2009年9月30日水曜日

嫌いな言葉(1)

「嫌いな人」について書きましたので、「嫌いなシリーズ」をもう少しだけ続けてみようかと思いました。



大の字をつけたいほどの「嫌いな言葉」があります(「大嫌いな言葉」だということです)。それは否定的なニュアンスで用いられる「人間的な」という形容詞です。



この形容詞が用いられて繰り出されるトークは、「教会」という枠組みの外側に(生まれてこのかた一度も)出たことのない人間としては、数えきれない頻度で聞いてきたものです。「教会用語」と呼んでもよさそうなものです。



それは教会の公の発言や文書(語られた説教や書かれた説教を含む)の中だけではなく、ごくさりげない日常会話の中にも頻繁に用いられます。



たとえば、



「そのような考え方は、はなはだ人間的な考え方なのであります。しかしながら、神の御心とはそのようなものではないのであります」というふうに語られます。



あるいは、



「前々からのぞいてみたいと思っていたあの教会に、このあいだ機会あってやっと行ってみたけど、雰囲気が人間的で嫌だった。もう二度と行きたくない」というふうに語られます。



まるで、そういうふうに語っている人自身は「人間」ではないかのようです!



教会の理想形は、そこに一人も「人間」なる存在がいなくなることであるかのようです!



「救われる」とはすなわち「人間でなくなること」「人間をやめること」であると言われているかのようです!



「人間が人間的である」とは、字面を見れば疑いなく「人間=(イコール)人間」と言っているだけのことです。いわば人間の自己同一性(アイデンティティ)を表現しているだけのことです。それ以上でも、それ以下でもありません。



しかし私は、「それは人間的な○○である」という言葉を否定的・糾弾的なニュアンスで用いる人々の言葉を、ほとんどの場合、黙って聞いています。



「ちぇ人間で悪かったね!」と苛立ちますし、「人間が『人間的』であってどこが悪いのさ?」と内心で毒づいていますし、「またか」と閉口しますが、まさに「閉口」するのであって、面倒くさいことになるということがあらかじめ分かっていますので、あえて反論はしないことにしています。



なぜなら、その人々の多くは「熱心な」信仰の持ち主だからです(私自身の信仰も「熱心」であるとは思っていますが)。



その人々の場合「人間的な」という形容詞がなぜ否定的なニュアンスになってしまうのかというと、常に必ず「神との比較」という観点が持ち込まれているからです。



基本の部分に「パーフェクトな神と比べて人間はアンパーフェクトである」という《比較》のロジックがしっかりと埋め込まれているので、その人々の口から出てくる「人間的な」を否定的に発音するあの言葉づかいは、まるでバッティングセンターのピッチングマシーンのように同じ場所から・同じ球速で・同じ角度で、何度でも繰り出されることになるのです。



あるいは、「金太郎飴」と言ってもよいわけですが・・・金太郎飴って最近見たことがないのですが、まだ売っているのでしょうか。



しかし、そもそも「神」と「人間」は《比較》してよい関係なのでしょうかね(?)という点に根本的な疑問を感じます。我々にとって「比較にならない」存在のことを「神」とお呼びするのではないでしょうか。



「神と比べて人間は・・・」なんて言われても、何か説得力ありますかね(?)と首をかしげるばかりです。



慶應義塾大学『三色旗』でファン・ルーラーを紹介しました

このたび慶應義塾大学出版会から出版された同大学通信教育部の補助教材『三色旗』第739号(2009年10月号)にファン・ルーラーに関する拙文が掲載されました。同誌の特集「オランダ―小国から見えてくるもの」に関する記事として水島治郎先生(千葉大学大学院人文社会科学研究科教授)と田上雅徳先生(慶應義塾大学法学部准教授)と私の文章が載りました。各タイトルは以下のとおりです(掲載順、敬称略)。



『三色旗』第735号(2009年10月号)目次



巻頭言                                                   1



特集 オランダ―小国から見えてくるもの                田上雅徳 2



「パートタイム社会」という実験                       水島治郎 3



オランダの戦後復興を支えた声
 ―プロテスタント神学者A. A. ファン・ルーラーの「ラジオ説教」― 関口  康 8



世俗化の紡ぎ出され方                                 田上雅徳 13



(以下略)



オランダ紀行の続きを書き始めています

とにかく完全に忘れてしまわないうちに少しでも書きとめておかなければすべてが無駄になってしまいますので、「オランダ紀行」の続きの部分を書き始めています。まだこれから書き加えていくことになると思いますが、とりあえず今日は下記の部分を書きました。思い出すことと書くこととで脳と指先が(目も肩も腰も)疲れましたので、一休みします。



■ オランダ紀行 神学者ファン・ルーラーの足跡を訪ねて(2008年12月8日~12月12日)



2008年12月11日(木)



カンペン
クバート
フラネカー
フローニンゲン
石原知弘先生



2008年12月12日(金)



ユトレヒト大学図書館



2009年9月29日火曜日

本サイトからの引用についての注意事項

本サイト開設の目的には、できるだけ多くの方々にファン・ルーラーの文章を読んでいただき、この神学者の息づかいやひらめきに直接触れていただきたいという願いが少なからず含まれています。「読んでいただきたい」と願っているからこそこのようなことをしているのですから、論文への引用や読書会や学校教材などへの利用については歓迎いたします。



ただし、本サイトに掲載しているすべての文章(訳文、解説、その他)は関口康の(その時点での)私案であり、試案であり、提案であるという意味での「未完成品」です。すべての文章を予告や断りなしに随時、修正・変更していきます。



そのため、本サイトから引用していただける場合には、事前に必ず関口までご連絡くださいますようお願いいたします。ご連絡くださった方にはその時点での最新版(案)をお送りいたします。



メール送信 (関口 康)



2009年9月28日月曜日

待望と成就(1978年)

A. A. van Ruler, Verwachting en voltooiing, 1978.

1. 三位一体神学の必要性(1956年)
2. 神の国と歴史(1947年)
3. キリスト説教と神の国説教(1957年)
4. 教会はそれ自体目的でもある(1966年)
5. エキュメニカル運動における原理的問題(1961年)
6. 終末論の光における伝道の根本問題(1950年)
7. 宣教奉仕の神学(1953年)
8. 中等教育と準備的高等教育のキリスト教化(1953年)
9. 聖書、国家、教会(1948年)
10. 神の憐れみと義(1960年)
11. 権威(1958年)
12. 神学における人間性(1966年)


「オランダ紀行 神学者ファン・ルーラーの足跡を訪ねて(2008年12月8日~12日)」の画像を公開しました

Schipol02_3記憶がかなり怪しくなってきていることもあり、昨年12月のオランダ旅行の報告文の続きを書くことになるべく早く取り組まねばならないと焦っています。今年の前半とにかく多忙を極めていたことに加えて、先般のパソコンクラッシュによって喪失したデータの中にオランダ旅行に関する部分(写真類を含む)がかなり多くあったことで意気消沈していたことが、旅行記執筆の続行を困難にしていた大きな原因でした。



しかし、私の弱い脳内で溶解させてしまってはせっかくの好機に得た情報を無駄にしてしまうことになります。不幸中の幸いは、旅行のすべてに同行してくださった石原知弘先生(写真左。日本キリスト改革派教会教師、現在アペルドールン神学大学修士課程在学)が私よりもはるかに明晰な記憶と写真類のデータを保持してくださっていることです。



このたび石原先生から写真を送っていただくことができました。文章は後から書くとして、とにかく写真だけを公開することにしました。



なお、「付録 オランダの風景」に付した写真は、松戸小金原教会の前任牧師、澤谷 實(さわや みのる)先生が2001年2月にオランダを旅行なさったときにお撮りになったものです。澤谷牧師は2002年7月に55才で亡くなられました。



■ オランダ紀行 神学者ファン・ルーラーの足跡を訪ねて(2008年12月8日~12月12日)



2008年12月8日(月)



アムステルダム



2008年12月9日(火)



ユトレヒト
ヒルファーサム
アムステルダム中央駅



2008年12月10日(水)



国際ファン・ルーラー学会
スピーチ全文



2008年12月11日(木)



アペルドールン
カンペン
クバート
フラネカー
フローニンゲン
石原知弘先生



2008年12月12日(金)



ユトレヒト大学図書館
ライデン
アムステルダム
スキポール



付録



オランダの風景



付録 オランダの風景

撮影 澤谷 實 (前 日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師) ※無断転載はお控えください。



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2009年9月27日日曜日

三位一体の神


ヨハネによる福音書8・21~30

「そこで、イエスはまた言われた。『わたしは去って行く。あなたたちはわたしを捜すだろう。だが、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない。』ユダヤ人たちが、『「わたしの行く所に、あなたたちは来ることができない」と言っているが、自殺でもするつもりなのだろうか』と話していると、イエスは彼らに言われた。『あなたたちは下のものに属しているが、わたしは上のものに属している。あなたたちはこの世に属しているが、わたしはこの世に属していない。だから、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになると、わたしは言ったのである。「わたしはある」ということを信じないならば、あなたたちは自分の罪のうちに死ぬことになる。』彼らが、『あなたは、いったい、どなたなのですか』と言うと、イエスは言われた。『それは初めから話しているではないか。あなたたちについては、言うべきこと、裁くべきことがたくさんある。しかし、わたしをお遣わしになった方は真実であり、わたしはその方から聞いたことを、世に向かって話している。』彼らは、イエスが御父について話しておられることを悟らなかった。そこで、イエスは言われた。『あなたたちは、人の子を上げたときに初めて、「わたしはある」ということ、また、わたしが、自分勝手には何もせず、ただ、父に教えられたとおりに話していることが分かるだろう。わたしをお遣わしになった方は、わたしと共にいてくださる。わたしをひとりにしてはおかれない。わたしも、いつもこの方の御心に適うことを行うからである。』これらのことを語られたとき、多くの人々がイエスを信じた。」

今日の個所に至って、ヨハネによる福音書の難解さが絶頂点に達すると言うべきかもしれません。一回や二回読むだけで「分かった」と言える人は少ないでしょう。ユダヤ人たちを含む大勢の人々の前でイエスさまがおっしゃっていることは何でしょうか。三つほどのポイントを挙げてみます。

第一のポイントは、「わたしは去って行くが、わたしの行く所にあなたがたは来ることができない」ということです。イエスさまは、どこに行かれるのでしょうか。それははっきりしています。イエスさまが「わたしの行く所」とおっしゃっているのは「父なる神のみもと」です。そのところにわたしは行くことができるが、あなたがたは行くことができないと言っておられるのです。

第二のポイントは、「わたしは上のものに属しているが、あなたがたユダヤ人たちは下のものに属している」ということです。補足として、あなたがたは「この世」に属しているが、わたしは「この世」に属していないと語られています。つまり「この世」が「下のもの」です。そして「上のもの」とは「下のもの」の反対ですので、「この世」の反対。ということは「あの世」のことかとお考えになる方も多いでしょう。しかし「あの世」とは何でしょうか。それはどこにあるでしょうか。今申し上げることができるのは、イエスさまのおっしゃる「この世」の反対は我々のイメージする「あの世」とは本質的に違うものであるということです。

ここで第一のポイントに絡みます。イエスさまにとって「この世」の反対は「あの世」というような所ではなく常に「父なる神のみもと」なのです。聖書の中で「天」ないし「天国」が意味することは常に「神がおられるところ」です。ですから、わたしたちはこのイエスさまの言葉を衝撃をもって聞かなければなりません。「父なる神のみもと」としての「天」もしくは「天国」に行くことができるのはイエスさまおひとりだけであって、他の誰も行くことができないと言われているのです。

第三のポイントは「わたしはある」という不思議な言葉の中に隠されています。これは何でしょうか。「わたしはある」という日本語はありません。支離滅裂な響きを感じます。しかし、イエスさまのおっしゃっていることが支離滅裂であると言いたいわけではありません。あるいは、新共同訳聖書の日本語がおかしいと言いたいのでもありません。イエスさまは確かに「わたしはある」と言われたのです。ただし、その意味は、当時の人々にとっても、今のわたしたちにとっても、よほど詳しい説明でも受けないかぎり全く理解できそうもないようなことを、イエスさまはお話しになっているのです。

これから申し上げることはいま挙げた三つのポイントに共通している問題に対する答えです。三つのポイントをまとめていえば、イエスさまがこれから行かれるところは父なる神のみもとであるが、そこに行くことができるのはイエスさまひとりだけであって、他の誰も行くことができない。そして、そこにイエスさまが行かれたときに初めて、イエスさまこそが「わたしはある」という存在であるということがイエスさま以外の人々に分かるということです。

ここで考えてみたいことがあります。それは、なぜわたしたちはこのイエスさまのお話を難しいと感じるのかというその理由ないし原因です。私にはすぐ思い当たります。それは主に第一のポイントと第二のポイントにかかわることです。

