に進みたくはない。

野望かどうかは分からないが、私は後ろ向きでなく、前向きでいたい。「オーマイゴッド」と「ジーザスクライスト」と「宗教」と「罪悪感」と「教会」と「牧師」という語群の脱構築が止まることはもうないので、破壊されてすでに粉塵と化した遺物を集めて再構築していくような姿勢でいたいと願っている。

「教会側で意図せず脱構築された教会用語の再構築」は抵抗ではない。弱腰や無駄骨に見えるかもしれないが、意外とそうではない。自炊料理がたとえになりそうだ。人によるかもしれないが、少なくとも私の自炊は抵抗運動ではない。「安くて美味しいかどうか」がすべて。脱構築されたメシはたぶんマズい。

2025年10月1日水曜日

想像力の問題

国営昭和記念公園(東京都立川市・昭島市)の「黄色のドア」(9月30日まで)


【想像力の問題】

昨日の夕食は全国チェーン系の飲食店で済ましたが、私を含めて複数の客がいるのに、店員同士がベチャベチャしゃべる。業務と関係ないただのおしゃべり。最近そういうの多い気が。コンビニでもラーメン店でも。一日いろいろあって疲れてたどり着いた店で店員同士のおしゃべりを聞かされるのは神経にさわる。

以前は全国チェーン系のカレー店で、店長が新人バイトに厳しく指導する声が聞こえてつらかった。その店自体に以前ほど行かなくなったので最近のことは分からない。飲食店やコンビニは接客業でもあるのではないか。店員さんがたもお疲れだろうけど客も疲れている。せめて店に客がいる間は私語はやめて。

昨日、立川のバイク店にニンジャ1000の車検を依頼した帰り、国分寺の火事の直後だったようで、私が通ろうとした道が渋滞。複数の報道ヘリが上空を旋回。渋滞を抜けて、しばらく走って新青梅街道から環七に入る直前からゲリラ豪雨。鹿浜橋手前で雨がやむ。代車「MT-25」がいきなりずぶぬれ。ニンジャ1000より100kgほども軽くて乗りやすい。

足立-立川は往復90キロ。一般道で渋滞込みで往復5時間。初めて乗る代車のバイクで緊張するし、ゲリラ豪雨でずぶぬれ。ジャケットは走行中に乾いたが、やっと足立に戻ったと安堵して入った店で、店員同士のおしゃべりを聞かされる。しつこく言いたくないが、客の状況についての想像力をもってほしい。

2025年9月30日火曜日

電気なしでも成り立つ礼拝

2025年 1 月 2 日 岡山の実家前で撮影。
記事中の「元は海の底だった埋立地」は実家のことです。


【電気なしでも成り立つ礼拝】

2011年の計画停電は、当時私が住んでいた松戸は対象から外されて過ぎ越されたが、直前まで身構えた。そのとき考えたのが「電気なしでも成り立つ礼拝」。いつも電気なしで、と言う必要はないが、電気がないから礼拝できないという状態にしないことが大切と、そのとき考えた。電気の実用化は17世紀以降。

説教原稿は紙か石ころと鉛筆か引っかけるものがあれば何とかなる。週報はガリ版かプリントゴッコがあるといいな。そういうのが一般的だった時代の教会を私も覚えている。その頃から教会に通っていた。足踏みオルガンがあるといいな。日中の礼拝でも室内は意外と暗いのでロウソクと燭台があるといいな。

教会堂に集合してする礼拝の出席者の減少を嘆く声を繰り返し聴いてきたが、そのたびに複雑な心境。「これからはクルマ社会だ」と言われ、核家族化が進み、山の上や郊外や元は海の底だった埋立地の新興住宅地に移住した世代が、若い頃は意気揚々。運転免許返上の年齢を迎え、「教会に」通えなくなった。

いま考えているのは電気なしでも成り立つ礼拝。運転免許を返上した方々が教会堂に物理的に集まるには、遠方の場合は公共交通機関が必要だろうけれど、電車は停電時はたぶん止まる。バスか。教会堂の近くに住んで徒歩か自転車で通えるのは最適解と思えるが、都心の教会はそうは行くまい。足立は別だが。

「踊る大捜査線」シリーズが面白く感じたのは教会も同じだなと思えたから。交番や警察署を見下げる警視庁の姿が都心の教会と重なった。シリーズのはじまりは1997年だったそう。私はその年から神戸→山梨県の現甲斐市→千葉県松戸市。特に松戸で見たのは、近所のキリスト者たちが都心の教会を目指す姿。

