2006年11月5日日曜日

「十字架がなぜ救いか」

ルカによる福音書23・13~25



今日の個所に記されているのは、わたしたちの救い主、イエス・キリストが、十字架につけられる日の朝、ローマの総督ポンティオ・ピラトの前で、裁判を受けておられる場面です。その裁判は明らかに不当な裁判であったことが分かるように記されています。



「ピラトは、祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めて、言った。『あなたたちは、この男を民衆を惑わす者としてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪はこの男には何も見つからなかった。ヘロデとても同じであった。それで、我々のもとに送り返してきたのだが、この男は死刑に当たるようなことは何もしていない。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』しかし、人々は一斉に、『その男を殺せ。バラバを釈放しろ』と叫んだ。このバラバは、都に起こった暴動と殺人のかどで投獄されていたのである。ピラトはイエスを釈放しようと思って、改めて呼びかけた。しかし人々は、『十字架につけろ、十字架につけろ』と叫び続けた。ピラトは三度目に言った。『いったい、どんな悪事を働いたと言うのか。この男には死刑に当たるような犯罪は何も見つからなかった。だから、鞭で懲らしめて釈放しよう。』ところが人々は、イエスを十字架につけるようにあくまでも大声で要求し続けた。その声はますます強くなった。そこで、ピラトは彼らの要求をいれる決定を下した。そして、暴動と殺人のかどで投獄されていたバラバを要求どおりに釈放し、イエスの方を彼らに引き渡して、好きなようにさせた。」
 
今日の個所から分かる重要なことが、いくつかあります。



第一に分かることは、イエスさまの裁判の裁判長となったポンティオ・ピラト自身が、被告人としてこの法廷に引き出されているイエスさまのことを「この人は無罪である」と確信している、ということです。



第二に分かることは、このイエスは無罪であると確信しているピラトの思いは、彼自身が心の中で密かにそう思っていただけのことではないということです。



このピラトの思いは、最高法院という当時のユダヤのまさに最高裁判所(最高法院)で、そこにいたすべての人々の前で、また彼自身は最高裁判所判事の立場で、まさに公の人間として公の場所で、そして騒然とした場所の中でもみんなの耳に聞こえるほどの大きな声で、発言されたことである、ということです。



政治家や法律家の場合、あるいは学校や教会の教師たちの場合も同じであると思いますが、その思想が、その人の心の中で思い描かれているだけか、それとも、それが公の場所で実際に発言されたことかの違いは非常に重要です。ピラトは、ぼそぼそ独り言を言っているわけではありません。公の発言として「この男は死刑に当たるようなことは何もしていない」と認めたのです。



しかし、それにもかかわらず、です。第三に分かることは、そのピラトの公の発言が、その法廷にいた多くの人々の声によって否定され、くつがえされ、ピラト自身が撤回することを余儀なくされたのだ、ということです。



そして、第四に分かることは、その法廷にいた多くの人々は、具体的にはどういう人々であったか、ということです。それが13節に書かれています。「祭司長たちと議員たちと民衆」です。宗教者たちと、政治家たちと、一般国民です。通常は“善良な一般市民”と呼ばれてもよい人々です。



その人々が声を合わせて、「イエスを殺せ。十字架につけろ」と叫んだのです。そして、暴動と殺人を犯して投獄されていたバラバを釈放しろ、とも言ったのです。



これで分かることは何でしょうか。ここから先は、わたしたちの想像力が問われます。わたしが考えたことは、次のことです。



裁判長自らが無罪であると確信しているイエスさまが一般市民の声によって、この世界の中から追放され、抹殺されようとしている。かたや、客観的な犯罪に手を染めた人物が、これまた一般市民の声によって、無罪放免にされようとしている。



それが意味していることは要するに、天と地がひっくり返っている、ということです。正義が不義とされ、不義が正義とされている。逆立ちしている状態です。倒錯(とうさく)という言葉が当てはまります。



しかも、間違いなく重大であると言わざるをえないのは、この場所が最高法院であるということです。それはまさに最高の法廷です。その国の最高の法の番人たちが住んでいる場所です。つまり、イエスさまの裁判において問題になっていることは、その国の法律であり、まさに国家存立の基盤そのものである、ということです。



ただし、です。ここでちょっと注意しておかなければならないことがあります。それは、このイエスさまの裁判の場所に集まっている「祭司長たちと議員たちと民衆」に関して、実際にはどれくらいの人数を想像すればよいのかということです。