皆さんの中にも、「父なる神のみもとに行くことができるのはイエスさまだけであって、他の誰も行くことができない」という言葉を聞くと躓きを感じるという方がおられないでしょうか。手を挙げてくださいとは申しませんが、おそらくきっとおられるはずです。なぜでしょうか。私自身も含めて多くのキリスト者が長年聞いて来た教会の説教の中で「わたしたちが死んだら父なる神のみもとに行くのだ」ということを繰り返し教えられてきたからです。その教えが間違っているわけではありません。しかしそれにもかかわらず、「父なる神のみもと」に行くことができるのはイエスさまだけであって、他の誰も行くことができないのだというようなことを言われてしまいますと、「それでは我々はどこに連れて行かれるのか」という点で不安を感じたり、反発を覚えたりする人が出てくるわけです。それは無理もないことです。このイエスさまのお話を理解できない理由ないし原因は、わたしたちがこれまで聞いて来た説教の内容とは違うことが語られているように感じるという点にあるのではないだろうかと、私には思われるのです。

しかし、ここから先は励ましと慰めの言葉です。どうかご安心ください。わたしたちも間違いなく「父なる神のみもと」に行くことができます!「どこに連れて行かれるのだろうか」と心配することは全くありません。ただしそれはイエスさまがおっしゃっているのとは違う意味です。どこが違うのか。イエスさまの行かれる所と、わたしたちが行く所とは、同じ「父なる神のみもと」であっても、違う所なのだということです。ますますややこしい話をしてしまっているかもしれませんが、事情は今申し上げたとおりです。誤解を恐れず言えば、「父なる神のみもと」には二種類あるということです。イエスさまが行かれる所と、わたしたちが行く所は、違う所なのです。

しかし、どう違うのでしょうか。その説明をするためには、第三のポイントにかかわる答えを先に申し上げる必要があります。第三のポイントとはイエスさまがおっしゃる「わたしはある」とは何のことかという問題でした。すぐに答えを言います。このイエスさまの言葉には、明らかに旧約聖書的背景があります。お開きいただきたいのは出エジプト記3・13~14です。次のように記されています。

「モーセは神に尋ねた。『わたしは、今、イスラエルの人々のところへ参ります。彼らに、「あなたたちの先祖の神が、わたしをここに遣わされたのです」と言えば、彼らは、「その名は一体何か」と問うにちがいありません。彼らに何と答えるべきでしょうか。』神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。『わたしはある』という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。』」(出エジプト記3・13~14)

はっきり言います。イエスさまはこの出エジプト記の個所を念頭に置きながら、御自身を指して、このわたしこそが「わたしはある」と呼ばれるものであるとおっしゃっているのです。つまりイエスさまは「わたしは神である」とおっしゃっているのだということです。

このイエスさまの御言葉は、当時の人々の耳には、ほとんど間違いなく衝撃的な言葉として響いたはずです。イエスさまのお姿はどこからどう見ても、ただの人間にしか見えなかったはずです。そのイエスさまが「わたしはある」、すなわち「わたしは神である」とはっきりおっしゃったのですから、この言葉の旧約聖書的な背景を知っていた人々の中に驚かなかった人はいなかったはずです。または、驚くというよりは激しい怒りを抱いた人々も少なくなかったはずです。ただの人間に過ぎないこの男が「わたしは神である」と最悪の暴言を吐き、神を著しく冒瀆したと見た人々は多かったでしょう。

しかし、これは信仰の事柄であると、申し上げなければなりません。ここでわたしたちが全く否定できないことは、イエスさまはたしかに「わたしはある」とおっしゃることによって「わたしは神である」と明言されたということです。そして、そのことを聞いてひたすら激しく怒り、拒絶し、最悪の冒瀆罪を犯したとみなして断罪するか、それともイエスさまのおっしゃるとおりであると信じるかは、あれかこれか、二者択一の事柄であるということです。

わたしたちキリスト者と代々のキリスト教会は、イエス・キリストを「神」と信じる信仰に立っています。つまりイエスさまが御自身を指して「わたしはある」と言われたことを否定するのではなく肯定する信仰に立っています。イエス・キリストは神なのです。この点を譲ることはできません。

そしてこの点から、先ほど触れたまま、まだ答えの出ていない問題に帰ります。同じ「父なる神のみもと」でも、イエスさまが行かれる所と、わたしたちが行く所は違うという問題です。どう違うのでしょうか。これもすぐに答えを言います。イエスさまは神です。神の御子であり、御子なる神です。そのイエスさまが「父なる神のみもと」に行かれるという意味は、神としてのイエスさまが本来の姿にお戻りになるということです。つまり、本来「神」であられるイエスさまが、まさに神になられること、それがイエスさまの父なる神のみもとへの帰還の意味であるということです。

しかしそれに対して、わたしたちが「父なる神のみもと」に行くという場合には、わたしたち自身が神になるわけではないという点が全く違います。わたしたちは死んでも神にはなりません。地上の人生においてどれほど立派な働きをしても、だからといってわたしたち自身が神になるわけではありません。わたしたちが父なる神のみもとに行くときに起こることは、永遠に神に仕える者になられるということです。その場合、わたしたちが仕える神は三位一体の神です。そこには父なる神がおられ、御子なるイエス・キリストがおられ、聖霊なる神がおられます。

ただし、三人の神さまであるとお考えにならないでください。ある神学者の説明を借りて言えば、三位一体の神は「1+1+1=1」(足し算)ではなく「1×1×1=1」(掛け算)なのだ、ということです。しかし、こんな言い方ではますます分かりません。別の言い方をすれば、おひとりの神が地上の人間に対して三回、異なる姿でかかわってくださったのだ、ということです。

わたしたちに問われていることは、あなたはこのことを信じるかということです。あなたはイエス・キリストは「わたしはある」と称される神御自身であるということを信じるか、ということです。

(2009年9月27日、松戸小金原教会主日礼拝)

嫌いな人

こういうことを字に書くのは、記憶に間違いが無ければ、生まれて初めてのことです。本邦初公開(?)です。

私には「嫌いな人」がいます。ただし、特定の誰かのことを言いたいのではなく、「嫌いなタイプの人」のことです。

それは「脅迫する人」です。

私は本来、冷たい人間です。近くにいる方々は、多かれ少なかれ、私からそのようなものを感じるはずです。すぐバレるような、露骨な冷たさがあります。「岡山県人」であることもいくらか関係している可能性があります。

私の持っている「冷たさ」の中身は「私は誰をも支配しないし、支配したくない。しかしその代わりに、誰からも支配されたくない」という打ち消しがたい感情に根ざしています。オランダ人にも、これに近い感情があるらしいと聞いたことがありますが、定かではありません。

ともかく他人との距離の取り方がかなり遠いほうであると、自覚しています。

しかし、「脅迫する人」はしばしば、決して入られたくない距離に土足で踏み込んできます。これが困る。

しかも、本来他人との距離をかなりとっていると自覚している私を「脅迫」する人の多くが取る方法は、逆説的ではありますが、「辞める」という方法です。

我々の仕事の本質部分に「団体運営」という側面がありますので。

「辞める」という仕方での(一種独特の)脅迫を受けやすい立場にいると自覚しています。

困ってしまうのは私が本来冷たい人間であるということです。

その意味は、「辞める」という仕方での脅迫が実は全く通用しない人間であるということです。私相手に「辞めるカード」を突き付けても、暖簾に腕押し、ぬかに釘です。「どうぞご自由に」と言いそうになります。もちろんそんなことはその人の前では口が裂けても言いませんが。

私はかつて「辞めた」人間です。重大な決意をもって「離脱」しました。それゆえ私自身には「辞める」と言い張る人々を引きとめる力も資格もありません。

しかし、どうか誤解なきように。

私は、あの「離脱」によって、誰をも脅迫していません。私の「離脱」によって脅迫を感じた人は一人もいなかったはずです。

なぜなら、これは断言できますが、当の本人がそのような意図を全く持っていなかったからです。他ならぬ私自身が、幼い頃から今日に至るまで、「辞任」や「離脱」(という言葉)を《脅迫のカード》として利用するというようなやり方を最も忌み嫌う種類の人間だからです。

特定の誰かのことだと思われると困るのですが(誰から聞いたか忘れてしまいました)、これまで耳にしてきた中でいちばん不愉快に感じられた《論理》は、「わが教会は『あのリベラルな』教団から離脱して作られたものである。それゆえ、もし今後わが教会がリベラルになっていくならば、そのときはこの私が離脱するのみである」というものです。

そのような《論理》(聞いているとため息が出る三段論法)を、自分自身の体と心で現実の「離脱体験」をしたことがない(または「なさそうな」)人の口から聞くと、私には耐えがたいものがあります。

ただし、その場合には、「どうぞご自由に」とは思いませんし、言いません。「やれるものならやってみろ」とも思いませんし、言いません。

「離脱経験者」である私には何かを語る力や資格はありませんし、その人の前に立ちふさがって張れるほどの頑強な体もありません。

できるのは、「辞めないでください」と泣きながら訴えることくらいです。

しかし、その人の服をつかんで引っ張ることまではできない。実際に辞められた後、泣き寝入りするばかりです。

ここまで書いてきて、「嫌いな人」とは私自身のことのような気がしてきました。

「泣き寝入り」も脅迫の一種だと考えるとすれば。

「誰をも支配したくない代わりに誰からも支配されたくない」という感情も離脱行為の一種だと考えるとすれば。

自己嫌悪のかたまりです。



はじめのことば

Kubbart



クバート教会(オランダプロテスタント教会)



関口 康 (日本キリスト改革派松戸小金原教会)



2009年9月14日



「ファン・ルーラー研究会」(1999年2月20日結成)と共に日本語版『ファン・ルーラー著作集』の刊行を目指して日夜努力してきました。翻訳も出版も全く未経験で、何の知識も無い状態から出発しました。多くの方々のご協力とご指導をいただきながら、少しずつ少しずつ前進してきたつもりです。



しかし、まだ思うような形になりません。そもそも「ファン・ルーラー」の名前が日本では依然としてほとんど知られていないため、いきなり訳書を世に問うてもただ無視されるだけであることは目に見えています。翻訳作業と同時進行でこの人物の生涯と神学思想をさまざまな角度から紹介し、興味を抱いていただくことにも取り組まなくてはなりません。そんなことをしているうちに10年という歳月が経過してしまいました。焦る気持ちを抑えながら地味に地道に、良質の翻訳を目指して頑張っています。



インターネット版を公開する意図は、ひとえに翻訳者の「弱さ」にあります。完成品を読んでいただくほうがよいに決まっています。しかし、翻訳を生業にしておられる方々ならばともかく、私の場合は牧師の仕事の傍らで続けていることですので、翻訳のほうは断続的な作業しかできません。そして、一冊の訳書が仕上がるまでがきわめて長期にわたるため、たとえ断片的なものであっても何らかの公開の場を持たないかぎり道半ばでくじけてしまいそうになります。私の切なる願いは「みなさま、この弱い者をどうか励ましてください」ということです。



インターネット版「ファン・ルーラー著作集」に「ファン・ルーラーを独占したい」などの意図は一切ありません。この稀有な神学者は誰にも独占されたがらないでしょう。目標は日本語版『ファン・ルーラー著作集』なのです。多くの方々との一致や協力なくして、どうして実現できましょうか。私はこの夢を実現するために必要なすべてのことを考えていきたいと願っています。



本サイトからの引用についての注意事項



2009年9月25日金曜日

Facebookのファン・ルーラーのプロフィールを更新しました

フェイスブック(Facebook)の「Arnold Albert van Ruler」のページの中にあるファン・ルーラーのプロフィール(ホームページ、自己紹介、趣味・興味)を以下のように書きました。字句修正をアメリカの友人Tim Hawes氏が引き受けてくださいました。



N118410887796_4263_2Arnold Albert van Ruler (Facebook)
http://www.facebook.com/pages/Arnold-Albert-van-Ruler/118410887796



Arnold Albert van Ruler



ホームページ:
http://www.aavanruler.nl



自己紹介:
I was born in Apeldoorn, Netherlands, on 10 December 1908. After graduating from the Gymnasium Apeldoorn and the University of Groningen (Rijksuniversiteit Groningen), I became a pastor of the Dutch Reformed Church (Nederlandse Hervormde Kerk). I served at two local churches (Kubbard and Hilversum). After World War II, in 1947, I became a professor at Utrecht University, Faculty of Theology (Rijksuniversiteit Utrecht, faculteit van Godgeleerdheid). During my lifetime, I wrote many books and essays. The publication project of my new Collected Works (Verzameld Werk) started in September 2007.



趣味・興味:
I love Soccer (playing and watching) and Billiards.