徒歩か自転車で通える距離でも、相対的にちっぽけな教会は目に入っていなかったか。一度二度礼拝に出席してつまらないと思ったか。松戸は特に戦後は東京からの移民が多かった。都内の出身教会が流出を嫌がって引きとめていたか。電車もバスも億劫な高齢になってこちらに通う気になられた方が多かった。

「電気なしでも成り立つ礼拝」は「大規模な計画停電の最中のような状況下でも」と言いたがっている。「教会堂のあの装置が作動しなくても」というだけで済まない。集まる手段は当然含まれる。徒歩か自転車で通える距離の教会を大切にするほうが長い目で見るとたぶん良い。「たぶん」としか言えないが。

2025年9月29日月曜日

いわゆる「ニーメラーの言葉」について



【いわゆる「ニーメラーの言葉」について】

気になったので原著を買った。いわゆる「ニーメラーの言葉」の出典を知りたかった。アマゾンから現物が届いて確認できたのは、著者の同僚だという匿名の言語学者(a philologist)が、ニーメラーがそれをいつどこで言ったり書いたりしたかが不明な(脚注もない)言葉を伝えているだけだということだ。

日本語版があるようだが、読んだことはない。ちょっと長いが、当該箇所を引用する。

"Your 'little men', your Nazi friends, were not against National Socialism in principle. Men like me, who were, are the great offenders, not because we knew better (that would be too much to say) but because we sensed better. Pastor Niemoeller spoke for the thousands and thousands of men like me when he spoke (too modestly of himself) and said that, when the Nazis attacked the Communists, he was a little uneasy, but, after all, he was not a Communist, and so he did nothing; and then they attacked the Socialists, and he was a little uneasier, but, still, he was not a Socialist, and he did nothing; and then the schools, the press, the Jews, and so on, and he was always uneasier, but still he did nothing. And then they attacked the Church, and he was a Churchman, and he did something- but then it was too late."

(Milton Mayer, They thought they were free, The Germans, 1933-45, The University of Chicago Press, 1955, 2017, P. 168-169)

優れた言葉だと思うので貶す意図などは皆無だが、こういうのを「又聞き」とか「孫引き」とか言うのではないだろうか。

ニーメラーも自分の言葉がこういう形で広まっていることを知りながら問題にしなかったようなので、どうでもいいことかもしれない。しかし私はこの言葉の使われ方がどうも気になる。

著者マイヤーも、ニーメラーがtoo modestly of himself(「あまりにも謙虚に」と日本語版で訳されているそうで)このように言ったと書いているわけだが、最近の使われ方がまるで、へりくだる相手を叩くための引用のように、私には感じられて仕方がない。

ニーメラーを、でなく、教会人(Churchpersons)を。

私自身は「教会を外側から(ないし客観的に)見る視点」が著しく欠如している人間であるという強い自覚が幼少期からあるので、その自分の感覚を全く信用できずにいるが、おそらく教会は外からすれば、いかにも叩きやすい存在なのだろう。

言いたい放題言っても構わない存在だと思われやすいかもしれない。

教会人(Churchpersons)も教会人で、やや極端な言い方かもしれないが、全世界の全問題を引き受けたがってしまうところがあるかもしれない。

「すべては我々の責任です。ごめんなさい」と。

教会人に好意を持たない人にとっては好都合でもあり、「そうだそうだ、全部お前らのせいだ」と言わせてしまう。

そういうのどうなのだろうと、最近よく疑問を抱く。「全部お前らのせいだ」と言われても、そうなのかもしれないが、そうでないかもしれないとしか返しようがない。

こういうことを書いているだけで、さっそくattackを受けるかもしれない。too lateになるパターンのやつだと見られてしまうのかもしれない。

出典は赤旗(ネット版)の昔の記事で知りました。共産党さんには好都合かも。

日本語版は未読ですが、too modestly of himselfは「自己卑下しすぎ」くらいでは、とか、the thousands and thousands of men like meは「私たちのような」でなく「私のような」では、とか思います。

赤旗さん(ネット版)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-27/20060427faq12_01_0.html

赤旗の記事は2006年のようです。

日本語版が1983年だったようで、私は1984年から1990年まで東京神学大学に在学していた頃にニーメラーの言葉は何度も聞かされましたが、だれも出典を言わないし、アマゾンとか無かったので入手方法も分からず、ニーメラーが自分の本に書いているのだろうと思っていました。

