2006年9月17日日曜日

「神の国で過越が成し遂げられるまで」

「過越の小羊を屠るべき除酵祭の日が来た。イエスはペトロとヨハネとを使いに出そうとして、『行って過越の食事ができるように準備しなさい』と言われた。二人が、『どこに用意いたしましょうか』と言うと、イエスは言われた。『都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う。その人が入る家までついて行き、家の主人にはこう言いなさい。「先生が、『弟子たちと一緒に過越の食事をする部屋はどこか』とあなたに言っています。」すると、席の整った二階の広間を見せてくれるから、そこに準備をしておきなさい。』二人が行ってみると、イエスが言われたとおりだったので、過越の食事を準備した。時刻になったので、イエスは食事の席に着かれたが、使徒たちも一緒だった。イエスは言われた。『苦しみを受ける前に、あなたがたと共にこの過越の食事をしたいと、わたしは切に願っていた。言っておくが、神の国で過越が成し遂げられるまで、わたしは決してこの過越の食事をとることはない。』そして、イエスは杯を取り上げ、感謝の祈りを唱えてから言われた。『これを取り、互いに回して飲みなさい。言っておくが、神の国が来るまで、わたしは今後ぶどうの実から作ったものを飲むことは決してあるまい。』それから、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えて、それを裂き、使徒たちに与えて言われた。『これは、あなたがたのために与えられるわたしの体である。わたしの記念としてこのように行いなさい。』食事を終えてから、杯も同じようにして言われた。『この杯は、あなたがたのために流される、わたしの血による新しい契約である。しかし、見よ、わたしを裏切る者が、わたしと一緒に手を食卓に置いている。人の子は、定められたとおり去って行く。だが、人の子を裏切るその者は不幸だ。』そこで使徒たちは、自分たちのうち、いったいだれが、そんなことをしようとしているのかと互いに議論をし始めた。」



今日の個所には、イエスさまが十字架につけられる前の夜に、弟子たちと一緒に最後の食事をされた、かのいわゆる「最後の晩餐」の場面が描かれています。この「最後の晩餐」が、旧約聖書に定められている過越祭の食事だったことは、今日の個所を見るかぎり明らかです。



過越祭については、かなり大雑把ですが、次のように説明することができます。昔、イスラエルの民が、奴隷にされていたエジプトの地から脱出し、約束の地カナンを目指して旅をすることになりました。その彼らがエジプトを出る直前、旅支度の腹ごしらえをするため、大急ぎで羊の肉を焼いて食べ、また酵母を入れないパンを、苦菜を添えて食べ、それから出かけました。その食事を、家族みんなで、「腰帯を締め、靴を履き、杖を手にして、急いで食べ」ました(出エジプト記12・11)。



この故事を思い起こし、記念とするための祭が、過越祭です。



エジプトの地、奴隷の家からの脱出と解放、それはこのわたしたちのまことの主なる神御自身による救いのみわざであると、彼らは信じました。過越の食事は、神の救いのみわざを記念するための、お祝いの席なのです。



その祝いの席、喜びの食卓を、今こそ囲みたい。愛する弟子たちと共に、過越の食卓、神の救いの喜びの食卓を囲みたいと、イエスさまは願われています。皆さんに考えてみていただきたいのは、この「時」は、イエスさまにとって、どのような「時」なのかということです。



イエスさまは、明らかに、わたしの死の日は近いということを、はっきりと自覚しておられます。イエスさまは、ルカ福音書においては今日の個所までに少なくとも三度、御自身の死を予告しておられます(ルカ9・22、17・25、18・32)。



また、イエスさまはエルサレムにおられるわけですが、そもそもエルサレムに上られる決意をなさったのは、天に上げられる時期が近づいたことを自覚なさったからです(ルカ9・51)。



御自身の死の覚悟をもってエルサレムに上られたイエスさまが、その覚悟が単なる推測や予測ではなく、まさに現実となる、まもなくそうなる、ということを、はっきりと確信しておられる。それが、今日のこの場面の「時」です。



実際、まさにこの時、イエスさまを殺す計画が、祭司長や律法学者や神殿守衛長たちによって進められていました。また、あろうことか、イエスさまの十二人の弟子の一人、イスカリオテのユダまで参加することになりました。ユダはイエスさまを全く裏切ることになりました。ユダは裏切り者です。そのことを、イエスさまはよくご存じでした。



