2009年4月3日金曜日

「教会に通わない神学者」の『教会的な教義学』(5)

改革派の神学者は、W. J. ファン・アッセルト先生の言葉を借りれば「カルヴァン主義者にならないかぎり、カルヴァンをラディカルに相対化できる」ところがあります。カルヴァンを批判しても改革派神学者のままでいることが可能です。

しかし、たとえば、いったん「ルター派」を名乗ってしまいますと、どうしてもルターという一人の歴史的人物から一歩も離れられなくなってしまいますよね。人の名前を付けた教会のすべてが悪いと言うつもりは私にはありませんが、キリスト教を極端に狭めてしまう危険性と隣り合わせにあるような気がしてなりません。

バルトの場合は、「バルト派教会」という教団があるわけではないし、バルト自身は「バルト主義者」を忌み嫌っていたということはよく知られていることではあります。

しかし、なぜでしょうか、私の知るかぎり、バルトを愛する人々の多くは強い排他性をもちはじめます。

というか基本が「上から目線」です。なんといっても「20世紀最大の神学者」のファンクラブですから。百歩譲ってバルトが「最大」であることを認めるとしても、バルトのファンたち自身は別に「最大」でも何でもないんですけどね。自分はバルトじゃないのに、まるで自分が「最大」であるかのようになっちゃう。どこかでとんでもない勘違いに陥っているんですね、きっと。

また、これはオランダの話ですが、20世紀のオランダ人でバルトの親友となり自らバルト主義者になったK. H. ミスコッテという人がいるのですが、この人が亡くなった後、彼の息子が出版した追悼論文集のタイトルが『ミスコッテを忘れるな』(Niet te vergeten Miskotte)っていうんです。

自分の父親の追悼論文集にどんなタイトルをつけようと遺族の勝手だと言われればそれまでですが、センスとしては最低だし、何となくみっともないと感じるのは私だけでしょうか。とくに、「忘れるな」とか実の息子さんから言われますと、私などはひねくれていますので、かえってますます見苦しいし、「必死だなー」とか笑ってしまいます。

ミスコッテのことはバルトとは直接的には関係ないことではありますが、結論として思うことは、人の名前と結びつく信仰というのは薄氷の上を歩くに似た危うさがありますよねということです。

ドイツには「ディートリッヒ・ボンヘッファー教会」という名前の教会が結構あるようですが、そういうのも結局似たような運命を辿るような気がします。