2016年10月31日月曜日

ハイブリッドのすすめ(千葉英和高等学校)

フィリピの信徒への手紙4章8~9節

関口 康

「終わりに、兄弟たち、すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい。わたしから学んだこと、受けたこと、わたしについて聞いたこと、見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神はあなたがたと共におられます。」

今日も聖書を学びたいと思います。ただ今日は、宗教科の先輩が、チャペルの礼拝の説教でいつもご自分のご家族のお話をなさるので、私も先輩を見習って家族の話をします。

私にはとても美しい妻と、とてもかわいい子どもが2人います。子どもと言っても、2人とも高校を卒業しています。1人は女の子で、もう1人は男の子です。

今日はその男の子の話をします。高知県で生まれました。私が初めて牧師の仕事を始めたのが高知県の教会だったからです。

息子が1歳のとき福岡県に引っ越しました。私が福岡県の教会の牧師になったからです。2歳のとき兵庫県神戸市に引っ越しました。私が神戸の学校に入学したからです。家族寮で生活しました。3歳のとき山梨県に引っ越しました。私が山梨県の教会の牧師になったからです。9歳のとき千葉県松戸市に来ました。私が松戸市の教会の牧師になったからです。それ以降は千葉県民です。

息子が高校生だった頃、ふと聞いてみたくなったことがあって質問しました。「お前は今、教会とか聖書とかキリスト教のことをどう思ってんの」。

家族ですからずっと行動を共にしてきましたが、お互いの距離があまりに近すぎて、そういう質問をしたことがありませんでした。

おやじから唐突に変なことを質問された息子から「どゆ意味?」という返事がかえってきました。それで私は続けました。「いや、だってさ、生まれたときから教会にいて、聖書とかキリスト教とか否応なく押し付けられて、腹立つこととかなかったのかな、と思ってね」。

もう少し続けました。「だって、ほら、お前がこれまで通った学校はキリスト主義じゃなかったし、学校で教えてもらうことと、おやじから聞く聖書の話が矛盾してるとか、そういうことで悩んだこととかなかったのかな、と思ってね」。

返事がありました。「ああ、そういうときもあったよ」。「おれが幼稚園のころ教会でもらった聖書の絵本を読んで、それに書いてあるとおりだと思ってた。だけど小学校に入ってから全部崩壊した。がらがら崩れ去った」。

「そうか。そりゃ悪いことしたな。すまんすまん」と謝りました。そして、また聞きました。「それなら今はどうなの。聖書に書いてあることと、学校で教えてもらうことと、どっちが大事とか、どっちが正しいとか、そういうこと考えることないわけ」。

ほんの少しだけ間がありました。「考える時間くれ」みたいな顔をしました。しかし、さほど待たずに答えがかえってきました。

「どっちも、でいんじゃね」。

その答えを聞いて、私はとても安心しました。

今日、私が皆さんにお話ししたいのも、それと同じことです。今日の礼拝プログラムに書いた私の説教のタイトルは「ハイブリッドのすすめ」ですが、言いたいことは「どっちも、でいんじゃね」です。

礼拝プログラムに載せた説教要旨にうんとややこしいことを書きましたが、詳しい説明はしません。あとで読んでみてください。

今日開いていただいているのは、二千年前のキリスト教伝道者、使徒パウロが書いた手紙の一節です。そのパウロが書いている「すべて真実なこと、すべて気高いこと、すべて正しいこと、すべて清いこと、すべて愛すべきこと、すべて名誉なことを、また、徳や称賛に値することがあれば、それを心に留めなさい」(8節)の「すべて」は、文字通りのすべてです。

それは、聖書に書かれていることのすべて、とか、キリスト教の教会が教えていることのすべて、という意味ではありません。そのような制限がない「すべて」です。百科事典的な「すべて」です。

その「すべて」は、皆さんがこれまで、そしてこれから、学校や社会で勉強してきたし、することのすべてです。キリスト教主義の学校だからといって、キリスト教だけ勉強しているとか、聖書だけ勉強しているということはありません。あらゆる知識、教養、体力、生活力を、わたしたちは学んでいます。もちろん人によって、どれは得意で、どれは苦手ということはあるかもしれません。でも、どれは大事で、どれは大事でないということはありません。

それで今日、私が皆さんにお願いしたいのは、その「すべて」の中に、もしよろしければ「聖書」も加えていただけませんでしょうか、ということです。この学校に「聖書」の授業があります。一方的に押し付ける気持ちは全くありません。

私が皆さんにお願いしたいのは、いろいろとたくさんある中の目立たない隅っこで構わないので、「聖書」のことも考えることができる心のすきまを、ほんの少しだけでいいので空けていただけませんでしょうかということです。

「聖書」が何の役に立つのかを説明するのは難しいことです。今日はひとつだけ言っておきます。また家族の話になって申し訳ありませんが、先ほど紹介した息子の言葉です。「幼稚園のとき読んだ聖書の絵本に書いてあることをそのまま信じていた。でも、小学校に入って、がらがらと崩れ去った」と息子は言いました。

この話には逆のケースがあります。「すべて」の知識が「がらがらと崩れ去る」ときがあります。新しい研究や発見で、ひとつの学説が完全に否定されることがあります。「これが正しい」と多くの人が信じていたことが一瞬で消え去ることがあります。信頼していたことや、それを教えていた人に「裏切られた」と感じるとき、人は完全に絶望することがあります。

そのようなとき、「もうひとつの知識」が頼りになることがあります。「聖書」の教えとはそういうものだと私はとらえています。この世の知識が崩れ去り、ついでに「聖書」の教えまでもが崩れ去ったとき、「神」がわたしたちの心が折れないように、下のほうでしっかり支えてくれています。

いばるわけではありませんが、「聖書」の教えには、いろんな時代を乗り越えて何千年も生き延びてきた実績があります。「すべて」の知識と共に「聖書」の知識を重んじる人は「ハイブリッドな人」になることができると、私は信じています。

皆さんにはぜひ、そのような人になってほしいと願っています。

(2016年10月31日、学校礼拝)

2016年10月30日日曜日

空の鳥をよく見なさい(習志野教会)

マタイによる福音書6章26節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「空の鳥をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥を養ってくださる。あなたがたは、鳥よりも価値あるものではないか。」

習志野教会の皆さま、はじめまして。今日は皆さまの大切な礼拝の説教者としてお招きいただき、感謝いたします。

皆さまとお会いするのは初めてですので、短く自己紹介をさせていただきます。今年(2016年4月)から千葉英和高等学校で聖書を教える仕事を始めた日本基督教団教務教師です。東京教区千葉支区のメンバーです。千葉支区だより『しののめ』第36号に、斜め45度の顔写真付きで私の自己紹介文が掲載されていますので、お読みいただけますと幸いです。