「ユダが裏切ることをイエスさまはなぜ分かったのだろう」と疑問に思うでしょうか。わたしたちにだって、こういうことは少しくらいは分かると思います。子どもたちは、こういうことに敏感です。「この人は僕のことを好きじゃない。心の中では、別のことを考えている」。そういうことを、子どもは直感的に見抜きます。イエスさまがユダの心の中を全く知らなかった、というようなことは、全くありそうもない話です。



ユダが裏切る前から、ユダヤ教の指導者たちの側に、イエスさまの殺害計画があった、と考えるのが自然でしょう。しかし、イエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられるという一連の出来事の直接的なきっかけを用意したのは、ユダです。ユダの責任は重大です。ユダは裏切り者ではない、というような説明は、全く成り立ちません。



いずれにせよ、イエスさまは、ユダの裏切りをご存じであり、それゆえにまた御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきり自覚しておられます。だからこそというべきでしょう、イエスさまは、御自身の死の日が目前に迫っているということを、はっきりと自覚されたゆえに、まさに今こそ、過越の食卓、すなわち神の救いの喜びの食卓を、愛する弟子たちと共に囲みたいと願っておられるのです。



それが意味することは、明白です。まことの救い主イエス・キリストの死は、神の救いのみわざそのものであるがゆえに、御自身の死に際しては、喜びの席を囲むことこそがふさわしい、ということを、イエスさまは確信しておられるのです。



ここに、たいへん興味深い、また何となく不思議な話が出てきます。イエスさまは、御自身が願われた最後の晩餐としての過越の食卓を囲むための場所を確保する、という仕事を、二人の弟子たちに任せました。



ところが、その際イエスさまは、なんとも不思議な指令を出しておられます。どこが不思議でしょうか。いくつか、指摘しておきます。



第一は、「都に入ると、水がめを運んでいる男に出会う」とありますが、当時のユダヤ人の男性が水がめを運ぶことはほとんどなかった、という点です。男性は皮袋を運ぶのであり、水がめは女性が運ぶということが当時の常識だったのです。ですから、「水がめを運ぶ男」に出会うというのは、通常ありえないことだったのです。



第二は、今申し上げた第一の点に直接関係あることです。水がめを運ぶ男は、ユダヤ社会の中では通常は、めったに見かけない。しかし、もしそういうことをしている人がエルサレムの町の中を歩いているとしたら、非常に目立つ存在でありうるという点です。



これがなぜ不思議かと言いますと、考えてみていただくとすぐにお分かりいただけると思います。それは、町の中で目立つ人の後ろについていくことは、そのついていく人自身も目立つということです。人々の注目の的になる、ということです。



しかし、気になることは、今この時点で、イエスさまの弟子たちが、町の中で目立っては困るだろう、ということです。



祭司長や律法学者たちが、イエスさまを探しています。彼らは、ユダにわざわざお金を払ってでも、イエスさまの居場所を突き止めようとしていたわけです。目立つ人についていき、その人に過越の食卓を囲むための部屋を教えてもらう、ということは、イエスさまを殺すために逮捕したいと探し回っている人々に、イエスさまの居場所を、わざわざ教えているようなものです。なぜイエスさまは、そういうことを弟子たちにさせようとなさったのか。これが不思議な点です。



第三は、そもそもイエスさまは、水がめを運ぶ男がエルサレムの町にいるとか、その人が部屋を教えてくれるというようなことを、どうしてご存じだったのか、という点も、しばしば疑問視されるところです。



そしてまた、その疑問に対して、いくつかの答えが用意されてきました。



第一の答えは、イエスさまは神の御子なのだから、すべてのことはお見通しなのだ、というものでしょう。



第二の答えは、イエスさまはエルサレムの町を、あらかじめ下調べしておられたのだ、というものでしょう。



第三の答えは、当時のユダヤの社会には、過越祭のときにはだれでも、自分の家の二階の部屋を、エルサレム神殿の参拝客たちのために可能なかぎり開放して、宿泊や休憩に使わせてあげなければならないルールになっていたのだ、というものでしょう。それゆえに、イエスさまは、その人の家で、過越の食事をなさったのだ、と話は続きます。



私自身ははっきりした答えを持っているわけではありません。いろいろな本を調べて紹介するくらいしかできません。興味深かったのは、わたしが最も尊敬している改革派神学者アーノルト・A. ファン・ルーラーの解説です(※)。