原著を手にして分かったのは、ニーメラーの言葉はちょっとしたおかず程度の位置しかなく、脚注も巻末人名索引も文献表もない(学術書ではない)ので、探すのに苦労するほどだということです。

それが日本でわりと大きく取り上げられてきたのは、ニーメラーが「カール・バルトの仲間」だったという、その一点だけでしょう。

このたびマイヤーの本を買ったのは、文章の内容そのものよりも、どのような形式でニーメラーの言葉が最初に出版(publish)されたかを知りたかったからです。

ニーメラーが(たぶんアドリブで)こう言ったと、匿名の言語学者が言ったと、新聞記者が書いた、だけです。

匿名の言語学者か新聞記者が、ところどころ盛った可能性があるかもしれないし、ニーメラーとしても「シカゴ大学出版部」から出版されて世界的に売れた(のでしょ、たぶん)本で、自分の名前が一気に売れた(「ニーメラー財団」なるものができるほど)ので、自分が本当にそう言ったかどうかの記憶が怪しくても「ま、いっかー。知名度アップしたしー」というくらいで放置したかもしれません。

新聞記事とかならそんな感じでいいかもしれませんが、神学は曲がりなりにも「学」を名乗る以上、「又聞き」や「孫引き」で営むわけには行かないでしょう。

(2020年10月31日Facebookに記す、再録)

2025年9月20日土曜日

1965年生まれの私小説

関口 康(推定2歳、1967年頃、母の実家の前)


【1965年生まれの私小説】

1

1965年11月生まれの私は「バブル絶頂」の東京の大学生で、六本木「ロアビル」の近くの教会に通っていたが、1990年から1996年まで高知の田んぼの真ん中の教会の牧師で、ネットもなく情報格差がひどく、バブル崩壊もオウム事件も作り話のようだった。阪神・淡路大震災は高知も激しく揺れたので認識した。

「全共闘世代が、団塊世代が、バブル世代が、氷河期世代が、団塊ジュニアが、Z世代が、かくかくしかじか」と滑るような速さで世代論を語る、私と同年齢の論者のYouTube番組を最近視聴している。なんとなくそうかもと朧気(おぼろげ)に考えていたことをいちいち言葉にしてもらえているので興味深い。他方、その論者の主張が東京中心主義的すぎて視野が狭いとも感じる。

私は今は東京に「戻って」来ているが、厳密な意味での東京都内に「戻った」のは2018年からで、1990年から28年越し。その前に2004年から2018年まで14年は東京との県境の千葉県松戸市と柏市にいたので「ほとんど東京」ではあった。ディズニー含め「東京」を名乗りながら千葉にある施設や学校は複数ある。

これを書いている最中も、同じ論者の話を聴いている。課金もしている。「なぜ自分のマンガは売れないのか」を生涯のテーマにして苦しんでいるように見える方。私も他人事でない。「なぜ私の説教は読まれないのか」を生涯のテーマにすべきだろう。私の説教は東京中心主義だろうか。視野が狭いだろうか。

2

小説を読む力がないことに幼少期から悩んできた。同い年の作家が書いたものなら読めるかもと思い至る。申し訳ないが、男性作家のもの。あと、なるべく私小説。「それそれ、あるある」のノリで読めるものなら。検索してみたが、私が知っている名前がない。同い年は漫画家のほうが著名人が多い気がする。

そう思ったのは、実は数日前から、30代半ばの作家の500ページ近い話題の小説をキンドル版でがんばって読んでみているからだが正直きつい。私の子どもたちよりは少し年上の方だが、彼らが苦々しく見ている相手の中に私もいる。求められていそうな猛省をするべきかもだが、読書を楽しめる気分ではない。

無いだろうか、ぴったりの小説は。「それ知りたかった、それ言いたかった」と感動できるもの。上であれ下であれ年齢が離れた人たちについての勉強をし(させられ)たいわけではない。ただ楽しみたいだけだし、心のすき間を埋めてもらいたいだけ。「こうではなくそう生きていればよかったのかも」という反省ならしてみたい。

神学に関しては、著者がそれを書いた年齢に私が達した途端「急に」理解できるようになるものが多い。その現象が起こるのは「教会」という共通基盤があるからではないかと推測している。小説に同じことが当てはまるかどうかは分からない。若い人の小説を読むのがつらいことだけは、今のところ分かる。