『しののめ』に書きましたが、私は東京神学大学大学院の26年前(1990年3月)の卒業生です。日本基督教団の教師を、補教師の時期と合わせて7年しました。その後、兵庫県神戸市にある神戸改革派神学校で1年半学び、その後17年6ヶ月は日本キリスト改革派教会の教師でした。日本基督教団に戻ってきたのは半年前(2016年4月)です。

すべて合わせれば、教会の牧師として働いたのは25年になります。しかし、日本基督教団の中では「新人」ですので、『しののめ』の自己紹介文のタイトルを「新人教師挨拶」としました。

なぜ日本基督教団を離れたのか、なぜ戻ってきたのかと多くの人から何度となく尋ねられるのですが、どなたにもはっきりお応えすることができないままです。意味不明のことをむにゃむにゃ言っているだけです。それでも教団の教師転入試験と面接に合格しましたので、それ以上はご勘弁いただきたく願っています。ただ神の御心、ただ神の導きですとしか表現できません。

さて、そろそろ本題に入ります。初めての習志野教会の礼拝で、どの聖書箇所で説教をさせていただくかで少し迷いましたが、すぐに心が定まりました。先ほど朗読していただいた箇所に決めました。マタイによる福音書6章26節です。

実を言いますと、この箇所は千葉英和高等学校の今年度の「年間主題聖句」なのです。毎週月曜日に全校生徒による学校礼拝を行っています。明日もあります。宗教科職員が当番で説教をしています。明日の説教者は私です。

学校礼拝の中で、この箇所を全校生徒で声に出して読んでいます。この箇所を読みながら高校生が何を考え、何を感じているかは、教室でひとりひとりに尋ねたことがありませんので分かりませんが、みんな真剣に受けとめてくれています。そのように私は信じています。

もちろん私も学校礼拝のたびに読んでいます。書かれていることの意味を考えながら噛みしめています。その箇所を習志野教会の皆さまと共に読ませていただこうと思いました。やや個人的な理由であることをお許しください。

「空の鳥(とり)をよく見なさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。だが、あなたがたの天の父は鳥(とり)を養ってくださる。あなたがたは、鳥(とり)よりも価値あるものではないか。」

今お読みしましたのは、マタイによる福音書が伝えるイエスの言葉です。しかし、いきなり初対面の皆さんを面倒な話に巻き込んで申し訳ありませんが、ルカによる福音書の12章24節に、これとよく似ている言葉でありながら内容が異なることが書かれているということをお伝えいたします。

「烏(からす)のことを考えてみなさい。種も蒔かず、刈り入れもせず、納屋も倉も持たない。だが、神は烏(からす)を養ってくださる。あなたがたは鳥(とり)よりもどれほど価値があることか」。

高等学校の聖書の授業では、このように、マタイによる福音書が伝えるイエスの言葉とルカによる福音書が伝える言葉が食い違っているといった場合、どちらがよりリアルなイエスの言葉に「近い」と考えることができるかについて、その考え方や理解の仕方を教えています。

極度に専門的な議論を教えることまではしていません。「ここから先は大学で勉強してください」ということで。しかし、聖書の中に違いや矛盾があるという事実は率直に教えています。避けて通ろうとしたり、ごまかそうとしたりすれば、高校生たちは必ず見破ります。毎日が真剣勝負です。

はい、それでは、これから聖書の授業を始めます。レジュメを作ってきましたので配布してください。

[ここをクリックするとレジュメをダウンロードできます]

《新共同訳聖書に基づく比較》

【マタイ 6章26節】       【ルカ12章24節】
・空の鳥(とり)         ・烏(からす)
・よく見なさい         ・考えてみなさい
・倉に納めもしない       ・納屋も倉も持たない
・あなたがたの天の父      ・神
・鳥(とり)を養って        ・烏(からす)を養って
・価値あるものではないか    ・どれほど価値があることか

この比較で分かるのは次のようなことです。ぜひ皆さんもご自分で比較してみてください。

(1)マタイでは「鳥」の種類が《特定されていない》が、ルカでは「烏(からす)」に《特定されている》。「烏(からす)」は、旧約聖書のレビ記11章13~15節では「汚らわしいもの」とされている。

(2)マタイでは「よく見ること」が求められているが、ルカでは「考えること」が求められている。前者は《客観的観察》、後者は《主体的思考》を求めている。「空の鳥」を「よく見ること」のためには《見上げる》必要があるが、「考えること」のためにはその必要はない。

(3)マタイでは「空の鳥」の性質を「倉に納めないこと」としているが、ルカでは「烏(からす)」の性質を「納屋も倉も持たないこと」としている。前者は《自発性の欠如》を、後者は《所有の欠如》を示唆している。

(4)マタイでは「あなたがたの天の父」と呼ばれているが、ルカでは「神」と呼ばれている。前者は《見上げる》存在をイメージさせるのに対し、後者は必ずしもそうではない。

(5)マタイでは「価値あるものではないか」と言われているが、ルカでは「どれほど価値があることか」と言われている。前者は「価値がある」と《断定する調子》が、後者は「価値があるかどうか」の《熟考を求める調子》が感じられる。

マタイとルカのどちらが、よりリアルなイエスの言葉に「近い」と考えることができるでしょうか。細かい議論を省略して結論だけを言えば、ルカによる福音書のほうが「近い」と言えます。

ルカによる福音書が伝えるイエスの言葉の趣旨は次のようなことです。

旧約聖書においては「汚らわしい」とされ、忌み嫌うべき存在とみなされている「烏(からす)」を神は心から愛しておられ、価値ある存在としてくださっている。「烏(からす)」は自分の納屋も倉も所有していないという点で、物質的な貧しさを象徴する存在でもある。

もしそうであるなら、たとえ物質的に貧しいからといって忌み嫌われたり蔑まれたりしてもやむをえないなどと言われなければならない人間がどこにいるのだろうか、いるはずがないではないか。

あなたがたは「自分には価値がない」と自分で思い込んでみたり、そのようなひどいことを他人から言われたりすることがあるかもしれないが、それは事実だろうか、事実であるはずはない。そのことをよく考えてみなさいと、イエスが語ったと考えることができます。

別の言い方をすれば、ルカによる福音書が伝えるイエスの言葉の趣旨は、物質的な貧しさの中にいるという理由で差別や偏見の対象になっている人々への祝福、そして擁護です。逆の視点からいえば、そういう人々を差別したりあざ笑ったりする人々への抗議です。

そしてそれは「貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである。あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである。あなたがたは笑うようになる」(ルカによる福音書6章20~21節)とイエスが語られたことの言い換えです。

