2008年4月27日日曜日

言葉の限界


使徒言行録21・17~26

今日の個所からは、いつもよりは少し、皆さんにとって分かりやすく親しみやすい話ができるのではないかと自分で期待しています。今日の個所から取り上げたいと願っていることは、おそらくわたしたちがほとんど毎日のように体験していることではないだろうかと感じるからです。

それは要するにこうです。こちらが言っていることがあちらに通じない。善意で語っていることが悪意に受けとられる。言葉の壁があるということです。言葉の限界を感じるということです。そのことを使徒パウロが繰り返し体験しました。そのような歯がゆい思いを味わったのです。

「わたしたちがエルサレムに着くと、兄弟たちは喜んで迎えてくれた。翌日、パウロはわたしたちを連れてヤコブを訪ねたが、そこには長老が皆集まっていた。パウロは挨拶を済ませてから、自分の奉仕を通して神が異邦人の間で行われたことを、詳しく説明した。これを聞いて、人々は皆神を賛美し、パウロに言った。『兄弟よ、ご存じのように、幾万人ものユダヤ人が信者になって、皆熱心に律法を守っています。この人たちがあなたについて聞かされているところによると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して、「子どもに割礼を施すな。慣習に従うな」と言ってモーセから離れるように教えているとのことです。いったい、どうしたらよいでしょうか。彼らはあなたの来られたことをきっと耳にします。』」

パウロは三回にわたる伝道旅行を終えて、ついにエルサレムに到着しました。多くの人々がパウロのエルサレム行きに反対していましたが、パウロはそれを押し切ってエルサレムに行きました。するとそこでパウロを待ち受けていたのは、多くの人々がパウロについて聞かされてきた悪い噂を、彼自身が聞くという出来事でした。

パウロにそれを伝えたのは、ヤコブでした。すでに多くのユダヤ人がキリスト者になりましたが、その人々があなたパウロについて聞かされているのは、あなたが異邦人たちに教えていることは「モーセから離れるように」という由々しい、けしからん教えであるということです。

ヤコブの言葉から察しうることは、わたしたち自身はあなたパウロがそのようなことを教えていると考えているわけではありませんというニュアンスです。しかし、あなたの教えがそのように誤解されている以上、誤解を解く責任があなた自身にあります。そのようにヤコブが考え、パウロに伝えた様子が記されています。

ユダヤ人たちの間に広まっていた悪い噂の内容は、パウロは異邦人たちに対し、「子供に割礼を施すな。慣習に従うな」と教えているということでした。しかし、このようなことをパウロは教えていません。パウロが教えたのは、人が救われるのは割礼を受けることによるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によるということでした。またイエス・キリストを信じる信仰は神の恵みであり、聖霊なる神の賜物として与えられるものであるということでした。

そしてもう一つそこに加えられるべき要素がありました。異邦人たちがキリスト教信仰を受け入れ、教会の仲間に加えられるときに求められる条件は、割礼ではないということでした。

なるほどたしかにパウロは、伝道旅行の中で出会った「割礼を受けなければ救われない」と教える人々の間違った考えに対して反対しました。そして、そのことをパウロは、使徒言行録15章に記されているとおり、エルサレムで行われた教会会議において多くの人々の前で主張した結果、それが教会会議の正式な決定事項になりました。それによってパウロの意見は、彼の個人的な主義主張ではなくなり、全キリスト教会の意思となったのです。

しかしそれにもかかわらず、です。時間の流れが何かを狂わせてしまったのでしょうか、パウロの居ない間に話があらぬ方向に捻じ曲げられてしまったのでしょうか、原因はよく分かりませんが、とにかく非常におかしなことになってしまいました。教会会議の決定がいつの間にか、パウロの個人的な意見であるかのようにみなされていました。またパウロが語ってもいないことを、彼が語ったことであるかのように伝えられていました。

自分が語っていない言葉の責任をとることなどは、本来は無理な話です。しかし、自分の居ない間に「これはあの人が言ったことだ」という噂が独り歩きしていた。とる必要もない責任を、いつの間にか押しつけられている。そのことにパウロは気づかされたのです。

同じようなことは、皆さんもおそらく体験したことがあると思います。言ってもいないことを「言った」と言われる。してもいないことを「した」と言われる。そのときわたしたちは、非常に不愉快な思いにとらわれます。しかしまた、一方で、火のないところに煙は立たないこともわたしたちは知っています。話をよく聞いてみると、その噂の発端の部分には、たしかにわたしたちが語ったり行ったりしたことが含まれている場合があります。だからこそ、話がややこしくもなるのです。