'We need to enjoy our life itself more than to ask the meaning of our life.' (A. A. van Ruler)



まだ始めたばかりのSNSです。ご関心のある方は仲間に加わっていただけると嬉しいです。しかし、ソーシャルネットワーキングサービス(SNS)というものが神学研究においてどのように使用しうるかを試験している段階ですので、参加を強制・強要するような気持ちは全くありません(ある程度のパソコン能力がないと、「重荷」を増やしてしまうだけかもしれません)。



『ファン・ルーラー著作集』刊行の背景と目的

アーノルト・アルベルト・ファン・ルーラーは20世紀において最も強い影響力を持ったオランダのプロテスタント神学者の一人である。彼の名前はしばしばK. H. ミスコッテとO. ノールドマンスと共に一息で並び称されてきた。しかしこの二人とは異なり、ファン・ルーラーの文書遺産はまだ十分には公開されていない。その状況を変えようではないか、そのために学術的責任を負いうる新しい『ファン・ルーラー著作集』を出版するために努力しようではないかと提案されたのは世紀の変わり目の頃である。それ以後数年の間、その思いがプロテスタント神学者たちの中に行き巡っていた。オランダ神学学術研究院の委嘱に基づいて実施された予備調査の結果、これは真の大事業になっていくに違いないが、まさに骨を折る価値のある事業であるということが明らかになった。非常に多くの未発表文書や研究途上の資料断片がユトレヒト大学図書館のファン・ルーラー文庫の中で眠ったままである!すでに公刊されてきたものとは別の大量のテキストがざくざく掘り出されている。



2005年春、この大規模な事業に着手することが決定された。この新しい著作集のねらいはファン・ルーラーの手で執筆されたすべての文書を収録しうるものではないが、全体としてみれば結局、数千ページに及ぶテキストを何巻かに分けて公刊することになるだろう。テキストは主題ごとに時系列的に並べられる。そのようにしてファン・ルーラーの思想のあらゆる主題がいかなる仕方で年代的に発展を遂げて行ったかを明らかにしていく。オランダ神学学術研究院がブーケンセントルム出版社との提携によって進めてきた本事業は先般開学されたオランダプロテスタント神学大学に継承された。われわれが願っていることは、この事業が多くの人々にとって、ファン・ルーラーの神学思想を鋭く見極め、それによって真の豊かさを得るための刺激でありたいということである。



定評あるファン・ルーラーの「聖書黙想集」の再版は、この事業とは別に各巻ごとに行う。この事業の一環として聖書黙想集シリーズの予約注文ができるパンフレットを発行する。さらに、関連事業としてニュースレターの発行や研究会開催案内なども行う。




2009年9月20日日曜日

暗闇の中を歩かないために


ヨハネによる福音書8・12~20

「イエスは再び言われた。『わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ。』それで、ファリサイ派の人々が言った。『あなたは自分について証しをしている。その証しは真実ではない。』イエスは答えて言われた。『たとえわたしが自分について証しをするとしても、その証しは真実である。自分がどこから来たのか、そしてどこへ行くのか、わたしは知っているからだ。しかし、あなたたちは、わたしがどこから来てどこへ行くのか、知らない。あなたたちは肉に従って裁くが、わたしはだれをも裁かない。しかし、もしわたしが裁くとすれば、わたしの裁きは真実である。なぜならわたしはひとりではなく、わたしをお遣わしになった父と共にいるからである。あなたたちの律法には、二人が行う証しは真実であると書いてある。わたしは自分について証しをしており、わたしをお遣わしになった父もわたしについて証しをしてくださる。』彼らが『あなたの父はどこにいるのか』と言うと、イエスはお答えになった。『あなたたちは、わたしもわたしの父も知らない。もし、わたしを知っていたら、わたしの父をも知るはずだ。』イエスは神殿の境内で教えておられたとき、宝物殿の近くでこれらのことを話された。しかし、だれもイエスを捕らえなかった。イエスの時がまだ来ていなかったからである。」

先週の個所の続きではなく、一段落分飛ばしました。飛ばした段落は学ぶ必要がないと考えているからではありません。その逆です。8章1節から11節については、10月18日(日)の特別伝道礼拝のときにお話しいたします。そのときまで大事にとっておきますのでお楽しみに。

さて、今日の個所には、わたしたちの救い主イエス・キリストがおそらくは御自分のことを指差しながら、「わたしは(が)世の光である」と「再び」語られたと書かれています。

ここで気になるのは「再び」という断り書きです。あらかじめ申し上げておきたいことは、これはこだわる価値のある言葉であるということです。この「再び」の意味は、「わたしは世の光である」という言葉をイエスさまが以前に一度お語りになり、それと同じ言葉をもう一度繰り返されたということではありません。ヨハネによる福音書の中でこの言葉は、ここに初めて登場します。

それではこの「再び」の意味は何でしょうか。高い可能性をもって言えることは、イエスさまが「再びエルサレム神殿の境内にお立ちになって言われた」ということ、つまり、イエスさまが以前語ったのと同じ言葉を繰り返されたということではなく、以前お立ちになったのと同じ状況にもう一度戻ってこられた、ということです。

教師が「再び」教壇に立つ。音楽家が「再び」ステージに立つ。たとえばこのように語られるときの「再び」には、しばしば特別な意味が込められています。そのことは特に、その人が様々な意味での反対や妨害、中傷誹謗、深い悩みや絶望の中にあり、一度は立ったあの場所にもう一度立つことがきわめて困難であるような状況があるという場合に当てはまります。

そのとき込められている特別なニュアンスは、「しかし、それにもかかわらず、再び」です。しかし、それにもかかわらず、あらゆる困難を乗り越えて、再び同じ場所に立って語る。もしこの意味だとすれば、「イエスは再び言われた」の「再び」には、イエス・キリストの不屈の闘志が表現されているのです。

現に、イエスさまがエルサレム神殿の境内でお語りになっている最中にも、それを聞いている人々から何だかんだと口を挟まれ、ありとあらゆる罵詈雑言を浴びせられ、説教が妨害されていた様子が分かります。しかし、それにもかかわらず、イエスさまは「再び」語られるのです。このこと自体がわたしたちにとっては励ましであり慰めです。イエスさまは、めげない、凹まない。どんなに激しく妨害されても引き下がらない。イエスさまとはそのような方なのです。

さて、そのような不屈の闘志をもってイエスさまがお語りになった言葉が「わたしは世の光である。わたしに従う者は暗闇の中を歩かず、命の光を持つ」(8・12)というものでした。この御言葉の字義的な内容を説明させていただきます。

「世」とは、世界のすべてです。神が創造なさったもののすべて、すなわち、わたしたちが生きている地上の世界の全体を指しています。今日「地上」という言葉を使いますと「地球」のことであると思われてしまうことがありますが、それは誤解です。地球だけではなく宇宙も含まれます。「世」とは文字通りの「天地万物」のことです。

哲学的に「存在そのもの」と言っても間違いではありません。文学的に「生きとし生けるもの」と言ってもよいかもしれませんが、「生きている」とは見えないもの、たとえば石や岩のようなものは含まれるのかというような疑問が起こるかもしれません。その答えとしては、「とにかく全部だ」と言うしかありません。神が創造された一切です。それが「世」です。

その「世」の「光」がこのわたしであると、イエス・キリストはお語りになりました。考えるべき一つの点は、その光はどこを輝かしているのかということです。狭い意味での「教会」に属している人々だけでしょうか。そうではありませんと言わなければなりません。「世」とは「とにかく全部」だからです。「とにかく全部」としての「世」においては教会の内側と外側の区別がありません。

イエス・キリストの光はむしろ教会の外側に立っている人々をこそ照らすのです。まだ神を知らず、神の恵みも救いも知らないときに「何かの光がこのわたしを照らしている」と知る。その光の明るさを感じ取った人々が教会へと導かれてくるのであって、逆の順序ではありません。

しかし、「光」という言葉は、言えば言うほど抽象的な響きを感じなくもありません。イエスさまが光であり、その光が世を照らすとは、具体的に言うと何のことでしょうか。いますぐに申し上げることができますことは、「光を照らす」とはやはり「向き合うこと、かかわること」というようなことと深く関係しているでしょうということです。少なくともイエス・キリストの顔と目が「世」の方向へと向いているということと関係しているでしょう。「わたしは世の光である」と言われるイエスさまの目が世を見ておられず、そっぽを向いておられるということがあるとしたら甚だしい矛盾でしょう。世のことにはまるで興味が無いイエスさま。これでは話が成り立たないでしょう。

そしてその場合は言うまでもなく、ただ遠くから眺めているだけということでは済まないでしょう。いちおう関心はあるが、手も足も出さない。近づかないし、直接的な関係を持とうとしない。それは、イエスさまの光が世を照らしているというのとは正反対の状態でしょう。やはり「かかわる」という次元の事柄が必ず関係しているでしょう。

少しまとめておきます。ここで分かることは、イエスさまは世に関心を持っておられる方であるということです。そして、ただ関心を持っておられるというだけではなく、世に対して直接的な関係をお持ちになる方であるということです。世に接近し、接触し、介入なさる救い主、それがイエスさまです。そして、そのことが、イエスさまが御自分を指して「わたしは世の光である」とおっしゃっていることと深く関係しているのだということです。

さらに、もう少し掘り下げて考えておきたいことがあります。それは、「光」にも二種類あるということです。

一方に、否定的で攻撃的で批判的な光というものがあります。警察や少年補導員が、暗闇に隠れて悪さをしている人々を照らしだす懐中電灯のようなものを想像していただくとよいでしょう。それがその人々の仕事なのですから、私はこれを悪い意味で言っているのではありません。しかし、イエスさまが「わたしは世の光である」と言われているときの意味が「このわたしイエス・キリストは闇夜に蠢(うごめ)く怪しい人々を捜しだすための懐中電灯である」という意味だろうかと考えてみる。そのときには、「たぶんそういうことではないだろうなあ」と考えるほうが当たっているだろうと申し上げているのです。

徹底的に悪を裁くこと、隠れた事実を探り当てて明るみに出すこと。それ自体は悪いことではなく、むしろ善いことです。徹底的に善いことであり、完璧なほどに正しいことです。完璧な善が存在し、そのような善が悪を裁く。それは悪いことであるどころか、最も善いことであり、絶賛に値するほど素晴らしいことです。

しかし、わたしたちは、ここでこそ立ち止まらなければなりません。はたしてイエス・キリストは否定的で批判的な光であるというだけでしょうか。世界の暗闇に紛れて働く悪の存在を徹底的に洗い出し、その罪を責め立てるためだけにイエス・キリストは来られたのでしょうか。そのような側面が全く含まれていないとは申しません。しかし、いま問うているのは「それだけでしょうか」ということです。

それだけではないでしょう。世を照らす救いの光としてのイエス・キリストの光は、わたしたちが置かれている日常の現実を温かく受け入れてくださる、希望と喜びにあふれた光でもあるでしょう。イエス・キリストはこの世界を肯定してくださり、同情してくださり、受容してくださる方でもあるでしょう。わたしたちは一面的な理解に陥ってはならないのです。

わたしたちが陥りやすい過ちは、他人については厳しく裁き、自分については甘く裁くということです。これは誰でも陥ります。ですからこのことについては互いに責めることもできません。しかし、そのことを認めたうえでなお言わなければならないことは、過ちは過ちであるということです。それが本当の意味での落とし穴であり、我々の人生を根本的な暗闇に陥れている部分でもあるということです。世を裁くこと、他人を徹底的に責めること、完全な正義感のもとに立って他人を断罪すること、そのことこそがわたしたち自身の人生を自ら暗くしてしまっている場合があるのです。

暗闇の中を歩かないためにわたしたちにできることは、いま申し上げたことのちょうど反対です。わたしたちが生きている世界の現実、わたしたち自身の現実を肯定することです。わたしたちの人生を喜びと感謝を持って肯定し、受容することです。

こんなことは無理であると思われるでしょうか。私はそうは思いません。この世界の現実と自分の人生を受け入れることはわたしたちに可能なことです。イエスさまが次のように語っておられます。

「あなたは、兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか。兄弟に向かって、『あなたの目からおが屑を取らせてください』と、どうして言えようか。自分の目に丸太があるではないか。偽善者よ、まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からおが屑を取り除くことができる」(マタイによる福音書7・3~5)。

わたしたちに必要なことは「わたしは神の憐みによらなければ立つことさえできない罪人である」ということを徹底的に自覚することです。そのことは、自分の目の中に「丸太」があると認識することでもあるのです。それができたとき、わたしたちは、他人に対して少しは優しくなれるでしょう。

(2009年9月20日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年9月15日火曜日

「ファン・ルーラー著作集」の「はじめのことば」

これまで「ファン・ルーラー研究会」のホームページとして公開してきたアドレス(URL)を、これからは関口の個人用に使わせていただくことにしました。新しいタイトルは「ファン・ルーラー著作集」としました。



ファン・ルーラー著作集
http://vanruler.protestant.jp/



このタイトルの意図や新規サイトの目的については、トップページ(ようこそ)の「はじめのことば」に書かせていただきました。





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はじめのことば



関口 康 (日本キリスト改革派松戸小金原教会牧師)



「ファン・ルーラー研究会」(1999年2月20日結成)と共に日本語版『ファン・ルーラー著作集』の刊行を目指して日夜努力してきました。翻訳も出版も全く未経験で、何の知識も無い状態から出発しました。多くの方々のご協力とご指導をいただきながら、少しずつ少しずつ前進してきたつもりです。