物質的な貧しさの中にいることで差別や偏見を受けている人の心が折れないように、いつも傍らにいて支え、慰め、励ますことに尽くされたイエスの姿をより鮮明に想像することができるのは、ルカによる福音書が伝えるイエスの言葉のほうです。

しかし、今申し上げたことを確認したうえで、それではマタイによる福音書が伝えるイエスの言葉のほうには価値がないのかというと、決してそうではありません。マタイによる福音書は聖書の中から切り離して捨ててしまうほうがよいのかといえば、全くそうではありません。両方大事です。伝え方は違いますが、どちらも代々の教会が伝えてきたイエスの言葉です。千葉英和高等学校が今年度の「年間主題聖句」として選んでいるのも、マタイによる福音書が伝えるイエスの言葉です。

マタイによる福音書が伝えるイエスの言葉の特徴は、「見上げる」ことを求めることにあります。「空の鳥をよく見る」ためには、少なくとも「空を見上げる」必要があります。地面をいくら眺めても、自分の心の中をいくら見つめても、「空の鳥」は見えません。「空」を見上げなければ!

そしてマタイは、「神」を「天の父」と呼ぶことで人々の目線を「天」へと、すなわち「上」へと向けさせようとしています。地面をいくら眺めても、自分の心の中をいくら見つめても、「天の父」は視野に入りません。「天」を見上げなければ!

皆さんはどうでしょうか。鳥(とり)や烏(からす)と比較されて「あいつらより価値があるから、お前は大丈夫だ」と言われても、それで慰められることはあまりないのではないでしょうか。鳥や烏と比べられても困るのではないか。そして、そのような《相対評価》で救われる人は、あまりいないのではないでしょうか。

《相対評価》も大事です。しかし、それより大事なのは《絶対評価》です。人間の評価を決めるのは人間自身ではないし、地上のいかなる存在でもありません。地上に住んでいない「天の父」が我々の価値を決めてくださいます。その意味での《絶対評価》が重要です。

マタイが伝えるイエスの言葉が教えているのは、「人と自分を比較するな。自分で自分を評価するな。あなたの価値は神が決める。神はあなたを必ず高く評価しておられる」ということです。

(2016年10月30日、日本基督教団習志野教会主日礼拝)

2016年10月28日金曜日

流行りものと宗教の関係(Ⅰ)

相当賛同し、応援しているつもりなので、残る問題は、子どもはいつまでも子どものままでなく、若者はいつまでも若者のままではないということくらいか。あとは、入り口の敷居が低いと感じて入った人は、中でも出口でもずっと同じ低さであることを求めることが少なくないが、それでいいかという問いか。

前世紀65年生まれの私の子どもの頃の記憶はアニソンで満ち満ちている。まもなく51歳の今でも時々鼻歌状態。大人になれば演歌が好きになるのだろうかと思っていたが全くそうならない。このままだと80になろうが90になろうがアニソン鼻歌のままの可能性が高い。アニソンおじいさんになりそうだ。

今考えているのは宗教の問題だ。流行語や流行音楽ジャンルで宗教を表現することが悪いわけがない。ただ、流行は廃れる。死語を使い続けると萎えられる。同世代の内輪で懐かしがる対象にでもなれば御の字。それはそれで内輪受け、楽屋落ち。汎用性がないとも期待できないとも言わないが、低い、少ない。

アニメにしてもマンガにしても、自分自身が夢中で見たものと、自分の子どもたちと一緒に見たものは分かるが、時代や世代がちょっとでもずれると分からない。宇宙戦艦やマジンガーやサイボーグは分かるし、ワンピースやおジャ魔女は分かるが、ドラゴンボールもスラムダンクもジョジョも私は分からない。

セブンからタロウまでと、ティガと(ひとつ飛んで)ガイアは分かるが、あとは分からない。ツェッペリンやピストルズは分かるが、ビートルズやディープ・パープルは分からない。私が思うのは、流行もので宗教を表現することが悪いわけがないが、世代差が少しでもあると伝わらない気がするということだ。

2016年10月27日木曜日

史的絶叫の問題

「見捨てられた」と絶叫した点ばかり強調されると詩22との関係の逆質問でパランスをとりたくなる。世的生殺与奪権者を批判したうえであわよくば自分も生き残ろうとして叶わなかったというある意味「分かりやすい」シナリオでいいかどうか。違うのではないかと言いたくなる。自分に引き寄せ過ぎでは。

少なくともマルコが詩22を知らなかったとは考えにくいので、「史的絶叫」の内容が何かはともかく、マルコが詩22を読者に想起させようとしているとは言えるのでは。その筋の方々の口ぶりを真似ていえば「マルコが詩22を言わせた」。「神なき絶望」でなかったと言いたいからではないか。違うのか。

サンヘドリンを極悪非道な「異常会議」として描くか、そうでなければ、死刑へと追いつめられた側の人の「異常性」を強調して描くか、そのどちらかしかないとは思えない。どう考えればよいかでずっと迷い、今も迷ったままだが、どちらも「普通の人」である中(仲)で起こる狂気が最も恐ろしいとは思う。

「扇動」された「群衆」とは何人くらいだったのだろう。「群衆」といえば何人くらいを指すというような定義があるのか。何か決まった数え方があるのか。俯瞰して数えられたのか、それとも声量の印象か。そもそもだれが数えたのか。実際は数人だったという可能性はないのか。いろいろ疑問がわいてくる。

いずれにせよ思い当たるのは、三位一体をたたえる讃美歌をうたい、祈祷することを必然化するキリスト教的礼拝と、受肉・奇跡・復活等を「狂信」や「心理現象」等の産物へと還元する教説を共存させる困難さは熾烈をきわめるということである。一方で礼拝しながら同時に他方で好き勝手なことは言えない。

史的絶叫を想像(想起は不可能)しつつ、外面的には黙しつつ、内面的に私的絶叫。おどけたことでも言っていないと持ち堪えられないところがないこともない。祭壇上で粉々にされる贖いの小羊の気持ちを合わせて想像(想起は不可能)。「分かりやすい」教説で生きてやると心に誓えればある意味すっきり。

2016年10月23日日曜日

「若者の教会」を生み出すのは終末論的行為である

その意味では(どの意味かの説明省略)「献」金というのは、前世紀神学の流行語を用いて言えば「終末論的な」(エスカトロジカル)行為であると言える。どれほど回っても献げた本人の利益として戻ってくることはないが、世界と教会の「将来」のために献げる。親が子どもたちに投じる教育費に似ている。

違うだろうか。親が子どもに投じる教育費は、将来的に親自身の利益として戻ってくることを期待して投じるものだろうか。微妙な問題はある。子どもの活躍や出世は親の名誉になる面がある。教育費その他でひどい負担を負わせた親への恩返しをしなければ、一生面倒を見なければ、と覚悟する子どももいる。