3

だんだん絞れてきた。小説を読解する力がないので映画に頼っているが、東野圭吾さんと伊坂幸太郎さんの作品は好き。東野さんが1958年生まれで、伊坂さんが1971年生まれ。「1958+1971÷2=1964.5」四捨五入して「1965」どんぴしゃだ。東野さんと伊坂さんを足して2で割った男性作家の私小説が読みたい。

生成AIに「東野圭吾さんと伊坂幸太郎さんを足してちょうど2で割った世代感覚を持つ、1965年生まれの小説家が書いたような私小説を書いてください」とお願いすればあっという間に夢を叶えてくれるかもしれないが、そういうのは私は求めていない。あっという間にそういう時代が来るかもしれないけれど。

最近知ったばかりの論者の動画集をまとめて数年分観た程度で「東京中心主義的すぎて視野が狭い」など書いた失礼をお詫びしたい。論者のおかげで世代感覚が鋭くなった。東野さん作品と伊坂さん作品それぞれのパースペクティヴの違いを感じ取れるようになったし、私の感覚と食い違うことが分かってきた。

だからこそ、ジャスト同年齢の作家の私小説を読みたい。自分の代弁者を探したいという思いが芽生えた。失礼を重ねることになるが、物書きになることに敗北感を抱いた世代かもしれない。「風変わりな人だ」と見下げられる覚悟が必要だったかも。牧師は物書きではないが、ある程度の感覚は共有している。

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あれが教会に行く途中だったか教会から帰る途中だったか定かな記憶は失われたが、ロアビル前でひとりで立っておられた岩井由紀子さんを見かけた。学生寮に戻って興奮気味に自慢した。ロアビルに一度だけ入った記憶があるが、何をしに行ったかは覚えていない。教会の人と一緒だった。食事かもしれない。

当時の私は赤い日産シルビアの所有者だったが、乗るのは三鷹の学生寮と六本木の教会の往復ぐらい、ということにしておく。岩井さんをお見かけした日は電車。シルビアの日は「甲州街道→明治通り→六本木通り」のルートが多かった。水野晴郎さんや小沢真珠さんを車窓ごしにお見かけしたときも興奮した。

私は東京に行きたかった。その願いが叶って1Q84から1Q90まで都内の大学にいて敷地内の学生寮に住んだ。「東京に行けばテレビの出演者に会えるらしい」という都市伝説は子どもの頃から聞いていた。大学1年のとき、原宿のライブハウスでの戸川純さんのコンサートに初めて行って出口で握手してもらった。

1Q88年か翌89年、渋谷駅前に屋上にプラネタリウムがあった東急の映画館で、小泉今日子さんをお見かけした。上映直前、少し離れた真後ろに座っておられることに妻が気づき、肘と小声で教えてくれた。関係ないが、そのプラネタリウムの館長は、私が通っていた六本木の教会員。東大名誉教授の天文学博士。

東京で「肉眼で目撃した」(失礼かもしれなくて申し訳ない)テレビ出演者は以上の方々。コンサートに行く習慣が昔も今もない。岡山でコンサートに行ったのは三田寛子さんだけ。父と岡山の球場で巨人阪神のオープン戦に行って、王さんや長嶋さんや当時のエースの定岡さんを遠くから見守ったことがある。

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同じ1965年生まれと言っても早生まれでひとつ上の学年の人たちは先輩。同じ学年は1965年4月から1966年3月まで生まれ。この学年で私がリアルタイムでその方の作品をちゃんと読んで好きでもあった(過去形ですみません)漫画家さんは、さくらももこさん、山田玲司さん、森川ジョージさん、武内直子さん。

「好きでもあった」と過去形なのは「今は好きでない」という意味ではない。今は週刊雑誌を買うことはないし、テレビもかれこれ10年以上(緊急災害時以外)観ていないので、それらのメディアでもはや接していないという意味で過去形。はじめの一歩は、木村のドラゴンフィッシュブローまで夢中で読んだ。

何が何でも同い年や同じ学年の作家さんの作品でなければならないと、こだわるほどではないが、ネットが無かった頃の子どもたちは、ウルトラマンや仮面ライダーの代が違うと話が合わなかった。我々の学年は小1でエースと仮面ライダーの2年目。ウルトラはレオまで、ライダーはストロンガーまで私は観た。

アニメも観ていたほうだが、1970年だったらしい「あしたのジョー」も「みなしごハッチ」も「いなかっぺ大将」も4歳とか5歳とかなので内容を理解できていたと思えない。単純に笑って見ていたのは1971年の「新おばけのQ太郎」「天才バカボン」。「ルパン三世」も同年だったようだが少し大人向けだった。

