2017年7月31日月曜日

レースはもう終わっている

15年以上前、マウンティングしたがり男と出会った。男の職業は牧師。私が高校を出てストレートで牧師養成専門の「偏差値35と進学塾が表示する大学」に入ったと言っているのに「共通一次は受けただろう。その偏差値はどのくらいだったのか」としつこく聞いてくる。受けていないと言っているのに。

Fランとでも何とでも呼んでもらって構わないが、そういうのからフリーになれよと本気で言いたくなるときがある。もっと大変だけどね。そういうことで評価されることは一切ないから。その代わり手に入れられるものも大きいよ。躊躇なく全く外から(ganz andere)今の競争社会を分析できる。

ちなみに私の出身大学は、私が受験した33年前(1984年)から今日に至るまで、進学塾が「偏差値35」と表示し続けている。高校からのストレート入学者を受け入れる学部1年の定員が、当時も今も10名弱。つまり、その10名弱の椅子を獲得できるかどうかの偏差値が表示されているというわけだ。

よし、争え。その10名弱の椅子を奪い合え。死に物狂いで闘い、見事その椅子をかっさらえ。そういうバトルでも始まれば偏差値はうなぎ上りだろう。ただし、その人は必ず牧師になること。その「牧師になること」という点については最近ごくわずかな緩和策が講じられたようだが、本質は変わっていない。

話を元に戻す。15年以上前に出会ったマウンティングしたがり男。職業は牧師。なんかねえ「牧師のくせに」という言葉はこういうときこそ使うべきだと思う。なんだか意味不明なほど学歴コンプレックス持ちすぎの牧師多すぎなんじゃないの。いいかげん降りてくださいね、レースもう終わってますからね。

あと留学と学位。出身大学の影響であることは間違いないが、私はそういうのに全く興味がなかった。ややナショナリスティックな感覚も含んでいたことを否定しないでおくが、大学や神学校の教授になる方々は別格として、牧師として働くために必然性がないし、何の意味を持つのかが本当に分からなかった。

しかしその後、日本キリスト改革派教会に移ったとき、この教派独特のインターナショナリズムの影響を受けた。いくらか皮肉を込めた言い方をすればインターナショナルな「改革派教会」なるものの日本ブランチであるかのように自らを位置付けることを全く苦にしていないように見える人々の影響を受けた。

神学を重んじる教派にしては日本国内の教派神学校が「大学」でないことが関係しているのかもしれないが、私にはよく分からないほどの外国志向があり、留学と学位に興味津々の牧師たちが結構いたように思う。へえそんなものかと最初は驚いたが、慣れというのは恐ろしいもので、私も興味を持ちはじめた。

ただ、今思えば不覚にも留学と学位にほんの少し興味をもってしまったことの理由は本当にひとつだけだった。ここでまたファン・ルーラーが登場する。ファン・ルーラーの翻訳をしてなんとか出版にこぎつけたいと思った。そのときに訳者の肩書きとしては今のままでは足りないなと思った。ただそれだけだ。

しかしファン・ルーラーに関しては紙の本の出版は私の仕事ではないと悟ったので、その問題は片付いた。今の私のもっぱらの関心は日本語にもっと習熟したいということだ。難読漢字や典雅な古典表現を使えるようになりたいという意味ではない。威圧感がなく安心してもらえる言葉を書けるようになりたい。


2017年7月30日日曜日

善いことを躊躇しない(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書5章15~17節

関口 康(日本キリスト教団教師)

「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。イエスはお答えになった。『わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。』」

ヨハネによる福音書の学びの6回目です。先週から数えてなんと4週連続で私が説教です。今日もどうかよろしくお願いします。

先ほど今日の箇所を朗読していただきました。これだけ読んでも意味がよく分からないと思います。と言いますのは、この箇所には、すでに一つの出来事が起こった後に、その結果として起こったことだけが記されているからです。その部分だけを切り取って朗読していただきました。

どのような結果だったかと言えば、ユダヤ人たちがイエスさまを迫害しはじめたという結果です。「この人は立ち去って、自分をいやしたのはイエスだと、ユダヤ人たちに知らせた。そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた」(15節)と記されているとおりです。

もう一つ、イエスさまがその人をいやした日が「安息日」であったこと(9節)も迫害の理由です。しかし、今日は「安息日」の問題は、時間の都合で割愛します。「いやし」の問題だけを扱います。

しかし、これは奇妙な話です。イエスさまは一人の人の病気をいやしたのです。それをきっかけにイエスさまが迫害されはじめたというのです。原因と結果の関係でいえば、原因が病気のいやしで、結果が迫害だったというのです。

内容はあとで見ますが、この人は38年間も病気で苦しんでいました。しかし、イエスさまがその人を長年の苦しみから解放なさったのです。それは善いことです。悪いことであるはずがありません。しかし、それでイエスさまへの迫害が始まったというのです。理不尽としか言いようがありません。

しかし、ここで一つ考えたいことがあります。このような結果になることをイエスさまが全く予測しておられなかっただろうかという問題です。

イエスさまは純粋にご自分は善いことをしたと思っておられた。しかし、全く予想していなかった結果が生じた。「ええっ、びっくり。なぜ私はこんな目に遭わなきゃならないの。こんなはずではなかった。後悔先に立たず」と狼狽えるばかり、ということだったでしょうか。

それは違うと思います。むしろイエスさまはそういう結果になることをよく分かっておられました。しかし、だからといって躊躇なさらなかったのです。この点が大事です。迫害を恐れて何もしないとか、人目を気にして手を引くとか、そういうことをイエスさまは全くなさいませんでした。

イエスさまが躊躇なさらなかったのは、38年間も病気で苦しんでいた人を助けなければならないとお考えになったからです。そのことを決心なさったからです。その人を助けた結果として御自分の身が危険にさらされることになるとしても、そこで躊躇なさるような方ではなかったのです。

そのようなイエスさまだからこそ十字架につけられました。イエスさまの十字架の死は、ご自身は全く予想していなかった不慮の事故などではありません。イエスさまは、あらかじめの決意と覚悟をもって十字架をめざして歩まれました。その点を後から付け加えられた話であるかのように言われるのは困ります。そのことを最初に確認しておきたいと思いました。

5章の冒頭から始まっているのはイエスさまがエルサレム神殿に来られたときの話です。「ユダヤ人の祭りがあったので」(1節)と記されていることから分かるのは、そのときエルサレムは非常に大勢の参拝客で賑わっていたであろうということです。

「エルサレムには羊の門の傍らに、ヘブライ語で『ベトザタ』と呼ばれる池があり、そこには五つの回廊があった」(2節)とあります。「羊の門」はエルサレム神殿の北東に、読んで字のごとく羊が通る門として設けられたものです。その羊は神殿の祭儀に犠牲としてささげられるために連れてこられました。

そして、そこに今日の箇所の出来事に直接関係する二つの重要なポイントが出てきます。一つは「回廊」、もう一つは「ベトザタ」という名の「池」でした。

「回廊」に関して「この回廊には、病気の人、目の見えない人、足の不自由な人、体の麻痺した人などが、大勢横たわっていた」(3節)と記されています。その場所が、ここに記されているような人々にとっての「居場所」だったと言えるかもしれません。良い意味でも、もしかしたら悪い意味でも。

「もしかしたら悪い意味でも」と申し上げたのは、神殿の門というのは、まさに入り口、あるいは出口です。神殿の中心ではなく周辺であり隅っこです。そういうところに自らの意思で集まっていたのか、それとも追いやられていたのかが気になります。

そしてもう一つ大事なポイントが、その「回廊」が「ベトザタ」という名の「池」に近かったことです。その池には言い伝えがあったようです。そのことを、これからイエスさまが病気をいやすことになる、その人自身が説明しています。

「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」(7節)。

これで分かるのは、その「ベトザタ」という池にまつわる言い伝えの内容です。池の水が動くときがある。そのときにその池の中に入れば病気が治る、という言い伝えです。

しかも、この人の言い分をそのまま受け取るとしたら、みんな一緒に入っても効き目がなかったのかもしれません。一回水が動くたびに、ひとりしか入れない。その順番待ちをしていた人々が回廊にいたのかもしれません。

しかし、ここから先は全くの想像ですが、いろいろ考えるべきことがあります。この人はまさか、その同じ場所に38年間も座り続けていたのでしょうか。そういうことがありうるでしょうか。それはさすがにないだろうと私は思います。

むしろ考えられるのは、すでにこれまでにあらゆる手を尽くしてきた可能性です。自分自身もなんとかしてその病気の苦しみから解放されたいと願ってきたが治らなかった。最後の最後にこの池にたどり着いた。来る日も来る日も順番を待っていた。しかし、誰も自分を池に入れてくれる人がいなかったという可能性です。

しかし、私は一つ、とても気になる解説を読みました。それは私がいつも愛読している聖書注解の説明です。それによりますと、ベトザタの池の水の中に入れば病気が治るというようなことは当時のユダヤ人たちは誰も信じていなかったという説明です。つまりそれは迷信であると、当時のユダヤ人たちも考えていたというのです。

それはわたしたちにはよく分かる話です。旧約聖書の教えを思い返してみると、迷信的なこととは全く相容れないものであることがお分かりになるはずです。いわゆる科学的な根拠があり、あの池の水の成分の中には病気をいやす力があるというような実証的な研究が積み重ねられてきたとでもいう話であればともかく、そういう話では全くない。「ベトザタ」に関しては、当時のユダヤ人でさえ、そのような治療効果などは全く信じていなかったことであるというのです。

しかし、そうなるとどうなるのでしょうか。この羊の門の傍らの五つの回廊に集まっていた大勢の病気を抱えた人々は、だまされていたのでしょうか。それとも、自分たちもそんなのは迷信であると分かっていながら、それでも集まっていたのでしょうか。そのどちらであるかは分かりません。

しかし、もし彼らがだまされていたということであれば、問題はきわめて深刻なものになります。だましていたのは誰なのかという問題が必ず生じるからです。エルサレム神殿でしょうか。つまり、当時のユダヤ教団の指導者たちでしょうか。その人々が、エルサレム神殿で行われるお祭りの参拝客をひとりでも多く集めるために、ベトザタの池にまつわる言い伝えなどと称して、ありもしないことを言い広めていたということでしょうか。そういうのを今の私たちは「悪質な宗教ビジネス」と呼ぶのではないでしょうか。

いや、そんなのは全く違うと。そんなのは言いすぎだし、考えすぎだと反論されるかもしれません。回廊に集まっていた病気の人たちも、それが迷信であることくらいみんな分かっていたことなのだと。すべて織り込み済みだった。そのうえで、いわば観光の一環として、遊びの一種として池に入る順番を待つゲームをしていただけなのだと。「悪質な宗教ビジネスだ」などと目くじらを立てて言うようなことでは全くないのだと、そういう見方もできるかもしれません。

しかし、もしそうであれば、事態はもっと深刻になります。この38年間も病気で苦しんでいた人が、イエスさまが「良くなりたいのか」とお尋ねになったときに「主よ、水が動くとき、わたしを池の中に入れてくれる人がいないのです。わたしが行くうちに、ほかの人が先に降りて行くのです」と答えたことの意味は一体何なのかということが、ひどく謎めいたものになります。

