2016年10月9日日曜日

キリスト者の自由(千葉若葉教会)

ガラテヤの信徒への手紙5章2~6節

関口 康(日本基督教団教務教師)

「ここで、わたしパウロはあなたがたに断言します。もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何の役にも立たない方になります。割礼を受ける人すべてに、もう一度はっきり言います。そういう人は律法全体を負う義務があるのです。律法によって義とされようとするなら、あなたがたはだれであろうと、キリストとは縁もゆかりもない者とされ、いただいた恵みも失います。わたしたちは、義とされた者の希望が実現することを、霊により、信仰に基づいて切に待ち望んでいるのです。キリスト・イエスに結ばれていれば、割礼の有無は問題ではなく、愛の実践を伴う信仰こそ大切です。」

今日の箇所にパウロが書いていることを一言でまとめていえば、イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々は、律法に定められた割礼を受ける必要はないし、受けるべきではないということです。律法のもとへと逆戻りすることはキリストの恵みを否定するのと同じです。恵みは贈り物ですので、お断りするのはもったいない。そのようなことはやめなさいということです。

パウロがこのように書いていることにはもちろん理由があります。当時の教会の中で指導的な立場にあった人々が、イエス・キリストを信じる信仰をもって生きている人々に「人が救われるためには信仰だけでは足りません。割礼を受けなければ救われません」と呼びかけるようになったからです。

なかでも、当時の教会の最高指導者であった使徒ペトロがその呼びかけをする側に加わり、事態が深刻化しました。平たくいえばペトロが先輩で、パウロは後輩です。当時の教会の人々にとっては、両者の意見が矛盾し、対立している場合に、どちらが正しいかを選びなさいと言われれば、パウロの意見よりもペトロの意見のほうを尊重し、選ぼうとしたはずです。

しかもパウロは、もともと熱心なキリスト教迫害者であったという黒歴史(ブラックヒストリー)を持つ人でもありました。そのことは当時の教会の中でよく知られていた事実です。この人は本当に信頼できる人なのかどうかを疑う人は少なからずいました。パウロについての人物評価は当時の教会の中で二分し続けていました。

そのことはパウロ自身も十分自覚していました。それでパウロは、イエス・キリストの福音の根幹を揺るがすとんでもないことを言い出した人々の中で中心的な人物になってきたペトロと直接会って説得しなければならないと考えました。そして、実際にパウロとペトロの直接対決の場面があったことを、パウロはこの手紙の2章11~14節に記しています。

「さて、ケファがアンティオキアに来たとき、非難すべきところがあったので、わたしは面と向かって反対しました。なぜなら、ケファは、ヤコブのもとからある人々が来るまでは、異邦人と一緒に食事をしていたのに、彼らがやって来ると、割礼を受けている者たちを恐れてしり込みし、身を引こうとしだしたからです。そして、ほかのユダヤ人も、ケファと一緒にこのような心にもないことを行い、バルナバさえも彼らの見せかけの行いに引きずり込まれてしまいました。しかし、わたしは、彼らが福音の真理にのっとってまっすぐ歩いていないのを見たとき、皆の前でケファに向かってこう言いました。『あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のほうに生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか』」。

この中に出てくる「ケファ」が使徒ペトロです。「ケファ」も「ペトロ」も「岩」という意味です。「面と向かって反対した」は「面罵した」という意味です。先輩ペトロを後輩パウロが面と向かって怒鳴りつけた格好です。理由は何であれそのこと自体がとんでもないという評価もありうるでしょう。後輩のくせに生意気だと。

パウロから抗議を受けたペトロがその後どうなったかは分かりません。ペトロの考えが変わったかどうかは、聖書のどこを探しても調べがつきません。変わったかもしれないし、変わらなかったかもしれません。

そして、そのパウロとペトロの直接対決の場面があった前なのか後なのかは分からないのですが、内容的に明らかに直接関係ある出来事が使徒言行録15章に記されています。そこに描かれているのはキリスト教会史上初めて行われた教会会議である「エルサレム会議」です。

その会議の議題は、割礼の問題でした。「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」(使徒言行録15章1節)とキリスト者たちに向かって教える人々が登場したので、その問題に決着をつける必要が生じたために開かれたのが、エルサレム会議でした。

私が個人的に興味深く思うのは、エルサレム会議の様子を描く使徒言行録15章の中にペトロの名前が出てこないことです。ペトロがいなかったはずはないのです。むしろ中心人物であったはずです。しかし、そのペトロの名前が出てこないのは、隠されているとしか言いようがないです。使徒言行録の著者がペトロの名前をなぜ隠しているのか、その理由は分かりません。

ただ一つ言えることは「割礼を受けなければ救われない」というイエス・キリストの福音に反する教えを広めようとしたのは、使徒ペトロ個人ではないとしても、ペトロを中心に置くほどの最古層の人々であったことは間違いないということです。

