クリニックの待合室に自分で持ち込んで読んでいたマンガ |
血圧降下剤が今朝残錠ゼロになったので、職場からの帰りに行きつけのクリニックに立ち寄る。自分で持ち込んだマンガを読みながら診察を待つ。年度末が近づき、いろんなものが、いろんなことが終わっていく。へたばるわけには行かないので、病院と薬局と石ノ森章太郎先生に助けてもらいながらがんばる。
Facebookのお友達の投稿で、お台場のダイバーシティのテナント空きが増えている様子が分かって、ややショックを受けつつ、「よしこれからだ」と意味不明の気炎を吐く。調べてみると2005年1月10日だったようだが、私は某所で行った講演で「お台場伝道所を作ろうよ」と語ったことがある。
もちろん九分九厘妄想だが、冗談ではなく真顔で言った。教会青年対象の講演だったが、私が問いたかったのは、あなたがたは「ありそうもない夢は見ない主義」なのか、それでいいのかということだった。「お台場」なんかに教会ができるはずがないとか、何もそんな確信持つ必要ないでしょと言いたかった。
お台場の今の賑わいなど影もなかった1980年代後半の築地まで結婚前の妻を乗せて車で来たことを覚えている。大学生だった頃なので、そんなに昔ではない。本当に何もなかった。今のようなレインボーブリッジも、ゆりかもめも、フジテレビのビルも、ベイエリアの高層マンションも想像もつかなかった。
そのお台場に「なんで教会?」と、たぶん多くの人が疑問をもつだろう。そのことを予測したうえで、なぜそこで疑問を持つのかを考えてみてほしいと願った。私自身も答えを持っていたわけではないし、実行力や根拠となるものを持っていたわけでもない。しかし、むなしい言葉遊びをしたかったのでもない。
でも、まあいいや。書けば書くほど、まるで何かの弁解をしているかのような気分になってくるので、これ以上書くのはやめよう。「お台場教会」をぜひどなたかに作っていただきたい。そこで毎週日曜日に普通の簡素な(できれば地味な)礼拝が行われるのを期待したい。その教会に出席させていただきたい。