2つの可能性を考えることができます。第1の可能性は、もしこの人が自分で言っているとおりのことを本気で信じ込んでいたとしたら、それは完全に詐欺に遭っていたことになります。つまりこの人は100パーセント被害者です。ただし、その場合は誰がこの人をだましていたのかを問題にしなければならなくなります。神殿がだましていたのか、それとも他のだれなのか。

しかし、第2の可能性があります。この人自身も、こんなことは迷信なのだということが分かっていたという可能性です。そんなことは織り込み済みだと。なんだかんだとやかく言われるようなことではないと。

しかし、この人自身もそういうことはよく分かっていたにもかかわらず、イエスさまにこのように答えたのだとしたら、どうなるでしょうか。私はその可能性は十分ありうると思います。しかし、それは最も深刻な状態です。この人の言葉の裏側に潜んでいる、その言葉の「本当の意味」を考えざるをえません。この人の「心の問題」に深く立ち入らざるをえません。

いろんな可能性が思いつきます。もしかしたらすべてジョークで言っているだけかもしれません。皮肉と自嘲の薄笑いを浮かべながら、こんな迷信にすがっている私ってバカでしょう、はははと。

あるいは、自分弁護する意味で言っているかもしれません。病気が治らないのは私のせいではないと言いたがっている。それはそのとおりです。しかし、あの池に私をだれも入れてくれないせいだと言いたがっている。人のせいにし、池のせいにしている。

あるいは、完全な絶望、虚無主義(ニヒリズム)に陥っていたのかもしれません。こんなのが迷信であることなど、とっくの昔に分かっている。しかし、こんなことにでもすがっていなければ、私は生きていられない。いっそ治らなければいい。自分は早く死にたいのだ。早く私を殺してくださいと。そのように言いたがっているのかもしれません。

この人の返事を聞いて、イエスさまはこの人を救う決心をなさいました。このまま放っておくわけにはいかないと思われました。そして言われました。「起き上がりなさい。床を担いで歩きなさい」(8節)と。

そのとき起こったのは、この人を38年間も苦しめてきた病気が一瞬で吹き飛んでいく奇跡でした。しかし、それだけではありません。イエスさまはこの人を、体の苦しみからだけでなく、心の苦しみから解き放ってくださいました。迷信からも、自嘲からも、虚無主義(ニヒリズム)からも、それらすべての背後にある絶望からも、イエスさまはこの人を救い出してくださいました。

わたしたちはどうでしょう。いつまで迷信にとらわれているのでしょうか。いつまで自嘲し続けるのでしょうか。それは何の解決にもなりません。しかし絶望と虚無主義に耐えられる人はいません。

わたしたちにもイエスさまは「良くなりたいか」と、いつも問いかけてくださっています。それは「良くなるための努力をしていますか」という意味ではありません。健康管理をしていますか、とか、ダイエットしていますか、という意味ではありません。しかし、「良くなりたいという希望を捨てていませんか」という意味ではあると思います。

「あなたは絶望していませんか」とイエスさまは今もわたしたちに問いかけてくださっています。そして「絶望してはいけません」と、わたしたちに強く呼びかけてくださっています。

(2017年7月30日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年7月29日土曜日

「宣教の課題」ではあるが「伝道集会」ではない

ブライダルは牧師としての行き場を失った者のバイト先などではありえず(新郎新婦にも司式者にも失礼な言い方だ)、教会の宣教の課題だと私も思います。ただ、結婚式あるいは葬式は「みことばを聞いてもらう良い機会」だとはとらえていません。結婚式も葬式も伝道集会にしてはならないと思うからです。

もちろん牧師であるかぎりどこかの教会ないし教団に所属しているはずであり、その教会ないし教団には「一人でも多くの会員を!」という渇望があり、その要請と事情を熟知する牧師たちが、それでも「無私の奉仕」として結婚式や葬式を行わなければならないなどと、いま申し上げているのではありません。

しかし結婚式も葬式も「みことばを聞いてもらう良い機会」ではありませんし、そういう動機付けでもないかぎり、教会が(教会員以外の)結婚式や葬式を引き受けることも、牧師を式場のブライダルに喜んで送り出すこともできないというのでは困ります。言葉の最も正しい意味で「あざとい」と言うのです。

今書いていることは、先生がお書きくださったことを批判する意図ではなく、もっと自由になりましょうよと、「えらそうに!」と思われるでしょうけど(すみません)お励ましの気持ちです。新郎新婦も参列者も「みことば」を求めていません。そこで牧師だけドン・キホーテになる必要はないと思うのです。

最初から最後まで式文を読み上げるだけでも、我々は結婚式において十分に牧師としての役割を果たせています。あるいは逆に、最初から最後まで冗談を言って笑わせ続けることができる話力があれば、聖書のみことばに一言も触れなくても、結婚式において十分すぎるほど牧師としての役割を果たせています。

しかし結婚式も葬式も伝道集会ではありません。そのような場にしてはなりません。教会が牧師を式場のブライダルに送り出すときに「先生、伝道してきてくださいね」と言うなら、それは間違っています。そういう意味付けができないところなら牧師を送り出すことはできないと阻止するのも間違っています。


2017年7月28日金曜日

ネットを使う牧師は全員「サイバー牧師」だ

ネットを使う牧師はいわば全員「サイバー牧師」だ。「使う」かどうかはもはや問題ではない。ユーチューブで伝道している人がいると伺った。それ自体で献金を集めておられるか、アフィリエイトか。私の根本的な問いは、ネットでしていること自体を「職業」と認める「教会」が存在するかという点にある。

ユーチューブであれメールであれ、それを使っての「伝道」を個人でしているかぎり、従来のカテゴリーで言えばいわゆる「個人伝道」に該当する。それはそれで尊重されるべきである。第三者がとやかく言うべきではない。でも、それは私が思い描く「ネット専属牧師」(仮称)とはまるきりベツモノである。

「勤務時間中のSNSは禁止」という会社や学校はまだ多い。もちろん公私混同はよくない。しかし牧師にとって「公」とは何か「私」とは何かという問題は難しい。どこまでが「勤務」でどこから「勤務外」かを区別できない。すべてが勤務であるとも言えるし、すべて遊びだと見られるなら甘受する他ない。

さらに違う問い方をすれば、そもそも牧師にとっての「勤務」ないし「仕事」とは何なのかという問題がかかわってくる。専門用語で言うとそれは「伝道」と「牧会」だが、「伝道」とは日曜朝の礼拝出席者を増やすことか、それ「だけ」なのか、献金額を増やし、教会財政を潤すことか、それ「だけ」なのか。

「牧会」とは家庭訪問をすることか、個人面談をすることか、それ「だけ」か。「手書きの書簡を送ること」なのか、メールやチャットではだめなのか。今やもはやSNSで90パーセントくらい代替できることばかりではないのか。SNSはだめだが、メールやブログならいいのか。本質的な違いがあるのか。

教会自体が牧師たちに教会と隣接ないし併設されている「牧師館」への居住を要請しているために「通勤時間ゼロ」の牧師がまだ多い中で、「通勤で汗を流さぬ牧師たちがパソコンをいじってSNSで遊んでばかりだ、けしからん」とか言い出されてしまうに至っては、言葉を失う牧師が続出するのではないか。

そもそも、「牧師としての行き場をなくして」ブライダルをしながらユーチューブで伝道しているという牧師さんの話から分かるのは、ブライダルそのもの、ネットそのものは「牧師の仕事そのもの」としては認められていないということだ。「牧師としての行き場」そのものとしては認められていないわけだ。

牧師たちまでが、というか、牧師たちこそが率先して「ブライダルなんか」と見下げるようなことを書いている。よく書けるわと思う。明日は我が身だろうに。こういうことを書いていると「ネット専属牧師にお前がなりたいのか」と言われそうだが、私の話ではない。そういう言いがかりは謹んでお断りする。

そうね、たとえばもし私が将来、複数の牧師が必要な規模の教会の主任牧師になったら、副牧師になってもらいたいのは年がら年中パソコンかスマホをいじっている人のほうがいいや。人間と世界に関心がある証拠だし、言葉を用いてのコミュニケーションに長け、広い視野と知識を持っている人だと思うから。

高校の授業を思い返しても、お世辞抜きで感心したのは、私が原稿なしでフリートークしているとき、耳慣れない言葉を聴いたと思ったらしい生徒が手元の電子辞書で瞬時に意味を調べ、納得しながら続きを聴いてくれていたことだ。スマホならもっと広く調べることができただろう。今はそういう時代なのだ。

いまだに散見する「ネット害悪論」の趣旨を全く理解できないと思っているわけではない。しかし、牧師を含む教会関係者ないし宗教関係者の方々ならばこそ、ネットにどんどん良質の情報を発信なさったらいいと思う。玉石混淆だと思うならばこそ、玉のほうの数を増やす努力をしていくしかないではないか。

ネットを使っての「伝道」に取り組んでおられるとのこと。もしそれに教会自体が取り組んでいる、または牧師個人の働きを教会が理解し支援しているなら、素晴らしいことです。

しかし、問題はその先です。ツイッターはどうですか、フェイスブックはどうですか。説教や教理解説でない、ただのおしゃべりはどうですか。「そんなヒマがあるなら仕事しろ」と言われませんか。

ツイッターやフェイスブックを「仕事の合間の息抜き」に利用するのはもちろん良いことだと思いますが、どう言ったらいいのか、そもそも牧師の仕事というのは「キリスト教安息日(それは日曜日)に慰めの言葉を語ること」だったりするわけで、他の人が息抜きしているときこそ仕事するわけですよね。

しかも、ホームページやブログに文章や音声や動画(録画)を公開しても、それはどこまで行っても固定された過去の情報でしかない。「生きた会話」(それが音声なのかチャットの字なのかは実は問題ではない)ではない。「ああ疲れた、息抜きしたい」と思っている人は「会話」を求めている可能性が高い。

私が問題にしたがっているのは、今書いた意味での「生きた会話」をSNS越しにしている部分は、牧師の「仕事」なのか、そうでないのかというあたりです。しかも、その意味での「仕事」は何分・何文字書いたらいくらもらえるというようなお金の問題とダイレクトに結びつくわけではない(ありえない)。

そういうお金の話ではなく(ありえず)、「教会」がそれ(牧師がそういうことをしていること)を白眼視したり、「そんなことをしているヒマがあるなら仕事しろ」などと言って非難したり拒絶したりせずに、「あれもれっきとした牧師としての働きなのだ」と認め、応援してくれているかどうかの問題です。

つまり言い方を換えれば、「ネット伝道」という概念がもしあるなら、その定義の問題だということです。どこまでのことがその定義に含まれるのか、です。

(追記)

自分で書いた言葉を直したくて仕方がない。「そもそも牧師の仕事というのは『キリスト教安息日(それは日曜日)に慰めの言葉を語ること』だったりするわけで」の続きは「他の人が息抜きしているときこそ仕事するわけですよね」ではなくて「他の人の息抜きに付き合うのが牧師の仕事ですよね」だなあと。

神学は嫉妬心が強い


たまに見せびらかしたくなる岩波文庫コレクション(現在299冊)。4段目前列はサイボーグ009(豪華版、サンデーコミックス版、メディアファクトリー版、文庫版、コンビニコミックス版)。後列にプラトン全集、アリストテレス全集、ヘーゲル全集、ジンメル著作集、トレルチ著作集、聖書注解など。


