気になったので原著を買った。いわゆる「ニーメラーの言葉」の出典を知りたかった。アマゾンから現物が届いて確認できたのは、著者の同僚だという匿名の言語学者(a philologist)が、ニーメラーがそれをいつどこで言ったり書いたりしたかが不明な(脚注もない)言葉を伝えているだけだということだ。
日本語版があるようだが、読んだことはない。ちょっと長いが、当該箇所を引用する。
"Your 'little men', your Nazi friends, were not against National Socialism in principle. Men like me, who were, are the great offenders, not because we knew better (that would be too much to say) but because we sensed better. Pastor Niemoeller spoke for the thousands and thousands of men like me when he spoke (too modestly of himself) and said that, when the Nazis attacked the Communists, he was a little uneasy, but, after all, he was not a Communist, and so he did nothing; and then they attacked the Socialists, and he was a little uneasier, but, still, he was not a Socialist, and he did nothing; and then the schools, the press, the Jews, and so on, and he was always uneasier, but still he did nothing. And then they attacked the Church, and he was a Churchman, and he did something- but then it was too late."
(Milton Mayer, They thought they were free, The Germans, 1933-45, The University of Chicago Press, 1955, 2017, P. 168-169)
優れた言葉だと思うので貶す意図などは皆無だが、こういうのを「又聞き」とか「孫引き」とか言うのではないだろうか。
ニーメラーも自分の言葉がこういう形で広まっていることを知りながら問題にしなかったようなので、どうでもいいことかもしれない。しかし私はこの言葉の使われ方がどうも気になる。
著者マイヤーも、ニーメラーがtoo modestly of himself(「あまりにも謙虚に」と日本語版で訳されているそうで)このように言ったと書いているわけだが、最近の使われ方がまるで、へりくだる相手を叩くための引用のように、私には感じられて仕方がない。
ニーメラーを、でなく、教会人(Churchpersons)を。
私自身は「教会を外側から(ないし客観的に)見る視点」が著しく欠如している人間であるという強い自覚が幼少期からあるので、その自分の感覚を全く信用できずにいるが、おそらく教会は外からすれば、いかにも叩きやすい存在なのだろう。
言いたい放題言っても構わない存在だと思われやすいかもしれない。
教会人(Churchpersons)も教会人で、やや極端な言い方かもしれないが、全世界の全問題を引き受けたがってしまうところがあるかもしれない。
「すべては我々の責任です。ごめんなさい」と。
教会人に好意を持たない人にとっては好都合でもあり、「そうだそうだ、全部お前らのせいだ」と言わせてしまう。
そういうのどうなのだろうと、最近よく疑問を抱く。「全部お前らのせいだ」と言われても、そうなのかもしれないが、そうでないかもしれないとしか返しようがない。
こういうことを書いているだけで、さっそくattackを受けるかもしれない。too lateになるパターンのやつだと見られてしまうのかもしれない。
出典は赤旗(ネット版)の昔の記事で知りました。共産党さんには好都合かも。
日本語版は未読ですが、too modestly of himselfは「自己卑下しすぎ」くらいでは、とか、the thousands and thousands of men like meは「私たちのような」でなく「私のような」では、とか思います。
赤旗さん(ネット版)
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2006-04-27/20060427faq12_01_0.html
赤旗の記事は2006年のようです。
日本語版が1983年だったようで、私は1984年から1990年まで東京神学大学に在学していた頃にニーメラーの言葉は何度も聞かされましたが、だれも出典を言わないし、アマゾンとか無かったので入手方法も分からず、ニーメラーが自分の本に書いているのだろうと思っていました。
原著を手にして分かったのは、ニーメラーの言葉はちょっとしたおかず程度の位置しかなく、脚注も巻末人名索引も文献表もない(学術書ではない)ので、探すのに苦労するほどだということです。
それが日本でわりと大きく取り上げられてきたのは、ニーメラーが「カール・バルトの仲間」だったという、その一点だけでしょう。
このたびマイヤーの本を買ったのは、文章の内容そのものよりも、どのような形式でニーメラーの言葉が最初に出版(publish)されたかを知りたかったからです。
ニーメラーが(たぶんアドリブで)こう言ったと、匿名の言語学者が言ったと、新聞記者が書いた、だけです。
匿名の言語学者か新聞記者が、ところどころ盛った可能性があるかもしれないし、ニーメラーとしても「シカゴ大学出版部」から出版されて世界的に売れた(のでしょ、たぶん)本で、自分の名前が一気に売れた(「ニーメラー財団」なるものができるほど)ので、自分が本当にそう言ったかどうかの記憶が怪しくても「ま、いっかー。知名度アップしたしー」というくらいで放置したかもしれません。
新聞記事とかならそんな感じでいいかもしれませんが、神学は曲がりなりにも「学」を名乗る以上、「又聞き」や「孫引き」で営むわけには行かないでしょう。
(2020年10月31日Facebookに記す、再録)