しかし、まだ思うような形になりません。そもそも「ファン・ルーラー」の名前が日本では依然としてほとんど知られていないため、いきなり訳書を世に問うてもただ無視されるだけであることは目に見えています。翻訳作業と同時進行でこの人物の生涯と神学思想をさまざまな角度から紹介し、興味を抱いていただくことにも取り組まなくてはなりません。そんなことをしているうちに10年という歳月が経過してしまいました。焦る気持ちを抑えながら地味に地道に、良質の翻訳を目指して頑張っています。



インターネット版を公開する意図は、ひとえに翻訳者の「弱さ」にあります。完成品を読んでいただくほうがよいに決まっています。しかし、翻訳を生業にしておられる方々ならばともかく、私の場合は牧師の仕事の傍らで続けていることですので、翻訳のほうは断続的な作業しかできません。そして、一冊の訳書が仕上がるまでがきわめて長期にわたるため、たとえ断片的なものであっても何らかの公開の場を持たないかぎり道半ばでくじけてしまいそうになります。私の切なる願いは「みなさま、この弱い者をどうか励ましてください」ということです。



インターネット版「ファン・ルーラー著作集」に「ファン・ルーラーを独占したい」などの意図は一切ありません。この稀有な神学者は誰にも独占されたがらないでしょう。目標は日本語版『ファン・ルーラー著作集』なのです。多くの方々との一致や協力なくして、どうして実現できましょうか。私はこの夢を実現するために必要なすべてのことを考えていきたいと願っています。



ここに掲載するすべての文章は、関口康による試案であり、提案であり、その意味での「未完成品」です。そのようなものであるということをぜひご理解ください。予告なしに記載内容の変更・修正を加えていきますので、本サイトのどの部分についても引用等はなるべくお控えください(必要な方は必ずご連絡ください)。よろしくお願いいたします。



2009年9月14日



2009年9月14日月曜日

ファン・ルーラー著「地上の生の評価」をめぐるディスカッション(2001年)

日時 2001年7月16日(30分間)
場所 東京某所



質問者A:
「マルクス主義における『地上の生』の高い評価の不徹底に対するファン・ルーラーの批判という部分に興味をひかれた。ファン・ルーラーはマルクス主義とキリスト教の違いをどのあたりに見ていたと思うか」。



関口:
「最も大きな違いと見ていたのは罪の問題である。マルクス主義は罪の解決という次元を抜きにして世界の完成を語ろうとする。しかし、キリスト教というかファン・ルーラーは罪の解決なしには世界は完成しない、世界が完成する前に回心と救いが必要である、と語る。しかし、マルクス主義の人々は、神も仏もへったくれもないところで自動的にプロレタリアート独裁の理想世界が完成すると信じている。ここに最も大きな違いがあると思われる」。



質問者B:
「とても面白かった。終末論の事柄とも関わるのでたいへん参考になった。私もぜひファン・ルーラーを読んでみたいと思った。ところで、ファン・ルーラーとオランダ改革派神学者のバーフィンク、ベルカワーとの関係はどういうものか。またファン・ルーラーのカイパー批判の論点は、ごく短く言えばどういうものであるか」



関口:
「バーフィンクに対しては高い肯定的な評価があると思う。ファン・ルーラーは『啓示の哲学』の必要性をバーフィンクの名前を挙げて訴えているし、RGG第三版の「バーフィンク」の項目の執筆者がファン・ルーラーであったりする。ベルカワーとの関係についてははっきりしたことは言えないが、私の印象ではあまり仲良くなかったように思う。ベルカワーの書物の中に重箱の隅を突付くようなファン・ルーラー批判を見かけたことがある。原因ははっきり分からないが、年齢が近いこと、教派が違うことなどで小競り合いがあったのではないか。でも、ファン・ルーラーのデータを見ていると、アムステルダム自由大学で行われた講演なども結構多く、そのあたりはどういう事情なのか、私自身も興味を持っている。カイパー批判については二つくらいのことが言えると思う。まず第一に、NHK内部にGKN離脱そのものを批判し続ける線があり、その線をファン・ルーラーが受け継いでいること。カイパーと直接激突して自由大学を追われたと伝えられる倫理学者フードマーカーの弟子がハイチェマ。そのハイチェマの弟子がファン・ルーラーである。第二に内容面であるが、ファン・ルーラーはカイパーの一般恩恵論を批判した。特殊恩恵の優位性を強調するあまり、つまり、一般恩恵と特殊恩恵との区別を強調するあまり、『キリスト教的○○』を言いすぎる結果を生み出し、この世界の中に一般社会とは全く区別されたゲットーのようなものを作っていくことの危険性があるというあたりを批判したようだ」。



質問者C:
「ファン・ルーラーが受け継いだと言われる『体験主義の伝統』は『敬虔主義』と同じだろうか」。



関口:
「そう言えると思う。現在調べが付いているところで言えば、ファン・ルーラーが受け継いだ『体験主義』は、オランダに起こった第二次宗教改革の伝統を引き継ぐものだと言われている。ものの本によると、その伝統は『火を見つめながら三位一体の神を瞑想する伝統』であると紹介されていた」。



質問者D:
「いろいろ問題を感じながら聞いていた。総じて思うことは、こんな理屈はオランダというキリスト教の伝統を豊かに引き継いだ文化国家の中で、お勉強がよくできる学者さんだから語りうることだ。たとえば、三位一体論から見た『世界は不必要』という話は、存在論の理屈ならそう言えるかもしれないが、そんな理屈を使って日本の中で伝道はできない。『世界は必要である』ということをもっと語るべきではないか。またファン・ルーラーが言っていることが、地上の生を喜んでそのまま受け入れなさいというような話だとすれば、たとえば障害者の人にとってどれくらい耐えうる言葉であろうか。『遊び』だなんだという部分も、オランダの中では語れるかもしれないが、日本ではとてもじゃないが受け入れられない。現実に人生の苦しみを感じている人の耳には届かない」。



関口:
「なるほどごもっともと感じるところがある。これからいろいろ考えてみたい。ただ、ファン・ルーラーの時代のオランダの状況は、カイパーの時代などから比べると世俗化がずっと進んでしまっていたと言いうる。その中でファン・ルーラーは世俗化に対して肯定的な立場をとっている。彼自身、労働者の家庭で育ったり、政治やら何やらに手を伸ばしていたことなどもあってか、私がファン・ルーラーの書物を読んでいる印象では『お高くとまっている』人ではなかったと感じている。だから、お勉強ができる学者さん云々の部分はちょっと違うのではないかと思う」。



質問者E:
「ファン・ルーラーが『遊び』を語るのは何の影響か。また、アウグスティヌスのfrui Deiとuti mundoの区別をファン・ルーラーが批判しているようだが、その批判は当たっていないのではないか。ファン・ルーラーはアウグスティヌスを読み違えているのではないか。カルヴァンのtheatorum gloriae Dei のほうは肯定し、アウグスティヌスのほうは否定するということは、アウグスティヌスとカルヴァンを対立的に捉えているということか。それは違うのではないか」。



関口:
「はっきりとしたことは言えないが、ファン・ルーラーの『遊び』はやはりホイジンガの影響抜きには考えられない。しかし、神学の世界で『遊び』という言葉が採用されはじめたことにおいてファン・ルーラーは草分け的存在である。モルトマンやコックスはファン・ルーラーよりずっと後。いや、モルトマンの場合、ファン・ルーラーからの借用である可能性が高いと考えている人々がいる。またファン・ルーラーのアウグスティヌス批判については、今日のところはファン・ルーラーの言っていることを紹介したまで。ファン・ルーラーの理解が間違っているかどうかわたしはまだ何の判断も持っていないので、ご勘弁いただきたい」。



質問者E(上に同じ):
「『遊び』は、やはりホイジンガの影響か。なるほど私もそう思う。あの時代、進歩的な文化人たちはみな『遊び』という言葉を使った。しかし、うちの教会の中には『遊び』とか『喜び』と言われると途端に拒絶反応を起こす人々がいる。今まで我々が信じてきた改革派神学とファン・ルーラーの神学がどのように馴染むのか馴染まないのか、今のところ未知数であると感じている」。



関口:
「たしかにファン・ルーラーの『遊び』はホイジンガの影響抜きには語れないと思うが、使われている意味は違うと思う。ホイジンガはオランダのメノナイト派の人だった。ファン・ルーラーは改革派。思想の根本が全然違う。同じ言葉を使っていても内容が違うと私は理解している。ファン・ルーラーが『遊び』を語り始めたのはすでに戦中から。これから申し上げることは、今のところ何の調べもついておらず、それゆえ全く当てずっぽうなのだが、ファン・ルーラーの目に映るオランダの戦中から戦後にかけての状況の中に『この世界の中で生きることに完全に絶望してしまっている人々』がいたのではないか。この世界を捨て、世界から逃げ出して、天国に、『あっちの世界』に行ってしまいたいと切望し、自殺を図ろうとする人々さえ見ていたのではないか。その人々を前にしてファン・ルーラーは『この世界から逃げてはならない!』『この世界を喜んで受け入れ、引き受ける勇気を持ちなさい!』と訴えていたのではないか。この世を捨ててしまいたい人々に向かって、なんとかしてこの世の中に留まってもらいたいと願い、留まらせるための努力をしていたのではないか。要するに、現在<いのちの電話>の人々たちがやっているような仕事に通じることを考えていたのではないだろうか」。



2009年9月13日日曜日

聖書の正しい調べ方


ヨハネによる福音書7・40~53

「この言葉を聞いて、群衆の中には、『この人は、本当にあの預言者だ』と言う者がいたが、このように言う者もいた。『メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか。』こうして、イエスのことで群衆の間に対立が生じた。その中にはイエスを捕らえようと思う者もいたが、手をかける者はなかった。さて、祭司長たちやファリサイ派の人々は、下役たちが戻って来たとき、『どうして、あの男を連れて来なかったのか』と言った。下役たちは、『今まで、あの人のように話した人はいません』と答えた。すると、ファリサイ派の人々は言った。『お前たちまでも惑わされたのか。議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている。』彼らの中の一人で、以前イエスを訪ねたことのあるニコデモが言った。『我々の律法によれば、まず本人から事情を聞き、何をしたかを確かめたうえでなければ、判決を下してはならないことになっているではないか。』彼らは答えて言った。『あなたもガリラヤ出身なのか。よく調べてみなさい。ガリラヤからは預言者の出ないことが分かる。』人々はおのおの家へ帰って行った。」

今日お読みしましたこの個所にはイエス・キリスト御自身は登場いたしません。その代わりにここに記されていますのは、イエス・キリストの説教を聞いた人々の様々な反応です。

前回まで学んできましたとおり、イエスさまは、ガリラヤ地方にいた御自分の兄弟たちには内緒でエルサレムにひとりで上られ、神殿の境内にお立ちになって、多くの人々の前で説教なさいました。その説教を聞いた人々の中には「この人は、学問をしたわけでもないのに、どうして聖書をこんなによく知っているだろう」(7・15)という点に疑問をもった人々がいました。その疑問にお答えになるためにイエスさまがおっしゃったことは、「わたしの教えは、自分の教えではなく、わたしをお遣わしになった方の教えである」(7・16)ということでした。

このようなお答えのなさり方が、イエスさまに対する先ほど述べたような疑問をもった人々が納得できる、あるいは十分に満足できる答えとして受けとめられたかどうかは分かりません。彼らの疑問は、イエスさまが聖書を勉強した場所と方法が分からないということでした。しかし、イエスさまはそのことについては何も答えておられません。イエスさまのお答えを聞いた人々の中には、わたしは聖書を勉強したことなどなく、「わたしをお遣わしになった方」、すなわち、父なる神御自身から直接教えていただいたのだと、そのような答えを我々は聞いたと感じた人もいたはずです。別の言い方をすれば、わたしは勉強などしなくても、そんなことは初めから知っていると、そんなふうにこの人は言ったと、イエスさまの言葉を解釈する人々もいたであろうと思われるのです。

しかし、です。わたしたちはイエスさまがおっしゃったことを我々とは全く異なる完全な別世界の話にしてしまってはならないだろうと私自身は考えております。はたして本当にイエスさまは「聖書を勉強する」という次元のことは一切なさったことがないと言ってよいのでしょうか。いや、そんなことはないはずだと思われてなりません。勉強などしなくてもわたしは何でも知っているという人がいれば、それはスーパーマンか宇宙人です。宇宙人だって勉強するかもしれません。しかし、イエスさまについてわたしたちは、この方が幼い頃から会堂にも神殿にも通っておられたという点は語ってよいことです。そこで語られ聴かれている聖書の説き明かし、すなわち説教というものをイエスさまはずっと聞き続けてこられたはずです。この点では、イエスさまはわたしたちと全く同じなのです。神学部に入学しなければ、神学校に通わなければ、聖書をよく知ったというにはならないというふうに考えてしまうこと自体が間違いなのです。聖書というこの書物の本質から言えば、この書物を教会の中で説教を通して学ぶことこそが、この書物の最も正しい学び方なのです。