子どもの活躍や出世が親の名誉になることや、お世話になった親への感謝の思いは尊いものなので、けなされるべきではないし、第三者がえらそうに禁じるようなことではない。ただ、私自身も二児の親である者として自戒してきたのは、子どもの教育費は子どもに対する親の貸しではありえないということだ。

教会の「献」金はどうだろう。「献」げた人自身にとって居心地のよい建物や土地、自分が満足しうる説教や講演や音楽を確保するためなら「献」げるが、そうでないならそうでないという人はたぶんいない。このようなことを問うこと自体ですでに「ばかにしているのか」と反発され、不快に思われるだろう。

しかし、私がいま書いていることの趣旨は、自分自身はまだ見たことがないし、一生見ることができないかもしれないし、たぶん見ることができないであろう「将来」のために自分の資財を投じるという意味での(終末論的な)「献」金がささげられないかぎり、「教会」の「将来」はありえないということだ。

厳しすぎる言い方かもしれないが、今や「少子高齢化時代の教会」であることを自覚しておられるはずの高齢教会員がなんだかいつまでも子どもじみた刹那的な態度や発言をなさるのに接するたびに、「(教会全体の平均年齢との比較において)いつまで経っても若い牧師」は、絶望に近い危機感を覚えるのだ。

しかし、このくらいで止めておく。書きはじめるときりがない。だれか特定の個人の悪口を言っているつもりはないが、そうであるかのような気分になってくる。私の祈りは大それたことではない。ごく小さな望みにすぎない。教会の歴史を途絶えさせないようにしよう。二千年続いてきたからとかは関係ない。

新松戸幸谷教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年10月23日日曜日)も先週と同じく日本基督教団新松戸幸谷教会(千葉県松戸市)の主日礼拝に出席しました。借家から車で13分(3.6キロ)。吉田好里牧師は東京神学大学の大先輩ですが、初めて説教を拝聴しました。本当に素晴らしく、これまで出会った最高の説教だと思いました。

2016年10月22日土曜日

追い払われそうになった子どもたちはいつまでも憶えている

いま考えたことだが、イエスのもとに子どもたちを連れて来た人々を叱った弟子たちにイエスが憤ったという記事(マルコ10章13節以下)の子どもたちは、マルコ福音書が書かれた頃(1世紀後半)は高齢者だ。子どもはいつまでも子どものままではない。あのとき追い払われていたらどうなっただろうか。

何の根拠もないので検証できないが、もしイエス死後の教会に、弟子たちに追い払われそうになったがそれをイエスが制し、イエスに抱き上げられ祝福された当時の「子どもたち」が残っていたとしたらどうだろう。その人々の心に「弟子たちに追い払われそうになった」記憶が残っていたとしたらどうだろう。

そういうことをされた幼いころの記憶というのは、いつまでも残っているものだ。「追い払う側」の大人たちは記憶していなくても、「追い払われそうになった側」の子どもたちは、それを忘れはしない。そして、自分たちをかばってくれた大人のこともよく憶えている。抱き上げてくれた手のぬくもりまでも。

いま書いたことは、まだつい先ほど思いついたばかりなので、もう少し練ったり温めたりする必要がありそうだ。そのうち説教の題材として取り上げてみたい気がする。説教のタイトルは何にしよう。「追い払われそうになった子どもたちはそのことをいつまでも憶えている」にしようか。ちょっと長すぎるか。

「若い人を教会に」という祈りを実現するための提案

「若い人を教会に」という祈りを実現するためのひとつの方策として、20代以下の信徒のみで構成された伝道所を生み出し、その中で教会役員を選び、その伝道所の牧師は彼/彼女らの親の世代か、あるいは親の親の世代の人にし、土地・建物・伝道資金は親教会がすべて負担するというあり方はどうだろう。

日本プロテスタント教会史の最初期の「横浜バンド」「札幌バンド」「熊本バンド」の各教会の状況は上記のようなものだったはずだ。このようなことを書く私には、長老がたに忍耐を強い続けてきた「少子高齢化時代の教会」における「いつまで経っても若い牧師」を代表してお詫びしたいという思いがある。

会社の株主になることと教会の献金をすることは似ている面があるかもしれないが、もちろん全く違う。「前者は人に、後者は神に」とか言いたいのではない。献金の「献」をどこまで字義通りとらえるかだ。回り回って自分の利益(名誉など)として返ってくるのを腹の底で求めているようで何が「献」金か。

20代で教会の牧師になったばかりの頃、当時60代だったか70代だったかの教会の人(どこの教会かの詮索無用)が、自分より若い人を「ねぎらう」言葉として「私の手足となってよく働いてくださった」と言うのを聞いて、げっそりしたことがある。そういう感覚が入り込むと、教会は早晩壊れるだろう。

私が何度も繰り返し「教会は会社でも学校でもない」と説教で語ってきたのは、理論の帰結ではなく、こういう過去の実際の体験と記憶にすべて結びついている。会社や学校をおとしめる意図で言うのではないが、教会の建物と組織を利用して会社ごっこや学校ごっこをするのはやめてもらいたい。全く別物だ。

このように言うと、会社や学校のあり方のほうを常識だととらえている人々から、教会は非常識だと反発されてきた。会社や学校のあり方のままで教会に来、教会に違和感を覚え、反発を感じたら、教会のほうに近寄ってもらえなくなった。残念だが、そこは譲れない。教会は教会なのだ。他の何ものでもない。

「会社や学校のあり方」と「教会のあり方」とを峻別することは、会社や学校に不利益をもたらさず、かえって利益になると思う。会社も学校も教会ではない、すなわち宗教団体ではない。各組織においてどれほど厳しい上下関係があろうと、その関係は崇拝・信仰の関係ではないし、そうであってはならない。

そして、いま書いた点は教会も同じだし、教会こそが声を大にして言ってきたことだ。教会の中に会社や学校などの組織の中にあるような意味での上下関係はないし、あってはならないし、たとえ形式的に類似する要素があるとしても、その関係は崇拝・信仰の関係ではないし、断じてそうであってはならない。

「献金」の話に戻す。「献」げたのであれば、自分のものではない。引っ張ればいつでも戻ってくるひもをつけて何が「献」金か。見栄張りや恩着せの身ぶりつきで何が「献」金か。回り回っても自分の利益として戻ってはこないが、世界と教会の将来のためにささげるという動機を取り戻すことはできないか。

教会と会社や学校との峻別、そして今書いた意味の「献」金がないかぎり、先に書いた「20代以下の信徒のみで構成され、土地・建物・伝道資金は親教会が負担する伝道所」を生み出すことは夢のまた夢だ。「若い人を教会に」という祈りは正しい。しかし「若い人」は高齢教会員の部下でも舎弟でもない。

