2015年5月21日木曜日

難しいです

今日の一皿

木曜日は自宅研究日の大学生男子と昼食。朝9時の開店と同時にスーパーに駆け込む。見つけたのは特価品の豚バラ肉。よく焼いて、高知県馬路村産ゆずポン酢をかけて、野菜を添えて、美味しく頂いた。歴史とは、若者にしっかり食べさせることを言うのだ。

それにしても難しいものだ。「それは宗教である」がほとんど罵倒の意味しか持たない時代の中で(そうでもなかった時代が過去のいつ頃にどれほどあったかはよく知らないのだが)、ど宗教のど教会のど牧師をしている。でも自分ではよく分からないが、私を見て「宗教くさい」と思う人はたぶん少ないはずだ。

昨日友人とスカイプで話しているときに言ったばかりだが、私は人を支配するのが苦手なので、悪い意味で私に支配されていると感じている人はたぶん一人もいない。だが反面、私は「面倒見のよい」牧師のほうではないと自覚している。ウザいほどに支配的で手厚いほうが「宗教」の語感に近いかもしれない。

ど宗教のど教会のど牧師をしている以上、「それは宗教である」の罵倒的意味から逃げることはできない。しかし私自身は、誰からも支配されたくないので、誰をも支配したくない。ウザいほどの支配が「宗教」の意味ならば、逃げたいと思う。めざすは「支配しない面倒見の良さ」のようなことか。難しいぞ。

「誰をも支配しない面倒見の良い牧師」にどうしたらなれるだろうか。概念矛盾のようにも思えるが、なれるものならなりたい。私は「宗教」の腐敗臭を自分自身にこそ(加齢臭と共に)感じながら生きている者として、それを真剣に考えているつもりだ。でも、明確な答えがないまま虚しく時間が過ぎていく。