2015年7月21日火曜日

デモの話

国会議事堂
たしかに私も「デモ」なるもの/ことにはかなり長年偏見があった。70年安保が5歳。父の膝の上に座って、白黒テレビで、ヤスダコードーとかアサマサンソーとかヨドゴーとかの「事件」を見ていた記憶がなぜかいまだにはっきりある。ホースイとかテッキューとかヨーギシャとかの映像が焼き付いている。

それ系統の一連の記憶と、やはりまだ白黒テレビだった頃からのウルトラマンシリーズ、仮面ライダーシリーズ、あとはオバQとかゲゲゲとかバカボンとかハクション大魔王とか、ドリフとか、なんかそんな感じの、言ってみれば支離滅裂な情報が、私の脳内にいまだに散乱し、ぐちゃぐちゃのまま残っている。

70年安保が5歳なら45年前。その記憶がそれほど褪せもしないで、そのまま残っている。当時のウルトラマンだライダーだアニメだの主題歌は、歌手の微妙な節まわしまで覚えている。アタックNo.1だってキャンディキャンディだって覚えている。いま80代くらいの人にとっての軍歌みたいなものか。

「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものだ。こんなの精神論でもなんでもない。幼児期の脳にインプットされたことは死ぬまで影響し続けるということだろう。私は何歳まで生きるか分からないが、よぼよぼのじいさんになっても、キャンディキャンディの主題歌を節まわしまで正確にうたえる可能性が高い。

そういう頃に「テレビ」で「デモはこわい」というイメージを植え付けられた可能性が、私の場合、非常に高い。でも、なんのことはない。こわくもなんともない。実際に国会議事堂前や総理官邸前に「デモのために」行ってみて分かったことだが、え、こんな狭いところだったの、ということに、まず驚いた。

国会議事堂や総理官邸前に立っている警察の人たちも、だいたいうちの子どもくらいの世代かなというくらいの子たちだ。べつにこわくもなんともない。私がこわいというか心底から不気味だと感じるのは迷彩服だ。草むらなどどこにもないアスファルトの街中でカモフラ着る必然性がどこにあるんだよと思う。

私が5歳のときに白黒テレビで見て「こわい」と思ったデモと、今行われているデモが、どう違うのか、どこも違わないのかは、私には分からないし、その比較に興味はない。ただ、いまはっきり分かるのは、デモはこわくないということだ。スーツでもなんでも着て、行って立っていればよい。ただそれだけ。

あと、不謹慎で申し訳ない。今の政治状況というか「デモ状況」を観ていると(傍観しているという意味じゃないからね!)ハリー・ポッター思い出すことあります。もちろんSEALDsさんたちがハリポタ側。闇側はネトウヨか。親世代に原因があるゴタゴタに「ち、しょうがねえ」と子世代が立ち上がる。