具体的な人数は、どこにも書かれていません。しかし、最高法院を構成していた正議員は七十人であったという点が参考になると思います。もう少し正確に言えば、最高法院には七十人に加えて一人ないし二人の議長がいたと言われますので、七十一人ないし七十二人という数字になるかもしれません。



しかし、そのような細かいことは今の問題ではありません。だいたい七十人の人々が、正議員席に座っていた。



具体的な数が把握できないのは「民衆」です。「民衆」と呼ばれている人々が最高法院においてどのような位置づけにあったのかは分かりません。



ただし、です。この個所に記されていることを注意深く読みますと、ここにいる「民衆」は、ピラトが“呼び集めた”人々であることが分かります。



つまり、ユダヤの国内や外国からエルサレム神殿に参拝しにきて、面白半分に、最高法院の裁判のほうもついでに見物してみようかという感じで集まって来た野次馬、という感じでもない。裁判長ピラト自ら“呼び集めた”(招集した)人々という意味で、正当な参加資格を持っていた人々ではないかと考えられるのです。



イエスさまの時代のユダヤの国に、現代の陪審員制度のようなものが存在したとは考えにくいことですが、一般人を正規の法廷に陪席させていたことが分かるという点で、興味深い記事であると思います。



しかも、最高法院の会議ないし法廷が開かれる場所はエルサレム神殿の境内地内にある「方石の廊」であったと言われています(『旧約新約聖書大事典』教文館の「議会」の項)。



「廊」とは廊下のことです。ロビー、もしくは通路のことです。そこがどれくらいの広さだったのかなどは、分かりません。しかし、最高法院の正議員七十人と、その他の陪席者を合わせて百人も入れば一杯、二百人などは入ることができないような場所ではなかっただろうかと、わたしは想像するのです。



わたしがどの点にこだわっているのかを申し上げます。



イエスさまの裁判の場所にいた人数として想像できるのは、せいぜい百人、多くても二百人くらいだったのではないかと、わたしは考えます。それが意味することは何か。



たかだか百人、二百人の張り上げる大声で、ということはつまり、ユダヤの国の中ではごくわずか、まさに一握りの少数者の声で、ピラトは、自分の確信することを曲げた結論を出したのだ、ということです!



ローマから派遣されてきた総督として、いくらか第三者的な立場にあったにせよ、ユダヤというこの国の統治を任され、法の番人としての役割を与えられていたにもかかわらず、です。



彼は、自分の確信を投げ捨て、「無罪である」と一度は公に宣言した人を死刑に定める決定をしてしまったのだ、ということです。これは、全くとんでもないことです。



これで分かることは、ピラトの目線は、一般国民のほうに向いていたのではなく、目の前に座っている少数の政治家たちや、少数の宗教家たちのほうに向いていた、ということです。



もっとはっきり言うならば、ピラトの関心は、社会の正義と公平が守られることではなく、自分自身の立場と、ごく一部の特権階級にある人々の利益を守ることだけだった、ということです。



「それこそが政治家だ」と考えるか、それとも「そんなのは政治家失格だ」と考えるかは、人それぞれかもしれません。



そして、そのことのためなら、ピラトは、無罪の人を死刑に定められることさえ許してしまうほどに、軟弱で、風見鶏的で、事なかれ主義的な人であった、ということです。



そして、次のことが明らかです。白いものが黒いとされる。黒いものが白いとされる。そのようなことを語りかつ実行する人々に支配されているような国や社会は、必ずや行き詰まり、崩壊し、滅び去るであろう、ということです。



わたし自身は、大きなことを言える立場には全くおりません。しかし、あえて言わせていただくならば、“法の番人”と呼ばれるような人々に言いたいことがあります。それは、自分が語った言葉に、もっともっと、命をかけてほしい、ということです。



自分の言葉に命をかけることが求められる点では牧師も同じかもしれません。「牧師は命をかけて説教しているのだ」と、吉岡繁先生が教えてくださったとおりです。吉岡先生の言葉には続きがありました。「だから教会の皆さんも命をかけて説教を聴いてほしい」と。