見せびらかしたくないカオスな本棚はこちら。テルトゥリアヌス、オリゲネス、アウグスティヌス、アクィナス、リュースブルク、ルター、カルヴァン、ウェスレー、バルト、ボンヘッファー、カイパー、バーフィンク、ベルカウワー、ファン・ルーラー、モルトマン、パネンベルク、ゼレ他。どなたも後列に。

神学でも競争が激しいテーマはある。各教団の創設者ないし中興の祖の主要思想を扱う場合。各教団にとっての事実上の死活事項(articulus stantis et cadentis ecclesiae)を扱う場合。しかもそれを論者自身もその教団の継承者として自己を位置付けて扱う場合。

デキル人はそこをとことんやるべきだと私なんかはいつも思っている。やる人はやっているが。アウグスティヌス、アクィナス、ルター、カルヴァン、ウェスレー、バルト、ボンヘッファー。研究会や学会は日本にもある。競争が激しいのは仕方ない。語弊を恐れながら言えば、すきまや周辺でなくど真ん中を。

おそらく神学は最終的には評論家を嫌うのだと思う。ハスに構えて遠くからあれこれ論評してくる存在から神学もまた距離を置く。自らを「担ってくれる」存在に神学は憑依し、宿る。神学は嫉妬心が強い。「ルターになってくれる人」「カルヴァンになってくれる人」「バルトになってくれる人」を募集する。

せっかくデキルのに、やればデキそうなのに「ど真ん中」をやろうとしない人を何人か知っている。もったいないと思う。もちろん人それぞれの生き方だ。選択の自由はある。でも、あなたにしか座れない操縦席があるよ、あなたしか動かせないロボがあるよと言いたくなる。逃げちゃだめだ逃げちゃだめだと。

2017年7月27日木曜日

ネットこわいと久々に思った

おお、なんだかいつの間にかユーチューブで観える映画やアニメが一気に増えた気がする。もちろんすべて有料だが。観たいとも思わないようなのでなく、けっこう話題作が揃っている。近いうちにレンタルの店舗が一気に姿を消すときが来るのかな。どっと来る感、久々にネットこわいと思った(今さらか)。

この恐怖感というか威圧感というか急激性かもしれないなと。教会や神学にネットを使うことにいまだにストップがかかる理由というか要素は。教会やいわゆる神学校が100%ネットで代替される日が来るとは少なくとも私には全く思えないが、90%くらい代替できてしまうかもしれないと思わなくもない。

牧師さんたち、そろそろネットから引き上げよっかとか言いたくなったりして。私がネットを始めた20年前もブログやSNSを始めた9年くらい前も「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」の気持ちでいたが、今そうでもないよ。私の、というより牧師さんたちの書き込み、すんごい読まれていると思う。

だけどさ、私もそうだが、何の反応もないときは平気で言えたり書いたりできるのに、注目されたり話題にされたりすると急に赤面して凹んだりする。持ち上げられたりすると逃げる、隠れる。だって恥ずかしいもの。出たがりなのか恥ずかしがりなのかワケわからんタイプ、私と同じ仕事の人に多いと思うよ。

今書いたことは横に置くとして、「教会を失いたくない」と願いながら自分が果たすべき機能の大部分をネットで代替させてしまっているとしたら、これどう考えても矛盾なんだよね。それはずっと前から感じていたことだけど、そろそろ「無料お試し期間終了」というところかもね。はは、まあ冗談だけどね。

ありがとうございます。私の話ではないですよ。私はネットは全く苦にならないので。ただ、ネット人口がこれだけ増えると「ネットに献身する人」が必要ですね。でも、その姿をハタから見ると、教会からも家族からも背を向けてPCの画面だけ見て指先だけ動かしている牧師ってことになっちゃうんですよね。

そういう「ネット専属牧師」をサポートする仕組みができるといいのかもしれません。それを可能にするだけの力が日本の教会にないんですけどね。

そうですそうです。残る問題は、教会の理解だけです。やや誇張気味に言えば「ぜひネットに献身してください。わたしたちの顔など見なくていいです。PCの画面だけを見つめ、字を書くことだけに集中、専念してください。それがあなたのミッションです」と喜んで派遣してくださる教会が必要です。

はい全くおっしゃるとおりです。ネットが苦にならなくて、瞬時にいろいろ考えられて、炎上とかしないように言葉を選べて、しかも笑えることを書ける熟練したネット伝道者の育成が急務かもしれません。

呼称はともかく「ネット専属牧師」に対するニードは潜在的にものすごくある。私がなりたいという意味ではない。「日曜日に教会に通うこと」は仕事や病気や加齢、家族の同意を得られないなどの理由で「不可能」だが、聖書は知りたい、自分の悩みに答えを求めているという方は、ものすごくたくさんいる。

ネットに公開された説教や教理解説の文章を読め、録画を見ろ、音声を聴けと言われても、それはそれで一方通行だし、自分の問いにぴったりの答えが得られない。そういう場合にSNSのような双方向の、しかも「1対1の」閉鎖空間でない「みんなの中でさりげなくやり取りできる」開放空間が意味を持つ。

いつもはほぼ冗談しか言い合っていないけど、なんとなくそこにいてくれると安心するという存在が、「自称」も「公式」も含めた「ネット専属牧師」について私が描いているイメージだ。信頼できて威圧感がない存在。たとえていえば、ドラゴンクエストの世界に登場する「教会」のような存在かもしれない。

2017年7月26日水曜日

あの頃はきつかった

一昨年の後半は、25年もゴミ山の中に放置していた教員免許を探し、更新講習を受講して修了試験を受け、教員採用試験(筆記、模擬授業、面接)を受け、日本基督教団転入試験(補教師試験、正教師試験、改革派加入試験に次ぐ4度目の牧師試験)を受けるという三段階認証をクリアするために必死だった。

それを毎週説教し、牧師の仕事を続けながらしていた。なので私は、試験を前にしてプレッシャーを感じている人の気持ちが痛いほど分かる。だけどね、逆の立場に立ってみれば、いいかげんな試験で「牧師」だの「教員」だの名乗っている人間がいたらどうだろうと思うのよ。厳しい試験のほうがいいよねえ。

「三段階認証」と書いたが、それはもののたとえとして書いたまでだ。日本基督教団転入試験は、教員免許更新試験とも教員採用試験ともリンクしていたわけではない。採用条件の中に「日本基督教団教師に限る」と明示されていたわけではない。誤解されると困るので、はっきり書いておくほうがよいだろう。

その3つの試験の準備をしながら、転居先の借家を探したり、家の片づけをしていた。こういうことを少し書けるようになったのは、時間に人の心をいやしてくれる面があるからだ。時間は偉大だ。記憶力が低下しているだけかもしれないが、それも含めて時間は偉大だ。すべて鮮明に覚えていたらたぶん狂う。

あの苦しかったときもネットつながりの方々に助けていただいた。あのお励ましがなかったらたぶん心が折れていたと思う。感謝の言葉以外にない。ありがとうございました。「ただいいねのみ」(ソラ・イーネ)で人は結構立っていられるものだ。不思議なこととは思わない。人はそういうものだと思うから。

ついにブルンナーの教義学を読み始めた。バルトの教義学と比較しながら読み進めるのも面白そうだが、混ぜながら読むのも面白そうだ。バルンナーとかブルトがいてもよいだろう。読者はどちらかの、あるいは誰かの主義者になる必要はないし、他方を全否定する必要もない。すべての神学に一長一短がある。

1931年発行ブルンネル『危機の神学』(新生堂)の「訳者序」に岡田五作氏が次のように書いている。「ボン大学に於けるバルト教授と相並んで、此の学派の重きをなす指導者の一人は、スウィッツル、ツーリヒ大学の組織神学教授、H. エーミル・ブルンネル博士であらう」(2頁。新漢字に改めた)。

そうなのだ。ブルンナーとバルトは勝ち負けの関係ではなく「相並ぶ関係」なのだ。両神学者の日本での紹介のされ方がバルト側に偏りすぎていただけだ。21世紀神学は、前々世紀生まれのこの2人を対等に重んじつつ、両者に対して等距離を保ち、それぞれの長所と短所を見抜く作業に取り組むほうがいい。

どうにも持って行きどころのない、ふつふつわいてくるものは、どこと限らず「学校を作ればもうかる」という前提でもなければ今の事態にそもそもなっていないだろうと感じられてならないことだが、学歴だ経歴だ、プライドだ屈辱だという人の最も弱いところを。みんながもっと独学すれば前提崩れるかも。

教員の受け取りをとやかく言うつもりはない。非常勤だけでなく有期の常勤講師も不安定そのもの。専任者も定年で終わるので、それはそれで戦々恐々。それより、いつから学校が真顔で「教育ビジネス」だのほざくようになったのか。私なんか古い頭の人間なので、そういうことを思うのだ。くっだらねえと。

2017年7月24日月曜日

拙「説教」アクセスランキング

日本基督教団置戸教会(北海道置戸町、2016年2月14日)

2016年1月から2017年7月24日現在までの拙ブログ掲載「説教」(全47編)のアクセスランキングトップ10を調べた。興味深い結果となった。「学校」の影響は強大だった。しかし「教会」も負けていない。

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拙「説教」アクセスランキング(2016年1月1日~2017年7月24日)


第1位「一タラントンを地に埋めたしもべはなぜ主人に叱られたのか」
2017年3月19日、日本基督教団習志野教会(千葉市花見川区)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2017/03/19.html

第2位「神は世界を傲慢から救う」
2016年8月21日、日本基督教団阿佐谷東教会(東京都杉並区)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/08/21.html

第3位「熱く生きろ!」
2017年6月27日、東京女子大学(東京都杉並区)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2017/06/27.html

第4位「失敗を恐れるな」
2016年3月13日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会(千葉市)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/03/13.html

第5位「礼拝の意味」
2016年7月14日、千葉英和高等学校(千葉県八千代市)http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/07/04.html

第6位「人を助ける働きをするとは」
2017年2月13日、千葉英和高等学校(千葉県八千代市)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2017/02/13.html

第7位「互いに重荷を担いなさい」
2016年6月6日、千葉英和高等学校(千葉県八千代市)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/06/06.html

第8位「新しい時代に伝道を」
2017年5月14日、日本基督教団青戸教会(東京都葛飾区)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2017/05/14.html

第9位「友達を作りなさい」
2016年8月14日、日本バプテスト連盟千葉若葉キリスト教会(千葉市)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/08/14.html

第10位「神があなたと共に苦悶する」
2016年11月13日、日本基督教団豊島岡教会南花島集会所(千葉県松戸市)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/11/13.html

第10位「キリストに従う」
2016年2月14日、日本基督教団置戸教会(北海道置戸町)
http://yasushisekiguchi.blogspot.jp/2016/02/02-14.html

2017年7月23日日曜日

信じる前に失望しない(千葉若葉教会)


ヨハネによる福音書4章48~50節

関口 康(日本基督教団教師)

「イエスは役人に、『あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない』と言われた。役人は、『主よ、子供が死なないうちに、おいでください』と言った。イエスは言われた。『帰りなさい。あなたの息子は生きる。』その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」

ヨハネによる福音書の学びの5回目です。前回が4章で、今日も4章です。

回数を数えやすいように1章ずつ進めていくことも考えましたが、今日の箇所にはどうしても触れておきたいと思いました。と言いますのは、今日の箇所の出来事は、2回目(2017年5月28日「喜びを追い求めよう」)の2章の出来事と密接な関連があるからです。

