2015年7月16日木曜日

絶望禁止

今の人たちよりかつてのほうが威圧感があったのは、派閥がいくつもあって一つ倒れても次々にわいてくるので結局全体を倒すのは無理だと思わせる様相があったからではないか。今はそういうのを感じないので、アルキメデス点さえ確立できれば、支点・力点・作用点で一気にひっくり返せる気がするのだが。

しかし、人は忘れてしまう。うん、それも分かる。たしかに今までは、ずっとそうだった。だけど、今回はどうかなと思う。たとえば、三原じゅん子さんとか生き残れるだろうか。あと、結局与党の補完勢力でしかないことがよく見えた次世代とか維新とか言っている人たちが消えるとか。あとは、公明の行方。

代わりの選択肢がない。今のままならそうだけど、今回の騒ぎで有名になった人たちは考えに入れていいかもしれない。これまではキングメーカーとして一歩下がって教えていた憲法学者たち。早稲田の長谷部さんとか、慶應の小林節さんのような人たちが自ら選挙に出てネオナチっぽいのを倒しにかかるとか。

参議院にはテレビ的有名人だからという理由だけで出ている人がけっこういる。とくに比例区。谷亮子さんとか、丸山和也さんとか、橋本聖子さんとか、猪木とか。あの手の人たちが今後どうなるか。あと、ワタミ社長。これからはネットがある。ネット有名人がテレビ有名人を倒しはじめる可能性が出てくる。

日本国内の戦争アレルギー、ハンパないレベルだと思う。徴兵とか想像もつかない人多いだろう。でかくて有名な建物が多い首都圏だと同時多発テロの標的にされることを連想する人多いと思うし。戦争だけはヤバイからやめよう、そっち方向だけは行かないようにしようと脊髄反射的に反応する人多いと思う。

忘れる・忘れないの話で今思い出したことだが、松下政経塾っていうのを名乗ってた人たちがいま見る影もない状態だが、これからどうなるか。あと、テレビ的有名人が出ていた番組。アイドルとかスポーツ選手は別格として、朝まで生テレビ、TVタックル、行列のできる法律なんちゃら、あとは爆笑問題か。

関西の事情は分からないが、タカジンとか、探偵ナイトスクープだろうか。それ系の人たちが今回ことごとくネオナチっぽくなってしまったわけで。かつてなら昼のワイドショー番組に出ればテレビ的有名人になれて、ゆくゆくは立候補。だけど、共働き当たり前の時代にワイドショー番組見てる人どれほどか。

ワイドショー番組の司会をやってるらしいホンジャマカさんとか、ロンドンブーツさんとか、あとだれだろ。その手の人たちにはゆくゆくは立候補、のような野心があると聞いたことがあるが、どうだろう。言っちゃ悪いけど出れば出るほど逆効果なんじゃないか。嵐の桜井くんなら応援するかもしれないけど。

ていうか、私のような地上で最も世事に疎い部類の人間が政治を云々すること自体、かつては考えようがなかった。本気で独裁考える国は真っ先にネット遮断する。だけど日本では絶対不可能。全世代で暴動が起きる。ネットつなぎっぱで独裁とか、笑うしかない状況の「ナチスにならえ政権」なのだとも思う。

でも「アルキメデス点さえ確立できれば」と書いたのは(弱めの)希望でもあるが(強めの)懸念でもある。「野党という職業、批判者というなりわい」の人たちが気がかりだ。アルキメデス点は頑丈な一点じゃないとまずいんじゃないの。柔道の背負投でいえば投げる側の肩骨。そこが弱くちゃ投げられない。

でも、それ難しいに決まっている。「自由でありたい」という願いがあるからこその「野党という職業、批判者というなりわい」なのだろうし、「自由であること」と「頑丈な一点になること」「アルキメデス点を形成すること」とは、あまり深く考えなくても、互いに矛盾するだろうなと分かるようでもある。

最近も、強行採決間近みたいな状況になって、「今それやる?」と言いたくなるようなSEALDsさん批判のようなのがあったのをまるで遠い昔のことのように思い出す。将来ある学生たちをアルキメデス点にするわけにはいかないよ。彼らに夢ある将来を残すためにおっさんおばさんが肩骨にならなくちゃ。

テレビに洗脳されず、「野党という職業、批判者というなりわい」の人たちに依存せず、将来ある若者を犠牲にしないで彼らに夢ある将来を残すために取り組めるのはネットしかないんじゃないかというのが私の忸怩たる思い。たかがネット、されどネット。「ネットしか」ではなく「ネットこそ」。絶望禁止。