高齢教会員を疎んじる意図は皆無である。むしろ正反対である。心から敬意を表し、尊重する思いゆえに書いている。思う存分、同世代の人々との会話を楽しんでいただきたいし、何の気兼ねもなく昔の言語感覚や価値観の中で生きていただきたい。こんなこと言われなくてもすでにしておられるに違いないが。

ただ、ご自分たちのあり方を変えるつもりはないという点については一切お譲りにならないのに「若い人を教会に」とお祈りになることがいかに矛盾しているかということにはぜひお気づきいただきたいと願っている。ご自分たちが敷いたレールの上を「若い人」が走らないのは「若い人」が悪いわけではない。

かつては「外国」(とくにアメリカ)の教会が、1ドル360円の力で日本国内に伝道所を作り、土地・建物・伝道資金をプレゼントしてくれたので「若者の教会」ができた。稼ぎが乏しく、思うように献金できなくても、教会役員として選んでもらえ、若者らしい発想をもって教会運営に積極的に参加できた。

これからは「外国の資金力」ではなく「高齢者の資金力」で「若者の教会」を生み出すしかないだろう。「我々の二軍候補者が教会に来てくれないか」と指をくわえていても、そんなことを願われている時点で、若者は教会に近づかない。手下にされるのを嫌がる。現今の「伝道不振」の最大の原因ではないか。

2016年10月16日日曜日

松戸つながりの個人的な話

今日初めて礼拝に出席させていただいた新松戸幸谷教会の源流は日本基督教団松戸教会の新松戸集会だったと教えていただきました。私の父は群馬県前橋市の出身者ですが、千葉大学園芸学部(松戸市)の学生だった頃、松戸教会で洗礼を受けました。その意味では私の信仰の源流も松戸教会であると言えます。

父から聞いた話では、父が松戸教会で洗礼を受けたのは、賀川豊彦先生を招いての伝道集会が松戸市内で行われたときに誘いを受けて参加したことがきっかけだったそうです。千葉大学園芸学部の学生寮から最も近い教会として松戸教会を紹介されたので、出席するようになり、まもなく洗礼を受けたそうです。

父は大学卒業後、岡山県立農業高校の園芸科教員として定年まで働き、現在も岡山市で夫婦で暮らしています。父は1933年11月生まれの82歳ですが、電話(最近はビデオ通話)で話すかぎりしっかり受け応えしてくれます。私が幼いころ、道端に生えている草の名前をひとつひとつ教えてくれた父です。


新松戸幸谷教会の主日礼拝に出席しました

日本基督教団新松戸幸谷教会

今日(2016年10月16日日曜日)は日本基督教団新松戸幸谷教会(千葉県松戸市新松戸2-169)の主日礼拝に初めて出席させていただきました。交換講壇で大島波浮教会の竹井眞人牧師のご説教、さらに礼拝後、竹井先生の「伊豆諸島伝道の歴史と現状」というご講演を伺い、大いに励まされました。

2016年10月15日土曜日

挨拶

今年3月22日から24日まで信濃町教会で行われた日本基督教団春季教師検定試験で教師転入試験を受け、翌4月より教団関係学校である千葉英和高等学校の宗教科(聖書科)常勤講師になり、教団教務教師に登録しました。現在50歳です。東京神学大学大学院を修了して四国教区総会で補教師准允を受領したのは26年前の1990年4月です。当時は24歳でした。その後1992年12月に同じく四国教区総会で正教師按手を受けましたが、1998年7月より昨年2015年12月までの17年6ヶ月間は日本キリスト改革派教会の教師でした。教団の外にいたあいだ一度も休職や無任所の期間がなかったので教団教規に従って転入者として扱っていただきましたが、実質は復帰者であると自覚しています。転入試験の中での教師検定委員との面接でも復帰者扱いの質問を受けました。なぜ教団を離れたのか、なぜ戻ってくるのかをはっきり問われましたが、その問いに十分に納得していただけるような明瞭な答えができたかどうかの自信はありません。それでも教師転入を認めてくださった日本基督教団の皆さまに心から感謝いたします。主の前に恥じるべきことは一切ありません。すべてを主がご存じです。そのことをご信頼いただきたく願っています。千葉英和高等学校での働きはまだ始まったばかりです。学校教員としての経験が皆無の状態で飛び込んだ、私にとって全く新しい世界ですので、うろたえることが多い日々です。あと10歳若ければ、などと無駄な思いにとらわれることもしばしばあります。キリスト教学校と教務教師の働きは、教会の皆さまの熱いお祈りとご声援なしには成り立ちません。この小さなしもべのためにお祈りいただけますと幸いです。


(日本基督教団東京教区千葉支区だより『しののめ』第36号、2016年10月15日発行)

2016年10月10日月曜日

教義学と説教における論理の役割

本日の首都圏上空(正午)
教義学もまた十全な意味で批判的な学問であると語りうる根拠はある。教義学はキリスト教会の歴史的教義の起源から確立までの全生成過程を批判的に追思考する。手抜き工事や耐震偽装の部位を見破るためにいったんすべてを解体し、部品レベルの再チェックをしたうえで新たに組み立て直す作業を敢行する。

具体的な内容は忘れたがたしか宗教法人関係の手続きに関することだったと思うが、だいぶ前にお世話になった司法書士の方が頼もしかった。提出すべき書類を法務局で受理してもらえるようにするにはどういう論理の組み立てが必要かをきちんと説明してくれた。教義学がこれに似ている。大切なのは論理だ。

説教においても大切なのは本当は論理なのだが、説教における論理はある程度壊れているほうが説教らしい。ツッコミどころがあるほうが興味がわくし、対話が始まる。しかし「自分の説教の論理は壊れている」という説教者の自覚が必要だ。その自覚のためには、論理というものが意識されている必要がある。

「何を言っているのか分からない説教」は、論理が壊れていること自体に原因があるのではない。論理が壊れているということを説教者が自覚していないか、自覚していてもそれ以外の論理を知らないのでメタな視点を併せ持ちつつ軌道修正しながら語ることができないか、そのどちらかではないかと私は思う。

分からないことは「分からない」、知らないことは「知らない」と認め、「このへん私はまだ十分に突き詰めて考えることができていないのできちんと説明できない状態です。分かりにくい話になって申し訳ありませんが現時点でお話しできるところまででお許しください」と断る説教は「よく分かる説教」だ。

教義学のことを書こうとしても、いつの間にやら説教について書いている。こういう私のような書き方が「論理が壊れている」というわけだ。話を分かりやすくしようと自分なりに噛み砕いているうちに横道にそれている。元の線にはもはや戻れない。そういう性分の人間なのだと、あきらめるしかなさそうだ。