それはイエスさまがカナでの結婚式のときに水をぶどう酒にされた出来事です。それと今日の箇所が密接に関係しています。次のように記されています。

「イエスは、再びガリラヤのカナに行かれた。そこは、前にイエスが水をぶどう酒に替えられた所である」(46節)。「これは、イエスがユダヤからガリラヤに来てなされた、二回目のしるしである」(54節)。これは明らかに、2章の出来事と今日の箇所の出来事は関係があるということを読者に教えようとしている言葉です。

別の言い方をすれば、今日の箇所の出来事にはイエスさまが水をぶどう酒にしたあの出来事と本質的に共通する要素があるということです。それが「しるし」です。前回も今回も「しるし」だった。そしてこれは「二回目のしるし」だったと記されているのです。

まとめていえば、そもそもの大前提として、今日の箇所に記されている出来事は「しるし」なのだという観点からすべてを読み解く必要があるということです。

しかし、その場合の問題は「しるし」とは何かということです。その答えははっきりしています。それを見ればイエスさまこそ救い主キリストであると信じることができる、信仰の理由ないし根拠が「しるし」です。空が黒い雲でおおわれる。まもなく雨が降る。その雲が雨の「しるし」です。

そして、それはもちろん、単にイエスさまが救い主であるという客観的な事実がその「しるし」によって明らかにされたというだけで済む問題ではありません。救い主であるイエスさまがかつて大昔の人を救ったことがあるというだけでなく、そのイエスさまが今もこの私を救ってくださっているという事実が重要です。以上のことを最初に申し上げておきます。

さて、ここから内容に入ります。カナにおられたイエスさまのもとに、カファルナウムから「王の役人」(46節)が来ました。カファルナウムはイエスさまが伝道活動をお始めになった最初の拠点です。ガリラヤ湖畔の漁師の町。

そのカファルナウムから「王の役人」がイエスさまのもとに来たその目的は、その人の「息子」が「病気」だったので、イエスさまに「カファルナウムまで下って来て息子をいやしてくださるように頼む」ためでした(47節)。

「息子が死にかかっていたからである」(47節)と記されています。自分の子どもを失うことの親の悲しみは体験した方にしか分かりません。体験したことのない者には語る資格はありません。想像をめぐらして物を言うこと自体、慎重でなければなりません。ただ確実に言えるのは、この「王の役人」は、あらゆる意味で切羽詰まった思いでいたに違いないということです。

そして、そのような追い詰められた、窮地に立たされたこの人が自分の子どもの命を救ってほしいとイエスさまのもとに助けを求めてきたということは、助けてくれるならイエスさまでなくてもだれでもよかったが、たまたまイエスさまにお願いした、ということではなかっただろうと思うのです。

今の世の中ではいろいろ語弊が出てくるところではありますが、たとえば、この人が「王の役人」であったということは、客観的な意味で社会的地位の高い人であったと考えられます。その人の息子さんであるということは、いわゆる跡取りのことなどが関係してくるかもしれない、将来を相当嘱望されていた子どもさんだったかもしれない、などなど。

だからどうしたと、それ以上のことは言えません。しかし、「王の役人」にとって自分の息子の命を預け、なんとかして助けてもらいたいと願ってイエスさまのところに来たときに、助けてもらえさえすればイエスさまでなくてもだれでもいいと思っていたわけではありません。イエスさまに対する絶大なる信頼をすでに持っていたからこそ、イエスさまに助けを求めて来たのです。

しかし、ここから先はまた非常に難しい問題に立ち入ることになります。問題はこの「王の役人」がイエスさまにそれほどまでの絶大なる信頼をすでに持っていた理由ないし根拠です。それが先ほどから申し上げている「しるし」の問題です。

最初のしるし、すなわち、カナでの結婚式でイエスさまが水をぶどう酒に変えるという、とんでもなくありえない、異常なことをなさった。そういうことができる方ならば、私の息子の死に至る病もいやしてもらえるに違いない。そういう信じ方をしたのだと思います。

すると、イエスさまはこの人に次のようにおっしゃいました。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」(48節)。イエスさまは冷たいことをおっしゃっているわけではありません。しかし、突き放しておられるようでもあります。

イエスさまがおっしゃっていることの意図は、「なぜあなたはわたしを信頼するのか」ということです。自分の子どもの命を他人に託すという重大な事柄をこのわたしに任せようとする、そのあなたの理由ないし根拠は何なのかという問いかけです。「しるし」なのか、「不思議な業」なのか。そんなことが理由なのかと。

このイエスさまの言葉を聞いて、「ああうるさい」と、「ああ、もうそんなことを言われるならここに来るんじゃなかった。ただ助けてほしいだけだ。助けてくれるなら、あなたではなくても、だれでもいい。うるさいことを言われるなら、もう結構だ」と、そのような反応が、もしかしたらこの人の心の中に起こったかもしれません。

そうする権利はこの人にあったと思います。しかしそれは、逆の視点に立てばイエスさまも同じだということです。ここから先は、イエスさまならそうお考えになるだろうという意味ではなく、あくまでも私の感覚で申し上げることですが、イエスさまのほうにも断る権利があるといえばあるわけです。

皆さんはどうでしょうか。わたしたちはどうでしょうか。「助けてください」と死にそうな顔と声で頼ってくる人を必ずすべて助けてきたでしょうか。今の私はひどく困っていますが、私が死にそうな顔で「助けてください」と言えば、みなさんは私を助けてくださいますか。

教会にはいろんな問題を抱えた方々が具体的な助けを求めてこられます。そのすべての人々を教会は必ず助けてきたでしょうか。そういうことは実際には不可能ですし、本人のためにならないという理由でお断りする場合も多くあります。

私たちも体験することがあると思います。私もあります。助けを求めてきた人を助けたら、他でも同じことを繰り返している詐欺師だった。あるいは、助けを求められたがやむをえずお断りしたら、あとで逆恨みされた。

いま私が申し上げていることと、今日の箇所に書かれていることとは全く関係ないと思われるかもしれません。この王の役人の子どもさんは死にそうになっていたのですよ。人の命がかかっていたのですよ。そのような切羽詰まった場面でイエスさまが「なぜ私を信頼するのか」などと、そのようなことを問題になさるはずがない。たとえ詐欺師であってもイエスさまなら助けてくださるに違いない。イエスさまを侮辱しないでほしいと思われるかもしれない。

しかし、今日の箇所に確かに記されているのは、イエスさまがこの人に「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」とおっしゃったその言葉です。この言葉の意味をわたしたちはよくよく考える必要があると思うのです。

この人が他の人ではなくイエスさまをあえて選んで助けを求めに来た理由は、イエスさまがカナで行われた「最初のしるし」だったことは間違いありません。つまりこの人は、魔法使いか超能力者が引き起こす奇々怪々の超常現象をイエスさまに期待したのです。そういう助けの求め方をしたのです。

しかしイエスさまは、そのような理由でご自分を信頼し、助けを求めてくる人々を退けておられました。そのことがはっきり書かれている箇所があります。「最初のしるし」が描かれていた箇所のすぐ後です。2章23節から25節です。次のように記されています。

「イエスは過越祭の間エルサレムにおられたが、そのなさったしるしを見て、多くの人がイエスの名を信じた。しかし、イエス御自身は彼らを信用されなかった。それは、すべての人のことを知っておられ、人間についてだれからも証ししてもらう必要がなかったからである。イエスは、何が人間の心の中にあるかをよく知っておられたのである」(2章23~25節)。

さっと読むだけではよく分からない難しい言葉が並んでいますが、はっきり分かるのは、イエスさまは、御自身が行われた「しるし」を見て信じる人々を信用なさらなかった、ということです。

しかし、これは本当に難しい問題です。こういうたとえはどうでしょうか。会社が社員を募集し、応募してくれた人と面接する。その場合、客観的な意味での才能や技能や業績などをその人が持っているかどうかが全く分からない、正体不明の相手をいきなり信用して採用することがありうるでしょうか。

まして、自分の子どもの命を預けるという重大な決断を、何の「しるし」もない正体不明の相手に対してできる人がいるだろうかと考えていただけば、私が今ムニャムニャ口ごもりながら申し上げていることの趣旨をお分かりいただけるのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

いま私が申し上げているのは、「イエスさまが、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と指摘されたことは全く反論の余地がないということです。全くイエスさまのおっしゃるとおりです。しかし、イエスさまはそういう相手は信用なさらないということです。さて困りました。

イエスさまがお求めになるのは、「しるし」ではなく、「わたし」を信じることです。イエスさまがなさる「しるし」や「わざ」を信じるのではなく、イエスさまご自身を信じることです。

その意味は、イエスさまという方はこんなにすごいことができる方だから信じるとか、こんなことを私にしてくださった方だから信じるというような、相手の業績を見て、その評価として信じるというような信じ方をする相手を、イエスさまは信用しない、ということです。

「王の役人」がイエスさまに必死でお願いしている言葉の中に、一つ気になる点があります。本人に悪気などは全くないと思います。しかし、「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」(48節)と言っています。

気持ちはものすごく分かります。しかし「子供が死なないうちに」という言葉には脅しの要素があります。あるいは命令。私の子どもが死にそうなのはあなたのせいだという意味を持ちはじめます。あのマルタとマリアが弟ラザロが死んで4日も経ってやっと来てくださったイエスさまに向かって「主よ、もしここにいてくださいましたら、わたしの兄弟は死ななかったでしょうに」と言い放ったように(ヨハネ11章)。

イエスさまは、だれの脅迫にも命令にも、お従いになりません。人から頼まれるとどんなことでも断ることができないというような、お人よしの方でもありません。「しるし」を見ました、そのご立派な業績の評価としてあなたを信じてあげます、というような近づき方をする相手はお嫌いになります。

イエスさまがお求めになるのは「わたしを信じること」です。その相手を必ず助けてくださいます。私たちも同じです。私たちにもイエスさまが行った「しるし」ではなく「イエスさま」を信じることが求められています。

イエスさまは私たちの願いを願い通りに叶えてくださらないかもしれません。なぜなら、イエスさまは、私たちの自己実現の手助けをしてくださらないからです。そういうふうな求め方をする相手を退けられるからです。

イエスさまは、私たちの要望に応じるのではなくご自身の御心に従って私たちを助けてくださいます。だから、私たちは「イエスさまを信じる前に」失望してはならないのです。

(2017年7月23日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会 主日礼拝)

2017年7月22日土曜日

ファン・ルーラーと私

ブーケンセントルム版『ファン・ルーラー著作集』

いろんな教会で説教するようになったのは昨年度教務教師だったときからで、それ以前は教会定住の牧師として基本的に毎週同じ教会で説教していた。その頃の説教スタイルは一定していたが、現在は各教会の実情に合わせて変えている。不統一感は自分でも否めないが、ぜひ事情と趣旨をご理解いただきたい。

ただし、教会定住の牧師だったときから(現在復帰を希望している)今日に至るまで私の説教において一貫している「人間と人間性への全面的な肯定」(その中には「自己肯定」が含まれる)という神学的論点は、ファン・ルーラーの神学への同意と共感に基づいている。これはおそらく生涯変わらないだろう。

この論点は私がファン・ルーラーの著作を読み始めてから加わってきたことではない。記憶にないほど相当以前から悩んでいた問題(私の教会生活は0歳から開始され現在51歳まで中断なく継続されている)にファン・ルーラーが、私が生まれるよりもはるか前から取り組んでくれていたことが分かったのだ。

