2017年2月6日月曜日

ラッソン版を探しに行くしかないか

今夜届きました
ヤフオクで新たに落札した岩波書店『ヘーゲル全集』(旧版)第17a巻「宗教哲学 下巻の1」(木場深定訳)が帰宅したら届いていた。さらに今夜、第19c巻「美学 第2巻の下」(竹内敏雄訳)の代金のコンビニ払いを完了。現在、全33巻中16冊取得済み。まだ1万円を超えていない。残り17冊。

これといった趣味なく、手も足も芸なく、加齢で老眼進んで字を読む力衰え、記憶力加速度的に後退する中、古書集めくらいしか楽しみがない。悲しいこと言わないでくれと言われそうだが、悲しいことしか言えない。ならば書くなと言われそうだが、「ならば書くなと言われそうだ」と書く。夕食後は皿洗い。

もうひとつ楽しみがあった。ガーネット・クロウさんを昨日も今日もずっと聴いている。聖書を教えるのは「楽しい」が「楽しみ」ではない。「趣味」ではない。仕事は「楽しい」が「楽しみ」ではない。「趣味」ではない。帰宅が21時で、遅い夕食。食事は「楽しい」し「楽しみ」だ。まだあるではないか。

古書集めと、ガーネット・クロウさんを聴くことと、食事は「楽しみ」だ。よし、まだ探してみよう。えーとなんだろ。なんだろなんだろ。SNSはどうかなあ。どうかなあどうかなあ。「仕事」ではないが「趣味」とも違う。「楽しみ」かなあ、どうかなあどうかなあ。今朝4時起きだったのでいま相当眠い。

今日英語版で読んでいたファン・ルーラーのユトレヒト大学神学部教授就任記念講演「神の国と歴史」(1947年11月3日)にラッソン版ヘーゲル全集からの引用を見つけた。第8巻(ライプツィヒ、1930年)の41頁らしい。日本語版のどの箇所かが分からない。ラッソン版を探しに行くしかないか。

こういうのがキリがない。書斎の本が増えた原因は「ファン・ルーラーの翻訳を始めたから」だ。出版資金を手にしたことは一度もないが、自分の勉強のためという動機よりもっと野心的だった。責任ある翻訳を目指そうと思った。翻訳の開始と同時にファン・ルーラーが引用している本の入手作業が始まった。