1965年生まれの小学1年(1972年)のアニメは超パワフルだった。今でも主題歌を歌える「赤胴鈴之助」「デビルマン」「ガッチャマン」「ど根性ガエル」「マジンガーZ」が勢ぞろい。翌1973年が「バビル2世」「ドラえもん」「キャシャーン」「ドロロンえん魔くん」「侍ジャイアンツ」。観ないはずがない。

翌1974年が「ゲッターロボ」「グレートマジンガー」「ギャートルズ」(←好き)「カリメロ」。ヤマトは再放送で知った組。小4(1975年)から進学塾に通いはじめたので、私がアニメや特撮を集中的に観たのは1972年4月から1975年3月までの3年間。3年でこのラインナップは圧倒的だった。いい勉強できた。

これはもちろん別に私だけの話ではなく、私と同い年、同じ学年の人の多くがそうだったと思う。もっとも岡山には民放がかろうじて2局(山陽放送、瀬戸内海放送)あったが、民放1局だけの地域もあっただろうし、週刊雑誌や単行本の入手が困難だった地域もあったに違いないので、一概に言うつもりはない。

その1965年生まれが今年ちょうど60歳なので、質問したくなる。「どんなふうに生きてきましたか。楽しかったですか。つらかったですか」と。それを小説で書いてくださる方がいないかなと願っている。定年退職の方もおられるようなので、これから小説家を目指されるといいかもしれないし。読みたい。

2025年9月17日水曜日

ハイデルベルク信仰問答

『足立梅田教会の歩み』(1989年)25頁


【ハイデルベルク信仰問答】

書棚の整理が苦手でないタイプでもあり、足立梅田教会に赴任して早々、かなりランダムに並べられていた教会の書棚をジャンル別に分類しながら置き直した。そのとき、まとまった数の「ハイデルベルク信仰問答」(竹森満佐一訳)があるのに気づき、何代目の牧師の頃に取り組んだのだろうと興味を持った。

気づいたのが赴任直後で、事実を明らかにできるほどの情報をまだ持っていなかったので、それ以上のことを考えようとしなかった。今月9月7日(日)教会創立72周年記念礼拝の説教準備のために読み直した創立36周年の出版物『足立梅田教会の歩み』(1989年)に事実が明記されていることに初めて気づいた。

以下は当教会初代牧師の藤村靖一先生の文章。「なお、37年(※「1962年」)の9月30日の礼拝から、礼拝の中に『ハイデルベルク信仰問答』を共に読み勉強してゆくプログラムを入れまして」(同上書25頁)。1962(S37)年は、1953年開設「美竹教会梅田伝道所」が「足立梅田教会」として独立した年である。

やっと分かった。足立梅田教会がハイデルベルク信仰問答を礼拝の中で読み学んだのは「初めから」であり、初代の藤村牧師による取り組みだった。これは感謝しかない。私が日本キリスト改革派教会にいたころ働いた2つの教会(山梨、松戸)はどちらも元CRC伝道所でハイデルベルク信仰問答が土台にあった。

「CRC」はChristian Reformed Churchの略。オランダ系と言われる北米拠点の改革派教会。ハイデルベルクはドイツだが、この信仰問答が強い影響を与えたのはオランダの教会。日本キリスト改革派教会の「東部中会」と「東関東中会」の多くの教会が元CRC伝道所。ハイデルベルク信仰問答を学ぶ伝統を持つ。

私も実際にしていたことだが、52主日分ある問いと答えを主日礼拝ごとに読む。読むだけの主日もあれば、解説がなされる主日もある。足立梅田教会の初代牧師がその形を目指した形跡を、ご自身の文章からうかがえる。藤村先生は主任牧師として約34年間在任。創立72周年の教会の歴史の最初の半分に当たる。

「だからどうする」は別問題。おそらくはエキュメニズムとの関係で人口に膾炙した「カルヴァンは本当は毎週聖餐式をしたかったが、周囲の圧力で年4回とせざるをえなかった」論に似ている。カルヴァンの夢を叶えてあげるべきか、それとも年4回になった事実のほうが尊いのか。私はどちらかといえば後者。

足立梅田教会の現在の教会堂は1994年に建てられたが、レンガの外壁や合理的な縦長でオールインワンの構造を最初に見たとき、2008年の初めてのオランダ旅行のときに4泊5日お世話になった、アムステルダムの国立美術館の近くのビジネスホテルに似ていると思った。礼拝形式も簡素。きわめてオランダ的。