1950年代後半のドイツで、若き説教学者ボーレンと若き教義学者モルトマンがオランダからドイツに講演旅行に来たファン・ルーラーと出会い、甚大な影響を受けた。世界的な神学者と自分を並べて語るおこがましさはないつもりだが、彼らがどれほど感動し、全く新しい視野が開けたかが私はよく分かる。

ファン・ルーラーの神学は、説教と教義学を根本から問い直す。教会の心臓にメスを入れる。軽々しいことではありえない。しかし、強い決心と勇気をもって取り組み、道半ばで62歳で病気で倒れた。世界的知名度に乏しいのはオランダ国内の教会と神学の改革に集中していたからだ。海外旅行をしなかった。

ファン・ルーラーは生涯「オランダ改革派教会」(Nederlandse Hervormde Kerk)のメンバーだったが、ファン・ルーラーの神学的視野は広く、教派を超え、国境を越えて重んじられた。彼の神学について書かれた多くの博士論文の中にカトリック教会の神学者が著したものもある。

私がファン・ルーラーのオランダ語著作を読み始めて20年になる。もっと前からファン・ルーラーの著作を読んでおられた先輩がたもおられる。私の願いは、今後も研究を続行し、日本の教会と神学に貢献することである。しかし現在は、研究はおろか生活もままならない。支援していただきたく願っている。

2017年7月20日木曜日

「ファン・ルーラー研究会」の思い出

カレンバッハ版『ファン・ルーラー神学論文集』全6巻

ふと思い出した。ファン・ルーラーは日本で全く知られていないので「ファン・ルーラー研究会」という名前より「オランダ改革派神学研究会」のほうがいいのではないかと何人くらいだったかから言われたことがある。それで仲間と相談して「これからもファン・ルーラー研究会で行こう」という話になった。

そのとき私が考えたのは、他の神学者の研究会が必要であれば別に作ればいいし、間口を広くしすぎるとすでに著名な神学者の影響力に引っ張られてしまうだろうということだ。ファン・ルーラーをオランダ語から日本語に訳す。これくらいハードルを高くしておけばなかなか追随者は現れないだろうと思った。

競争したかったわけではなく、むしろ正反対で、全く競争したくなかった。競争になるようなことからは手を引こうと思った。ありがたかったのは、研究会の仲間たちの性格がどなたも温厚で、競争が嫌いで、のんびりしている方々ばかりだったことだ。生き馬の目を抜くようなタイプの人はだれもいなかった。

「ファン・ルーラー研究会」は2014年に解散したので今さらどうしたいわけでもない。当時は日本キリスト改革派教会の教師だったが、今は日本基督教団の教師である。しかしまさか日本基督教団をどうしたいわけでもないし、無力感しかないし、事実無力である。何も考えていないというのが最も近い。

しかしファン・ルーラーを読むことはこれからも続けるつもりである。いちばん励まされるし、面白くて元気が出てくるし、いろいろ考えさせられる。教団の違いを十分超えうる汎用性も順応性もある。ファン・ルーラーの神学思想の土台は三位一体論にあるので、彼の神学と無関係なキリスト教はないはずだ。

2017年7月19日水曜日

LINEをPCで再開しました

LINE(Windows10)

LINEをPCで再開したらメッセージが来るようになった。最近のメールは商売系DMばかり。知人との連絡はSNSに移行。faceookもtwitterも、タイムラインよりメッセージを使うことが多くなった。複数の相手と同時進行になることもある(申し訳ない)。それをたぶん「混線」と言う。

対面でも電話でも「話し中」というのがあるが、ネットにはそれがない。自慢ではないが、たぶん年齢に関係していそうだが、私のほうからどなたかに連絡することより、他の方から連絡を受けて始まるやりとりのほうが最近は多い。「いま話し中だから後にして」とネットでは断りにくい、というか断れない。

仕事柄、深刻な相談を受ける場合もあるので、心ここにあらずの対応ではまずい。「混線」を避けるためには、連絡ツールをひとつに絞る(メールなのかfacebookなのかtwitterなのかLINEなのか)ほうがいいのかもしれないが、それぞれつながっている相手が異なるので、どれも切れない。

便利な世の中になったが、その分だけ新たな問題が発生し続ける。そうであることを苦にしているわけではないが、常に手探りの試行錯誤状態なので、いっぱい申し訳ないことをし、いっぱい謝り、いっぱい後悔と恥と苦痛を味わう。昔のままでずっと同じというのが一番楽なのさ。でも、それでは前進はない。

これからの時代を生きるための必須課題は「混線」と「コンセントレーション」(集中)を同時に成り立たせることだ(うまいことを言ったつもりだ)。「字のやりとり」ではあるので、エアでのやりとりのように「メモをとりながらでないと話の筋が分からなくなる」ことは意外に少ない。読み返せば分かる。

2017年7月16日日曜日

互いに愛し合いなさい(上総大原教会)

日本キリスト教団上総大原教会(千葉県いすみ市大原9696)

ローマの信徒への手紙13章8~10節

関口 康(日本キリスト教団教師)

「互いに愛し合うことのほかは、だれに対しても借りがあってはなりません。人を愛する者は、律法を全うしているのです。『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』。そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます。愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです。」

上総大原教会の皆さま、おはようございます。日本キリスト教団教師の関口康です。この教会で3回目の説教をさせていただきます。今日もどうかよろしくお願いいたします。

3回目のご依頼をいただいてすぐ、どんな話をさせていただこうかと考えました。1回目は1月1日の新年礼拝、2回目は4月2日でした。2回とも「伝道」の話をしました。

それで結局、今日も「伝道」の話をします。しかし、いわゆるハウツーの話ではありません。そういう話が私にできないわけではありません。むしろいくらでもできます。

しかし、はっきり言わせていただきますが、ハウツーの話というのはこの教会の状況にそぐいません。現実味が全くありません。お題目のような話であれば、目をつぶったままでも言えます。こんな感じでしょうか。

とにかく人を誘わなくては教会に誰もいなくなるので、人を教会に誘いましょう。まず家族に伝道しましょう、次は友人に伝道しましょう。ご近所の人を教会に誘いましょう。

言葉で伝えるのが難しいようなら、チラシを配りましょう。トラクトというのがキリスト教書店に売っているので、そういうのを買って配りましょう。いろいろ有名人に来てもらって講演会やコンサートを開きましょう。

いろいろやってみました。結局教会に人は集まりませんでした。そうか、いろいろやってもダメなのだ。日曜日の礼拝が教会のすべてなのだ。とにかく大事なのは礼拝なのだ。

聖歌隊が欲しいが、人がいないからうちでは無理だ。奏楽者がいて欲しいが、自動演奏機でもやむをえない。とにかく礼拝は説教を聴くことだ。神の言葉を聴くことだ。

そこまで追い詰められて、思い詰めて、とにかく礼拝を重んじることにした。説教を重んじることにした。ところが、その説教がいつもつまらない。私の心に届かない。礼拝しかない教会で、説教しかない礼拝で、説教がつまらないとなると、この教会どうなるの。

よし分かった。私が牧師になってやろう。私が説教してやろう。そうすれば、この教会は以前の活気を取り戻すことができるだろう。などなど。こんなふうに、わたしたちは考え続けていくわけです。

そんなことまで考えている人はいないなどと、どうか思わないでほしいです。教会に来ている人たちはみんな、大なり小なり、こういうことを真剣に考えています。

そして私は今日このことを皆さんにはっきり申し上げておきたいのですが、教会のことを心配しているのは教会に来ている人たちだけではありません。教会に来ていない人たちも教会のことを真剣に考えてくださっています。教会の門を一度もくぐったことがない人たちも同じです。

昨年度私が勤務した学校でのことです。生徒たちにとって例外なく興味があったのは「教会は儲かるのか」ということでした。「牧師はどれくらい給料をもらえるのか」ということでした。

そういうことを、授業中でも、廊下を歩いているときでも、繰り返し質問されました。そんなに興味あるならと、私が担当していたすべてのクラスで「教会の経済と牧師の生活」というテーマで黒板に図解しながら解説したくらいです。

「へえ、たいへんなのですね、それではとても生活できないではありませんか」と心配してくれた生徒もいました。「ええっ、教会の献金はかわいそうな子どもたちや貧しい国の人々に送られているのではなかったのですか」と悲しそうな顔をする生徒もいました。

あるいは、宗教団体というのはとかくお金に汚い人たちの集まりだと教えられてきたのかどうかは分かりませんが、「教会の経済と牧師の生活」についての図解付きの私の説明を聞いて、「なんだ、意外に普通のようだ。つまらない」という反応をした生徒もいました。お金の話をすれば私の鼻を明かせると思ったのかもしれません。

いまお話ししているのは、教会の運営や経済について心配しているのは教会員だけではないということです。多くの人たちが、そして高校生たちも、心配してくれています。

「そういうのはただの興味本位である」と言ってしまえば、それまでです。しかし、わたしたちが見逃してはならないのは、教会の存在は多くの人々から関心を持たれているということです。教会は社会の中で全く孤立しているわけではないということです。

そして、その教会に対する人々の関心は、必ずしも批判的な視線ではありません。好意的な視線を多く含んでいます。

なぜ今私はこんな話をしているのかというと、わたしたちが教会の存在をこの社会の中でとにかく必死で守り抜いていかなければならないと思っているときに、つい自分たちのことを社会の中で完全に孤立し、非難を受け、中傷誹謗にさらされているかのように感じてしまうことがあるからです。しかし、そんなふうに考える必要はないと言いたいのです。

そろそろ今日の聖書の箇所のお話をしなければならないと思っています。しかしここまで話してきたことは今日の聖書の箇所とは無関係なおしゃべりではありません。ものすごく関係していることだと思っているので、このような話をしています。

「互いに愛し合うことのほかに、だれに対しても借りがあってはなりません」(8節)と書いてあります。これは裏返していえば「互いに愛し合うことに限っては借りがあっても構いません」ということになります。論理的に考えれば、そういうことになります。

しかし「借りがある愛」とは何のことでしょうか。「愛を貸してもらう」はどういうことでしょう。「愛を返す」という話であれば、少しは理解可能になるかもしれません。

これは愛の話です。最初は「アイ・ラブ・ユー」から始まります。そうでない始まり方はありえません。しかし、その最初のプロポーズは、必ずどちらか一方が先に言うと思います。必ずそうなります。例外はありません。事前の打ち合わせでもあれば別ですが、それもなしに互いに同時に「アイ・ラブ・ユー」を言って同時に相互の愛が始まったという人は、通常いません。

そしてそこから先は危険な状態です。もしかしたらそのプロポーズを相手に断られるかもしれないからです。その「アイ・ラブ・ユー」のボールは、ピッチャーの手からとにかく離れました。しかし、それをバッターが打たないかもしれません。キャッチャーが捕らないかもしれません。デッドボールになるかもしれません。バックネットにダイレクトで突き刺さるかもしれません。

しかしその「アイ・ラブ・ユー」ボールをホームランにするバッターもいます。サヨナラホームランでさようならという寂しい話ではありません。ピッチャーの全力投球を全力で打ち返したバッターは真剣なプロポーズに誠実に応えたのです。「私はあなたを愛している」と言われて「私もあなたを愛している」と愛し返したという意味です。ということにしておきます。

