2015年5月12日火曜日

「信頼」は法的概念なのではないかとふと気づく

いつにも増して難産だった日曜日未明の状況

私が「ああこの方は信頼できる」と心底から思えて長年の協力関係をいただいてきた方々の中に法学部出身者が多いことにふと気づく。法学部出身者のすべてが信頼できるという意味ではないし、法学部出身者以外のだれも信頼しないという意味でもないが、「信頼」とは法的概念なのではないかとふと気づく。

聞きかじりで私が知っているのは「法は倫理の最低限なり」というゲオルク・イェリネックの言葉くらいだ。この言葉を本当にイェリネックが言ったかどうかをクリティカルに検証したこともない。他はなんにも知らない。法学の知識ゼロ。でもリーガルマインドは改革派教会で鍛えられているとは思っている。

しかし、だれが言ったにせよ「法は倫理の最低限なり」は最高の金言であると学生時代から考えてきた。無意識レベルの私の判断基準になっている。グレーゾーンでなければ成り立たない仕事があるのだ、そういう現実をお前は分かっていないと言われるかもしれないが、それを「倫理的」とはとても呼べない。

法学の知識は本当にゼロなので恥ずかしいが、完全なシロウトとして開き直って言わせていただけば、「法」を厳しくしさえすれば「倫理」の向上につながるとは思えない。「法」は「最低限」でいい。我々は人間以上になる必要はない。自由度が高いほうが「倫理」は向上する。強制と倫理はベツモノである。