住所間違いで返送されてきた敬老ハガキを書き直し、2日遅れで申し訳なく思いつつ、たったいま徒歩で届けてきた。教会の方々のほとんどが、徒歩か自転車で教会に来てくださる。自転車カルチャーもオランダ的。牧師(私)はニンジャ1000。今は暑すぎてヘルメットをかぶりたくなくて、徒歩か電車に逃避。

2025年9月10日水曜日

教会に「戻る」という感覚を持てる最後の世代

昨日撮った写真をGeminiにフィギュア風に描いてもらいました


【教会に「戻る」という感覚を持てる最後の世代】

岡山に男子が通えたキリスト教主義学校はごく最近までなく、教会に通うことがその種の学校への入学のアドバンテージになるらしいなどの都市伝説は一切無かったが、それでも私が小学校の低学年だった1970年代前半までは、教会学校に「信者の子かどうか」を問わず、大勢の子どもが集まったものだった。

私が再来月60歳。同い年の中に職場の規定で定年の人もいる。「定年退職しました」連絡がちらほらある。私が改革派教会にいた頃は70歳定年制があり、同一教会で毎年延長願を中会で承認してもらって75歳までできるという仕組みに納得していたが、日本基督教団に定年制は無い。死ぬまで続けても問題ない。

危機感などは私には無いが、本人の自覚や動機は何であれ、おそらくは親が行かせようと意志する仕方で「幼少期に教会(学校)に行ったことがある」世代が、私の前後で切れる。私は1965年11月生まれ。正確な線を引く話ではないが、「教会に戻る」という感覚を持てる最後の世代が私と同世代かもしれない。

「定年退職」が直接の理由でなくてももちろん構わないが、会社勤めをしていた頃より時間の余裕ができただろう。今年60歳を迎える私と同い年の方々に「もしよろしければ、教会に戻って来ませんか」と呼びかけたくなる。当時と同じ讃美歌をうたっていたりするので、きっと「懐かしい」と思ってもらえる。

2025年9月8日月曜日

敬老ハガキの聖書の言葉

焼き秋茄子と丸揚げイワシ丼(2025年9月8日 自作昼食)


【敬老ハガキの聖書の言葉】

気にしすぎかもしれないが、敬老ハガキに聖書の言葉を、と考えはじめるも、落ち着く言葉が見つからない。どれもこれもずけずけ言い過ぎ感があって、身も蓋もないというか、すべてお見通しですよ的というか、当てに行っていると疑われても仕方なさそうな危険球的というか、クッションが欲しいというか。

よく知りもしないことを書くのはよすほうがよさそうだが「もののあはれ」とか「わびさび」とか?そういう感じの方向を持つ感覚を私も全く共有していないわけではない。逃げるつもりはないけど言われなくても分かってて準備中なのでちょっと黙っててくんないかな的というか、皆まで言うな的というか。

私はまだ敬老ハガキを受け取る側にいないが、そう遠い未来でもなくなった。自分が受け取るようになったときに初めてどういう聖句が書いてあれば慰めを得られるかが分かるのだろう。「神は愛である」とあると「どうせ私には愛がないと言いたいんでしょ」的な反発を感じる人間になっていそうな気がする。

やっとひとつ無難な言葉を詩編に見つけて引用。敬老ハガキ投函完了。翌日配達とかしてくれなくなったので早めに投函しないと9月15日に間に合わぬ。聖書の言葉はそのまま使うと致死レベルのものが多い。うまくたとえられないが何かの原液とか原石のよう。希釈やよほど上手に料理しないとただの毒物だ。

2025年9月2日火曜日

説教の主語を各個教会にするとブログ読者が減る現象

イサキの塩焼き納豆朝食(2025年9月2日)

【説教の主語を各個教会にするとブログ読者が減る現象】

立証の段階はまだ程遠いが、興味深い現象を見つけた気がしている。教会ブログで公開する説教原稿などで、中心的な主語を「足立梅田教会」にするとアクセス数が下がる。ブログ説教に期待されているのは、ネットのかなたで読んでくださる方々が主語であること。それは教会の説教の本質とは矛盾することだ。

説教盗用の問題が最近どうなのか私は分からない。私のごく身近で説教盗用で免職戒規が起こったのがゼロ年代後半。ちょうどそのころ英語圏で同じ問題を扱う本が書かれたほど騒がれていたが、はや20年近く前。沈静化したのだろうか。各個教会を主語とする説教であれば第三者に盗用できるはずないのだが。