2016年10月9日日曜日

キリスト者の自由(千葉若葉教会)

ガラテヤの信徒への手紙5章2~6節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を負う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、霊により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」

今日の箇所にパウロが書いていることを一言でまとめていえば、イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々は、律法に定められた割礼を受ける必要はないし、受けるべきではないということです。律法のもとへと逆戻りすることはキリストの恵みを否定するのと同じです。恵みは贈り物ですので、お断りするのはもったいない。そのようなことはやめなさいということです。

パウロがこのように書いていることにはもちろん理由があります。当時の教会の中で指導的な立場にあった人々が、イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々に「人が救われるためには信仰だけでは足りません。割礼を受けなければ救われません」と呼びかけるようになったからです。

なかでも、当時の教会の最高指導者であった使徒ペトロがその呼びかけをする側に加わり、事態が深刻化しました。平たくいえばペトロが先輩で、パウロは後輩です。当時の教会の人々にとっては、両者の意見が矛盾し、対立している場合に、どちらが正しいかを選びなさいと言われれば、パウロの意見よりもペトロの意見のほうを尊重し、選ぼうとしたはずです。

しかもパウロは、もともと熱心なキリスト教迫害者であったという黒歴史(ブラックヒストリー)を持つ人でもありました。そのことは当時の教会の中でよく知られていた事実です。この人は本当に信頼できる人なのかどうかを疑う人は少なからずいました。パウロについての人物評価は当時の教会の中で二分し続けていました。

そのことはパウロ自身も十分自覚していました。それでパウロは、イエス・キリストの福音の根幹を揺るがすとんでもないことを言い出した人々の中で中心的な人物になってきたペトロと直接会って説得しなければならないと考えました。そして、実際にパウロとペトロの直接対決の場面があったことを、パウロはこの手紙の2章11~14節に記しています。

「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のほうに生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか』」。

この中に出てくる「ケファ」が使徒ペトロです。「ケファ」も「ペトロ」も「岩」という意味です。「面と向かって反対した」は「面罵した」という意味です。先輩ペトロを後輩パウロが面と向かって怒鳴りつけた格好です。理由は何であれそのこと自体がとんでもないという評価もありうるでしょう。後輩のくせに生意気だと。

パウロから抗議を受けたペトロがその後どうなったかは分かりません。ペトロの考えが変わったかどうかは、聖書のどこを探しても調べがつきません。変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれません。

そして、そのパウロとペトロの直接対決の場面があった前なのか後なのかは分からないのですが、内容的に明らかに直接関係ある出来事が使徒言行録15章に記されています。そこに描かれているのはキリスト教会史上初めて行われた教会会議である「エルサレム会議」です。

その会議の議題は、割礼の問題でした。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒言行録15章1節)とキリスト者たちに向かって教える人々が登場したので、その問題に決着をつける必要が生じたために開かれたのが、エルサレム会議でした。

私が個人的に興味深く思うのは、エルサレム会議の様子を描く使徒言行録15章の中にペトロの名前が出てこないことです。ペトロがいなかったはずはないのです。むしろ中心人物であったはずです。しかし、そのペトロの名前が出てこないのは、隠されているとしか言いようがないです。使徒言行録の著者がペトロの名前をなぜ隠しているのか、その理由は分かりません。

ただ一つ言えることは「割礼を受けなければ救われない」というイエス・キリストの福音に反する教えを広めようとしたのは、使徒ペトロ個人ではないとしても、ペトロを中心に置くほどの最古層の人々であったことは間違いないということです。

その人々は、教会について語るときには使いたくない表現ではありますが、教会の中で「権力」をもつ人々です。その人々に逆らえば教会の中にとどまることができなくなるような存在。そういう人々と闘うことをパウロは余儀なくされたわけです。つまり、パウロの論敵は教会の外だけでなく、教会の中にもいました。しかも教会のど真ん中にいたのです。

それに、教会の教えに関してどちらか正しいかを争うのは本当に大変なことです。まさに神学論争です。「神学論争」という言葉を「答えが出ない堂々巡りの屁理屈」という意味で使う人々がいます。今私が申し上げたことも、その意味を含んでいます。

しかし、パウロはどうしても引くことができませんでした。なぜなら、この論争に負けるならば、パウロがその後半生において死力を注ぐことになった「異邦人伝道」にとって著しい障害になることが目に見えていたからです。

「人が救われるためには信仰だけでは足りません。割礼を受けなければ救われません」という教えを異邦人に向かって語るや否や、異邦人の教会に集まる人々は、たちまちのうちに蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまうでしょう。なぜなら、割礼は自分の体に傷をつけることだからです。割礼を受けるという高いハードルを超えてまで救いを求めようとする異邦人はほとんどいないでしょう。

そのことがパウロの目にはっきり見えていたのです。パウロは、異邦人にとってのハードルや障害をできるかぎり取り除いてあげたいと願っていたのです。だからパウロはこの論争からおりることができなかったのです。

そのパウロの気持ちを最もよく表わしているのは、使徒ペトロを面罵したときに言った言葉です。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。これです。

私が今日みなさんにお話ししたいと願ってきたことも同じです。説教題に「キリスト者の自由」と書かせていただきました。私が最近しばしば考え込んでいるのは「キリスト者とは何か」という問いです。パウロが証言しているのは、使徒ペトロが「異邦人のように生活していた」ということです。イエス・キリストの一番弟子であり、教会の最高指導者になった、あの使徒ペトロが、です。

「異邦人のように生活する」とは、第一義的には旧約聖書の律法から全く自由にされた生活を営むことです。それはユダヤ人たちが最も軽蔑し、差別していた生き方です。そのような生き方を当時の教会の最高指導者たる使徒ペトロがしていたということは、まさに「異邦人のような生活」のあり方が「キリスト者の生活」のあり方になったことを意味しています。ということは「キリスト者の自由」とは「異邦人のように生きる自由」であると言ってはいけないでしょうか。

そして、もしそのように言ってよいなら、パウロの言葉は、次のようにも言い換えることができるはずです。「あなたはキリスト者でありながら、キリスト者らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にキリスト者のように生活することを強要するのですか」。

いま申し上げた言い換えには、強烈な皮肉と、激しい批判の思いを込めています。しかし私は50歳で50年教会に通ってきた人間です。まるで他人事であるかのように教会を批判する思いはなく、強い自戒を込めて申し上げているつもりです。

先ほど申し上げたとおり、私が最近しばしば考えさせられているのは、「キリスト者とは何か」という問いです。「キリスト者らしい生き方」とは何を意味するのでしょうか。「キリスト者として」とか「キリスト者らしく」とかそのような言い方をよく耳にしますが、それは何のことでしょうか。

