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エビフライとチキンカツ膳(2025年10月8日) |
【脱構築された教会用語の再構築】
目くじらを立てているわけではないが、オーマイゴッドやジーザスクライストが「くそー!」ぐらいの意味で、「宗教」は罵倒用語、「神」は「すごい!」程度のほめ言葉、「罪悪感」はカロリーが高いものを食べようとしているときの気持ち。こういう時代の中でどう説教するかをよく考えなくてはならない。
教会が長年用いてきた用語に対するちゃかし、はずし、ずらし、脱構築。個人レベルの思い付きや一時的な流行の範囲の動きではもはやなく、言い方は大げさかもしれないが、不可逆な思想史レベルの流れに見える。その流れにむしろ乗る教界人すら見かけるが、私個人は堪えられない。流行ならば必ず廃れる。
教会が「そういうのやめてね」とか言っても意味がないし、逆効果。流れに自ら乗って「教会もナウい」ところを見せようとしても効果があるかどうか。教会が「原意」を保持する方法は「原点(原典)回帰」(ad fontes)だ、みたいに言えば納得されもしようが、とりでに立てこもる方向に進みたくはない。
野望かどうかは分からないが、私は後ろ向きでなく、前向きでいたい。「オーマイゴッド」と「ジーザスクライスト」と「宗教」と「罪悪感」と「教会」と「牧師」という語群の脱構築が止まることはもうないので、破壊されてすでに粉塵と化した遺物を集めて再構築していくような姿勢でいたいと願っている。
「教会側で意図せず脱構築された教会用語の再構築」は抵抗ではない。弱腰や無駄骨に見えるかもしれないが、意外とそうではない。自炊料理がたとえになりそうだ。人によるかもしれないが、少なくとも私の自炊は抵抗運動ではない。「安くて美味しいかどうか」がすべて。脱構築されたメシはたぶんマズい。