しかし、実際にはそのようになっていない現実があるのかもしれないと言わざるをえません。



言葉が軽すぎるのではないか。



そのことを、よく反省してみなくてはなりません。



命をかけて語るというには、程遠い現実があるのではないかと。



「十字架がなぜ救いか」。このことを皆さんと一緒に考えたくて、今日の説教のタイトルにしました。ただし、わたしの意図は、かなり逆説的です。



この悲惨そのもの、表現できないほどの人間のおぞましさ、軽薄で、単純で、取り返しのつかない罪の結果としての、あの“十字架”が、です。



何の罪もないどころか、多くの人々を愛してくださり、救いのみわざを行ってくださり、慰めと励ましの言葉を語ってくださったお方、わたしたちの救い主イエス・キリストを死に追いやった、あの“十字架”が、です。



あの十字架、あの十字架が、なぜ「救い」であると言えるのかと、問いたいのです。



今日は、その問いに対する十分な答えを語るだけの時間は、もはや残されていません。そもそも答えなどあるのか、と言いたい気持ちもあります。しかし、ただ一つの点だけ、最後に申し上げておきます。



それは、イエス・キリストがかけられている十字架の像を思い巡らすとき、わたしたちが感じることは、「このわたしは、十字架の上にはいない」ということです。



また、ピラトもいないし、祭司長や律法学者たちも、十字架の上にはいない。イエスさまの弟子たちもいない。



ただひとり、イエスさまだけが十字架の上におられるのです。まさに文字どおり、言葉どおりに「わたしたちの身代わりに」イエスさまは死んでくださったのです。



つまり、これは、まさに文字どおり、言葉どおりに「命をかけて」御言葉を語り、愛のみわざを実行してくださったのは、イエスさまだけである、ということに他なりません。



だれにもできないことを、イエスさまが「身代わりに」してくださる。だからこそイエスさまは、“わたしたちの救い主”であられるのです!



とはいえ、もちろん、だからといって、それは、わたしたちがこれからも反省なく軽い言葉を語り続けてもよい、という言い訳の根拠ではありえないでしょう。あるいはまた、白いものを黒と、黒いものを白と言い張るような偽りの判断を、黙って見過ごしにすることは、できないでしょう。



しかし、です。「わたしたちには罪があり、限界がある」ということを、深く知ることができるのも、イエスさまの十字架を見上げるときです。



わたしたちは、自分の罪と限界を知るときにこそ、初めて、真の謙遜の道を知ることができ、また「わたしには救い主が必要である」ということを知るのです。



反対に、自分の罪と限界を知らず、その意味でまさに“恥を知らない”人々、謙遜さを忘れた人々が権力の座につくとき、国と社会がメチャクチャになるのです。



「十字架が救いである」と語りうる瞬間は、わたしたちが真の謙遜を自覚すべき場面で訪れるでしょう。



イエスさまが十字架についてくださったおかげで、「真の謙遜とは何か」ということを知ることができるようになったのです!



「だれでも高ぶる者は低くされ、へりくだる者は高められる」(ルカ14・11)。



イエスさまのこの約束は、永遠に守り抜かれるでしょう。



(2006年11月5日、松戸小金原教会主日礼拝)



【追記】



上の説教の内容に関して、ある方から、たいへん貴重なご指摘をいただきました(指摘をいただけること自体、とても有難いことです)。



わたしは、ピラトがイエス・キリストに死刑を言い渡した場所について、それが“方石の廊”という最高法院の議場であったかのように受け取れることを、たしかに申し上げました。



しかし、その場所はヨハネ福音書19・13に基づいて「ガバタ(敷石)」であった、と語るべきではなかったでしょうか。当時のユダヤ人たちは、ある程度の自治権を与えられていました。もしユダヤ最高法院(サンヘドリン)の議場にローマ総督ピラトが足を踏み入れたとしたら、ユダヤ人たちは暴動を起こしたのではないでしょうか、というご指摘でした。



このご指摘は、ごもっともです。誤解を生むようなことを語ったことは、お詫びしなくてはなりません。



ただし、わたしの意図はイエスさまの裁判が行われた(地理的・考古学的な)場所を特定することではなく、別のところにありました。



その意図をご説明しましたところ、その方は、だいたい納得してくださいました。



その方へのお返事は、以下のとおりです。少し長いものですが、ご参考までに、公開用に編集したうえで、皆さまにもご紹介いたします。



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○○○○様、貴重な御意見をいただき、本当に感謝です。



一応、当方の弁明を申させてください。以下のとおりです。



(1)四福音書の比較について



何といいかげんな、と思われるかもしれませんが、わたしの基本的な説教理解においては「四福音書の比較」ということに、あまり重きを置かない、という点があります。



それは、もし四福音書の間に矛盾が見つかっても、そのまま放置する、という態度です。



「マタイ福音書に基づくイエス伝」と「マルコ福音書に基づくイエス伝」と「ルカ福音書に基づくイエス伝」と「ヨハネ福音書に基づくイエス伝」は、内容が違っていて当然である、と考える立場です。



