「キャベツがない!」と涙した直後に店内別所で見つけて安堵しました |
でもそれは、いかなる意味でも美談になるようなことではありえないと私は考えています。むしろ逆。私は結局、自分のことがいちばん可愛いと思っているようです。だから自分の口で誓約したことを自分で裏切ることができない。もしそういうことをすれば矜持の最後の砦が崩壊してしまうからだと思います。
どなたからかは忘れましたが(南輝小学校の先生かもしれません)、子どもの頃「うそつきは泥棒の始まり」という金言を教えていただきましてね、爾来、うそをつくのが苦手になってしまいました。ダメな教育だったんですかね。うそもつけない人間を育ててしまうだなんてけしからんと言われてしまうのか。
真面目だとかそういう話ではないと思っています。私は真面目な人間ではありません(言い切った)。「神と教会の前で謹んで誓約し(てしまっ)た」ことを自分で裏切ってしまうと自己崩壊の危機に陥るだろうと容易に予測することができるので、廃人化の恐怖に負けている臆病者なだけだと自覚しています。
ですので、何言ってんだ感ウルトラマックスのことを書けば、神さまと日本キリスト改革派教会と妻から「お前要らない」と言われないかぎり、「神と教会の前で謹んで誓約したこと」を自分から反故にするのは無理だと分かりました。神はひとり、教会は一つ、妻は一人です。聖書に書いてませんでしたっけ。