2025年11月5日水曜日

中高生の頃に読んだ本

デカルト『改訳 方法序説』1980年版

【中高生の頃に読んだ本】

「中高生のころ夢中になって〇〇を読んだ」を言う人の話を聴くたびに、そのころ私は何を読んでいただろうと振り返るが、ほとんど思い出せない。農業高校の園芸科専任教諭だった父の本棚は、主専攻の果樹園芸学や、途中から教えることになった造園学の本で埋め尽くされていて、全く関心を持てなかった。

父の本棚に聖書はあったが、ひとりでは理解できなかった。牧師が説教で聖書の話をしないので独学を思い立ったが、岡山市内のどの大手書店の宗教コーナーにも聖書以外のキリスト教書はほとんどなく、『ノストラダムスの大予言』が幅を利かせていた。キリスト教書店が岡山にあるのを当時は知らなかった。

私の出身中高は公開している。どちらもくじ運が良かっただけで自慢にならない。それでも学校の話をしたい理由は、実家から片道10キロの自転車通学を中高 6 年続けたことを言いたいから。苦労自慢ではない。帰りみち必ず、書店か公立図書館でキリスト教書を探すか、悪友の家で遊ぶか、児島湾を見ていた。

そして「当時の私なりに徹底的に探しても、私の中高時代の岡山でまともなキリスト教書は見つからなかった」と言いたいから。1970年代後半から80年代前半まで。前後のことは分からない。岡山のキリスト教書店を知らなかったのは不覚。中高の図書室に期待したことはない。雰囲気が嫌いで近づかなかった。

当時の岡山市内の大手書店といえば紀伊国屋と丸善。小さな書店も探した。よく立ち寄った公立図書館は古い建物だった頃の市立伊島と、高 3 の春(1983年 4 月)に開館した市立中央。ひかれる本はほとんどなかったが、背表紙が好きでつい手に取って読んだのは『三島由紀夫全集』。思想に共感したことはない。

「そういえば」と当時繰り返し読んだ本が少なくとも 2 冊あったことを思い出した。デカルト『改訳 方法序説』(角川文庫、改訳35版、1980年、画像現物)。中 3 か高 1 で購入。線引き多数。もう 1 冊はアンドレ・ジッド『狭き門』。現物は見当たらない。読みながら内心をかき乱された記憶あり。たぶん泣いた。

私は覚えていないが、伯母から教えてもらったのは、 2 歳か 3 歳の頃の私が本の前に座ってずっと読んでいるタイプだったそう。父に読んでもらうたびに笑った絵本は、題名を思い出せない。さんかくちゃんとしかくちゃんとまるちゃんが相撲をとる話。行司が「ひが~し~、まるぼうろ~」と言うところで笑う。

コロボックル童話集や南総里見八犬伝も好きだったが、なにせ小 1 が1972年。「ガッチャマン、マジンガーZ、レインボーマン」勢ぞろい。アニメを見るほうが手っ取り早くなって来た。私の左目が「仮性近視」と診断されたのは小 3 。テレビの観すぎ。親の判断で私の高校卒業まで実家からテレビが撤去された。