そして、その場合に重要なことは、教会においては、聖書に基づく説教というものを「神御自身がお語りになる御言葉」であると信じて聴くのだということです。その意味からいえば、教会に通っているわたしたちは、なるほど「聖書を勉強する」という言い方は当てはまらないようなことを続けているかもしれません。たとえば一昔前の日本では(という言い方をすると怒られるかもしれませんが)学校教育の中にいわゆる丸暗記という方法が採られ、重要視されていた時期がありました。60年ほど前には、日本の歴代天皇の名前を全部言えるようになることが求められたりもしました。「聖書を勉強する」ということをそれと同じように考えてしまうとしたらどうでしょうか。皆さんの中に旧約時代のイスラエル王の名前を、あるいは新約聖書の最初に出てくるイエス・キリストの系図に登場する人々の名前を何も見ずに順序を間違えないですらすら諳んじることができるという方がおられるでしょうか。もしおられたら素晴らしいことです。しかし、そういうことができなければ聖書を勉強したことにならないとでも言われた日には悲鳴を上げたくなるという方のほうが多いのではないでしょうか。

私がいま、皆さんと一緒に考えていることは、聖書を勉強する、あるいは聖書を知るとはどういうことを意味するのでしょうかという問題です。丸暗記することでしょうか。ここかしこの聖句を暗唱できるようになることでしょうか。どうもそういうこととは違う次元のことであるだろうと考えざるをえません。聖句を暗唱できる人をけなす意図はありませんし、それ自体は立派なことです。しかし、そのこととこのこととは別の話であるはずだと、いま私は申し上げているのです。

今日の個所の最初に出てくるイエスさまの説教を聞いた人々の中に「この人は本当にあの預言者だ」と言う人がおり、「この人はメシアだ」と言う人がいました。実は、この人々が言っていることこそが、わたしたちが「聖書を勉強するとは何を意味するのか」という問題を考えていくときに重要な参考例になるものです。とくに重要なのは後者、すなわち「この人はメシアだ」と、そのように感じた人がいたという事実です。なぜこの人はそのように感じたのかということを、わたしたち自身が、いわばこの人の立場に立ってじっくり考えてみるとよいのです。

「メシア」はヘブライ語です。これをギリシア語に翻訳した言葉が「キリスト」です。ですから、イエスさまの説教を聞いた人が言ったのは「この人はキリストだ」ということである、ということになります。メシアとは旧約時代のイスラエルの人々が心から待ち望んだ、将来来てくださる救い主のことです。しかしまた、そのことと同時に、その方は彼らにとってはまだ来ておられない、未知なる方でもありました。まだ見たことがない、出会ったことがない存在でした。空想の存在とまで言ってしまうことには語弊がありますが、実際にそれはどのよう方であるかを誰も知らず、誰も見たことがなかった以上、その方を現実的な存在と呼ぶことは難しい。それが、旧約時代のイスラエルの人々にとってのメシアの存在でした。

しかしまた、ここで考えざるをえないことは、イスラエルの人々が、メシアが来てくださることを心から待ち望んでいたことには、彼らの置かれていた苦しい現実があったということです。ラクチンで生きている人々は救い主など必要ないかもしれません。わたしたち人間は、苦しんでいるからこそ、助けを求めなければ生きていけないほどに追い詰められているからこそ、このわたし、わたしたちを助けに来てくださる方の存在を空想したり夢見たりする必要があるのです。

群衆の中にいたイエスさまの説教を聞いて「この人はメシアだ」と言った人がそのときどのような事情の中に置かれていた人であるかは分かりません。しかし、この人がどうしてイエスさまにこの方はメシアだと感じたのかという点に関してわたしたちが考えうることは、ただ単にそう思っただけだということを越えているものがあるのではないかということです。より具体的に言えば、「この人は、いま苦しみの中にいる、このわたしを、わたしたちを助けてくださるために来てくださった救い主である」と感じることができたということです。そしてそれは、もっと踏み込んで言えば、今苦しんでいるこのわたしが、わたしたちが求めているニードに対して、あるいは心や体の飢え渇きに対して、わたしの目の前にいるこの方、イエスというお方が応えてくれる、満たしてくれる、そのような存在であると見えたに違いないということです。

もっと平たく言えば、この人はやはりイエスさまに出会うより前に、まずは自分自身の飢え渇きや自分自身では解決できない悩みや問題を抱えていたのだと思われるのです。その人の心に大きな穴が開いていた。心のお腹がすいていた。そこにイエスさまの語る御言葉が、イエスさまのなさるみわざがすっぽり入って来た。「ああ、これこそ、わたしが求めていたものだ」と、そのように感じたのです。そうでなければ「この人はメシアだ」という話には決してならない。「この人はメシアだ」、すなわち「この人はキリストである」とは、「わたしは救われた」と言うのと全く同じ意味だからです。

ところが、続く個所を読みますと、おそらくは聖書を一生懸命勉強してきた人たちの側から異論が出てきたことが分かります。「メシアはガリラヤから出るだろうか。メシアはダビデの子孫で、ダビデのいた村ベツレヘムから出ると、聖書に書いてあるではないか」(7・41~42)。

彼らの聖書知識によると、イエスさまの生い立ちは、聖書に書いてあることから外れているということになるようでした。だから、彼らはイエスさまを信じませんでした。あるいは、少し飛びますが、これまた聖書を一生懸命勉強してきた学者であるファリサイ派の人々の口から「議員やファリサイ派の人々の中に、あの男を信じた者がいるだろうか。だが、律法を知らないこの群衆は、呪われている」(7・48)という言葉が飛び出します。ここで「議員やファリサイ派の人々」とは「律法を知らないこの群衆」との対比があるわけですから、学校に通って聖書を学問的に研究した人々という意味になります。専門的に研究した人の言うことと、そうでない人の言うこととの、どちらを信用できますかという言い方です。群衆を見くだした言い方でもあります。

しかし、学者たちには分からなかったことが、分かった人々がいた。彼らに分かったことはイエスというこの方がメシアであり、キリストであるということでした。なぜ分かったのか。彼らはその方を求めていたからです。助けを求めていました。苦しい現実の中にいたからです。彼らの心の中に、救いを求めるニードがあった。だから、「いま目の前にいるこの方に、わたしは救われた」と感じた。この方が救い主であると分かったのです。

「悲しむ人々は幸いである。その人たちは慰められる」(マタイによる福音書5・4)。聖書の正しい調べ方、それは、いま生きている現実を直視し、悩み苦しむこと、悲しむべきことを悲しむことです。そのときイエスさまが救い主であることが分かります。この方はこのわたしの悩み苦しみをご存じであるということが分かります。この方は、このわたしのために十字架にかかって死んでくださった方であるということが分かります。そのことが分かれば、「聖書が分かった!」と言ってよいのです。

(2009年9月13日、松戸小金原教会主日礼拝)

2009年9月12日土曜日

『福音と世界』座談会に登場

新教出版社の看板雑誌である『福音と世界』誌の最新号(2009年10月号)の特集記事「座談会 今カルヴァンをどう読むか」に、田上雅徳氏(慶應義塾大学法学部准教授)と私、関口康、そして芳賀繁浩氏(日本キリスト教会豊島北教会牧師)(以上、発言順)が登場します。



この三人(プラス司会者)の座談会は、今年8月1日、東京・新宿の新教出版社本社ビルの一室で行いました。



『福音と世界』は定価600円(税込)です。近くのキリスト教書店でお求めになれます。



新訂版『ファン・ルーラー著作集』第三巻、やっと配本

2007年から毎年一冊のペースで配本されている新訂版『ファン・ルーラー著作集』(A. A. van Ruler Verzameld Werk)の第三巻がようやく配本されました。出版社が公表した最初の計画表では昨年12月10日の「国際ファン・ルーラー学会」(アムステルダム自由大学)に間に合うはずだったのですが、8か月遅れとなりました。編集者や出版社を責めるつもりはありませんが、首を長くしすぎて肩がこりました。しかし、ともかく出ましたので、一安心です。



第三巻(2009年)のテーマは「神、創造、人間、罪」(God, Schepping, Mens, Zonde)。さあ、いよいよこれから神学の本論に突入です。第一巻(2007年)のテーマは「神学の本質」、第二巻(2008年)は「啓示と聖書」でした。



第三巻(2009年)に収録されている論文名は、以下のとおりです。



1、神



我々の神認識の本質
神の存在証明
旧約聖書と新約聖書の神
神を語ること
三位一体の教理
三位一体
我々は神なしでありうるか
神の隠匿性



2、創造



天国の五つの定義
天使
創造と贖いの関係
存在の奇跡性
逆の意味での「実存」
我々は事物をいかに評価するか



3、神の摂理



神の摂理
我々はキリスト者として神の御手のうちなる世界に立っている
秩序と混沌
神は世界のために一つの計画を持っておられる
1953年の惨事
神と混沌
苦悩
教導



4、人間



今日の共同体問題
人間の責任と神の教導
良心について 成人の宗教教育との関連で
神と人間の出会い
権威
オランダの精神生活に映し出された人間
なぜ私は個人主義者でないか
プロテスタント的人間観
福音における非人間的要素
個人化の一形態としての成熟
心と事物
そのとき人間に何が起こるのか 教会の永続的要素
神と歴史
聖書とキリスト教の光のなかでの歴史における人間
変えられること
歴史の意味としての人間
わたしは元々何なのか
人間は創造者の王冠か



5、罪



新約聖書の身体論と精神論
聖定における罪
罪の陽気さ
罪人としての人間



6、地上の生



信仰と現実
我々の人生の意味
世界に対するキリスト教信仰の誠実さ
地上の生の評価
我々は何のために生きているのか
聖書の視点から見た喜び
キリスト教的生活感情としての喜び
意味を見出し意味を得る
存在の秘儀:無意味か罪か
人生の意味を問うことに意味があるか
垂直的なるものと水平的なるもの



7、時事問題



今日におけるキリスト教信仰の意味
王冠をかぶった馬鹿野郎
母性
豊かであることと増やすこと
結婚
家族
教会と動物愛護
『聖書と動物愛護』付録
プロテスタンティズムと動物愛護
心臓移植をめぐる道義的・宗教的問題
(新しきアダム)
(初めての月面着陸)



2009年9月10日木曜日

Google翻訳にビビる

パソコンソフトやインターネット上の自動翻訳というものを正直言って全く信用していなかったのですが、今回ばかりはかなり動揺させられました。「Google翻訳」はすごいと思いました。



いかなるサイトでも瞬時のうちに50以上の言語に「翻訳」して表示されます。「翻訳」とカギカッコをつけたのは、いまだにもちろん笑える翻訳が多いからですが、しかし、少し前と比べると状況は相当変わってきているように感じられました。



一例として、本ブログ「関口 康 日記」をGoogle翻訳で「翻訳」してみると、こんなふうになります。



ヘブライ語



ギリシア語



アラビア語



ドイツ語



オランダ語



フランス語



ロシア語



韓国語



でたらめばかり書きつけている拙ブログでも、他の国の言葉で表示されると、まるで自分のものではないかのように、なんとなく立派に見えてしまいました。ただ、この記事のタイトルはさすがのGoogleさんにとっても難解のようで、Google Translation Bibiruと訳してくれます。



しかし、特に驚いたのは、「関口康日記」よりも「今週の説教」や「改革派教義学」や「『キリスト教民主党』研究」などの各国版のカッコよさです。たとえば、ドイツ語版などは次のように表示されます。国際的に活躍している人の気分をちょっとだけ味わうことができます。説教に至っては、パッと見だけなら「カール・バルト説教集」さながらです。



今週の説教(ドイツ語版)



改革派教義学(ドイツ語版)



「キリスト教民主党」研究(ドイツ語版)





2009年9月9日水曜日

こういうのが我々にも欲しい

言うまでもないことですが、「私は知らないことだらけだ」と改めて思わされています。



「フォーラム神保町」というグループ、否、彼らの表現で言うところの“トポス”(場)があることを知り、羨望の思いでいっぱいです。



フォーラム神保町
http://www.forum-j.com/



ここに行けば、なんと、あの佐藤優氏の「神学講座(組織神学)」のゼミに参加することができます!



