2006年11月26日日曜日

「イエス・キリスト」

ルカによる福音書23・44~56



朝の礼拝でルカによる福音書の学びを始めたのは2004年11月ですので、ちょうど二年になります。今日を含めてちょうど80回、ルカによる福音書に基づいてイエス・キリストの生涯を学んできました。今日の個所に記されているのは、その生涯の最期の場面です。



「既に昼の十二時ごろであった。全地は暗くなり、それが三時まで続いた。太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた。」



言葉は少なめです。書かれていることのひとつは時間の経過です。時間の経過は、四つの福音書とも記しています。マルコは、イエスさまが十字架にかけられたのは「午前九時であった」(マルコ15・25)と記しています。はじまりの時刻を記しているのは、マルコだけです。



そして、イエスさまが息を引き取られたのは、午後三時でした。イエスさまが苦しみの絶頂におられたのは約六時間であった、ということです。



ごく単純な話をします。六時間の苦しみは長いと、わたしは思います。42.195キロのフルマラソンを走る人々がいます。速い人は二時間くらいで走りきってしまいます。



あるいは、ボクシング。力いっぱい叩き合うわけですが、これとて一時間も続けば長いほうです。



六時間の苦しみは長い。イエスさまの苦しみには、和らげる手段も、逃げ場もありません。まさに完全な苦しみというべきものでした。



もうひとつ書かれているのは、イエスさまが十字架にかけられているあいだに起こった異常現象ないし超常現象です。「太陽は光を失っていた。神殿の垂れ幕が真ん中から裂けた」。この点については、マタイのほうが、もっとリアルに詳しく書いています。



「そのとき、神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについていた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そして、イエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現れた。」(マタイ27・51~52)



この種の描写は、想像するとぞっとしますし、にわかには信じがたいものがあります。その思いは、わたしも同じです。



しかし、考えてみれば、この種のことは、ある意味で、わたしたちの時代のほうがもっと大げさであり、誇張があります。いろんな技術を用いて今の人々が描き出す「ありえない」シーンなどと比べると、聖書が描いていることのほうが、よほどありそうなことです。



ただし、です。もうひとつの面としては、やはり、聖書の中には、事実に反するとか、うそであるというような単純な見方に与することでは決してないのですが、ある意味での文学的表現、あるいは、人間の心の中の映像、内面の描写として理解すべき個所もあることが認められて然るべきだろうと、わたし自身は考えております。



「太陽が光を失っていた」のは、もちろんそのとおりであると言わなければなりません。しかしそれと同時に、イエス・キリストの死によって全世界を照らす光が失われたのです。そのとき罪と悪の死の力が、一時的にせよ、勝利をおさめたのです。最高法院の議員たちと、ローマ総督ポンティオ・ピラトと、ユダヤの領主ヘロデが、イエスさまを死に追いやったのです。でたらめな支配者たちが、罪のないお方を葬り去ったのです。



弟子たちは、どこにいるのでしょうか。イエスさまの十字架の前にはいませんでした。イエスさまに愛された人々は、イエスさまを置いて、逃げてしまったのです。



ゴルゴタの丘に響いていたのは、イエスさまに向かって多くの人々から投げつけられる「自分を救ってみろ」という声ばかりでした。



このような六時間を、皆さんは、耐えられるでしょうか。わたしには、無理です。



「イエスは大声で叫ばれた。『父よ、わたしの霊を御手にゆだねます。』こう言って息を引き取られた。」



イエスさまは息を引き取られるその瞬間まで、父なる神さまに対する全幅の信頼と期待をもっておられました。これは、わたしたちにとって慰めとなる事実です。



何よりも厳粛な事実は、わたしたちの人生は、いつか必ず終わる、ということでしょう。しかし、そこでのひとつの大きな問題は、その終わり方ではないでしょうか。



人から賞賛され、惜しまれて死ぬ、という人々がいると思います。イエスさまはどうであられたかと言いますと、そちら側の人々にはどうも属しておられないように見えます。罵られ、はずかしめられ、屈辱と絶望のどん底に叩き落されるような仕方で、殺される。惜しまれて死ぬ、という人々とは全く正反対の様相です。



しかし、そのお方が最期の最期に口にされた言葉が、父なる神への祈りでした。「わたしの霊を御手にゆだねます」という信頼に満ちた願いです。



どのような表情であられたのだろうかということについては、すぐに想像がつきます。おそらくとても穏やかな表情です。厳しい表情で、こういう祈りをささげることができる人は、いません。



罵られても罵り返さない。悪に対して悪を行わない。



神への信頼と賛美をもって、わが人生をしめくくる。



わたしたちが憧れを抱くのは、そのような生き方ではないでしょうか。



わたしは、イエスさまの最期の姿のようでありたい。皆さんは、どうでしょうか。
  
「百人隊長はこの出来事を見て、『本当に、この人は正しい人だった』と言って、神を賛美した。見物に集まっていた群衆も皆、これらの出来事を見て、胸を打ちながら帰って行った。イエスを知っていたすべての人たちと、ガリラヤから従って来た婦人たちとは遠くに立って、これらのことを見ていた。」



