2015年5月7日木曜日

喜びこそが人生の目的です(ファン・ルーラー)

金週最終日は、深井智朗先生からプレゼントしていただいたブルトマン著『ブルトマンとナチズム―「創造の秩序」と国家社会主義―』(深井智朗[訳・解説]、新教出版社、2014年)の読書。深井先生の実力が遺憾なく発揮されている解説に魅了され中。

『ブルトマンとナチズム』
読んでいる本の内容は面白いのに目を開けていられないほど眠くて仕方がないときはどうしたらいいのか。目をつぶって本を読めるようになればいいわけだ。もうダメっぽい。毛布が欲しい。気づくと朝だな。ねむいねむい。本を読みたい。ねむいねむい。読みたい読みたい。ねむいねむい。読みたい読みたい。

(直後に寝落ち、一夜明けて)

【今日の一皿】ひるごはんは「五目チャーハン」を作りました。「鶏もも肉のスイートチリソース炒め」と「パプリカとレタスととうもろこしのサラダの胡麻と香味野菜ドレッシングがけ」を添えました。メニューを詳しく書くだけで不思議な気分になれます。

五目チャーハン
連休中は家の大掃除もしましたし、今日も買い物、炊事、洗濯、皿洗い三昧の贅沢さ。気持ちいいし、美味しいし、楽しくてしょうがない。あとはメールとか電話とかですけど、めだまと指先くらいしか動いてないんだから。カチカチカチ~だって。音しょぼいし。家事の音は豪快ですよ。ボーとかジャーとか。

でも、家事三昧の反面、勉強のモチベは減退しまくりだし、ほぼ空っぽ状態。何言っても何書いても何しても無駄。頽廃的な気分にすっかり支配されています。15年半続けたファン・ルーラー研究会も昨年解散しました。神学やる気なし。皆さんが書いてくださる本を読んで余生を過ごそうかと思っています。

悔しさはありますよ。私がブログやSNSに書くのをやめれば喜ぶ人がいそうだし。書いているときは辞書も引くし、難しい文献を読む努力もする。お支払いしたことも面識もない著名な学者が無料で「査読」してくれたりするのもネット。書くのをやめればそれもなくなる。課金界に行かねば何も得られない。

どうしてでしょうか、こういう悪い気分のときは80年代の洋楽をつい聴いてしまう。「おやじ説教するなよ」(Papa Don't Preach)というマドンナさんの曲とか、「お祈りとかやめろよ」(Save A Prayer)というデュラン・デュランの曲に引きこまれてしまう。深刻すぎる。

追い詰められているときは追い詰められなくてはならないんですよね本当は。それは分かっているつもりです。バランス取りとかしないほうがいいのかもしれない。でも、一向に凹まないんです、わがたましいが。挑戦の気力はないです。ガードはおろしてます。スウェーも下手。だけど、まだ立っていられる。

最後は真面目に。

「聖書は、私たちが最期の息を引き取る日まで私たちを長く喜ばせるために、命をもたらしてくれます。喜びこそが人生の目的です。事実、喜びはその中で魂が命を得る唯一の要素でもあります。これ以上喜ぶべき何もない。そのときは、すでに死に至っているのです」(ファン・ルーラー)。