こういうトポスがファン・ルーラー研究会にも欲しいと、私は個人的に以前から強く願ってきました。ただし、開催場所は、教会ではなく、大学や神学校でもなく、できたら都内有名某所のビルで。



「フォーラム神保町」の向こうを張って、「神学フォーラムお台場」とかがいいです。



以上、「キリスト教民主党」研究といい、私のブログはすっかり妄想地帯と化しております。ああ恥ずかしい。



2009年9月8日火曜日

太宰治「一歩前進 二歩退却」(1938年)に共感して(2)

太宰治の「一歩前進 二歩退却」(1938年)を読みながら考えさせられたのはやはり説教の問題です。「三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑つているチエホフの顔を意識している」読者たちに苛立ちを隠せない太宰の様子が他人事とは思えません。



もちろん「説教は精神修養の教科書ではないのか」と問い詰められるならば「まさにそのようなものである」と答えねばならないとは思いますが、かたや、説教がイエス・キリストについて語る、あるいはパウロについて語るとき、そのイエス・キリストやパウロの陰に説教者自身の顔をあまりにも意識されすぎると困ってしまうのも説教者ではないかと考えざるをえないのです。



「可哀さうなのは、説教者である。うつかり高笑ひもできなくなった。」



松戸小金原教会では、主の日の礼拝の中で(カルヴァンと改革派教会の伝統に基づいて)「罪の告白と赦しの宣言」を行っています。「赦しの宣言」を朗読するのは牧師です。しかし牧師は、「赦しの宣言」を朗読する前に、教会員と共に自分自身の「罪の告白」をしなければなりません。私はたぶん教会員の誰よりも大きな声で「罪の告白」を読み上げ、その後、いくぶん小さな声で講壇の上で「赦しの宣言」を朗読しています。



この「赦しの宣言」の意義や本質を考えていくと、説教とは何かが分かるような気がしています。説教とは、かなり乱暴に言えば「自分のことを棚に上げて」語ることです。あるいは、「自分に罪がないと思う者がこの女に石を投げよ」とだけおっしゃって、御自身はしゃがみこんで地面に何かをお書きになっていた(ヨハネ8章)あのイエス・キリストの御姿に倣うことです。そうでなければ、どうして我々人間が「神の言葉」を語ることができるでしょうか。



日曜日の礼拝説教の善し悪しの問題が、教会にとっては最も深刻な事柄であるということは間違いありません。しかし、「説教者の言行不一致」(説教で言っていることと普段の行状が違いすぎる)という点が告発される場合には、ほとんどのケースは告発者の言うとおりなのだろうとは思っていますが、稀に(としておきます)、太宰がいら立ちを覚えた「三人の若い女の陰に、ほろ苦く笑つているチエホフの顔を意識している」というような本の読み方をするのと同じような仕方で、説教というものを把え、聴いているゆえに出てくる告発も含まれているように感じるのです。



太宰治「一歩前進 二歩退却」(1938年)に共感して(1)

このところ、「聖書よりも」とは申しませんが、カルヴァンよりも、ファン・ルーラーよりも、太宰治が面白くて困っています。



お恥ずかしながら、これまで太宰「など」真面目に読んだことがなかったのです。そもそも小説というものをほとんど読むことができませんでした。小説家の妄想に付き合えるほど暇じゃないと、思いこんでいたところがありました。他人の心の中に入り込んでいく想像力が根本的に欠如していたのです。



しかし、どうしたことでしょう、年齢のせいでしょうか、ここに至って、太宰の文章が私の胃袋に流れ込んでくるものがあります。



ただし、まだ小説ではありません。彼の手記のたぐいにハマっています。近日感銘を受けたのは、「一歩前進 二歩退却」(初出1938年8月、太宰28歳)という短文です(『太宰治全集』第10巻、筑摩類聚版、117~118ページ)。



「日本だけではないやうである。また、文学だけではないやうである。作品の面白さよりも、その作家の態度が、まづ気になる。その作家の人間を、弱さを、嗅ぎつけなければ承知できない。作品を、作家から離れた署名なしの一個の生き物として独立させては呉れない。三人姉妹を読みながらも、その三人の若い女の陰に、ほろにがく笑っているチエホフの顔を意識している。
(中略)
可哀さうなのは、作家である。うつかり高笑ひもできなくなった。作品を、精神修養の教科書として取り扱はれたのでは、たまつたものぢやない。
(中略)
作家は、いよいよ窮屈である。何せ、眼光紙背に徹する読者ばかりを相手にしてゐるのだから、うつかりできない。あんまり緊張して、つひには机のまへに端座したまま、そのまま、沈黙は金、といふ格言を底知れず肯定してゐる。そんなあはれな作家さへ出て来ぬともかぎらない。



謙譲を、作家にのみ要求し、作家は大いに恐縮し、卑屈なほどへりくだつて、さうして読者は旦那である。作家の私生活、底の底まで剥がうとする。失敬である。安売りしてゐるのは作品である。作家の人間までを売ってはゐない。謙譲は、読者にこそ之を要求したい。



作家と読者は、もういちど全然あたらしく地割りの協定をやり直す必要がある。(後略)」



この文章のどこに感銘を受けたかをきちんと説明できるまで太宰の意図を斟酌できてはいませんが、とにかく「そうそう」と、膝を打って喜びながら読みました。



ブログとかメールなどを書いておりますと、私の文章を読んでくださる方々の中に、記述内容についての賛否や感想を知らせてくださる方がおられることには、励まされます。



しかし、「なんでこんな時刻にメールを書いているのだろう」とか「どうしてこんなことをブログなどに書いているのだろう」というような、その文章を書いている私の「態度」ばかりが気になるらしい方に接することがありまして、そういうことと太宰への「共感」とがどうやら関係しているらしいことに気づかされます。



まさに、「一歩前進 二歩退却」です。



2009年9月7日月曜日

ファン・ルーラー研究会神学セミナーの歩み

第1回 2001年9月3日(月)      日本キリスト改革派園田教会(兵庫県尼崎市)

第2回 2002年9月2日(月)・3日(火)熱海網代オーナーズビラ(静岡県熱海市)

第3回 2003年9月1日(月)      日本キリスト改革派東京恩寵教会(東京都渋谷区恵比寿)

第4回 2004年8月23日(月)・24日(火)母の家べテル(兵庫県神戸市東灘区御影)

第5回 2007年9月10日(月)・11日(火)日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢)

第6回 2014年10月27日(月)      日本基督教団頌栄教会(東京都世田谷区北沢)



2009年9月6日日曜日

生きた水が川となる


ヨハネによる福音書7・32~39

「ファリサイ派の人々は、群衆がイエスについてこのようにささやいているのを耳にした。祭司長たちとファリサイ派の人々は、イエスを捕らえるために下役たちを遣わした。そこで、イエスは言われた。『今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所へに、あなたたちは来ることができない。』すると、ユダヤ人たちが互いに言った。『わたしたちが見つけることはないとは、いったい、どこへ行くつもりだろう。ギリシア人の間に離散しているユダヤ人たちのところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか。「あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」と彼は言ったが、その言葉はどういう意味なのか。」祭りが最も盛大に祝われる終わりの日に、イエスは立ち上がって大声で言われた。『渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。』イエスは、御自分を信じる人々が受けようとしている“霊”について言われたのである。イエスはまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかったからである。」

今日の個所のイエスさまは、まだエルサレムにおられます。先週の個所でイエスさまはエルサレム神殿の境内で説教なさいました。また、説教の内容をめぐって、人々といろんなやりとりをなさいました。そうしましたところ、「人々がイエスを捕らえようとした」(7・30)というのです。この「人々」は、いわゆる群衆のことです。普通の人、一般の人です。イエスさまの命を狙っていたファリサイ派や祭司長や律法学者たちではありません。その彼らがなぜイエスさまのことを捕らえようとしたのでしょうか。これは考えてみる必要がある点です。

思い当たることは、彼らはおそらく非常に腹を立てたのだろうということです。問題点はいくつかあります。第一は、イエスさまが「わたしをお遣わしになった方」と言われるのを聞いたとき、彼らが最初に思い浮かべたのは天地の造り主なる父なる神さま御自身のことだったはずですが、そのとき「まさか、そんなはずはない」と思ったに違いないという点にかかわります。なぜなら彼らは父なる神さまのことを知っていると思っていたからです。わたしたちは聖書を繰り返し学んできたし、神を信じてもいる。それなのに、この人は「あなたたちはその方を知らない」と我々に向かって言い放つ。我々のことを侮辱しているのかと腹を立てたに違いありません。

しかし、理由はそれだけではなさそうです。第二に考えられることは、イエスさまは「学問をしていなかった」からです。この場合の「学問をする」の意味は、エルサレム神殿の律法学校を卒業することであると、先週申しました。そしてそれは、我々が「神学校を卒業する」と言うのと同じ意味であるとも申しました。イエスさまは神学校を卒業していません。そうであるにもかかわらず「わたしをお遣わしになった方」のもとから来たなどと言う。そのことで彼らは腹を立てたに違いありません。

なぜそのようなことに腹が立つのかと言いますと、彼らはおそらく悪い意味での権威主義者だったのです。あの学校を卒業した人の言うことだから間違いない。そうでない人の言葉は信用できない。このような道筋で事柄を把えようとする人々だったのです。だからこそ、イエスさまの説教を聴いた彼らにとって、「あの人は学問をしたわけでもないのに、どうして」という点が問題になったのです。

校長から卒業証書を受け取ってもいない。何かの試験に合格したわけでもない。客観的な意味でこの人が「教師」と呼ばれるための根拠は、どこにもない。だとしたら、この人が「わたしを遣わした方」と言っているのは、ただの思い込みである。しかしこの人は、自分はそうだと言い張る。それならば、この人は嘘つきである。この人を誰も遣わしてなどいない。まして、父なる神が遣わしたなどということはありえない。彼らの心の中にこのような一種独特の三段論法が駆け巡った可能性があるのです。

しかしこのような考え方はやはり、悪い意味での権威主義です。このことは一般論としても言えることです。その人が卒業した学校がその人の価値を決めるわけではありません。その学校を卒業した人のすべてが必ず真理を究めつくした権威者であると思いこむことは、事情を知らなすぎる見方です。あえて変な言い方をしますが、どの学校にも優秀な人とそうでない人が必ずいるものです。勉強するのは自分自身です。学校は勉強の仕方を教えてくれるだけです。極端な言い方をすれば、自分で勉強することができる人は学校になど行かなくてもよいのです。

教会の場合も同じですし、教会こそそのことが当てはまります。自分のことを全く棚に上げて言いますが、神学校の学業成績が優秀だった人々の中にも牧師としては全くふさわしくないと判断される人々がいます。逆も然り。成績が悪かった人の中にも立派な牧師はたくさんいます。あの学校を卒業した人だから、何々先生の弟子だから、絶対に間違いないなどということは全くありえないのです。

話がまた脱線しかかっています。私はいま、イエスさまのことを考えております。「学問をしたわけでもないのに、どうして」と疑惑の目がイエスさまに向けられました。わたしをお遣わしになった方のもとから来たと言い張るこの人は嘘つきであると、腹を立てられ、捕まえられそうになりました。イエスさまがそのような目に遭われたのは、イエスさまが悪いわけではなく、イエスさまをそのように見た人々の価値観、とくにその権威主義的な意識感覚に問題があったに違いないと申し上げているのです。

しかし、イエスさまがおっしゃっていることは嘘でも何でもなく、まさに真理であり、真実でした。そして、これはイエスさまだけに当てはまる真理であり真実であるというだけではなく、イエスさまの体なる教会にかかわるすべての事柄にも当てはまることなのです。

たとえば、教会とは誰のものでしょうか。牧師の所有物(もの)でしょうか、長老や執事のものでしょうか、会員一人一人のものでしょうか。「そうでもある」と答えたい気持ちが私にはありますが、そのように決して語ってはならない場面があると思っています。教会は、人間のものではありません。神御自身のものであり、神の御子イエス・キリストのものです。

教会がこの地上でなすすべてのわざは、誰が行うのでしょうか。「それは我々人間自身でもある」と私自身は声を大にして言いたいところを持っていますが、このことも我慢しなければなりません。教会が行うすべてのわざは、神御自身のわざです。わたしたちは神の道具になることに徹する必要があります。

いまここで私がしている説教とは、なんでしょうか。「これは関口さんのお話である」と思われても仕方ない面があることを私自身は否定しません。しかしそれでもなお、わたしたちが信じなければならないことがあります。説教とは、本質的に神御自身の言葉なのです。説教者もまた、神の道具になりきる必要があるのです。

ですから、説教者としてのイエスさまが父なる神さまのことを「わたしを遣わした方」とお呼びになったことは、イエスさまだけに許された特別な言葉遣いであるわけではなく、この宗教にかかわるすべての人に許されているし、そのように語ることを命じられていることでさえあるのです。

しかし、彼らはイエスさまの言葉を受け入れることができませんでした。嘘を言っていると思ったか、あるいは芝居がかったきれいごとを言っているとでも思ったか、ともかく現実味のない話であると聞いたのです。だから彼らはイエスさまが「わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(34節)とおっしゃった言葉を聴いて「ギリシア人の間に離散しているユダヤ人のところへ行って、ギリシア人に教えるとでもいうのか」と、つまり外国旅行でもするつもりなのかと誤解したのです。宗教的な話を聴いても、それを宗教的な次元で捉えることができなかったのです。

イエスさまが「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない」(7・33~34)とおっしゃった意味を、わたしたち自身は知っています。イエスさまは死ぬ覚悟をなさったのです。その言葉を、外国旅行に行くつもりなのかと全く違う意味で聞かれてしまったのです。イエスさまの言葉をなかなか理解できない人々の姿が、ここに描き出されています。

イエスさまは、祭りの最終日に大声で言われました。「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる」(7・37~38)。

この御言葉もまた、宗教的な次元の事柄としてとらえる必要があります。「生きた水」とは“霊”のこと、つまり「聖霊」のことであると説明されています。そしてそれは同時に、聖霊なる神がわたしたちに与えてくださる「信仰」のことです。イエス・キリストが十字架にかかって死んでくださり、三日目によみがえってくださった後に、天の父なる神のみもとにお戻りになりました。そしてその後、イエス・キリストを信じる弟子たちのうえに聖霊が注がれました。その聖霊が「生きた水」となってわたしたちの心に信仰を呼び起こしてくださいました。そして信仰はわたしたちの内から溢れだし、川となってとうとうと流れ続けるのです。

