2015年7月11日土曜日

まもなくネット生活19周年

この平和がいつまでも続きますように
大昔に卒業した中学の定員が気になって調べた。2015年募集180人、2年前(2013年)200人。うち内部生(小学校から)2015年100人、2013年120人。私は内部生ではなかった。それって入試難易度高いほうだったってことじゃんと卒業後34年も経ってから気づく。抽選だけどね。

金曜ロードショー「おおかみこどもの雨と雪」を観て涙しながら、高校生が買ってきてくれた美味しいチーズケーキを堪能する。この平和がいつまでも続きますように。

来月ネット生活19周年を迎える。実感してきたのは、facebookを始めるまでは何を書いても誰からも何も言われなかったということだ。メーリングリストとブログ。たまに会う人に「読んでるよ」と好意的な言葉をかけてもらうことはあった。読んだ上で無言の人は、たいてい腹を立てていたらしい。

しかし、facebookも本当のところは分からない。「高速いいね」の方々は、内容を読んでいるわけではない感がかなり伝わってくる。同じようなことを私もしているときがあるので、文句を言っているのではない。ただ、親しい間柄の人の場合は、「読まずにいいね」は押してもらいたくない気もする。

「読まずにいいね」は一種の社交辞令かもしれない。「社交じれいーね」だな。相手との関係をとりあえずつないどこう、という。かつての年賀状みたいなものか。そういうのが悪いとは思わない。社交辞令も使えないだなんてガキだよと、おっさん的なことを言い放っておこう。社交じれいーね、いいね。笑。

にしても、返信が遅いとかの理由として「ネットを見るヒマがなかった」という言い方をする人がいまだに年配者に多い。いまだに、それ言われたり書かれたりするたびにがっかりする。「ネットはヒマな人のすること、ネットはヒマな人のすること、ネットはヒマな人のすること...」と脳内でリフレイン。

ネット生活19周年。何の意味があったかは分からない。何の意味もなかったことは分かる。評価を求めて始めたことではない。言いたいことがあっただけだ。すべてメモでもあり、下書きでもある。なのでネットに書いたことだけをもとに叩かれても困る。叩くなら論文のほうを(読んでから)叩いてほしい。

ツイッターで「リツイート、お気に入りは同意にあらず」と断っている方は多いが、facebookも「いいね、シェアは同意にあらず」の人はおられる。当然のことだろう。試験委員のような「いいね」も、かえってどうかと思うわけで。「採点いいね」。きみの記事はレベルC。D以下は落第。かなわん。