今申し上げているのは「借りのある愛」とは何なのかについての説明です。はっきりしているのは、愛は必ずどちらかから一方から始まるものだということです。必ず片想いから始まります。例外はありません。それを別の言い方でいえば、愛が貸し借りの関係にあったということです。先に愛されて、その愛を返すということですから。

しかし、ここでパウロが言おうとしていることの中心が「愛に限っては借りがあっても構いません」ということかどうかについては、疑問があるかもしれません。そうではない。パウロが言おうとしているのは「貸し借り」があってはいけないという、ただそれだけであるという見方は出てくるかもしれません。

しかし、その問題については、前後の文脈との関係を考える必要があります。「愛」の話は12章9節から始まっています。13章10節まで「愛」の話が続いています。これで分かるのは、今日の箇所でパウロが「愛」について語っていることは間違いないということです。

それはつまり、パウロがしているのは、人間関係の中には貸し借りがあってはならないという話「ではなく」愛には貸し借りがあってもよいという話「である」ということです。

ここでもう一つ、今日の箇所で大事なことをお話しします。それは「人を愛する者は、律法を全うしているのです」という言葉に続く部分に関することです。

「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』、そのほかどんな掟があっても、『隣人を自分のように愛しなさい』という言葉に要約されます」(8~9節)とあります。

これについて簡単に説明しますと、モーセの十戒の前半の4つの戒めは「対神関係」(神との関係)についての戒めであり、後半の6つの戒めは「対人関係」(人との関係)についての戒めであると整理できます。

そしてパウロが言っているのは、そのモーセの十戒の後半の「人との関係」についての戒めの部分を要約すると「隣人を自分のように愛しなさい」(レビ記19章18節、マタイによる福音素19章19節)という一言でまとめることができるということです。Love your neighbor as yourselfです。これを校訓にしているキリスト教学校があります。

そして「愛は隣人に悪を行いません。だから、愛は律法を全うするものです」(10節)と書かれています。ここに至ってわたしたちが考えなければならないのは、「隣人とは誰のことか」という問いです。それは、あの「善きサマリア人のたとえ」(ルカによる福音書10章25節以下)でイエスさまが発せられたのと同じ「隣人とは誰のことか」という問いです。

この問いの答えははっきりしています。「隣人」とは教会の人々だけではありません。キリスト者だけではありません。教会の「内」にいるか「外」にいるかの区別がない「すべての人」を指しています。それが「隣人を自分のように愛しなさい」という戒めの「隣人」の意味です。

そのことが、今日最初のほうでお話しした「教会に関心を持っている人々が教会の外にも大勢いる」という話に関係してきます。また、次にお話しした「貸し借りのある愛」の話につながってきます。

今のわたしたちは、教会が無くならないように、教会の存在を守り抜くことでとにかく必死です。しかし祈っても願っても、教会にはなかなか人が来てくれません。そのようなときに、わたしたちがもしかしたら陥るかもしれないのは、教会の周りにいるのは敵だらけだ、という感覚です。

孤立感がきわまり、深刻な疑心暗鬼の状態に陥ってくると、そういう感覚が去来します。そして、それが「敵」であるならば、その存在がだんだん憎らしく思えてきます。愛することなどとんでもないという感情が生まれてきます。

しかし、それではだめです。教会の外にいる人々を心から愛することなしに、伝道は成立しません。「隣人」はキリスト者だけではありません、教会員だけではありません。教会に来てくれない、洗礼を受けてくれない、神にも聖書にもキリスト教にも興味を持ってくれない方々が「隣人」です。

その人々をわたしたちが愛することが、神から求められています。それができないと伝道はできません。わたしたちが世界を敵視しているかぎり、教会は孤立の一途です。もしそのような感覚にわたしたちが少しでも陥っているなら、根本的な方向転換が必要です。

「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された」(ヨハネによる福音書3章16節)と書かれているではありませんか。神が愛された「世」は、世界の「世」、世間の「世」です。字が同じであるだけでなく、意味も同じです。「神は世界を愛された」のです。「神は世間を愛された」のです。

この意味での「世」も、すでに神を愛し返した人々ではなく、むしろ、そうではない「すべての人」を指しています。

神が世間を「その独り子をお与えになったほどに」愛しておられるなら、わたしたちも世間を心から愛するべきです。そうでなければ「伝道」というものは成り立ちません。

この件についてみなさんによく分かっていただけそうな「たとえ」が見つかりました。

わたしたちが教会の中から窓の外を指さしながら「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」などと言っているような教会に、だれが行こうと思うでしょうか。

この問題をよく考えていただけば、教会の進むべき道が見えてくると思います。

(2017年7月16日、日本キリスト教団上総大原教会 主日礼拝)

2017年7月13日木曜日

ブルンナーとバルトの「自然神学論争」の背景

ブルンナーとバルトの対決の背景に、当時の若手神学者バルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツの共同編集同人誌『時の間』をバルトがいきなり廃刊にしたことへのブルンナーの抗議がある。売れっ子バンドが「方向性の違い」で解散。第三者による仲裁が失敗して炎上拡大、といったような話である。

字と思想で仕事をする人にとって発表の場を失うこと、あるいはそれが減ることの持つ実害性は非常に大きい。インターネットがなかった時代。新聞記事にしてもらえるほど知名度があるわけでなし、本にするまでには至らない試行錯誤状態の原稿を公表するためにちょうどよかったのは同人雑誌だっただろう。

そして、同人雑誌とブログやSNSとの大きな違いは、その字と思想をマネタイズできるかどうかだとやっぱり思う。前者は可能、後者はほぼ不可能。80年ほど前の神学者たちが周囲の人々から「食うために書くのは不純だ」と言われたかどうかは分からないが、食えないと書けない、それだけは人類の不動の事実だ。

神学に「安全地帯」は存在しないが、「今日の状況」に直接絡まない書き方ができる部門がないわけではない。歴史的文献の翻訳や研究、辞書の編纂など。それでも「今日の状況」と無関係ではありえないと私は思うが、直接的言及は回避できる。しかし回避型でない直接性をバルトたちは模索したわけだ。

「教会」の存在は「教会の教師」が発する字と思想を常に無条件に支援するだろうか。そういうことは、大げさにいえば教会史上一度もなかったのではないか。両者は対立関係にあるわけではないが(それでは困る)、緊張関係はあり続けるだろう。どちらが常に善で、どちらが常に悪だということもない。

はっきり言われた経験を持つ「教会の教師」は少なくないはずだ。「ぜひとも教会の宣伝になるようなことだけを書いてほしい」とか、「教会にとって不都合なことをお書きになりたいなら、教会をおやめになってからならいくらでも」とか。こういう要求に「教会の教師」が服するなら教会は腐敗の一途だ。

おっと、私まで「直接的言及」の世界に連れ込まれそうだ。ブルンナーとバルトの対決についての昔話をしていただけなのに。「むかしむかし、あるところにブルンナーとバルトがいました。ブルンナーは山に芝刈りに、バルトは川に洗濯に行きました」という程度の当たり障りのない話にとどめておこう。

ネットでお借りした画像で申し訳ないが、これがバルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツ共同編集神学同人誌『時の間』(Zwischen den Zeiten)の表紙だ。ロゴのヘビメタ感たるや。このド迫力でダルダルした神学と教会を蹴散らしたわけだ。一方で絶賛され、他方で拒絶された。

いま気づいたが、画像の表紙のフラクトールは

Unter Mitarbeit von
Karl Barth
Friedrich Gogarten Dr.
Eduard Thurneysen
herausgegeben von
Georg Merz

だと思うが、いろいろ興味深い。

これを見て慰められる人がいるのではないか。『時の間』編集人筆頭者バルトは改革派で無学位で大学教授になりたてでデビュー作売り出し中。2人目ゴーガルテンはルーテル派でドクター(名誉学位)で大学教授になりたて。3人目トゥルナイゼンは改革派で無学位で教会の牧師さん。メルツは編集実務担当。

神学も同人誌から出発していいし、学位も査読もなくていい。「だれだこいつ」と思われても気にせず自分たちの書きたいことを書いて、自分たちで売ればいい。すぐ売れなくてもいいし。80年後にオークションで高額取引されているかも。ただ冊子になっているほうがいい。ブログは本棚に立たないからね。

神学の学会や研究会はどこでも、始まり方は同じだと思う。「こういうのやりたいね」「おもしろそうだね」「よしやるか」で始まる。あとは「あの先生の講義泣きそうにつまんない」「説教も意味不明だし」「本もおもしろくないし」「早くやめてほしいわ」「よし倒すか」というのも始まり方かもしれない。

ヘビメタといえば私が最初に思い浮かべるのはキッスだ。ブルンナーもバルトも「危機神学」(Theology of Crisis)と本当に呼ばれていた。そして彼らは熱心に愛を教える。I WAS MADE FOR LOVIN' YOU BABYだ。思わずイメージイラストを描いてしまった。


こうしてみると松谷信司新社長率いる新装「キリスト新聞(Kirishin)」の方向性は今の時流にかなっている。「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れるものだ。そうすれば、両方とも長もちする」(マタイ9章17節)。いいぞピューリたん。負けるなキョウカイジャー。先輩がたが応援しているぞ。

2017年7月10日月曜日

「松戸の地、小金の地への伝道を!」に巡る思い

デイリーヤマザキ松戸小金原店(松戸市小金原6-11-5)の阿藤経司店長(右)

昨日日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)主日礼拝で今泉幹夫先生がお語りになった「松戸の地、小金の地への伝道を!」という言葉が胸に強く迫ったのは、13年前の2004年に私が「松戸小金原教会」の牧師になったとき自分に言い聞かせたのと同じ言葉だったことと無関係ではありえない。

私自身の成育歴からすれば、13年前(2004年)まで千葉県も松戸市も縁もゆかりもなかった。ただ、父が60年前に卒業した大学が松戸市にあった(今もある)ことで、父の口から何度となく聞いた地名ではあったが、親戚や友人がいるわけでなし、特に行く用事もなく、足を踏み入れたことがなかった。

しかも、私が「松戸小金原教会」に来たのはその教会から「招聘」があったので赴任したのであって、自分の意志でいわゆる就職活動をして来たわけではない。赴任する前に私が知っていたことといえば「千葉県松戸市は東京都(葛飾区)との県境に位置する」というだけのことで、本当に何も知らなかった。

松戸に来た当時、息子は小4、娘は小1だった。私の妻は、松戸に来た最初の年に子どもたちの小学校のPTA役員になり、翌年にはPTA副会長になった。前任地の山梨県にいたときも娘の幼稚園のPTA会長だった。私も松戸に来た初年から市の少年補導員になった。その後中学校のPTA会長にもなった。

「PTAをやれば信者が増える」わけではない。それでも「町に友達ができた」。スーパーで会えば挨拶できる。「暑いですね」「寒いですね」「お疲れさま」。なんだそれだけかと言われればそれだけだ。しかし、挨拶も成立しないで伝道が成立するのか。難しく言えば、自然神学論争の「結合点」の問題だ。

しかも「理事長です、園長です、町の名士です」然とした形でなく「いつもヒマそうなおじさん」として普通に佇む。毎日スーパーやコンビニで買い物する。牧師シャツを着ない(持っていない)し、イクスースのステッカーを車に貼らない。して悪いとは思わないが、しなければならないとはもっと思わない。