「川」とは継続性と広がりのイメージです。これはわたしたちの信仰生活や教会の伝道を指しています。信仰は一瞬で終わるものではなく、継続的なものです。わたしたちの信仰は神から恵みとして与えられ続けるものなのです。

「イエスがまだ栄光を受けておられなかったので、“霊”がまだ降っていなかった」とあります。「イエスが栄光を受ける」の意味は、十字架の上で全人類の罪を贖うみわざを成し遂げられ、かつ、そのイエスさまを父なる神が復活させてくださることを指しています。イエスさまの栄光とは、すなわち、わたしたち罪人の身代わりに死ぬこと、死んでくださることなのです。しかしまたイエスさまが天に昇られたあと、イエスさまの代わりに聖霊なる神が地上に来てくださり、信仰をもって生きる人々の心の中に住み込んでくださるのです。

ですから、イエスさまが目に見えない存在になられた後も弟子たちは寂しくはありませんでした。聖霊の助けによって力強くイエス・キリストの御言葉を宣べ伝え、教会を建て上げていきました。

「生きた水が川となる」とは、それらすべてを指しています。もちろんそれはわたしたちにも当てはまります。松戸小金原教会が来年30周年を迎えます。「生きた水」としての聖霊がわたしたちの教会を導いてくださいました。この地に30年間、一度も尽きることの無い「川」を流し続けてくださいました。そのようにして、信仰者の群れを守り続けてくださったのです。そのことを神に感謝したいと思います。

(2009年9月6日、松戸小金原教会主日礼拝)

はじめのことば

「『キリスト教民主党』研究」「はじめのことば」を書きました。



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はじめのことば



関口 康



日本国内で「キリスト教民主党」(Christian Democratic Party)を云々することがどれほど困難で危険を伴うことであり、また、どれほど虚しさや惨めさが漂う取り組みであるかは、よく分かっているつもりです。



そして、そのようなものがわが国に生まれる可能性というような次元に至っては、どれほど早くても半世紀ないし一世紀以上先のことであるという点も明言しておかねばならないほどです。



しかし、国際社会に目を転じてみますと、「キリスト教民主党」を名乗る政党が世界80数か国に存在し、力強い活動を続けていることが分かります(「世界のキリスト教民主党一覧」参照)。なかでもオランダとドイツの「キリスト教民主党」は、現在の政権与党を担当していることで特に有名です。



これで分かることは、「キリスト教民主党」という具体的な形式をもってのキリスト者の政治参加(Christian Political Engagement)は、理論上の空想にすぎないものではなく、世界史の過去と現在において多くの実践事例があるということ、平たく言えば、成功と失敗の歴史があるということです。



そして私がしきりに考えさせられていることは、日本におけるキリスト者の社会的発言と実践の目標は何なのかということです。どうしたらこの国の政治の場に、わたしたちキリスト者の声が、歪められることなく正しく届くのでしょうか。



「教会は政治問題を扱う場ではない」と語られることが多くなった昨今、それではキリスト者は、いつ、どこで、どのようにして政治に参加すべきでしょうか。



それとも、そもそも「キリスト者としての政治参加」(Political Engaging as a Christian)ということ自体がもはや無理なことであり、今日においては時代遅れであると言われなければならないのでしょうか。我々が「キリスト者として」立ちうるのはもっぱら教会の内部だけであり、せいぜい日曜日の朝の一時間だけである。社会と政治の場においては、中立者のふりでもして、自分の信仰を押し隠して立つというような、世事に長けた使い分けをするほうがよいでしょうか。あるいは、「素人どもは黙って手をこまねいていなさい。どうせ歯が立ちっこないのだから」というご丁寧なアドバイスに聞き従うべきでしょうか。



あなたに謹んでお尋ねしたいのは、このあたりのことです。



「キリスト教民主党」について誰かが、ただ《研究》するだけで、わが国にもそのような政党が即座に誕生するというようなことがたとえ奇跡としてでも起こりうるのであれば、誰も苦労しません。私自身はそのようなことは夢想だにしておりませんので、どうかご安心ください。



しかし、《研究》そのものは、誰にでも、そして今すぐにでも始めることができます。とにかく誰かが研究し続けているということが重要です。同じテーマについての先行の研究者たちを批判する意図などは皆無です。どのような協力でもさせていただきますので、お気軽にご連絡いただけますとうれしいです。



なお、このサイトはこのたび全く新規に開設したものというわけではなく、「ファン・ルーラー研究会」や「信仰と実践」(廃止)という名前のサイトで公開してきた政治ジャンルの情報提供サイトを引き継ぐものです。また、「キリスト教民主党」「改革派教義学」は姉妹関係にあります。両者の歴史的かつ思想的な相互関係はそのうち明らかにしていきます。古くからお付き合いいただいている方々には、これからもお世話になりたく願っております。



2009年9月5日土曜日

「キリスト教民主党」研究(4)

たった今、私のブログにコメントが付きました。いわく、「キリスト教を使った侵略者は国外退去」だそうです。そのコメントは、即刻削除しました。



この種の誤解や馬鹿らしい中傷誹謗に、いちいち答えていくことはできません。それをやりはじめると、この国のほとんど1億人ほどの人々を相手にしなくてはならなくなり、その状態が少なくともあと百年は続くでしょう。その苦痛たるやローマのコロシアムでライオンの前に立たされた初代のキリスト者たちと同じか、それ以上でしょう。それに耐えられる人間は、たぶんいません。



インターネット上の中傷誹謗には、人をとことん追いつめるものがあります。日本ではキリスト者として社会的発言をするだけで、なんと「キリスト教を使った侵略者」扱いですから。やれやれです。



「キリスト教民主党」研究(3)

政治の話題をもう一つ。



ちょうどぴったり一年前の今日のことだったと今気づいたのですが、2008年9月4日(木)に「『46週間内閣』の謎」という一文を、このブログに書きました。「安倍内閣メールマガジン」と「福田内閣メールマガジン」がいずれもキッカリ「第46号」をもって終了したことに奇妙な一致を感じ、思わず書いてしまったものです。



もっとも、一年前に私が書いた内容は、半分以上ジョークでしたが、カルト団体がしばしば用いる「謀略説」の一種でしたので(「UFOはナチスの残党が作ったものである」とか「世界のすべてはユダヤ金脈によって牛耳られている」といったたぐいの言説)、「実に恥ずかしいことを書いたものだ」と苦にしながら、「ま、いいか」と放置したままでした。



ところが、です。昨日届いた「麻生内閣メールマガジン」の最終号がなんと「第44号」でした。きっかり46週間というわけではありませんでしたが、わずか二週間違い。ここまで来ると、謀略説、俄然有利です。「フィクサーは誰か。出てこい悪党!」と言いたくなります。



しかし、しかし。謀略説はお詫びして取り下げたいと思います。一年前に「フィクサー」(って・・・)を疑った人物は、違っていたようですから。



今回の選挙に大きな意味を感じた一つは、「公明党」の大敗ならびに与党からの転落、そして「幸福なんとか党」に一議席も与えなかったことです。



私自身は「宗教多元主義」という呼び名で知られる有名な立場、すなわち「あの富士山も、静岡県側から登ろうと、山梨県側から登ろうと、頂上では皆同じである。宗教も、どれを選択しようと、何も信じなかろうと、結果は同じである」とする立場に賛成することができません。正しい宗教的理念に立って政治的に行動する人々がいることを応援する気持ちさえあります。そのため、宗教政党ないし“教会政党”としての「キリスト教政党」の存在を否定することができません。もし日本に「キリスト教政党」が誕生した日には心から喜んで支持したいと思っています。



しかし、そのことと「政治のカルト化」は全く別のことです。わが国の多くの人々に願うことは、「カルト」と「宗教」をどうかきちんと区別していただきたいということです。この区別をなかなかしていただけないことが「キリスト教政党」について真面目に議論することを困難にしている大きな理由にもなっています。



最近は、中学生くらいになっても「神社」と「寺」の違いも知らないという子どもたちが増えているようです。「牧師」と「神父」の違いなど知る由もないといった具合です。だからこそカルトの出る幕があると言えるのか(我々としてはますます警戒心を強めなければならないのか)、それともカルト自身も行き悩んでいるのか(少しは安心してよいのか)は、まだよく分かりません。



2009年9月4日金曜日

「キリスト教民主党」研究(2)

一昨日の「『キリスト教民主党』研究」という文章に、もう少しだけ付言しておきます。



たった今知ったことなのですが、今月18日にバルト神学受容史研究会というグループの編集による『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)という本が発売されるようです。素晴らしいことだと、感動しました。これはぜひ買われ、読まれるべき書物です。まだ手に取って見たわけではありませんが、今からお勧めしたいと思います。



バルト神学受容史研究会編
『日本におけるカール・バルト 敗戦までの受容史の諸断面』(新教出版社、2009年)
http://www.shinkyo-pb.com/post-1031.php



一昨日書いたことも、まさにこの「日本におけるバルト神学受容の歴史」という問題にストレートにかかわることなのです。これは逆説であり皮肉でもあるのですが、「20世紀最大の神学者」にして「反ナチ教会闘争の理論的指導者」とまで言われた「社会派キリスト者のスター」であるカール・バルトがその神学思想によって現代のキリスト教会に残した結果は、「教会の政治的無効化ないし無能化」でした。今や「教会の預言者的な叫び声」など誰の耳にも届かないし、関心ももたれません。



もちろん「キリスト教だの教会だの牧師だのというようなものには、どうか引っこんでいてもらいたい。あのような連中は放っておくと面倒なことになるので、何とかして政治的・社会的に無効化ないし無能化しておかなければならない」とでも願っている方々はバルト神学をどうぞいつまでも信奉し続けてください。あるいは「現時点でそういう結果になっていることの責任はバルト自身には無く、もろもろのバルト主義者たちが悪かったのだ」とでも言って、どうぞあなたの尊敬する教父をかばい続けてください。しかし、私はそういうあなたに全くついて行くことができません。



この問題の重要性の大きさたるや、もしこれを無視するならば、すなわち、この問題が含む重大な問いかけに我々自身が真剣に取り組むことなく、未来を切り開くべく努力することも怠るならば、日本の神学の寿命はあと二十年ももたないのではないかと思うほどです。



そして「神学の死」は「教会の霊的生命の死」を意味します。教会の立派な建物は残るでしょうし、何らかの集会も残るでしょう。「いっそ神学(シンガク)などという質草にならないものには死んでもらったほうが、集会の人数が増えてくれてよいのだが」という正直で真っ当な意見があることも知っています。しかしだからといって譲るつもりはありません。「神学の死」は「教会の死」です。「神学を殺すこと」は「教会を殺すこと」です。神学なき説教、あるいは「神学が杜撰(ずさん)な教会」に苦しめられた過去の日々には、もう戻りたくありません。



しかし、同時に言わなければならないことは、現在の我々がまさに真剣に取り組むべき課題は、疑いなく日本のキリスト教界に最も大きな影響を与えてきたカール・バルトの神学の問題点を鋭く見抜いた上で、「バルト神学」そのものと「日本におけるバルト受容史」とを徹底的かつ全面的に「歴史化」すること、すなわち「過去のものとすること」です。



それはちょうど、前世紀の初頭のバルトが19世紀の神学的巨頭シュライアマッハー(Friedrich Daniel Ernst Schleiermacher [1768-1834])を「過去のものとした」のと同じことです。今度はバルト自身が、そして彼の神学そのものが「過去のものとされる」番です。



「バルトなどとっくの昔に『過去のもの』になっているではないか。何を今さら」と言われるかもしれませんが本当にそうでしょうか。「カール・バルトという妖怪」が、いつまでも日本の教会に徘徊し続けているのではないでしょうか。あの「神学者」が、あの牧師が、あの教会が、大きな力を持ち続けているかぎり、そう判断せざるをえません。



2009年9月3日木曜日

信仰の道を共に歩もう

ブログを使い始めた頃はこれを「伝道」のために用いるつもりなどは全く無かったのですが、結局私の関心は「伝道」へと向かっていくようだということを改めて自覚させられます。



信仰の人生とはどうしてこれほどまでに楽しく愉快なものなのかと日々感嘆している人間(私)が、この楽しさを何とかして多くの人々に伝えたいと願っているこの気持ちには偽りも揺らぎもありません。



そんな私ですので、どこに何を書いても、結局「伝道」になっていくようです。



ブログのトップページに長らく「リフォームド / プロテスタント ウェブライブラリー」といういかにも適当に(いいかげんに)考えた大仰な名前をつけてきましたが、このたび大きく路線を変更し、「信仰の道を共に歩もう」という名前にしました。



信仰の道を共に歩もう
http://www.reformed.jp/



くどいようですが、私のブログがこんなふうなものになっていくことを当初は全く予想も期待もしていませんでした。自分でも何がしたいのか、どういうことを目指しているのかが分かっていませんでした。



