2006年10月29日日曜日

「暗き世に輝く光」

ルカによる福音書22・63~23・12



わたしたちの救い主イエス・キリストは、十二弟子の一人であったイスカリオテのユダに裏切られ、また一番弟子であったシモン・ペトロから三度も知らないと言われて、全くの孤独のうちに、十字架への道を歩みだしました。



イエスさまがユダヤ人たちの手に引き渡され、最初に連れて行かれた先は、最高法院(サンヘドリン)でした。



今日お読みしました最初の段落に記されているのは、最高法院の法廷に引き出される前に、イエスさまが、見張り番たちによって侮辱されたり殴られたりした場面です。



「さて、見張りをしていた者たちは、イエスを侮辱したり殴ったりした。そして目隠しをして、『お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ』と尋ねた。そのほか、さまざまなことを言ってイエスをののしった。」



ここに出てくる一連の出来事が、正確な順序どおりに記されているかどうかは、分かりません。分かりませんので、書かれているとおりに説明していくほかはありません。



見張り番たちは、まずイエスさまを言葉で侮辱したり、こぶしで殴りつけたりしました。一人のイエスさまを、複数で痛めつけました。



そのあと「目隠し」をしました。これは、イエスさまの頭の上から袋をかぶせたという意味です。紙の袋なのか、それとも布の袋なのかは分かりません。とにかく、イエスさまの目をふさぐことが目的で、袋をかぶせました。



そして、おそらく、また殴ったのです。だからこそ彼らは「お前を殴ったのはだれか。言い当ててみろ」と言いました。これは、「イエスよ、お前なら、それくらいことはできるだろう」という意味だと思います。お前は自分のことを神の子だとか救い主だとか言っているらしいではないか。それなら、だれが殴ったかくらいのことは分かるだろう、という意味でしょう。



垣間見ることができるのは、彼らの神理解です。あるいはまた、それは彼らの宗教理解であると言ってもよいかもしれません。



目隠しされていても自分を殴った相手がだれかを言い当てることができる。それがその人の神であることの証拠である、という神理解です。もし全知全能の神であるならば、そういう“超能力”を持っているはずだと考える神理解です。宗教とは、その種の“超能力”を信じることである、という宗教理解です。



そして、それを反対から言えば、もしだれが殴ったかを言い当てることができなかった場合は、神ではないことの証拠になるのであり、また偽の宗教であることの証拠になる、という考え方でもあるということです。



これを何と言えばよいのでしょうか。なんとも表現しがたいものがあります。わたしの心に浮かぶ言葉は「くだらない」の一言です。彼らはサディスト以外の何ものでもありません。少しは恥を知るべきです。



しかし、実際の場面でそういうことは、なかなか言えないことかもしれません。子どもたちのいじめの問題が思い浮かびます。ある子どもがいじめられている。その子をかばうと、かばったその子ども自身が今度はいじめの対象になる。だから、だれもかばわない。だれにもかばってもらえない子どもは人生に絶望してしまう。その結末は、悲惨です。



いじめの問題はどうしたら解決できるのでしょうか。根本的な解決策は何かということをみんなで考えているところです。教会が明快な答えを持っているわけではありません。しかし、ぜひ考えてみていただきたいことがあります。



それは、人をいじめることを何とも思わない人は、イエスさまがいじめられている姿をよく見てほしい、ということです。そして同時に、イエスさまをいじめている人々の姿を見てほしい、ということです。彼らの姿が美しいものか、それともみにくいものかを、よく見てほしい。とてもみにくい彼らの姿は、自分自身の姿でもある、ということに気づいてほしいのです。



「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった。そして、イエスを最高法院に連れ出して、『お前がメシアなら、そうだと言うがよい』と言った。イエスは言われた。『わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう。しかし、今から後、人の子は全能の神の右に座る。』そこで皆の者が、『では、お前は神の子か』と言うと、イエスは言われた。『わたしがそうだとは、あなたたちが言っている。』人々は、『これでもまだ証言が必要だろうか。我々は本人の口から聞いたのだ』と言った。」



夜が明けました。その直前に、ペトロが三度イエスさまを否定したあと、朝を告げる鶏が鳴いたわけです。「鶏が泣く前に」というイエスさまの予言は、「朝を迎えるまでに」という意味を含んでいた、と考えることもできるでしょう。



