2009年9月5日土曜日

「キリスト教民主党」研究(3)

政治の話題をもう一つ。



ちょうどぴったり一年前の今日のことだったと今気づいたのですが、2008年9月4日(木)に「『46週間内閣』の謎」という一文を、このブログに書きました。「安倍内閣メールマガジン」と「福田内閣メールマガジン」がいずれもキッカリ「第46号」をもって終了したことに奇妙な一致を感じ、思わず書いてしまったものです。



もっとも、一年前に私が書いた内容は、半分以上ジョークでしたが、カルト団体がしばしば用いる「謀略説」の一種でしたので(「UFOはナチスの残党が作ったものである」とか「世界のすべてはユダヤ金脈によって牛耳られている」といったたぐいの言説)、「実に恥ずかしいことを書いたものだ」と苦にしながら、「ま、いいか」と放置したままでした。



ところが、です。昨日届いた「麻生内閣メールマガジン」の最終号がなんと「第44号」でした。きっかり46週間というわけではありませんでしたが、わずか二週間違い。ここまで来ると、謀略説、俄然有利です。「フィクサーは誰か。出てこい悪党!」と言いたくなります。



しかし、しかし。謀略説はお詫びして取り下げたいと思います。一年前に「フィクサー」(って・・・)を疑った人物は、違っていたようですから。



今回の選挙に大きな意味を感じた一つは、「公明党」の大敗ならびに与党からの転落、そして「幸福なんとか党」に一議席も与えなかったことです。



私自身は「宗教多元主義」という呼び名で知られる有名な立場、すなわち「あの富士山も、静岡県側から登ろうと、山梨県側から登ろうと、頂上では皆同じである。宗教も、どれを選択しようと、何も信じなかろうと、結果は同じである」とする立場に賛成することができません。正しい宗教的理念に立って政治的に行動する人々がいることを応援する気持ちさえあります。そのため、宗教政党ないし“教会政党”としての「キリスト教政党」の存在を否定することができません。もし日本に「キリスト教政党」が誕生した日には心から喜んで支持したいと思っています。



しかし、そのことと「政治のカルト化」は全く別のことです。わが国の多くの人々に願うことは、「カルト」と「宗教」をどうかきちんと区別していただきたいということです。この区別をなかなかしていただけないことが「キリスト教政党」について真面目に議論することを困難にしている大きな理由にもなっています。



最近は、中学生くらいになっても「神社」と「寺」の違いも知らないという子どもたちが増えているようです。「牧師」と「神父」の違いなど知る由もないといった具合です。だからこそカルトの出る幕があると言えるのか(我々としてはますます警戒心を強めなければならないのか)、それともカルト自身も行き悩んでいるのか(少しは安心してよいのか)は、まだよく分かりません。