2017年2月7日火曜日

境界に立って葛藤し続けよ

白水社『ティリッヒ著作集』第10巻
「ここは宗教団体ではなく学校だから宗教の教儀ではなく学問を教える」と言いながら話す場所と「ここは学校ではなく教会だから学問ではなく教会の教義を教える」と言いながら話す場所の両方の往復運動を続けていると心理的バランスが最も保たれている気がするのでたぶん身体面の健康にもいいのだろう。

初めから意図していたわけではないが、大学の卒論で取り組んだティリッヒも、大学院の修論で取り組んだトレルチも、長期テーマとして取り組んでいるファン・ルーラーも、学校と教会の「境界」(boundary)に自ら立って両方の往復運動を実践した人たちなので、彼らの葛藤は私なりに理解できる。

両者が仲良く助け合う関係にあったことが、歴史の中でいまだかつてあっただろうか。いがみ合い、倒し合う関係でこそあったと言えないだろうか。不遜な言い方かもしれないが、どちらか一方だけに立って他方を批判ないし否定するのはいとも容易いことのように私には思える。葛藤を回避できそうだからだ。

葛藤を回避する仕方で両者と関係を持つことはできるかもしれない。「境界」(boundary)を無きものとし、学校を宗教団体さながらにしてしまうか、あるいは逆に教会を学校さながらにしてしまうかすれば、ある意味そうなる。しかし、それは安易な方法であるし、デリカシーに欠く方法だと言える。

時に激突する対立関係にさえある学校と教会の「境界」(boundary)に自ら立って両方の往復運動を実践することは「二枚舌」を意味しない。ずっと前から繰り返してきた言葉をまた使わせていただくなら、それを「二枚腰」と言う。一度崩れたようでも立ち直る粘り強い腰。簡単には倒れねえからな。

我々が「二枚腰」を身につけるためには、徹底的に学校の学問を学びかつ自ら教えつつ、同時に徹底的に教会の教義を学びかつ自ら教えるのがよい。どちらか片方で事足りると思うなかれ。単純な短絡であるとしか言いようがない。両者の調和をめざす必要はない。葛藤を葛藤のまま抱え込むほうがまだましだ。

「境界に立って」(On the Boundary)がパウル・ティリッヒ(Paul Tillich [1886-1965])の自伝文書の英語版(1967年)のタイトルであることは、知っている人は知っている(原著ドイツ語版(1962年)のタイトルはAuf der Grenze)。

同書の序に「自分の思想の発展を、自らの生のなかから取りだして叙述するよう要請を受けたとき、私は境界という概念が、私の人格的、精神的な発展を象徴するのに適合しているということに思いいたった」(ティリッヒ著作集第10巻、武藤一雄・片柳栄一訳、白水社、1978年、11頁)と彼は記した。

続きがある。「ほとんどあらゆる領域にわたって、あれかこれかという実存の可能性のあいだに立ちながら、そのいずれにも安住することなく、しかも、そのいずれか一方を、決定的にしりぞけるような決断も下さないというのが、私の運命であった」(同上頁)。

 「こうした態度は、思索にとって、非常に実り多いものであったし、今なおそうである。というのも、思索するということは、新たな可能性に対して開かれていることを前提とするからである。しかしまた、こういった態度は、生という観点からは、きわめて困難な、危険なことでもある」(同上頁)。

「生というものは、常に決断を要求し、したがってまたどちらかの可能性を排除することを要求するものだからである。こうした基本思想と緊張とから、運命とともに課題が生じるのである」(同上頁)。困難と危険を自覚しつつ、ティリッヒはあえて「境界」に立った。これこそ我々の望むところではないか。

もっともティリッヒは、単に学校と教会の「境界」に立っただけではない。都会と地方、社会諸階層、現実と夢想、理論と実践、他律と自律、神学と哲学、教会と社会、宗教と文化、ルター主義と社会主義、観念論とマルクス主義、故郷と異邦の「境界」に立った。どれも今なお真剣に取り組まれるべき課題だ。

上記した「徹底的に学校の学問を学びかつ自ら教えつつ、同時に徹底的に教会の教義を学びかつ自ら教えるのがよい」が狭義の学校勤務者(教務教師や神学教師)以外には該当しないことだと読めてしまうことに気づいた。「教える」は広い意味だ。教える場は学校や教会に限定されず家庭や社会を含んでいる。