生成エーアイに説教原稿を書かせる牧師がどれぐらい出現するだろう。説教の目的が聖書釈義だけでなく「地域に根差した語り」でも(でこそ)あるなら生成エーアイの情報収集能力は期待できるかもしれない。私も「足立区の歴史」や「地元の名所」などは不勉強だし、どこから手をつけてよいか分からない。

山内眞先生が亡くなられたことを教団新報で知る。この話を覚えておられる方がいるだろう。山内先生が組織神学者としたらしい論争の話を当時教わった。

山「組織神学は飛行機の上からタネをまくようだ」

組「何を言う。聖書学はミミズの目を探すようだ」

山「何を言う。ミミズに目はないっちゅうねん」

足立梅田教会に来て1年半。感謝しているのは、礼拝に出席してくださる方々が教会ブログで説教原稿も読んでくださっていること。板書説教を続けているが、スピードやテンポも大事。「細かいことはブログに書いておきます」で済むようになった。日本語には同音異義語が多い。板書とブログが補足になる。

2025年8月22日金曜日

「足立前」と「足立後」

「自炊ライダー」原作・関口康、作画・ChatGPT 

【「足立前」と「足立後」】

「本を減らしたい」と願い、実践したが、減るどころか増える。廃棄または譲渡した本も「これはあれに書かれていたはず」と思い出して捜す羽目になって当然見つからず、古書店で同じのを買い戻す。異端やトンデモ本も、それはそれでそれとしての価値がある。その価値は、売れるかどうかの意味ではない。

特に足立の今の教会に来てから、これまで直接対面したことがなかった方々との新しい出会いが多くあり、その方々の関心や愛読書がこれまでの私の関心に無く、かろうじて死蔵だけしていたりして、それをやっと読む気になったりもした。「棄てなくてよかった」と安堵する場面が多いが、棄てたものもある。

本の話は長くなるので、やめる。私の人生に「足立前」と「足立後」の線が引かれたことを実感している。全共闘世代の分断と明らかに関係している。私はどちら側でもないし、どちら側でもある。和解や調和は彼らの問題。正反合の弁証法が起こるとも思わない。両者に生存権があると思っているに過ぎない。

2025年8月21日木曜日

教会が好きなので教会が嫌いになりそうになる

「東京スカイツリーが見える」と言いたがっている 2024年10月24日撮影

【教会が好きなので教会が嫌いになりそうになる】

日本で創立以来100年越えのプロテスタント教会が少ないとも言えなくなってきた昨今の状況はうれしいかぎり。しかし、「歴史的建造物だから」「我々の『格』ならこれくらいは」などの理由で数百名収容可能規模の礼拝堂を維持しているものの、空席が目立つ「さびしい」礼拝の教会の苦しさは、私なりに理解している。

苦しみを感じている個人や集団についての言説に必要なのはデリカシー。また、私個人は現時点で「数百名収容可能規模の礼拝堂を維持している教会」の牧師ではないが、教団・教区・支分区などのつながりがあるため「部外者」とも言いがたい立ち位置にいるので、ずけずけ言うつもりはない。

逆転発想と言えるほど逆ではないが、最近よく考えるのは、どれほど広い礼拝堂で空席が目立つような気がするとしても、果たしてそれは「空席」なのかと、その教会自身が自問自答することが大切かもしれないということ。古めかしい横長のベンチにぎゅうぎゅう詰めで座りたいと思う人は、もういないだろう。

それと、「数百名収容可能規模の礼拝堂を維持している教会」の牧師がたが、教団・教区・支分区や対外的な仕事で忙しいからか、原稿なしのアドリブトークライブかと思える、ずいぶん雑駁な説教をしておられる気がして心配している。説教準備しかすることがない牧師の説教のほうが聞きごたえがある場合があると思う。

足を引っ張る意図は無い。日本のキリスト教宣教の進展だけが私の願い。1990年春、日本基督教団東中国教区の常置員会だったかで補教師受験資格にかかわる面接を受けたとき「日本の」を言うと「アジアの視点が欠落している」と私を非難したどなたか(不明)の言葉を忘れたことは無い。私が気に入らなかったらしい。

昨日出席した会合で初めて知った。教団総会に出された重要な議案が「時間切れ審議未了廃案」になることを願った人たちが総会閉会時刻直前に「カウントダウン」をして提案者を侮辱したという話。私が教団を離れていた間(1997年1月から2015年12月まで)らしい。私は詫びる立場にないが、申し訳なく思う。

