2013年8月9日金曜日

福音とイデオロギー

ただ、つと最近悩ましく思っていること、ディレンマは、

改憲反対「運動」や反戦「運動」の人たちとの関わり方や距離感がつかめない、ということです。

その「運動」を継続していくためには、

(べつにぼくは悪い意味で使うのではないのですが)一定の「イデオロギー」の肩口から投げ出され、正確にピンポイントに同じ結論へと投げ込まれる、バッティングセンターのピッチングマシンさながらのような言説と行動が必要であり、それがその「運動」の特徴でもあり、売りでもあります。

ですが、教会が宣べ伝える「福音」は、そのような意味での「イデオロギー」とは全く異なるものであり、似ても似つかぬものです。

「福音」と「イデオロギー」の区別と関係について、我々は正確に把握できているでしょうか。そのへんが一緒くたになっていて、不毛な混乱を招いている面はないでしょうか。

ぼくは「運動」を否定しているわけではないし、非協力的であるつもりもありません。

ただ、「福音」の自由に生きようとすると(「福音」は、なんら金太郎飴ではありえません!)、特定の「イデオロギー」の人たちから、これまた一定の(ピッチングマシンのような)攻撃を受けるというのは、しんどいことです。