生後から高校卒業まで過ごした築港緑町(岡山県岡山市南区) |
1年前(2016年2月6~13日)は岡山の実家にいた。父の部屋で日本基督教団教師転入試験(郵送分)をしていた。帰省の目的は別にあったので試験に割けたのは実質3日だった。3月22日に転入が完了した。
守秘義務を重んじると「秘密主義だ」と非難され、寛容精神を重んじると「無節操だ」と非難され、個人の権利を擁護すると「わがままだ」と非難され、全体の意志を擁護すると「不当抑圧だ」と非難される。兎角に人の世は住みにくい。責められるのを任せられるのが「責任」だろうが血圧は高まる一方かも。
仕事をしていると「パソコンをいじっているだけだ」と非難され、話していると「口を動かしているだけだ」と非難される。だからもう最近は、だれかを車で送ってあげて感謝されても「いえいえ座っているだけなので」と自分で言うようになった。そう言うとものすごく恐縮されてしまうので、逆に恐縮する。
蒸し返すつもりはないが、意味不明の問題文を自分で出しておきながら「答えが不十分なので追試だ」と告げるとき、人をこばかにする目をしていたのはあれだった。きみはいつからそういう人になったのか。追試自体は望むところだったのでどうでもいい。もっと上手に問題文を作れるようになりますように。
さて、心を静めて明日と明後日の説教の準備に集中しよう。出席者は明日と明後日で百倍違うが、礼拝であることに変わりない。深い睡眠で週日の疲れはいやされたことにする。いや違う。疲れが残っているくらいでちょうどよい。出席者も疲れている。説教者だけが例外的に元気というのは不自然で尊大な気がする。