その人々は、教会について語るときには使いたくない表現ではありますが、教会の中で「権力」をもつ人々です。その人々に逆らえば教会の中にとどまることができなくなるような存在。そういう人々と闘うことをパウロは余儀なくされたわけです。つまり、パウロの論敵は教会の外だけでなく、教会の中にもいました。しかも教会のど真ん中にいたのです。

それに、教会の教えに関してどちらか正しいかを争うのは本当に大変なことです。まさに神学論争です。「神学論争」という言葉を「答えが出ない堂々巡りの屁理屈」という意味で使う人々がいます。今私が申し上げたことも、その意味を含んでいます。

しかし、パウロはどうしても引くことができませんでした。なぜなら、この論争に負けるならば、パウロがその後半生において死力を注ぐことになった「異邦人伝道」にとって著しい障害になることが目に見えていたからです。

「人が救われるためには信仰だけでは足りません。割礼を受けなければ救われません」という教えを異邦人に向かって語るや否や、異邦人の教会に集まる人々は、たちまちのうちに蜘蛛の子を散らすようにいなくなってしまうでしょう。なぜなら、割礼は自分の体に傷をつけることだからです。割礼を受けるという高いハードルを超えてまで救いを求めようとする異邦人はほとんどいないでしょう。

そのことがパウロの目にはっきり見えていたのです。パウロは、異邦人にとってのハードルや障害をできるかぎり取り除いてあげたいと願っていたのです。だからパウロはこの論争からおりることができなかったのです。

そのパウロの気持ちを最もよく表わしているのは、使徒ペトロを面罵したときに言った言葉です。「あなたはユダヤ人でありながら、ユダヤ人らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にユダヤ人のように生活することを強要するのですか」。これです。

私が今日みなさんにお話ししたいと願ってきたことも同じです。説教題に「キリスト者の自由」と書かせていただきました。私が最近しばしば考え込んでいるのは「キリスト者とは何か」という問いです。パウロが証言しているのは、使徒ペトロが「異邦人のように生活していた」ということです。イエス・キリストの一番弟子であり、教会の最高指導者になった、あの使徒ペトロが、です。

「異邦人のように生活する」とは、第一義的には旧約聖書の律法から全く自由にされた生活を営むことです。それはユダヤ人たちが最も軽蔑し、差別していた生き方です。そのような生き方を当時の教会の最高指導者たる使徒ペトロがしていたということは、まさに「異邦人のような生活」のあり方が「キリスト者の生活」のあり方になったことを意味しています。ということは「キリスト者の自由」とは「異邦人のように生きる自由」であると言ってはいけないでしょうか。

そして、もしそのように言ってよいなら、パウロの言葉は、次のようにも言い換えることができるはずです。「あなたはキリスト者でありながら、キリスト者らしい生き方をしないで、異邦人のように生活しているのに、どうして異邦人にキリスト者のように生活することを強要するのですか」。

いま申し上げた言い換えには、強烈な皮肉と、激しい批判の思いを込めています。しかし私は50歳で50年教会に通ってきた人間です。まるで他人事であるかのように教会を批判する思いはなく、強い自戒を込めて申し上げているつもりです。

先ほど申し上げたとおり、私が最近しばしば考えさせられているのは、「キリスト者とは何か」という問いです。「キリスト者らしい生き方」とは何を意味するのでしょうか。「キリスト者として」とか「キリスト者らしく」とかそのような言い方をよく耳にしますが、それは何のことでしょうか。

パウロが見たペトロの姿は「異邦人のような生活をしている人」でした。それは「信仰を持たない人々と変わらぬ生活をしている人」と言っているのと同じです。それが当時の教会の最高指導者の姿でした。それ以上のことが「キリスト者」に求められるのでしょうか。

それとも「キリスト者」には、「異邦人のような生活」とは異なる、プラスアルファの要素があると考えるべきでしょうか。具体的に何をすることが「キリスト者らしい生活」なのでしょうか。これをすればあれをすれば「キリスト者らしい」ということを言えば言うほど、新たな律法、もっと過酷な負担を負わせるだけの結果になっていないでしょうか。

新約聖書の複数の福音書の中で紹介されている、主イエスが語られた「子どものように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない」(マルコ10章15節)という言葉の「子どものように」が具体的に何を意味するかは不明であるとされています。「子どものように」は「静寂な集会の邪魔をする騒がしい存在」という意味でしょうか。そうかもしれません。しかし「罪がない存在」という意味ではないと思われます。聖書の価値観に従えば、子どももまた「罪ある存在」です。

私が思いつく答えは「子どものように」の「子ども」の意味は「喜び楽しみ遊ぶ存在」です。キリスト者の信仰生活や教会活動が悪い意味の「仕事」になっていないかどうかをよく考える必要があります。義務だから責任だからノルマだからと追い回される状態になっていないかどうかを。「キリスト者」はもっと自由に遊んでよいのです。義務だの責任だのという意味で教会が存在するのではないのです。

(2016年10月9日、日本バプテスト連盟千葉・若葉キリスト教会主日礼拝)