2015年7月2日木曜日

戦争反対

文章とは関係ありません
「海が好きだから海が見える町に住みたい」と思っていたが、今はそうでもない。「都会の夜景が好きだから都会の夜景が見える高層マンションに住んでみたい」と思ったこともあるが、今はそうでもない。「お互いの顔を見ながら話せる通信機が欲しい」と思っていたが、手に入った今、あまり使っていない。

違憲状態選挙で選ばれた違憲状態議員あふれる違憲状態国会で、憲法学者の圧倒多数が違憲判定している違憲状態法案を「数の力」で可決しても違憲状態のままだが、それで戦地に行かされた若者の中に戦死者が出たら誰が責任とるのか。国葬にするとか言い出すかもしれないが「違憲状態国葬」とは何なのか。

フライングの誹りを免れそうにないが、今の政府の暴走を止められないなら「日本の戦後復興」を考えざるをえないのかという悲壮感が私の中にないとは言えない。また負けるだろうし、国民は地獄の底に落とされる。ダレトク戦争なわけで。戦中食とか食べたことないなあ。いざとなれば食べれるんだろうか。

他地域との「差」を言いたいのではないが、今「首都圏」に住んでいて感じることは、日本防衛軍(リネーム後の自衛隊)が「参戦」するや否や、いつ何が落ちてくるか、いつ何が炸裂し多大な死傷者が出るか、不安でたまらないということだ。最寄りの電車や地下鉄はかつて某教団にサリンをまかれた路線だ。

衆参議員会館と国会議事堂をつないでいるのは、地下奥深い通路。デモ隊がどれほど声を張り上げても聞こえない。大きなデモが行われている日に実際に通らせていただいて確認したことがあるので当てずっぽうではない。デモ隊もこの声が議員たちに聞こえているわけではないことくらい分かっているはずだ。

でも、もう無視しないほうがいい。私の中学時代の友人がかの文化芸術懇話会にいたようでヒットラーユーゲントなどと誹られている。誹るほうが悪いのではない。誹られるようなことをしている側の人々が悪い。友人の出世を我がことのように喜んでいた頃もなくはない。でも今は恥ずかしいとしか思えない。

天下国家を論じる場も力も知識も私にはない。法律も政治も経済も分からない。だけど人間として何が正しいか何が間違っているかは、少しは分かる。ひとりで考えているだけでなく、大勢の人と共に考えている。その結論として今の政府は「アウト」だ。政界をお去りいただき、若者がこの国を作りなおそう。

昼食は「サイコロステーキ丼」を作って、在宅研究日の大学生と2人で食べました。サイコロステーキはマルエツ4割引き大安売り。こんな美味しいの食べてたら戦中食に切り替えるのは無理だ。戦争反対。