「次世代の教会をゲンキにする応援マガジン」なる『ミニストリー』(Ministry)が創刊されるとのこと、同慶の至りです。今日届いたキリスト新聞最新号の「全面広告」を拝見しました。
しかし最も大きな字で書かれたキャッチコピーに絶句。「牧師のミカタ、創刊。」
ウソかハッタリであっても「信徒のミカタ、創刊。」とは書かない(または「書けない」)ところに、ある独特のリアリズムを感じはしましたが、なるべくなら見たくなかった表現でしたね。
本音を思い切りぶちまけたい気持ちなら私にだってありますが、陽の下を堂々と歩きたいならパンツぐらい穿けよと言いたいところです。
「説教の塾」についても、そう。そこで営まれていることは立派であり、関わっている人々は立派であるとは思いますが、基本的なベクトルがちょうど正反対の方向を向いているような気がしてならないのです。
なぜ「牧師のミカタ」なのでしょうか。なぜ「説教の塾」なのでしょうか。牧師たちの自意識が過剰すぎるのではないでしょうか。「おれを忘れるな」(Niet te vergeten mij)を言いたがりすぎではないでしょうか。
あるいは、牧師たちがまるで被害者意識のようなものを持ちすぎているのではないでしょうか。癒されたがり、慰められたがりの傾向が強すぎるのではないでしょうか。