2025年8月20日水曜日

外国語の神学書をどんどん読んでくれるエーアイ

キリスト教神学資料室(牧師館内) 2024年10月24日撮影

【外国の神学書をどんどん読んでくれるエーアイ】

人工知能の使い道の話に私の出る幕は無いと思っているが、個人的に期待しているというかすでにフル稼働中の分野は、大量に譲り受けた外国語の神学書の乱読。古くて忘れ去られたものばかりで、翻訳出版の話などありえず、プロ翻訳家の出版物を待っても無駄。「正確な訳」かどうかより「読むこと」が重要。

来春、研究発表してくれと言われている日本の昔の神学者の背景を調査する中、その人が留学先で指導を受けた可能性があるアメリカの組織神学者が書いた教科書が私の書斎にある。そういうのをざっくり読むために人工知能の翻訳能力は大いに頼れる。積(つ)ん読(どく)が読(よ)ん読(どく)になる。

語学が得意な人たちがときどきSNS等で、自慢の語学で暗号のように何かつぶやくのを見かける。ボタンひとつで何を言っているかほぼ分かる。あいさつ程度の場合が多い。ドイツ語のひげ文字も、ヘブライ語も、ペルシア語なども同じ。くさび形文字はどうかは知らないが、たぶんボタンひとつで訳してくれそう。

人工知能のせいで「語学を学ばない人が増えるかもしれない」ことを危惧する向きがあるかもしれないが、別の考え方もできるだろう。死蔵する他なかった諸外国の文献の思想世界に突入できるようになった。出版に値するかどうかを「正しい訳」というなら別の話になっている。読むか読まないかだけが問題。

神学書の翻訳出版は今後も期待したいが、私個人は新刊書籍を定価どおり買えたためしがない。図書館という空間に馴染めない人間なので、自分で本を所有したいが、わが書斎の本はどれもこれも初めから20年30年経て安くなってから買ったものばかり。最近は某オクに出品された遺品と思われるもの。

自分で買ったものではなく無償で譲り受けた大量の本の中に外国語のものが多い。ルターの英語版全集。大量のカルヴァン研究書(英語、ドイツ語、オランダ語)。数十年分の米国カルヴァン神学校の紀要。これまた大量の現代の組織神学。カール・バルト、ボンヘッファー、ユンゲル、パネンベルク、ハンス・キュンク。

日本語版を新刊の定価で買うお金が無いので、人工知能に読んでもらっている。それを私が出版するわけではないので「正しい訳」かどうかは、さほど問題ではない。そこで何が話題になっているか、どういう解決策が提案されているか、その提案が日本のキリスト教宣教にとって有益かどうかが分かればよい。

「出版」の概念も昔とは大きく変わっただろう。ブログやSNSの記事は訂正や削除や改変が容易すぎるので、学術論文などの土台にするのはいまだに難しそうだと私も思う。しかしネット記事の可変性や流動性は長所でもある。「正しい訳」よりも「いま必要な言葉」を得ることのほうが重要な場面がある。

2025年8月18日月曜日

博士の従者ではない

キリスト教歴史資料室(牧師館内) 2024年10月24日撮影

【博士の従者ではない】

宗教法人うんぬんの話ではないし、教団・教派の「構造」の話に近いが同じではない。自分の属するグループのようなものがあり、その中に博士(Th. D.)の学位を持つ神学者がいて、その人の判断がグループを拘束するほどの力を持っていれば、自分で考えなくて済む教師(牧師)が増えて、私なども助かる。

そういう「構造」になっていない場合や、そもそも何のグループにも属していない教師(牧師)たちは、すべてを自分で考えなくてはならない。あえて大げさに言うが、キリスト教史2000年分をカバーするだけの規模の本の自己所有が必要。それができない場合は、だれかのコピー、または従属関係に置かれる。

極端な言い方なのは自覚している。買って持っているというだけで1ページすら読めていない本がかなりあることを隠すつもりはない。すべての教師(牧師)がTh. D.である必要は当然ない。自分で考え、自分で判断できる自由を得るためのコストはけっこう重いということを認識してもらいたくて書いている。

今これを書きながら福沢諭吉さんの『学問のすゝめ』を思い出していることも隠さないでおく。基本的なことは何でも自分でできるようになるために学問がある、自分にできないことがあってそれを学ぶ気がなければ誰かに従属する立場に置かれざるをえない、というわけだろう。教師(牧師)も同じだと思う。