ふと気づかされたことがあります。それは、次のことです。「夜が明けると、民の長老会、祭司長たちや律法学者たちが集まった」とあります。夜は人が眠る時間です。長老たち、祭司長たち、律法学者たちは、夜の間、ぐっすり眠っていたに違いありません。



ところが、イエスさまには、どう考えても、眠る時間が与えられていません。眠る時間を与えられず、夜じゅう、殴る蹴るの暴行を加えられていた。イエスさまは、ぐったり疲れておられた。かたや、ぐっすり眠って元気を回復してきた人々が、しつこい尋問を行うのです。典型的な拷問のやり方であると思います。



「お前がメシアなら、そう言うがよい」と。そう言いさえすれば、メシアを名乗るうそつき人間としてこのイエスというこの男を訴えることができる、というのが、ユダヤ人の腹です。



彼らがイエスさまの口から聞きだそうとしたことは、「わたしはメシアである」という言葉です。あるいは「わたしは神の子である」という言葉です。それを語ることが罪であるというわけです。真の神を冒涜する罪であり、虚偽を語ること、つまり、うそつきである、というわけです。



しかし、これは困ったことです。まことのメシアであるお方が「わたしはメシアである」と語ることが、うそつきだと言われるならば、どうしたらよいのでしょうか。



単純な比較はできないと思います。しかし、わたしは関口康です。そのわたしが「わたしは関口康である」と語ることがうそつきであると言われるなら、どのように自己紹介してよいか分からなくなります。いや、ニセモノだ。お前は関口康ではない、とか言い張られても、ただ困るだけです。



そのときは、「わたしは関口康である」というこのわたし自身が語る言葉を信じていただくほかはありません。そこで問われていることは「信じること」です。信じてくれない相手に対しては、語る言葉を失うのです。



いわばそれと同じように、と続けることができるでしょう。いわばそれと同じように、イエスさまの場合も、真の神の子であり真のメシアである方が、「わたしはメシアである」とお語りになるとき、それがうそであると決めつけられ、言い張られ、罪人のレッテルが張られなければならないとしたら、どうしたらよいのでしょうか。語るべき言葉を失うのです。



「わたしが言っても、あなたたちは決して信じないだろう。わたしが尋ねても、決して答えないだろう」とイエスさまはおっしゃいました。信じない相手の前ではイエスさまは沈黙されます。そういう人々の前で語ることは、はっきり言って、むなしいだけです。



「では、お前は神の子か」という問いに対して、イエスさまが「わたしがそうだとは、あなたたちが言っている」とお返しになったのは、直接的な肯定ではなく、また否定でもありません。「それは、あなたたちが言っていることである」という言葉の裏には、「それは、わたしが言っていることではない」という意味が含まれています。この翻訳は正確であると思います。



このようにお語りになることで、イエスさま御自身が茶化しておられるとか、ふざけておられるわけでもありません。語る言葉がないのです。信仰を持っていないひとの前では、黙るほかはない、という場面があるのです。



「そこで、全会衆が立ち上がり、イエスをピラトのもとに連れて行った。そして、イエスをこう訴え始めた。『この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました。』そこで、ピラトがイエスに、『お前がユダヤ人の王なのか』と尋問すると、イエスは、『それは、あなたが言っていることです』とお答えになった。ピラトは祭司長たちと群集に、『わたしはこの男に何の罪も見いだせない』と言った。しかし彼らは、『この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです』と言い張った。」



「この男はわが民族を惑わし、皇帝に税を納めるのを禁じ、また、自分が王たるメシアだと言っていることが分かりました」と彼らは言いました。



はたして、こういうことを、イエスさまは、いつどこでおっしゃったでしょうか。言っていないことを言っていると言う。「言った・言わない」という話は、たいてい水掛け論に終わります。しかし、イエスさまが「皇帝に税を納めるのを禁じた」などというのは全くのでたらめであることは明らかです。



「この男は、ガリラヤから始めてこの都に至るまで、ユダヤ全土で教えながら、民衆を扇動しているのです」と彼らは言いました。民衆扇動者とは、デマゴーグと呼ばれます。イエスさまはデマを流した人であると、言われたわけです。