しかし私は今や、おそらく頭の天辺からつま先まで「牧師」なのです。これ以外の何も私にはできそうもありません。どんなに辛い日々が待ち受けていようとも、なんとか耐えていきます。



「キリスト教民主党」研究(1)

わが国に「民主党政権」が誕生したことに触発されて何か新しいことを始めたくなりました。手始めに「『キリスト教民主党』研究」というサイトを新設しました。そして、そのトップページに「世界のキリスト教民主党一覧」をアップしました。日本国内にこの種の情報はほとんど皆無ですので、「こんなにたくさんあったのか」と驚かれる方が多いのではないでしょうか。



「キリスト教民主党」研究(新設)
http://cdp.reformed.jp/



キリスト者がきわめて少数であるわが国に、公党としての「キリスト教民主党」が誕生するのは、たとえどれほど強く願ったとしても、半世紀か一世紀以上先のことでしょう。しかし、ただ手をこまねいているというのでは、無策のそしりを免れないでしょう。誰かが何かを始めなければ、どんなに小さくても何らかのアクションを起こさなければ、永久に何も生まれないでしょう。



日本の特にプロテスタント教会が「キリスト教政党」を求めてこなかった(あるいは意図的に拒否してきた)理由は必ずしも明らかにされてきませんでした。もちろん単純に「キリスト者の数が少なすぎて為すすべがなかった」と言えばそれまでであり、説得力もあります。実際、日本のキリスト者の多くは「キリスト教政党」という言葉を聞くとジョークだと思って腹を抱えてゲラゲラ笑いだすのです。そのような現実があることを私は知っています。



しかし、数の問題以上に思想的ないし「神学的な」理由もあったと思われます。少なくともその一つにバルト神学の圧倒的な影響を数えなければならないと私は考えています。



「キリスト教政党」の成立の要件は、「神学」(theologia)以上に「キリスト教哲学」(philosophia christiana)です。換言すれば、「キリスト教」(christiana)と「哲学」(philosophia)との《順接的》関係性の確保です。そのとき我々に問われることは、教会の外(extra ecclesiae)なる「世界」(mundum)における政治、経済、文化、教育、芸術といった一般的・普遍的な事柄を「キリスト教へと改宗した人間であるならば」どのように見、どのように態度決定するのかです。



ところがバルトは「キリスト教哲学」を全面的に退けました。次のように述べています。「キリスト教哲学(philosophia christiana)は事実上、いまだかつて決して現実のことであったためしはなかった。それが哲学(philosophia)であったなら、それはキリスト教的(christiana)ではなかった。それがキリスト教的(christiana)であったら、それは哲学(philosophia)ではなかった。」
(Karl Barth, Kirchliche Dogmatik, I/1, S. 5 カール・バルト著『教会教義学』第一巻第一分冊、原著5ページ)



今はこれ以上詳述できませんが、書きとめておきたいことは、このバルトの神学的思惟の呪縛から解放されないかぎり、日本に(公党としての)「キリスト教政党」が誕生する日が訪れることは永久にありえないだろうということです。



バルトにおいて「キリスト教」と「哲学」との関係性は《逆接的》ないし対立的なものとしてしか描かれません。彼にとって「キリスト教」とは(『ローマ書講解』から『教会教義学』に至るまで一貫して)永久に「数学的点」であるところの「イエス・キリストにおける神の自己啓示」のみにとどまり続けるのであって、決して「線」にも「面」にもなっていきません。したがって、それが「世界」において形態(ゲシュタルト)を獲得することもありえないのです。



日本で「キリスト教政党」の問題に取り組むためには、このバルトの問いかけを回避できません。「キリスト教」と「哲学」との関係は、バルトが示唆したように、ただ逆接的・対立的なものでしかありえないのでしょうか。キリスト者である人間は「世界」に対して批判的・攻撃的なスタンスしか採りえないのでしょうか。この難問が我々の喉元に突き付けられています。



なお、新サイト開設に伴い、従来サイトの一つのURLを変更しました。



関口 康 小説(URL変更)
http://ysekiguchi.reformed.jp/novel.html





2009年9月2日水曜日

復活の光(2008年)

SCENE001 胃がん検診

「まず最初に胃を膨らませる薬。そのあとバリウムね。」
生まれて初めての経験てのは恐ろしい。言われるままにするしかなかろう。
「金具のついた服は脱いでください。」
「・・・はい。」
ベルトのバックルは金具だ。ここでズボン脱ぐの?
「棚の上の籠の中のを穿いて。」
パジャマのズボンだ。しわくちゃだ。
「穿きました。」
「じゃ、これ飲んで。」
ん?結構飲めるぞ。お腹がすいてるからかな。豆乳のようだ。ちょっと冷たいし。
「では、レントゲン室に入ってください。」
前の人が出てきた。次に僕が入る。ガラス張りの部屋の扉が閉まる。

SCENE002 寝坊

「お父さん!お父さん!遅刻する!」
・・・ナ、何だあ?・・・あ、いけね!
「うわ!ごめん、ごめん。寝坊しちゃった!」
「何か食べていかなきゃ。何か買ってきてある?」
やべ、また買い忘れた。
でも食パンはまだ二、三枚残っている。昨日の朝は食パンじゃなかったはずだし(どうだっけ?)。
「これをトーストして、ハムとチーズを載せよう。それでいいな。」
「うん、分かった。」
「トイレ行って歯磨きしたら、車で学校まで送ってやる。早く準備しろ。」
「はい。」
今夜の献立は何にしようか。

SCENE003 買い物


昨日も来たスーパーの中を今日も歩いている僕。大根の前にしゃがんでいる女性店員の横を通過。
「いらっしゃいませー。」ハイハイ、いらっしゃいましたー・・・。
この時間に男性の客はいない。目立ってるのかなあ。まあ、そんなことに誰も関心ないか。
買い物と言っても昼に食べるものだけだ。
ごはんはもうすぐ炊ける。レトルトカレーでいいや。いざというとき用に、四つほど買い込んでおこう。
夕食の材料は、またあとで買いに来なければ。昨日と同じメニューじゃ、子どもたちがかわいそうだ。
それから、ペットボトルのウーロン茶。
今日は温かい。子どもたちが帰ってきたら「のどが渇いたよお」と言うだろうから、2リットル。
お、レジに男性が並んでいる。75才というところか。
「1230円でございます。それでは、2030円お預かりいたします。800円おつりでございます。
ありがとうございました。またお越しくださいませー。」
毎日来てるよー!
・・・最近、ひとりごとばっかり言ってるよ、オレ。

SCENE004 結婚指輪と片頭痛

僕の日課は定まらない。名刺には「哲学者」と書いてみたいのだが、小説家のようなイベント屋のような仕事に不定期で取り組んでいる。会社勤めはしたことがない(ことにしている)。
それでも一つだけ決まっていることがある。朝起きるとすぐに結婚指輪をはめ、夜眠る前に外すことだ。
指輪の内側には二人の名前が書いてある。ノビタとシズカ(ウソ)。しばらくサイズが合わなくなっていたが、数年前にダイエット大作戦を敢行してからは、爪楊枝が二本入る余裕ができた。右手でくるくる回すことだってできる。
「そう。」
もう一つ日課があった。
最近、片頭痛がひどい。薬局で買える頭痛薬を飴玉のように口に放り込む癖がついた。一種の薬物依存だ。
原因は分かっている。僕は今、深い暗闇の前に立っている。

SCENE005 深い暗闇

深い暗闇とは何か。答えが分かるなら、それは暗闇ではないのだ。
不気味ではある。何かとんでもないものが僕を待ち受けている。
被害妄想ではない。生傷はすでにある。
強いて名づけるとしたら「現実という名の暴力」。
しかし、無理しても耐えて行こうと思う。行く先は他にはない。
まあ何とかなるだろう。道はないかもしれないが地面はありそうだ。
温泉に興味はないが風呂につかれば安眠もできる。
生温かい血が、僕の中をゆっくりと流れている。
根拠なき勇気なら、誰にも負けない。

SCENE006 帰宅

ギ・・・。
「ただいまー。」
「あ!おかえり。ど?」
「にゃ、別に。」
「そ。ま、おつかれ。」
「ん。」
「ねる?」
「ん。あ、駅前でパン買ったけど。食べる?」
「お、ありがと。一緒に食べよか。」
「・・・。」
振り向くと、もう夢の中。
ホント、お疲れさま・・・。

SCENE007 復活のひかり

少しずつ少しずつ、確実に時間が流れている。
さびしい。
賑やかなところが好きなわけではない。
「あなた」を独り占めしたいだけだ。
でも、叶わない。しばらくのあいだは。
「しばらくのあいだは」? そうだ!!
僕は必ずまた立ち上がる。
死ぬまでにしなければならないことがある。
動け、指。動け、足。お願いだから。
脳からの命令に反応してくれ。
僕に残された日は、限られている。

SCENE008 傷心

198X年、第三京浜。横浜に向けて時速17Xキロで疾走中。
「・・・やばいな。」
アクセルをゆるめる。助手席には僕より背の高い、五歳上の女性。
何の感情もない。ありえない。あるのは違和感と、冷え切った手足。
前の夜、僕はひとりで泣いていた。察してくれたようだった。
自動車を近くの駐車場にとめ、コンサート会場まで歩いた。
僕は左。「恥ずかしい」という感情が芽生え、二歩ほど離れて。
顔を直視できなかった。

SCENE009 口笛

それでもその日、女性は恩人になった。
転機は三ヶ月後に訪れた。
富士山は見えなかった。バックミラーの中に「あなた」がいた。
隣から話しかけてくる友人の声は耳に入らなかった。うるさいよ。
僕は心の中で口笛を吹いていた。
下り坂のワインディングロードに沿って巧みにハンドルを操る。
アクセルも、ブレーキも、そっとやさしく、やわらかに。
夕方、10円玉を30個つかんで電話ボックスに駆け込む。
よし、また会える。

SCENE010 大雪の翌日

申し訳ないことに、雪が嫌いだ。
良い思い出がひとつもない。あのことも、このことも、雪の日に起きた。
右足に軽い障碍が残っている。最初で最後のスキーで捻挫したからだ。
交差点を曲がり切れず、後輪が大破したこともある。チェーンは面倒くさい。
上り坂を自動車ごと後ずさりしたこともある。渋滞中だったので冷や汗をかいた。
でも、こんなのは大したことじゃない。
透きとおった人と初めて出会ったのは大雪の翌日だった。
雪はずるい。
うっかりボルテージが急激にピークまで上がってしまったではないか。
人があれほど美しいものかと。
「赤いマフラーが僕を狂わせたんだよな。」
今はそう思うことにしている。

『改革派教義学教本』改訂委員会(仮称)設置の提案

「『改革派教義学教本』改訂委員会(仮称)の設置」を提案いたします。ただしこの「提案」を持ち込む先がまだ見つかりません。しかし、日本の教会の「神学的再生」を求めていくならば結局こういうことに至らざるをえないと信じています。私自身はこの仕事のためならこの命をささげてもよいと思っています。この一事のために涙をこらえて苦心してきました。この件に限ってはある程度ファナティックであることを認めます。しかし「あなたにこの仕事はふさわしくない」と言われるならば、引き下がります。私などよりもっとふさわしい人にお委ねいたします。その方々の仕事を遠くから静かに見守らせていただきます。



改革派教義学の「改訂」の流れ(要旨)
http://dogmatics.reformed.jp/prologue.html



2009年9月1日火曜日

民主党に期待します

「民主党」に私も投票しました。うれしい結果が出たことを喜んでいます。

土肥隆一氏の当選を新聞で確認しました。土肥氏は現在日本で唯一の、牧師の国会議員です。また参議院議長の江田五月氏のことは、社会民主連合の代表をなさっていた時代(1980年代)から応援してきました(私の祖母と母は父・江田三郎氏の時代から応援しています)。

江田氏が日本新党に参加したという報せを聞いたとき(1994年)には喜びましたが、次に新進党のほうに合流なさったとき(同年)には「判断を誤ったのでは」と強い不満を抱きました。

しかし、その後(1998年)民主党に参加なさったことで安心し、爾来一貫して支持してきました。他の民主党議員のことは分かりませんが、新鮮さを感じます。

選挙区が遠いこともあって有効で実質的な協力ができたわけではありませんが、自分にもできることからと、土肥氏と江田氏のメールマガジンを読み、そこから見えてくる日本の現在と将来の姿を心に刻みながら、キリスト者と教会の役割や責任を考えてきました。

世代は全く違いますが、土肥氏は大学(東京神学大学)の先輩、江田氏は高校(岡山朝日高校)の先輩でもあります。江田氏とは面識がありませんが、土肥氏は応援メールをお送りしたところ、なんと松戸まで自動車でかけつけてくださったことがあります。

「自民党時代」を過去のものにしてほしい。不可逆運動が長く続いてほしい。なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、ひたすら走り続けることです。

土肥氏と江田氏のお二人にはぜひとも入閣していただき、この国をドラスティックに変革していただきたく願っております。