2016年10月28日金曜日

流行りものと宗教の関係(Ⅰ)

相当賛同し、応援しているつもりなので、残る問題は、子どもはいつまでも子どものままでなく、若者はいつまでも若者のままではないということくらいか。あとは、入り口の敷居が低いと感じて入った人は、中でも出口でもずっと同じ低さであることを求めることが少なくないが、それでいいかという問いか。

前世紀65年生まれの私の子どもの頃の記憶はアニソンで満ち満ちている。まもなく51歳の今でも時々鼻歌状態。大人になれば演歌が好きになるのだろうかと思っていたが全くそうならない。このままだと80になろうが90になろうがアニソン鼻歌のままの可能性が高い。アニソンおじいさんになりそうだ。

今考えているのは宗教の問題だ。流行語や流行音楽ジャンルで宗教を表現することが悪いわけがない。ただ、流行は廃れる。死語を使い続けると萎えられる。同世代の内輪で懐かしがる対象にでもなれば御の字。それはそれで内輪受け、楽屋落ち。汎用性がないとも期待できないとも言わないが、低い、少ない。

アニメにしてもマンガにしても、自分自身が夢中で見たものと、自分の子どもたちと一緒に見たものは分かるが、時代や世代がちょっとでもずれると分からない。宇宙戦艦やマジンガーやサイボーグは分かるし、ワンピースやおジャ魔女は分かるが、ドラゴンボールもスラムダンクもジョジョも私は分からない。

セブンからタロウまでと、ティガと(ひとつ飛んで)ガイアは分かるが、あとは分からない。ツェッペリンやピストルズは分かるが、ビートルズやディープ・パープルは分からない。私が思うのは、流行もので宗教を表現することが悪いわけがないが、世代差が少しでもあると伝わらない気がするということだ。