しかし、イエスさまが語ってこられたことは、デマでしょうか。



聖書の御言葉に基づく説教は、デマでしょうか。



ひとを罪と悪の縄目から解き放ち、救い出すことは、民衆扇動でしょうか。



何とひどい言い草かと思います。



「お前がユダヤ人の王なのか」と問いかけるピラトに対しても、イエスさまは、「それは、あなたが言っていることです」とだけお答えになりました。イエスさまは、直接的な肯定もされていませんし、否定もされていません。



「これを聞いたピラトは、この人はガリラヤ人かと尋ね、ヘロデの支配下にあることを知ると、イエスをヘロデのもとに送った。ヘロデも当時、エルサレムに滞在していたのである。彼はイエスを見ると、非常に喜んだ。というのは、イエスのうわさを聞いて、ずっと以前から会いたいと思っていたし、イエスが何かしるしを行うのを見たいと望んでいたからである。それで、いろいろと尋問したが、イエスは何もお答えにならなかった。祭司長たちと律法学者たちはそこにいて、イエスを激しく訴えた。ヘロデも自分の兵士たちと一緒にイエスをあざけり、侮辱したあげく、派手な衣を着せてピラトに送り返した。この日、ヘロデとピラトは仲良くなった。それまでは互いに敵対していたのである。」



ローマ帝国の支配下にあったユダヤの国には裁判の権利が与えられていなかったために、何か裁判の必要が生じた場合には、ローマ帝国の法治権に訴え出るしかなかったのです。



そして、ローマ帝国の法治権をユダヤの国の中で行使できたのは、ポンティオ・ピラトという総督でした。ローマ人ピラトのもとでイエスさまの裁判が行われることになった事情は、まさにこのあたりにあります。



ところが、ローマ総督ポンティオ・ピラトは、イエスさまの言動に罪らしきものが認められないと感じました。そして、ユダヤ人の問題は自分の手には負えない、と持て余したので、イエスさまをヘロデのもとに送りました。ヘロデはユダヤの国の王だったからです。



ところが、イエスさまは、ヘロデの前では、何もおっしゃいませんでした。そのイエスさまの態度にヘロデは腹を立て、さんざん侮辱した上でピラトに送り返しました。



「この日、ヘロデとピラトが仲良くなった」と書かれています。「それまでは互いに敵対していたのである」ともあります。お互いに敵対しあっていた二人が、この機会に仲良くなった理由は何でしょうか。



かつての敵対関係は、非常に激しいものでした。互いの権力をねたみあっていました。力関係としては、ローマ帝国からユダヤの国に派遣されている総督であったピラトのほうが上、ローマ帝国の属国となっていたユダヤの国の王であるヘロデのほうが下であった、と考えられます。その中で、ヘロデの側はそのような力関係に我慢ができずにいましたし、またピラトの側はヘロデの反抗的な態度を不愉快に思っていました。



ところが、その両者がイエスさまとの関わりあいの中で仲良くなった。その理由ないし原因として考えられることは、次のことです。



ヘロデに対してピラトがイエスさまの扱いを委ねた。そのとき、ヘロデとしては、ピラトが自分の存在を認めてくれた、と感じたのです。自分に敬意を表してくれた、と感じたのです。そのようにしてヘロデは、とにかく、ある種の満足感を得ることができたのです。それが両者の関係改善のきっかけになったのであろう、と考えることができるのです。



かくしてヘロデとピラトが仲良くなりました。ローマ帝国の代表者とユダヤの国の代表者が一時的にせよ、仲良くなりました。イエスさまを苦しませ、十字架にかけて殺すことにおいて、両者が一致しました。イエスさまを、またイエスさまを信じる人々を苦しめ、弾圧し、殺すための権力が一致団結しました。闇の力が結集していった様子が分かります。



その人々の前で、イエスさまは、抵抗なさいませんでした。取り乱すというようなことも一切ありませんでした。静かに、そして冷静に、十字架への道を進んで行かれました。そのイエス・キリストのお姿は、わたしたち信仰者の模範として、まさに“暗き世に輝く光”(讃美歌282の歌詞、宗教改革記念日!)そのものでした。



イエスさまの栄光のお姿を見つめること。



そして同時にイエスさまを苦しみに遭わせる人間の姿を見つめ、その人間の中にわたしたち自身の罪深い姿を見出すこと。



これが重要なことなのです。



(2006年10月29日、松戸小金原教会主日礼拝)