2009年9月14日月曜日

ファン・ルーラー著「地上の生の評価」をめぐるディスカッション(2001年)

日時 2001年7月16日(30分間)
場所 東京某所



質問者A:
「マルクス主義における『地上の生』の高い評価の不徹底に対するファン・ルーラーの批判という部分に興味をひかれた。ファン・ルーラーはマルクス主義とキリスト教の違いをどのあたりに見ていたと思うか」。



関口:
「最も大きな違いと見ていたのは罪の問題である。マルクス主義は罪の解決という次元を抜きにして世界の完成を語ろうとする。しかし、キリスト教というかファン・ルーラーは罪の解決なしには世界は完成しない、世界が完成する前に回心と救いが必要である、と語る。しかし、マルクス主義の人々は、神も仏もへったくれもないところで自動的にプロレタリアート独裁の理想世界が完成すると信じている。ここに最も大きな違いがあると思われる」。



質問者B:
「とても面白かった。終末論の事柄とも関わるのでたいへん参考になった。私もぜひファン・ルーラーを読んでみたいと思った。ところで、ファン・ルーラーとオランダ改革派神学者のバーフィンク、ベルカワーとの関係はどういうものか。またファン・ルーラーのカイパー批判の論点は、ごく短く言えばどういうものであるか」



関口:
「バーフィンクに対しては高い肯定的な評価があると思う。ファン・ルーラーは『啓示の哲学』の必要性をバーフィンクの名前を挙げて訴えているし、RGG第三版の「バーフィンク」の項目の執筆者がファン・ルーラーであったりする。ベルカワーとの関係についてははっきりしたことは言えないが、私の印象ではあまり仲良くなかったように思う。ベルカワーの書物の中に重箱の隅を突付くようなファン・ルーラー批判を見かけたことがある。原因ははっきり分からないが、年齢が近いこと、教派が違うことなどで小競り合いがあったのではないか。でも、ファン・ルーラーのデータを見ていると、アムステルダム自由大学で行われた講演なども結構多く、そのあたりはどういう事情なのか、私自身も興味を持っている。カイパー批判については二つくらいのことが言えると思う。まず第一に、NHK内部にGKN離脱そのものを批判し続ける線があり、その線をファン・ルーラーが受け継いでいること。カイパーと直接激突して自由大学を追われたと伝えられる倫理学者フードマーカーの弟子がハイチェマ。そのハイチェマの弟子がファン・ルーラーである。第二に内容面であるが、ファン・ルーラーはカイパーの一般恩恵論を批判した。特殊恩恵の優位性を強調するあまり、つまり、一般恩恵と特殊恩恵との区別を強調するあまり、『キリスト教的○○』を言いすぎる結果を生み出し、この世界の中に一般社会とは全く区別されたゲットーのようなものを作っていくことの危険性があるというあたりを批判したようだ」。



質問者C:
「ファン・ルーラーが受け継いだと言われる『体験主義の伝統』は『敬虔主義』と同じだろうか」。



関口:
「そう言えると思う。現在調べが付いているところで言えば、ファン・ルーラーが受け継いだ『体験主義』は、オランダに起こった第二次宗教改革の伝統を引き継ぐものだと言われている。ものの本によると、その伝統は『火を見つめながら三位一体の神を瞑想する伝統』であると紹介されていた」。



質問者D:
「いろいろ問題を感じながら聞いていた。総じて思うことは、こんな理屈はオランダというキリスト教の伝統を豊かに引き継いだ文化国家の中で、お勉強がよくできる学者さんだから語りうることだ。たとえば、三位一体論から見た『世界は不必要』という話は、存在論の理屈ならそう言えるかもしれないが、そんな理屈を使って日本の中で伝道はできない。『世界は必要である』ということをもっと語るべきではないか。またファン・ルーラーが言っていることが、地上の生を喜んでそのまま受け入れなさいというような話だとすれば、たとえば障害者の人にとってどれくらい耐えうる言葉であろうか。『遊び』だなんだという部分も、オランダの中では語れるかもしれないが、日本ではとてもじゃないが受け入れられない。現実に人生の苦しみを感じている人の耳には届かない」。



関口:
「なるほどごもっともと感じるところがある。これからいろいろ考えてみたい。ただ、ファン・ルーラーの時代のオランダの状況は、カイパーの時代などから比べると世俗化がずっと進んでしまっていたと言いうる。その中でファン・ルーラーは世俗化に対して肯定的な立場をとっている。彼自身、労働者の家庭で育ったり、政治やら何やらに手を伸ばしていたことなどもあってか、私がファン・ルーラーの書物を読んでいる印象では『お高くとまっている』人ではなかったと感じている。だから、お勉強ができる学者さん云々の部分はちょっと違うのではないかと思う」。



質問者E:
「ファン・ルーラーが『遊び』を語るのは何の影響か。また、アウグスティヌスのfrui Deiとuti mundoの区別をファン・ルーラーが批判しているようだが、その批判は当たっていないのではないか。ファン・ルーラーはアウグスティヌスを読み違えているのではないか。カルヴァンのtheatorum gloriae Dei のほうは肯定し、アウグスティヌスのほうは否定するということは、アウグスティヌスとカルヴァンを対立的に捉えているということか。それは違うのではないか」。



関口:
「はっきりとしたことは言えないが、ファン・ルーラーの『遊び』はやはりホイジンガの影響抜きには考えられない。しかし、神学の世界で『遊び』という言葉が採用されはじめたことにおいてファン・ルーラーは草分け的存在である。モルトマンやコックスはファン・ルーラーよりずっと後。いや、モルトマンの場合、ファン・ルーラーからの借用である可能性が高いと考えている人々がいる。またファン・ルーラーのアウグスティヌス批判については、今日のところはファン・ルーラーの言っていることを紹介したまで。ファン・ルーラーの理解が間違っているかどうかわたしはまだ何の判断も持っていないので、ご勘弁いただきたい」。



質問者E(上に同じ):
「『遊び』は、やはりホイジンガの影響か。なるほど私もそう思う。あの時代、進歩的な文化人たちはみな『遊び』という言葉を使った。しかし、うちの教会の中には『遊び』とか『喜び』と言われると途端に拒絶反応を起こす人々がいる。今まで我々が信じてきた改革派神学とファン・ルーラーの神学がどのように馴染むのか馴染まないのか、今のところ未知数であると感じている」。



関口:
「たしかにファン・ルーラーの『遊び』はホイジンガの影響抜きには語れないと思うが、使われている意味は違うと思う。ホイジンガはオランダのメノナイト派の人だった。ファン・ルーラーは改革派。思想の根本が全然違う。同じ言葉を使っていても内容が違うと私は理解している。ファン・ルーラーが『遊び』を語り始めたのはすでに戦中から。これから申し上げることは、今のところ何の調べもついておらず、それゆえ全く当てずっぽうなのだが、ファン・ルーラーの目に映るオランダの戦中から戦後にかけての状況の中に『この世界の中で生きることに完全に絶望してしまっている人々』がいたのではないか。この世界を捨て、世界から逃げ出して、天国に、『あっちの世界』に行ってしまいたいと切望し、自殺を図ろうとする人々さえ見ていたのではないか。その人々を前にしてファン・ルーラーは『この世界から逃げてはならない!』『この世界を喜んで受け入れ、引き受ける勇気を持ちなさい!』と訴えていたのではないか。この世を捨ててしまいたい人々に向かって、なんとかしてこの世の中に留まってもらいたいと願い、留まらせるための努力をしていたのではないか。要するに、現在<いのちの電話>の人々たちがやっているような仕事に通じることを考えていたのではないだろうか」。