そうこうしているうちに町内から教会に通う方が次第に増えてきた。PTAで友達になった人たちが教会に、という関係ではない。そういう「これをしたからこうなった」式のストレートな対応関係はなかったが、徒歩や自転車で通える範囲内の高齢者が教会に増えてきた。その方々が洗礼を受けてくださった。

その教会には11年9か月在職し、2015年12月に辞職した。受洗した方、信仰告白した方、転入した方は少なくはなかったと思う。今も目と鼻の先に住んではいるが、連絡等は一切とっていない。教団が違うので競合はしない。「松戸の地、小金の地への伝道を!」祈り願う思いは、今も全く変わらない。

13年前(2004年)に松戸市に来てから仲良くなった「親友」と呼ばせていただきたいのはデイリーヤマザキ松戸小金原店(松戸市小金原6-11-5)の阿藤経司店長だ。PTAでも一緒だったが、2011年3月11日、震災当日の夜「絶対に店を閉めない」と言ってくれた阿藤さんを心から尊敬した。

2017年7月9日日曜日

小金教会の主日礼拝に出席しました

日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)

今日(2017年7月9日日曜日)も先週と同じく日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席しました。今泉幹夫牧師が説教で語られた「松戸の地、小金の地への伝道を!」という言葉が胸に強く迫りました。

2017年7月8日土曜日

今の私はどういう状態なのか

昨年春(2016年4月)に日本キリスト改革派教会から日本キリスト教団に教師籍を戻した(教規上は「転入」)ばかりの私が、なぜ今、日本バプテスト連盟の教会で月2回のペースで説教をさせていただいているのかについて誤解されると困るので書くが、次はバプテストに移ろうとしているわけではない。

昨年度宗教科(聖書科)の代用教員として勤務した学校のチャプレンが日本バプテスト連盟の方で、その先生の紹介で昨年度は月1回のペースで説教を依頼されてきた教会で、今年度も月2回のペースで続けてほしいとご依頼があったのでお引き受けしているだけで他意は全くない。くれぐれも誤解なきように。

私の経歴をご覧になって「教会を転々としている」と評する方がおられたが、同世代の牧師の中ではごく平均的な移動回数であることを表明しておく。まして「教団を転々としている」かのように思われるのは本当に困る。しかし、説教をさせていただいている日本バプテスト連盟の教会には心から敬意を表する。

ちなみに、私が教会の牧師として経験と訓練を受けたのは、日本キリスト教団の旧日本基督教会系の2つの教会(高知県、福岡県)とやはり旧日本基督教会系の日本キリスト改革派教会の2つの教会(山梨県、千葉県)である。つまりすべてはいわゆる改革派・長老派(カルヴァン主義)の系統の教会であった。

しかし、日本キリスト教団に戻ってきた以上、70数年前に日本キリスト教団に合流したすべての旧教派グループと対等にお付き合いさせていただきたいと願っている。牧師として私が受けてきた教会的訓練の内容に「汎用性」があると信じている。この点はぜひともご理解いただきたいと強く願っている。

もうひとつ書いておく。私は時々「説教の塾」の悪口を書くことがあるが、私は大学時代に彼らと全く同じ教育を受けた者であり、基本的にほとんど同じ線に立ちつつ、日本の教会の宣教において新たな一歩を踏み出したいと願っている者としての「愛情表現」だと思って受け流していただけると助かる。

礼拝の形式や内容についてのこだわりはない。1954年讃美歌でも讃美歌21でも聖歌でも新聖歌でも歌う。ガウンを着ろと言われれば着るし、着るなと言われれば着ない。説教は10分と言われれば10分で終わるし、40分と言われれば40分で終わる。「汎用性」も「順応性」も訓練されてきた。

唯一私にできないのは「異言の祈り」くらいだが、私にその賜物が与えられていないのと、これから特別に求める思いがないだけで、批判はないし、揶揄する気持ちなどは微塵もない。幸いなことにそれを私に強いる人はだれもいない。私が立っているのは今年500年を迎えた「宗教改革の伝統」以上でも以下でもない。

私が讃美歌をうたうとほめていただけることがある。何の楽器も弾けず楽譜も読めない人間なので、穴があったら入りたくなる。大学を卒業するまでほめられたことはない。ほめられたりするようになったのは、結婚して(幸せで)太ったころからだ。突き出たお腹がスーパーウーハーになったかもしれない。

説教の形式や内容についてもこだわりはない。聖書原典の解説でも、個人的体験の証しでも、使徒信条やハイデルベルク信仰問答等に基づく教理説教でも、付箋やプロジェクターを用いたアクティヴラーニング説教でも、教会の求めに応じてする。福音のために何でもする。私も共に福音にあずかるためである。

ただし、説教の際にいつも念頭にあるのは、自然に任せていると高齢者の集まりになりやすい教会を、ただ「慰める」だけでなく、現状維持を無批判に肯定するだけでなく、より未来へと目を向け、若い世代の参加を強く求め、神の恵みを引き渡していく教会にしていくにはどうしたらよいかという問いである。

2017年7月7日金曜日

「日曜日の午前中に式場で結婚式をしているような人はすべて偽牧師である」というのは事実なのか

「本物の牧師」は日曜の午前中に式場で結婚式を挙げることができるはずがないので、そういうことをしているのはすべて「偽牧師」である、というご意見をいただいたので次のようにお応えした。

(こたえ)

何をもって「偽牧師」というかにもよりますが、隠退牧師や、いわゆる各個教会(ローカル・チャーチ)の牧会から離れている教務教師(学校や病院等で聖書を教える牧師)や無任所教師も「本物の牧師」のうちにカウントしていただけるなら、日曜日の午前中に「本物の牧師」が司式することは可能です。

そういう先生がたは、たとえば日曜日の午前中に結婚式があれば、ご自分はいつもの教会またはどこかの教会の夕礼拝などに出席するなどしてご自身の教会的責任をきちんと果たしておられます。

「牧師」にもいろんな形式や形態のミッションがあるのです。教会の説教と牧会だけが「牧師」の働きのすべてではありません。

いま書いたのは、まんま今の私です。たまたま今年無任所教師なので、結婚式の仕事をしています。ヨコのつながりがありますので「本物の牧師」が入っている式場がどこかは分かります。そうでない式場もたくさんあることも存じております。

「20回くらい結婚式に列席して、どこも外国人の偽牧師ばかりだった」とのことですが、このあいだ先輩の牧師が「私は式場で2千回結婚式をした」とおっしゃいました。私も驚いて、その先生の顔を二度見してしまいました。まだまだ世間は広いようです。

私はかかわっていませんが、たとえば八芳園(東京都港区白金台)は「本物の牧師」だけです。他にもいくつか名前を聞きましたが、いまちょっと思い出せません。

「キリスト教式」を堂々と謡う式場の結婚式から「本物の牧師」が完全撤退してしまったら、そのうさん臭さたるや目も当てられない状態になります。私が司式した結婚式の面談のとき、新郎新婦から「日本語が通じる人でよかった」と言われました。

私が申し上げたいのは「ビジネス」として行っている式場にも考え方の違いがありますよということだけです。押しなべてどこもかしこも一緒くたに切って捨てる言い方は、私もしないわけではないので自戒を込めて言いますが、我々の悪い癖だと思います。

現実問題としてはむしろ、式場のというか新郎新婦のニードとしては圧倒的に土・日・祝日にしてほしいわけですが、それは引き受けられないと断る牧師や教会が多いので、やむをえず「偽」でも、となってきた状況もあるようです。今の形になってきた責任は、教会側の考え方にも全くないとは言えません。

キリスト教式結婚式は、教会の宣教の課題そのものです。司式をしてみると分かりますが、新郎新婦は決して衣装や写真写りの良さだけでキリスト教式結婚式を選んでいるのではありません。それだけの目的なら、写真店に行って写真だけ撮ればいいわけです。彼らも「本物」を求めているのです。そこを教会が見落とすことはできません。

それと、いちばん厳しい言い方かもしれませんが(私は100パーセント「教会側」の者ですので念のため)、自分たちの教会堂で未信者が結婚式をしたり、牧師が教会員の家族でもない未信者の結婚式をしたりするのを、教会が嫌がってきた経緯があります。教会が締め出してきたのですよ。

それが少し変わってきて、「うちの牧師がうちの会堂で未信者の結婚式をするのは会堂建築資金の借金返済にもなるのでいいが、外でやるのは教会員かその家族に限定してほしい」などと言われるようになったりもしてきました。

それで式場にいるのは「偽牧師」ばかりということになっているなら、責任ははっきり教会にあるではありませんか。

貴教会は未信者の結婚式を受け入れているとのこと、失礼な言い方をお許しいただけば、とても健全な教会だと思います。でも、それはあくまでもその教会の会堂を使っての結婚式のことですよね。

牧師さんが教会員かその家族でもない未信者の結婚式を外の式場でするのは問題になりませんか。「それはやめてほしい。教会の牧会に専念してほしい」と言われませんか。

その関連で、私がちょっと気になっているのは、結婚式と言えばなぜかいつもお金の話になることです。牧師の生活の足しだとか、教会堂の負債返済の足しだとか。

なんだかまるで、教会が結婚式というものを薄汚いもののように見さげているかのようです。あるいは、信者になるなら挙げてやってもいいが、我々の神聖な場所を薄汚い動機の連中に踏みにじられるのは生理的に不愉快だというような態度。はっきり書きすぎですかね。

教会(宗教法人)の土地建物が無税なのは教会が得したという話ではなく、「世のため人のために開放されるべき場所」だという前提理解があるからです。教会が自己目的化していくなら、税金を払うべきなのです。

「伝道所」であっても包括宗教法人としての教団のもとにあれば税制的な優遇を受けています。そうであれば、教会堂の使用は自己目的で終始するのではなく「世のため人のために開放すべき場所」であることを貫くのは当然です。自分たちのお城のように思ったらだめなんですよ。教会堂は、教会と教区と教団と「世間の」ものです。

日本基督教団の教規では「教会担任教師」以外は「牧師」ではないという意見をいただきました。日本キリスト改革派教会の教会規程も同じでしたので、その話はいつか出てくるだろうと思っていました。

それで、私もつい最近まで「牧師」と名乗ることを避けていました。しかし「教師では世間には分かりにくいし、誤解される」という複数の意見をいただいたので「牧師」を名乗るようにしました。この話も同じ理屈(世間には分かりにくい)で書いています。

もっとも教団総会や教区総会などの「議員資格」の話になれば、「牧師様」と教務教師や無任所教師の扱いは、極端に差をつける慣わしになっているようではありますけどね。でも、そんなことって、世間の人たちには、なんも関係ないことではありますよね。私はネットには、基本的に「世間向けの言葉」を書いております。


2017年7月6日木曜日

日本基督教団教師転入の「奇跡」

現在の借家(千葉県柏市)への転居日の書斎(2015年12月24日)

日本基督教団への転入(復帰)を決心したのは2年前(2015年9月3日木曜日)だが、任地なき籍だけの移動は認めない方針になったと知り、人づてに推薦していただいたが、複数教会から「転入理由が明確でない」という理由で面接なく断られた。「また出ていくかもしれない」とも言われたらしいが、そんなに傍若無人ではないです。

