「ファン・ルーラーのどこが面白いの?」とか「ファン・ルーラーの神学の特徴は一言でいうと何なの?」とか、よく聞かれます。そういう質問にサッと応えられるようになることが研究者の務めだと思うので、面倒くさがらずに応えてきたつもりです。でも、一言でいうのは難しいことですね。痛感します。
意外に思われるかもしれませんが、ファン・ルーラーの神学は、彼が所属した「オランダ改革派教会」の伝統的・古典的なそれでした。古いか新しいかと問われればたぶん「古い」ほうに近いと言えそうですし、派手か地味かでいえば「地味」のほうです。彼自身が流行を追いかけた形跡はないです。
ファン・ルーラーが勉強熱心で博学だったことは、確実です。欧州の伝統校、ユトレヒト大学の教授をつかまえて「博学でした」と評すること自体が失礼の極みなのですが、彼の家は「本で」立っていたと言われますし、読んだ本から得た膨大な情報は、カード式情報整理箱で管理していたりしました。
ファン・ルーラーは、ヒムナシウム(ギムナジウム)の時代は数学が得意でした。特に立体幾何が好きでした。また、後に大学教授になる友人ザイデマと一緒に、ヒムナシウム時代に(!)カントの純粋理性批判やジンメルの本を読んだりしていたほど哲学への強い関心を持っていました。
ファン・ルーラーが学んだフローニンゲン大学神学部に提出した卒業論文のテーマも、神学そのものではなく、哲学に関するものでした。ヘーゲル、トレルチ、キルケゴールの歴史哲学の研究をまとめて神学部を卒業しました。大学卒業後、トレルチについての博士論文を書こうとしましたが、それは挫折しました。
なぜファン・ルーラーがそれほどまでに哲学に関心を持っていたのかという問いに応えるのは容易ではありませんが、一つ思い当たるのは、とにかく彼が「政治」に関心を持っていた、ということです。「政治」の一般性は、狭義の「神学」の特殊な論理だけで解くことはできません。「哲学」がどうしても必要です。
このあたりで、事情通の方はピンとくるものがあると思います。ファン・ルーラーがオランダ改革派教会の人であったとすれば、彼の学生時代(1920年代)のオランダにはすでにアブラハム・カイパーとヘルマン・バーフィンクが築いた「新カルヴァン主義哲学」があったはずだ。それとの関係はどうなのか。
その問いに短くお応えしておきます。なんと驚くべきことに、ファン・ルーラーはヒムナシウム時代から、ということは、大学入学前からカイパーとバーフィンクの本を読んでいました。しかし、特にカイパーには終生満足しませんでした。「哲学」の一般性を装った「宣教」をしているだけだと見抜いていました。
「宣教」をすることが悪いと、ファン・ルーラーが考えたわけではありません。「哲学」の一般性を装い、外見上「中立」で「無私」であるかのように振る舞いながら、実は「宣教」でした、というカムフラージュ(偽装)がアンフェアであると、彼は考えました。むしろ、堂々と「宣教」すればいいのです。
ひるがえって今日の教会の状況を考えてみますと、「宣教」の方法に関する最近の流行でもある一つの傾向は、少なくとも外見上は「一般性、中立性、無私性」を装いながら人に近づき、そこから徐々に「キリストへと」導くというやり方です。それを「帰納的方法」(inductive method)と言います。
キリスト教宣教における「帰納的方法」は間違っていると、ぼくが言いたいわけではありません。「帰納的方法」は、今の時代の要請に基づいて生み出された方法です。それは従来の「演繹的な」宣教論に対する批判を内包しています。「押しつけがましさ」を嫌う現代人に「帰納的方法」は必要です。
しかし「帰納的方法」にはやはり問題があります。最大の問題は、「それは偽装ではないのか」という問いかけがあった場合、きちんと答えることが難しいのではないだろうかということです。「宣教目的があるなら、あると最初から言ってくれればよかったのに」と言われたとき、どう答えるのでしょうか。
もっとも、今書いているようなことは誰でも容易に気づくことであり、まして、誠実さを看板に掲げている教会は「偽装」の嫌疑をかけられることにはとても耐えられませんので、「帰納的方法」はあくまでも「演繹的方法」の補助ないし補完として位置づけているケースが、実際にはほとんどだと思います。
もう少し図式的に言い換えれば、今日「帰納的方法」を採用する教会でも、多くの場合「演繹的方法」を捨てたうえで「帰納的方法」を採用したわけでなく、両方同時に採用しているということです。演繹のベクトルと帰納のベクトルは正反対ですから、両方同時に採用することによって「往復運動」が起こるのです。
このあたりでファン・ルーラーに話を戻します。いま書いた意味の「往復運動」(英語でback-and-forth movement)をまさに重んじる神学を考えたのがファン・ルーラーであると申し上げておきます。それは「神の啓示」と「人間と世界の存在」の相互関係を問い続ける神学でした。
「相互関係」(英語でreciprocity)という語をファン・ルーラーは繰り返し用いましたが、「相互関係」と言う以上、「演繹のベクトル」(神から人へ)と「帰納のベクトル」(人から神へ)の両方を備えていなくてはなりません。一方通行ではなく、双方向性が確保されなくてはなりません。
ただし、「神」と「人間」は対等の関係ではなく、両者には無限の差があり、主と僕の関係でもありますので、単なる「相互関係」でもない。それは、あくまでも「神」の主権のもとにある「神律的相互関係」(theonomous reciprocity)であると、ファン・ルーラーは考えました。