パウロが見たペトロの姿は「異邦人のような生活をしている人」でした。それは「信仰を持たない人々と変わらぬ生活をしている人」と言っているのと同じです。それが当時の教会の最高指導者の姿でした。それ以上のことが「キリスト者」に求められるのでしょうか。

それとも「キリスト者」には、「異邦人のような生活」とは異なる、プラスアルファの要素があると考えるべきでしょうか。具体的に何をすることが「キリスト者らしい生活」なのでしょうか。これをすればあれをすれば「キリスト者らしい」ということを言えば言うほど、新たな律法、もっと過酷な負担を負わせるだけの結果になっていないでしょうか。

新約聖書の複数の福音書の中で紹介されている、主イエスが語られた「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10章15節)という言葉の「子どものように」が具体的に何を意味するかは不明であるとされています。「子どものように」は「静寂な集会の邪魔をする騒がしい存在」という意味でしょうか。そうかもしれません。しかし「罪がない存在」という意味ではないと思われます。聖書の価値観に従えば、子どももまた「罪ある存在」です。

私が思いつく答えは「子どものように」の「子ども」の意味は「喜び楽しみ遊ぶ存在」です。キリスト者の信仰生活や教会活動が悪い意味の「仕事」になっていないかどうかをよく考える必要があります。義務だから責任だからノルマだからと追い回される状態になっていないかどうかを。「キリスト者」はもっと自由に遊んでよいのです。義務だの責任だのという意味で教会が存在するのではないのです。

(2016年10月9日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会主日礼拝)

2016年10月8日土曜日

昔「映画館で」観た映画リスト

お台場
うちの子どもたちと昔一緒に観た劇場版「デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム」(2000年)を久しぶりに観たら八神太一くんたちが使っているデスクトップがウィンドウズ98機なのが懐かしくて笑えました。泉光子郎くんはマックっぽいパイナップルマークのラップトップを持っていました。

「1983年の映画」で検索したらその年(私は高3)はたくさん映画を観たことが分かりました。「探偵物語」「時をかける少女」「フラッシュダンス」「楢山節考」「スターウォーズエピソード6」「戦場のメリークリスマス」「宇宙戦艦ヤマト完結編」「スーパーマンⅢ」は間違いなく映画館で観ました。

ならばついでにと調子に乗って「1982年の映画」でも検索したらその年(私は高2)の映画はほとんど観ていないことが分かりました。映画館で観たのは「ロッキー3」「愛と青春の旅だち」「蒲田行進曲」「わが青春のアルカディア」です。すっかり忘れていましたが、ネットが思い出させてくれました。

えい乗りかかった船だと「1981年の映画」でも検索したらその年(私は高1)に映画館で観た映画も分かりました。「ブルース・ブラザース」「おじゃまんが山田くん」「宇宙戦艦ヤマト新たなる旅立ち」「さよなら銀河鉄道999」「レイダース/失われたアーク《聖櫃》」「セーラー服と機関銃」です。

大学在学中に映画館で観た映画がほとんどないことも分かりました。1984年(大1)ゼロ、1985年(大2)「ネバーエンディング・ストーリー」「バック・トゥ・ザ・フューチャー」、1986年(大3)ゼロ、1987年(大4)「プラトーン」「アンタッチャブル」です。4年間でわずか4本です。

大学院在学中に映画館で観た映画も少ないながら、かろうじて2本あることが分かりました。1988年(院1)はゼロでしたが、1989年(院2)の「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2」と「レインマン」を映画館でたしかに観ました。前者はひとりで、後者はふたりで観た記憶が残っています。

1990年に大学院を卒えて仕事を始めてからは、映画館に足を運ぶことがほとんどなくなりました。それでも1990年の「バック・トゥ・ザ・フューチャーPART3」と1990年の「レナードの朝」は映画館で観ました。結婚してからは、映画といえばほとんど地上波やビデオで観るようになりました。

子どもが生まれてからは映画館といえば家族みんなで行く場所になったこともあり、それ以降に映画館で観た映画の記憶があまり残っていません。憶えているのは「ハリー・ポッター」シリーズの全作品(2001年~2011年)を観たことくらい。あとはジブリの「ハウルの動く城」(2004年)くらい。

さすがネット。小中学生の頃ひとりで映画館で観た映画が分かりました。1977年(小6)「ロッキー」が最初。そして同年「宇宙戦艦ヤマト」。1978年(中1)は「スター・ウォーズ」「サタデー・ナイト・フィーバー」「さらば宇宙戦艦ヤマト」「スパイダーマン」「ピンクパンサー4」を観ました。

1979年(中2)は「スーパーマン」「銀河鉄道999」「ロッキー2」「がんばれタブチくん」「ファンタズム」。「ファンタズム」は恐怖映画で、他との同時上映で観てしまいましたが、嫌だった記憶しか残っていません。1980年(中3)は「復活の日」「奇跡の人」「ヤマトよ永遠に」を観ました。

2016年10月2日日曜日

高井戸教会の主日礼拝に出席しました

今日(2016年10月2日日曜日)は日本基督教団高井戸教会(東京都杉並区)の主日礼拝に出席しました。七條真明牧師の説教にとても励まされました。七條先生が「私の前任地(日本基督教団八幡鉄町教会)の前任者です」と私を教会の皆さんに紹介してくださり恐縮しました。ありがとうございました!
日本基督教団高井戸教会(東京都杉並区)

誰からも支配されたくないので誰をも支配しない

内容とは関係ありません
「妥協」を私はたいてい肯定的な意味で使うので「妥協」ではないのですが、「迎合」はしないつもりで生きてきましたので、その私と同じ線の考えや立場がどのような仕方にせよ大きく取り上げられるときが来たら、それはこの国の「革命」の日だと考えてきましたので、無視や軽視は、ある意味で気楽です。

詳細を明かすことはよしますが、さほど遠くない何代か前の人々が、豊臣さんと徳川さんから「邪宗門」と指定された岡山の日蓮宗不受不施派でして、そこからキリスト教への改宗は「邪宗門」から「邪宗門」への乗り換えの面があったと日本史的に考えられなくもありません。反権力の線の継承ではあります。

しかし、その線は「反権力主義」というようなものではありません。権力に「迎合」することがほとんど全くないので、おそらくは「扱いにくい」と思われて、猛烈に排撃されてしまうだけです。平たく言えば「かわいくない」のでしょう(平たすぎますかね)。そして、事は政治ではなく、あくまで宗教です。

私個人は政治に関心がないわけでなく、大いに関心があるほうですが、政治プロパーで考えることはめったにないし、その能力や土台がないです。常に宗教の立場から政治を見つめ、緊急の場合に限って動いているにすぎません。政治プロパーの人々からは物足りなく感じられるでしょうけど、やむをえません。