もしかしたら暗に当時所属していた日本キリスト改革派教会への批判を明文化することを求められた可能性があるが(真相は不明)、批判すべきことは何もなかったし、今もないので、求められても無理だった。私にとって日本基督教団は生まれ故郷である。「実家に帰る理由なんてないよ」と思うばかりだった。

どのポケットを叩いてもビスケットが出てこないので困っていたら、「転入理由」を問われない職場が与えられた。それが昨年度1年間代用教員として働かせていただいた日本基督教団関係学校(高校)だった。教員志望だったことは一度もなかったが、やってみるとこれが楽しい仕事だった。心底魅了された。

しかし、いかんせん学校教員としてのスタートが遅すぎた感は認めざるをえず(昨年は50歳でした)、キャリアというかスキルというかに関しては、教会の牧師の仕事のほうが向いているというかそれしかできないというか天職というかではある。でももう一度学校で働かせていただきたいという願いはある。

ただ、どちらでもいいと考えているわけではない。学校の仕事は私にはおそらくもうないと思っている。昨年が楽しすぎて自分の限界や現実を忘れそうな瞬間があったが、何度も冷水をかぶる必要がありそうだ。最初の召しを忘れたことは一度もない。私の職務は教会に仕えること以外の何ものでもありえない。

こういう大真面目なことをついチャラチャラした調子で書いてしまうのは、実は私という人間が本質的に真面目だからだということを、ぜひ見抜いていただきたいと願っている。自分に関してやたら軽率なところがあるかもしれない。差しさわりがあるようならお詫びしたい。

学校勤務が決まったときの実感は「おお海が割れた」だった。私が海を割ったのでなく神が割ってくださった。 「任地なき籍だけの移動は認めない」という日本基督教団の新しい申し合せ事項のもとで「明確な転入理由を言わないかぎり迎えることはありえない」と複数の教会から言われて立ち往生していた。

かたや私は、1998年7月に日本キリスト改革派教会に教師加入したときに「日本キリスト改革派教会の政治と戒規に服すること」を神と教会の前で誓約した者として、心にもない日本キリスト改革派教会への批判を書いたり述べたりすることはできずにいた。それは私にとって「虚偽申告」を意味していた。

そのような虚偽申告(ありもしないウソをつくこと)を一切することなく日本基督教団教師に復帰する(教規上は「転入」)道は日本基督教団関係学校の「教務教師」になることだった。それは私にとっては事実としても実感としても「奇跡」以外の何ものでもありえなかった。神が「海を割って」くださった。

今朝は驚いた。高校で聖書の授業をしている夢を見た。昨年授業をさせてもらった生徒たちだった。見たことがない広い教室だった。みんなにこにこしていた。私も冗談言ったりしていた。終わりのチャイムで目が覚めた。みんな元気そうで安心した。まあ夢だけど。続き見るために二度寝するか(しません)。

2017年7月5日水曜日

ブルンナー「神学のもう一つの課題」(1929年)は熱い

ファン・ルーラー教授もご到着です
昨日は、ブルンナーとバルトの「自然神学論争」関係年表を作った後、なるべく年表の順にブルンナーの文章とバルトの文章を交互に読んだが、両者ともバトルモードで書いているのが分かるだけに、心理的に結構きつい。どちらが勝った、どちらが負けたの話にされてしまいがちだが、そういう問題ではない。

もちろん日本語版があるものだけでも全部読み終えるのに何日もかかるのは間違いない。しかし取り組み甲斐がある。今まで日本国内でこの論争が紹介される場合は、ほぼバルト側に立つ人々がいかにブルンナーが間違っていたかを言うのがほとんどだった。私を含めてブルンナーの原書を読む力がない相手に。

しかし今はそれはもう通用しない。ブルンナーがバルトの何を批判し、それによって読者に何を訴えようとしたかが、ドイツ語を読めない者たちにも理解できるようになった。「論争」なのだから両方を読まないといかなるジャッジもしようがない。その単純な事実に立つことが大切だと思いながら読んでいる。

昨日ブログに書いたブルンナーとバルトの「自然神学論争」関連年表について、現役神学生の方から誤記の指摘をいただいた。感謝しつつ以下のように訂正した。

バルト『ローマ書』第2版出版  (誤)1920年→(正)1921年
バルト、ゲッティンゲン大学教授 (誤)1922年→(正)1921年

バルトの『ローマ書』に関しては、出版年がややややこしい。本体に印字された出版年は、第1版は1919年、第2版は1922年であるが、実際の出版はどちらも1年ずれている。第1版は1918年、第2版は1921年である。佐藤司郎先生はそのことをご存じで、いつも論文に正確に書いておられる。

バルトの『ローマ書』第2版の出版と、ゲッティンゲン大学教授就任は、同じ1921年であった。第2版を書くまで「牧師」で、それが終わって「教授」になった。ただし、彼を教授に推薦した人々が評価したのは、その後世界的大ヒット作になった第2版ではなく、わずかしか売れなかった第1版であった。

まだ結論めいたことを書ける段階には全くないが、昨夜読んだブルンナーの「神学のもう一つの課題」(1929年)は素晴らしいと思った。バルトがこんなのは不要だと退けた「弁証学」(Apologetik)の存在理由を擁護し、呼称を変えて「論争学」(Eristik)としてその価値を主張する。

とくに私が感動したのは「神の言葉が信仰において入場許可を獲得する場合には、そのことは理性の追放として起こるのではなくーこのような悪魔払いは人間を破壊するであろうからー、当初は反抗していた理性が従順になることによって起こる」(91頁)というブルンナーの言葉だ。至言である以上に熱い!

いちいち引用しながら書くと長くなるのでやめておくが、ブルンナーが言っているのは、教会の説教者たちに対する警告だと見て間違いない。説教者たちは神の言葉を宣べ伝えようとしている相手を「人間」だと思っているのか、その相手を「人間」として尊重しているのかと、ブルンナーは言いたがっている。

「説教は人間に立ち向かい、彼を隠れ家から引き出す。説教はその仮借なき光によって人間と彼の幻想を照らし出す。もし説教がこのことをしないとすれば、何千回となく『純粋な教理』を提示しようとも無益であろう」(109頁)。このブルンナーの警告に同意する気がない説教者が存在するのだろうか。

「バルト自身は現実の人間に対して現実的に語る術を心得ている。しかし彼の原則と態度とが他の人々を誤らせる危険、つまり彼らが現実の人間に対して、換言すれば今日の人間に対して、もはや現実的に語ることをしないようにさせる、したがってもはや語るのではなく、宣告するようにさせるという危険は大きい」(同)はストライク。

あなたがたの説教は「語っている」のではなく「宣告している」だけだ。ブルンナーがバルトに対してこのような苦言を書いているのは、いわば眼前のバルトを凝視しながらの友人に対する真摯な忠告であって、88年後の我々がバルト自身と彼の影響を受けた人々を想像しながら言うのとは、重さが全く違う。

説教に限らず教会の宣教のすべてにおいて一方通行の「宣告」で終わってよい要素は全くなく、双方向の「対話」が必要であり、そのために教会は神の言葉を宣べ伝える相手を「人間」として尊重すべきであって、相手の「理性」を破壊してはならない。ブルンナーは要するにこういうことを言いたがっている。

まだ考えはじめたばかりなので、この先どうなるか分からないが、ブルンナーとバルトの議論を「自然神学論争」と呼ぶのは議論の本質を見誤らせるだけかもしれない。一方のバルトは当時の教会にほとんど絶望している。ブルンナーはバルトの絶望感に共感しつつ、それでも教会を肯定する側に立とうとした。

昨夜はブルンナーの「神学のもう一つの課題」(1929年)に触発されて興奮気味で寝付けなかったので、子守唄になるかもと思い、ファン・ルーラーの「自然神学のもう一つの側面」(1959年)という論文(オランダ語)を斜め読みした。しかし、これも面白かった!ますます興奮して眠れなくなった。

ファン・ルーラーによると、「自然神学」には「二つの側面」がある。従来「自然神学」は特別啓示を受けていない生来の人(異教徒)にとっての一般啓示の意味は何かを問うてきた。しかし「もう一つの側面」として、教会とキリスト者にとっての一般啓示の意味は何かという問いがある。面白いではないか!

ブルンナーとバルトがコンビで働いた形跡はないが、もしコンビだったら爆笑問題の太田と田中の関係かもという気がする。ある意味鋭くある意味極端なことを言う太田がバルトで、「いやそれ違うから」と一般常識の範囲内で冷静につっこむ田中がブルンナー。こういうたとえは、かえって分かりにくくする。


2017年7月4日火曜日

ブルンナーとバルトの「自然神学論争」関連年表

教文館『ブルンナー著作集』と新教出版社『カール・バルト著作集』

1918年 バルト『ローマ書』第1版出版

1919年 ブルンナー「カール・バルト『ローマ書』書評」

1921年 バルト『ローマ書』第2版出版

1921年 バルト、ゲッティンゲン大学教授

1922年 『時の間』創刊
    (バルト、トゥルナイゼン、ゴーガルテン、メルツ共同編集。隔月発行)

1924年 ブルンナー、チューリッヒ大学教授

1924年 ブルンナー『神秘主義と言葉』出版。シュライエルマッハー批判

1924年 バルト「ブルンナーのシュライエルマッハー論」(『時の間』)

1925年 バルト、ミュンスター大学教授

1929年 ブルンナー「神学のもう一つの課題」(『時の間』)

1930年 バルト、ボン大学教授

1930年 バルト「神学と現代人」でブルンナー批判(『時の間』)

1932年 バルト『教会教義学』第1巻第1分冊発行

1932年 ブルンナー「神学の問題としての結合点への問い」(『時の間』)

1933年 『時の間』廃刊。バルトとゴーガルテンの対立が原因

1934年 ブルンナー『自然と恩寵 K. バルトとの対話のために』発行

1934年 バルト「ナイン!E. ブルンナーに対する答え」(『今日の神学的実存』)

    (以後、ブルンナーとバルトは絶交状態になる)

1935年 バルト、バーゼル大学教授

1938年 バルト「神認識と神奉仕」第1講で「自然神学」を扱う(ギフォード講義)

1946年 ブルンナー『教義学』第1巻発行

1948年 バルト『教会教義学』第3巻(創造論)第2分冊で肯定的な人間論を展開

1951年 ブルンナー「新しいバルト K. バルトの人間論への論評」
    (『神学教会雑誌』)

1953年 ブルンナー、国際基督教大学教授(1955年まで)

1956年 バルト「神の人間性」(『神学研究』)

1966年 ブルンナー死去(76歳)

1968年 バルト死去(82歳)

2017年7月2日日曜日

小金教会の主日礼拝に出席しました

日本キリスト教団小金教会(千葉県松戸市小金174)
今日(2017年7月2日日曜日)は日本基督教団小金教会(千葉県松戸市小金174)の主日礼拝に出席しました。借家から1.2キロ(徒歩15分)の最寄り教会。旧日本基督教会の伝統に立つ教会。牧師歴50年の今泉幹夫先生の説教に励まされ、聖餐にあずかり、疲れた体と心に元気をいただきました。


2017年7月1日土曜日

ブライダル報告

日本聖書神学校(東京都新宿区)メイヤー・ライニンガー礼拝堂
今日(2017年7月1日土曜日)は日本聖書神学校(東京都新宿区)メイヤー・ライニンガー礼拝堂ブライダルの牧師をさせていただきました。リングドッグがとてもかわいかったです。おめでとうございます。