「百人隊長」や「見物に集まっていた群衆」は、イエスさまを信じる人々の仲間というわけではないように思います。傍観者だったと考えるべきでしょう。「百人隊長」はローマ軍の歩兵隊の一個小隊のリーダーである、とのことです。異邦人です。



それは、言葉にして言うとかなり語弊がありますが、たとえば、教会のご近所に住んでいるけれども、教会の中に入ったことがない、いつもなんとなく外側から見ているだけの人々と、その人々とは、似ている面がある、と考えてよいかもしれません。あえて微妙な言い方をしておきます。



しかし、そのように、外側から見ているとはいえ、けっこう関心を持っている、という人々は、決して少なくないのだと思います。



「わたしは違います。わたしはクリスチャンではないし、教会に通うとか洗礼を受けるとか、そういうことを考えたことは、一度もありません。でも、教会のこと、聖書のこと、イエス・キリストのことには興味がある。ちょっと覗いてみたいという気持ちはある」という人々は、少なくないのだと思います。



そういう人々から見て、です。十字架上のイエスさまのお姿は、どのように見えたかということが、ここに書かれている、と考えることができます。百人隊長がはっきりと明言していることが、それです。「本当に、この人は正しい人だった。」



こういう評価は、貴重なものです。無視することができません。傾聴するに値します。だれの目から見ても、あるいは多くの人々の目から見て、イエスさまのお姿は、正しいと見える。イエスさまの生き様、死に様は、間違っていないと見える。これが、重要なことなのです。



もちろん、難しい問題がこの先に待ち受けています。イエスさまを正しいと認める、ということが、少なくとも当時において何を意味していたかは明白です。正しいイエスさまを十字架につけることは間違いなのですから、イエスさまを正しいと認めるということは、イエスさまを十字架につけた人々の間違いを認める、ということです。



しかし、それが難しいことであるわけです。百人隊長がローマの軍人であるとしたら、ボスはローマ皇帝であり、また、この状況の中ではポンティオ・ピラトでしょう。上司に逆らい、命令に背くことは、ただちに死を意味します。自分自身と家族を危険にさらすことになるでしょう。



一緒くたにすることはできないかもしれません。しかし、この日本の中にクリスチャンになれないと感じている人々が、たくさんいます。その中には、イエス・キリストの存在、またキリスト教と教会の存在を認めることはやぶさかではないが、それによって失うものが大きすぎる、と感じている人々がいます。そのような気持ちを持つときに、大いに躊躇が起こるのだと思うのです。これは理解できない話ではありません。



しかし、わたしは、あえて申し上げたいのです。イエスさまの姿が正しいと見えるなら、決断してほしい、ということです。



失うものも大きいかもしれませんが、得られるものはもっと大きいです!



わたし(関口)は、端から見ると何も持っていないように見えるかもしれません。しかし、わたしには教会があります。牧師というこの仕事があります。信仰の仲間たちが大勢います。これ以上は何も要らないと思えるほどの幸せを得ています。多くのものを与えられて持っています。



信仰を持って生きるようになり、牧師になる。それによって失ったものも大きかったのかもしれませんが(あまりその自覚もありませんが)、得られたものは、もっと大きいものでした!



イエスさまの前に、ひとりの勇気ある人が、現れました。イエスさまを十字架にかける決定を下したあのユダヤ最高法院の議員のひとり、アリマタヤのヨセフという人でした。この人は最高法院の決定に同意していませんでした。「この人もイエスの弟子であった」とも書かれています(マタイ27・57)。



一議員に与えられた権限は小さなものです。また、「イエスを殺せ」と叫ぶ人々の前では、沈黙するしかありませんでした。



そのことがよほど良心の呵責となったのでしょう。イエスさまが息を引き取られたあと、ヨセフは、当時の状況の中で考えられる最も危険な行動(造反行動)に出ました。ピラトの許可をえて、イエスさまの遺体を引き取り、自分のつくった墓に納めたのです。



「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に掘った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様とを見届け、家に帰って、香料と香油を準備した。」



このヨセフのように行動できる人は、ごくまれかもしれません。みんながみんな、自分が思うところの信念に従って行動できるわけではありません。上司の命令に逆らうことはできませんし、世間の人々に逆らうこともできないのが、わたしたちです。



しかし、繰り返させてください。イエスさまのお姿が正しいと見える人は、どうか決断してほしい。



使徒パウロも、そうでした。その先に進んで行けば最高法院の議員になることができ、最高の地位と名誉を必ず与えられるであろう道を歩んでいた。しかし、そのパウロが突然、すべてを捨てて、キリスト者になり、伝道者になった。そこに大きな決断があったことは間違いありません。



イエスさまのお姿が正しいと見える人は、ヨセフのように、パウロのように、「最高法院」を飛び出して、イエスさまを信じる人々のもとに来てほしい。



そのように願うばかりです。



(2006年11月26日、松戸小金原教会主日礼拝)