(※ただし、ファン・ルーラーの解説は、ルカ福音書のものではなく、マルコ福音書の平行記事に関するのそれです。A. A. van Ruler, Marcus 14, Kok-Kampen 1971, p.44-47.)。



ファン・ルーラーが書いていたことは、今ご紹介した三つの答えの中で言えば、第三の答えに最も近いものです。



ファン・ルーラーによりますと、このエルサレムの街中を歩く水がめをもった目立つ男は、エルサレムに住む、イエスさまの公然とした、あるいは、隠れた支持者の一人であっただろう。また、その人は、おそらく金持ちで、位が高い人だっただろう、とのことです。つまり、イエスさまと弟子たちは、そのお金持ちの人の家のなかの広い部屋に宴席を借りたという解釈です。



ちなみに、ファン・ルーラーは、この解釈に基づいて、さらに話を発展させています。イエスさまという方は、貧しい人々のもとにも行かれるが、豊かな人々のもとにも行かれる。キリスト教は社会の最下層の人々によって始められただけではなく、すべての層の人々によって始められたものである。キリスト教は上流だ下流だというような区別をまったく採用しないものである、と語っています。



そしてファン・ルーラーは、このイエスさまの命令の意味を、三つ述べています。



第一は、「イエスさまの権威」という点です。イエスさまは権威あるお方として、弟子たちに部屋を探すようにお命じになったし、また、水がめの男にも間接的に部屋を探すように命令しておられる、ということです。



権威とか命令というのは、今では嫌われる要素であるということをファン・ルーラーはよく知っています。しかし、救い主イエス・キリストは、主なる神御自身としての権威を持っておられる、という点は、聖書を理解するうえで重要です。



第二は、この命令の中で、イエスさまは、はっきりと御自身の死を意識しておられることがわかる、という点です。また御自身の死は、偶然起こったとか、予期せぬ出来事というようなものではなく、むしろそれは「まるで自分の手の中にあることのように、船のオールをイエスさま御自身がしっかり握っておられる」という点です。



イエスさまに、こそこそ隠れるお気持ちは、ありません。それどころか、目立つ人の後ろに堂々とついていきなさい、と言われているわけです。彼らを恐れる気持ちは、イエスさまの側には、全く見当たりません。



第三は、この命令においてまさに、イエスさまは、「死の道を前に進んでおられる」という点です。イエスさまは、御自身の死が人々の救いになることをはっきりと自覚しておられました。御自身の死こそが、全き現実の全き救いのために益になる、ということを、よくご存じでした。



今日は最後の晩餐の様子、そしてこのまさに最後の晩餐に由来して始まったとされるわたしたちキリスト教会が非常に重んじてきた聖餐式のことについて詳しくお話しする時間はありません。別の機会に譲りたいと思います。



しかし、最後に触れておきたいことは、イエスさまが「神の国で過越が成し遂げられるまでは、わたしは決してこの過越の食事をとることはない」とお語りになっている意味は何か、ということです。



ルカによる福音書においては、これからイエスさまが逮捕され、不当な裁判を受け、十字架にかけられて死ぬという出来事が続くことになります。とてもつらい場面が続きます。



それをこれから学んでいく中で、何度も繰り返して振り返り、立ち帰るであろうことは、まさにこの最後の晩餐でイエスさまがお語りになっていることです。すなわち、「神の国で過越が成し遂げられる」とはどういうことか、それはどのようにして起こるのか、という点です。



それははっきりしています。大切なことは、過越の食事とは、神の救いのみわざを喜ぶために囲む、お祝いの席である、という点です。



過越は、喜びの祝宴です。それが、神の国において祝われる、ということは、わたしたち人間にとっては最高の喜び、至高の喜び、まさに至福というものを体験するときである、ということです。



わたしたちに神の救いの喜びを味わわせてくださるために、またイエスさま御自身も復活と昇天、そして再臨においてわたしたちと共に神の国の完成を喜んでくださるために、イエスさまは、十字架の苦しみを耐え抜いてくださった。



わたしたちを喜ばせるために、御自身が苦しんでくださった。



神の国でみんなで喜ぶ日まで、わたし自身は喜びの席に着くことを“封印”する。



人を助けるため、救うために、命をささげる。



このことを、イエスさまは、弟子たちの前で約束されているのです。



イエスさまの十字架への決意とその意味を深く知り、イエスさまの死によってもたらされたわたしたちの救いの意味を、よく考えたいと思います。



(2006年9月17日、松戸小金原教会主日礼拝)