2015年5月24日日曜日

ツイッターの140字枠を利用して説教原稿を書いてみました

日本キリスト改革派松戸小金原教会 礼拝堂

さっそくですが、ツイッターの「140字枠」を利用して説教原稿を書いてみました。今日のペンテコステ礼拝の説教原稿は「26ツイート」(3640字)でした。はたして論旨の明瞭さ等において少しは改善されているでしょうか。

教会の時代(2015年ペンテコステ記念礼拝説教)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2015/05/24.html

使徒言行録2・1~13

「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、ほかの国々の言葉で話しだした。さて、エルサレムには天下のあらゆる国から帰って来た、信仰深いユダヤ人が住んでいたが、この物音に大勢の人が集まって来た。そして、だれもかれも、自分の故郷の言葉が話されているのを聞いて、あっけにとられてしまった。人々は驚き怪しんで言った。『話をしているこの人たちは、皆ガリラヤの人ではないか。どうしてわたしたちは、めいめいが生まれた故郷の言葉を聞くのだろうか。わたしたちの中には、パルティア、メディア、エラムからの者がおり、また、メソポタミア、ユダヤ、カパドキア、ポントス、アジア、フリギア、パンフィリア、エジプト、キレネに接するリビア地方などに住む者もいる。また、ローマから来て滞在中の者、ユダヤ人もいれば、ユダヤ教への改宗者もおり、クレタ、アラビアから来た者もいるのに、彼らがわたしたちの言葉で神の偉大な業を語っているのを聞こうとは。』人々は皆驚き、とまどい、『いったい、これはどういうことなのか』と互いに言った。しかし、『あの人たちは、新しいぶどう酒に酔っているのだ』と言って、あざけるものもいた。」

今日はペンテコステ礼拝です。「ペンテコステ」という言葉は何度聞いても耳慣れないものがあります。意味を説明すべきかもしれませんが、これは固有名詞であると考えてください。毎年ペンテコステという日がやってくる。その日に教会に行くとペンテコステ礼拝がある。そういうことだと覚えてください。

「ペンテコステ」という言葉の意味は、重要ではありません。それが分かったからといって「ペンテコステ礼拝」の意義が分かるわけではありません。重要なのは「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。ごく大雑把に言えば、今日はキリスト教会の設立記念日です。それが「ペンテコステ礼拝」を行う意義です。

5月24日がそうだという意味ではありません。日付は毎年変わります。なぜ毎年変わるのかも説明すべきかもしれませんが、それも割愛します。日付もあまり重要ではないからです。しかし、乱暴に言い過ぎることは控えます。日付に関して大切なことが、ひとつあります。それは、イースターとの関係です。

今年のイースターは4月5日でした。どうしたことでしょうか、今年から突然、日本中で「イースター、イースター」と大騒ぎでした。大騒ぎの波に乗って教会にたくさん人が来てくださればよかったのですが、残念ながら、そういうふうにはなりませんでした。いえ別に、文句を言いたいわけではありません。

そして今日が5月24日。4月5日から7週間後です。一週間が7日。7週かける7日は49日。たす1日で50日。つまりイースターから50日目がペンテコステです。これは毎年同じです。イースターの日付も毎年変わりますが、イースターの50日後に必ずペンテコステが来るという関係は変わりません。

毎年変わらないのはイースターから50日目にペンテコステが来ることです。イースターとペンテコステのこの関係が重要です。しかし、50日であるのは歴史の事実に基づいているだけです。50日でなければならないわけではありません。重要なのは、イースターの後にペンテコステが来るという順序です。(続きは「説教」ブログで

スライドにしてみました。ハーフミラーのプロンプターが欲しくなります(要らない要らない)。