2015年5月26日火曜日

自伝を書く年齢ではないが

しつこいようだが学生時代はこういう車に乗っていた
実を言うと、ひとり暮らしをしたことがほとんどない。厳密に言えば、過去まもなく50年の人生で、1年だけある。大学生だった婚約者の卒業を待つ1年だった。私は四国、妻は東京。当時ネットがなく、電話は高いので、連絡に苦労した記憶だけが残っている。でも、いま書いているのは、別の話題である。

高校からストレートで東京神学大学に入学した。生後から高卒までの18年間は実家で過ごし、東京神学大学の6年間(大学院まで)は学生寮で過ごし、1年だけひとり暮らしの後、結婚して来年で25年になる。18+6+1+25=50。計算は合っている。子ども二人。いま大学生の男子と高校生の女子。

まだ過去を振り返って懐かしむ年齢に達していないという自覚くらいはあるのでウカツなことを書いて地雷を踏まないように気をつける所存だが、幸せだったかどうかを問われれば、「もちろん私は幸せだった」と照れながら当然のように答える。しかし妻子にはいろいろと辛い思いをさせてきた。申し訳ない。

facebookのプロフィールを書くと「住んだことがある場所」を自動的に表示してくれる。合計9個所。岡山県岡山市(出身地)→東京都三鷹市→高知県高知市→高知県南国市(ここで結婚)→福岡県北九州市→兵庫県神戸市→山梨県甲府市→山梨県甲斐市→千葉県松戸市(現在地)。引っ越しは疲れる。

これからどうなるかは分からない。古い考えなのかどうなのか、伝道者は神の召しに応えてどこでも行けるように固定資産を持たないほうがいいと信じてきたので、そういうものは全くない。地方教会の牧会が長く、大学や神学校の図書館が遠かったので、本だけは自前で抱えてきた。重いものは、それだけだ。

来年で結婚25年。最初の15年間は、家事というものをすべて妻に押し付けてきた。本当に申し訳ないことをしてしまっていた。その後、自分でもするようになり、子どもの弁当作りをした年もある。今では、だいたい何でもできるようになった。公共料金の支払いなどもすべて私がする。億劫でなくなった。

幼児の頃から運動が苦手で走るのが遅い。球技は特にひどく、前にまっすぐボールを投げることさえいまだにできない。幼稚園児の私についてのイラストだったはずだが、亡き伯母から「ずっとひとりで黙って本を読んでいるような子だった」と言われたことがある。当時の記憶はないが、さもありなんと思う。

はっきり分かるのは、私はうさぎではありえないということだ。ならば亀か。それも分からない。ゆっくりのろのろ歩いて来たことだけはたしかだ。シャーペン以上重いものを持ったことがないと豪語していた。今はシャーペンさえ持たず、指先でカチカチ音を鳴らしているだけ。絵に描いたような無芸大食だ。

ここで話が終わるほうが面白い気がするので、ここで終わることにする。