「違っている」と指摘された場合は、「違っていますねえ」と言って笑うだけ、という態度です。いいかげんと言えば、これほどいいかげんな話はないのかもしれません。



少し理屈っぽい言い方を許していただきますならば、「テキストの背後の歴史的事実には、できるだけ立ち入らない」という考えです。



そして、強いて言うならば、テキストに書いてある“文字”を重んじるということを心がけているつもりです。「書いてあること」以上のことは、“想像力”の範疇にある、と考えています。



ただし、これはあくまでも、自分の説教の場合の話です。他の教師や長老が行う説教において「四福音書の比較」がなされている場合には、最大限に尊重します。



その比較自体が間違っているとも思いません。わたしは、それをあまりしない、というだけのことです。



(2)“比喩”としての「最高法院」



このたびの説教において、わたしは、たしかに、“裁判長ピラト”が“最高法院の議場”で「イエス死刑」の宣告をしたかのように、語りました。そのことを認めます。



ただし、それは、ルカ福音書を共に開いているわたしたちが、ここに書かれていることを読むかぎりにおいて想像しうる範囲内で考えると、こうなる、というくらいの気持ちでした。



ルカ23・13でピラトが「祭司長たちと議員たちと民衆とを呼び集めた」“場所”は、ルカには明記されていません。強いて特定しようとするならば、「ピラトのもと」(23・1)と書かれているのが、その“場所”でしょう。



もちろん、わたしは、昨日、最高法院の会議が行われた場所として「方石の廊」という具体的な“場所”の名前を言いました。それは、拙かったかもしれません。



しかし、わたしが強調したかったことは、「方石の廊」というような地理的な場所の問題ではなく、「ピラト」という権威を与えられた一人の人間の“もと”に集まった人数は、どれくらいだったのだろうかという、この点だけでした。



その人数は、たぶん、せいぜい100人か、多くて200人くらいだったのではないか、というこの点だけが、わたしの関心事でした。それくらいの人数しか入れない場所だったのではないか、という想像力を働かせてみたにすぎません。



“ピラトのもと”が、実際の最高法院の議場だったのか、それともピラト官邸だったのか。もしどちらかを選ばねばならないとしたら、四福音書の比較に基づいて「ピラト官邸」である、というべきだったかもしれません。



しかし、“ピラトのもと”に「祭司長たちと〔最高法院の〕議員たちと民衆」が“呼び集められ”(招集され)、そこでピラトが「彼らの要求をいれる決定を下した」(23・24)ことが、“事実上の”結審になったように、“ルカは”書いています。



その結審が言い渡された場所が「方石の廊」であったか、それとも「ピラト官邸」であったかはともかく、“事実上の最高法院”(「その国における最高かつ最後の裁判が行われた場所」という意味で)であった、という読み方を、わたしはしたのです。



つまり、わたしは、一種の“比喩”として「最高法院」という言葉を用いたのです。



(3)「ガバタ」はどこか



わたしが「四福音書の比較」に重きを置かないようにしていること、また、「テキストの背後の“歴史的事実”」には、できるだけ立ち入らないようにしていること、の理由を申し上げておきます。



この二つの点(四福音書の比較、テキストの背後の“歴史的事実”)は、結局のところ、どこまで行っても“考古学”の問題になるからです。



考古学は、夢とロマンの結晶です。大いに参考になることがありますし、たいへん興味深いことばかりではあります。



しかし、それは参考以上のものではないし、どこまで行っても仮説の域を越えるものではないというのが私の感覚です。



「ガバタ(敷石)」(ヨハネ19・13)がどこなのか、ということ一つ取っても、いろいろな説があり、議論が続いている(この議論には、おそらく終わりがない)と言われています。



まさか、わたしは、自分が説教で語った「方石の廊」こそが「ガバタ(敷石)」である、ということを言い張ってみようというつもりは、毛頭ありません。



そうではなく、“仮説の上に説教の根拠を置くことはできない”と考えているだけです。



ともかく、ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。



(2006年11月6日記す)