ただ、権力にからめとられ、おしつぶされそうかどうかの触覚は比較的敏感なほうだと自覚しています。「(神以外の)」と断りつつではありますが、何ものかに支配されることに耐えられない。「誰からも支配されたくないので誰をも支配しない」。どなたがおっしゃったか、これが私の第二の座右の銘です。

教会に通って何かメリットあるんですか

内容とは関係ありません
どんなにアンチ宗教の思想家でも、ピンポイントでアンチキリスト教であったりアンチ教会の人でも、本を書いたり、人を集めて教えたり、その思想の日常化を促したりの様子を見ていると、ほぼ宗教だし、ほぼ教会だよねと思うわけで。宗教というだけで敬遠されるのはどうなのと言いたくなるときあります。

以前も同じことを書いた気がしますが、何度も書けば、私がオランダの大学で200人の神学者の前で英文スピーチをしたとき、直前までフロアにいたときの心臓の高鳴りが演台上でピタリと止まったのは「ここにいるのはクリスチャンだ」と思えた瞬間からでした。つまり「ここは教会だ」と思えたわけです。

宗教でも教会でもないところで本を書いたり人を集めたりその思想の日常化を促したりすることを学んだり慣れたりしてきた人が、そのノウハウを宗教と教会に持ち込むこともありうるし、少なからざるケースでもありますが、逆コースもあると思う。宗教と教会で学び慣れたことが、外で十分通用するケース。

ただし、教会そのものは、揶揄する意図で書くのではありませんが、しゃべり方教室そのものではないし、人集め技術を教える教室そのものでもないです。ついでにいえば、そもそも学校そのものではない。教会そのものは、なんら神学教室でも哲学教室でもないです。その区別がなければ教会の「外」もない。

教会の「内」と「外」の線を強調するのは、排他的な意味では全くないです。それは正反対です。「我々は宗教ではないし、教会でもない。一緒くたにしないでほしい」と叱られそうなので、教会側が慎み深くあるべきと思い、遠慮しているつもりです。それが理由。そこはぜひご理解いただきたいところです。

ただ、「教会って何してるんですか」とか「通って何かメリットあるんですか」とか、たまに訊かれることがあるので、どう応えるかを準備しておかなくちゃならない。私はほとんど必ず「何してるんでしょうかね」とか「メリットなさそうですね」とか返すことにしているのですが。否定できないことですし。

しかし、こういう言い方なら場合によってはできるかもしれません。「何をしているか分からないようなことや、そのこと自体にメリットは全くないことを長年続けている中で与えられるものにこそ、どこでも通用する意味と価値があるかもしれませんね」と。意味不明ですかね。まあ、そうかもしれません。

2016年10月1日土曜日

週末のいくぶんか手に負えない感じ

フェイスブックの「1年前の投稿を振り返ってみよう」企画
そうか、彼が私を心配して来てくれたのが1年前か。いろいろ思い出す。フェイスブックの「1年前の投稿を振り返ってみよう」企画は、余計なお世話ではあるが、なんでもかんでも忘れていくアタマカラッポ人間としては助かっています。喜びや楽しみだけでなく、怒りやうらみのほうも思い出させてくれて。

いま30分ほど書斎の座椅子にすわった状態で居眠りした。いつもの自動車のエンジンを止めておりたら見知らぬ白シャツの男性3人が勝手に車に乗り込んできた。うちの子2人と新宿まで電車で来たあと私が自転車に乗り、子どもたちと別行動。今まで観たことがない内容の2本立ての夢を観た。なんだこれ。

「ケータイがない。かばんの中にも、スーツの胸ポケットにも、机の上にも、書斎の中にも、家のどこにもない。あるのはたぶん車の中だろう」と気づいたのが5時間ほど前で、いまだに探しに行っていない。めんどくさい。だめぐちだめし。動けよ。...反応なし。指先の数ミリしか動かん。カシャカシャ。

サクラメンタリズムに行かず、シニシズムに行かず、スープララプサリアニズムに行かず、センチメンタリズムに行かない、ソんなキリスト教とその神学を志向中。というか、長年にわたり本気(最近は「マジ」と読むらしい)で祈り求めてきた。どれも層が厚く、不動の支持があり、どうにもならないのだが。

むむ、まずい。重すぎる腰をやっとあげて、借家から少し離れた月極駐車場に置いてある車までケータイの所在を確認に行ったが、ない。ケータイに電話をかけても、メールを送っても、家の中で鳴らない、ユーヴガットメール(着信音)が聞こえない。職場に忘れたか。往復50キロ。確認しに行くか。迷う。

映画もテレビも観ることができていないので、流れについて行けていないのが恥ずかしくて心苦しいかぎり。引っかけたジョークをうまく拾ってあげることもできず。「君の縄」とかボケられても反応まで数時間かかる感じというか。歳を感じますね。私より歳上の方はもっと感じるほうがいいのでは(僭越)。

ファン・アッセルト先生の『改革派正統主義の神学』日本語版(教文館)のご出版おめでとうございます

まだ買えても読めてもいなくて申し訳ないのですが、青木義紀先生訳のファン・アッセルト先生の『改革派正統主義の神学』のご出版おめでとうございます。ファン・アッセルト先生とは2008年12月10日アムステルダムで青木先生と石原知弘先生と共にお会いしました。一昨年68歳で逝去の一報は衝撃でした。

訳書出版お祝いとして、以前も公開しましたが、2008年12月の国際ファン・ルーラー学会(アムステルダム自由大学)の画像をご紹介します。私がスピーチをしている最中の画像ですが、最も手前に写っているシルバーの髪の方がファン・アッセルト先生です。すみません、お顔は写っていないのですが。

青木先生がご訳書の「あとがき」あたりに書いておられるかもしれませんが(心苦しいことに未購入につき未確認)、ファン・アッセルト先生のご専門は17世紀の「契約神学」で知られるヨハネス・コクツェーユスの研究でした。日本語で読めるようにしてくださった青木義紀先生に、心より感謝いたします。

ファン・アッセルト先生は、ファン・ルーラーがユトレヒト大学神学部で教えた学生のひとりです。2007年からオランダで刊行が始まった(まだ完結していない)新しい『ファン・ルーラー著作集』(Verzameld Werk)の出版委員の中心的なメンバーでもありました。惜しい方を失いました。

2008年12月の国際ファン・ルーラー学会でも、ファン・アッセルト先生が、ファン・ルーラーとの関連で「改革派正統主義の神学」について講演をしてくださいました。その講演は、後日出版された国際ファン・ルーラー学会講演集に収録されています。それも日本語に訳されますようにと願っています。
国際ファン・ルーラー学会(2008年12月10日、アムステルダム自由大学)