パウロの場合は、人が救われるのは割礼によるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰によるということについては、たしかに語りました。それがいつの間にか「パウロはモーセから離れるようにと教えている」という話に変わっていた。そこに働いているのは一種の拡大解釈です。パウロ自身がたしかに語った最初の言葉が、それを聞いた人々の耳の中で、脳の中で、心の中で、パウロが一度も語ったことのない言葉へと変換され、拡大解釈されてしまったのです。

牧師の仕事などをしておりますと、このようなことは日常茶飯事です。幸いなことに、松戸小金原教会に来てからは、そういうことに悩まされることは無くなりました。しかし、以前はよくありました。「関口先生は説教の中でこう言った」。そのように言われるときはたいてい批判です。しかも、実際には言っていないことを「言った」と言われる。そして「あの言葉に傷つきました」と言われるのです。

詳しい内容を紹介することは控えます。説教で「神さまはおひとりです」と語りました。すると午後電話があり、「関口先生は私に離婚しろと言った」とおっしゃるのです。ご夫婦で宗教が違っていたからです。「いえ、まさか私がそんなことを言うはずがありません」とお答えしましたが、聞き入れてくださいません。すぐにお宅に行き、じっくり話す時間を持ちましたが納得していただけず、その日から半年ほど礼拝にいらっしゃいませんでした。

そのときはっきり分かったことは、我々の言葉には限界があるということでした。人間が“神の言葉”を語ることなどそもそも不可能であると痛感させられた場面でした。人間の言葉には限界があります。もちろん“説教”にも限界があるのです。

「神さまはおひとりです」と語ると「離婚しなさいと言われた」と聞かれるのですから。パウロの場合は「人が救われるのは、割礼によるのではなく、イエス・キリストを信じる信仰による」と語ると「モーセから離れろという意味なのか」と聞かれたのですから。

いろんな例があります。「わたしたちの教会は改革派教会です」と語ると「他のグループを否定している」と反発されることがあります。「信仰をもって生きることはわたしたちの喜びです」と語ると「信仰のない人間を裁いている」と言われることがあるのです。

もちろん配慮は必要でしょう。私も、自分の語った言葉や語っていない(!)言葉で人を傷つけてしまった(らしい)ことがありますので、表現の仕方を工夫するなどの方法で解決できる問題があるならば、いくらでもそうしたいと願うばかりです。

そして、「言った・言わない」という空しい論争を避けるために今の私がしていることは、すべての説教をインターネットで公開することです。私の場合、インターネットで説教を公開しているのは「伝道のため」ではありません。「言った・言わない」という押し問答をしたくないからです。そのためには、私が書いた文章を多くの方の目で見ていただくことが最も単純な方法であると確信しているからです。これ以外の動機は私にはありません。自分で書いた言葉には責任をとることができます。間違っていれば訂正いたします。

私の説教は、インターネットを通じてではなく、できるだけナマで(ライヴで)聞いていただきたいと願っています。キリスト教信仰は、同じ空間と時間を共有し、顔と顔、目と目を合わせて、人格的な触れ合いを通してでないかぎり、決して伝わらないものです。

「『だから、わたしたちの言うとおりにしてください。わたしたちの中に誓願を立てた者が四人います。この人たちを連れて行って一緒に身を清めてもらい、彼らのために頭をそる費用を出してください。そうすれば、あなたについて聞かされていることが根も葉もなく、あなたは律法を守って正しく生活している、ということがみんなに分かります。また、異邦人で信者になった人たちについては、わたしたちは既に手紙を書き送りました。それは、偶像に献げた肉と、血と、絞め殺した動物の肉とを口にしないように、また、みだらな行いを避けるようにという決定です。』そこで、パウロはその四人を連れて行って、翌日一緒に清めの式を受けて神殿に入り、いつ清めの期間が終わって、それぞれのために供え物を献げることができるかを告げた。」

ヤコブがパウロに勧めたことは、あなたパウロがこれからしなければならないことは、あなたについての噂は「根も葉もない」ことであることを明らかにすること、すなわち、誤解を解くことであるということでした。

このヤコブの勧めは、パウロの性格を考えると、おそらく、かなり理不尽に感じたのではないかと思われます。噂など放っておけばよい。どうぞご自由に!言いたいことを言いたい放題、言わせたらよい。わたしには関係ない。そのように言いたい気持ちがパウロの中に全く無かったと考えることは難しいと思います。

パウロは、だいたい、いつもけんか腰でしたから。自分の言葉や行いについて弁解することや、人におもねっているように見られかねない態度をとることは最も恥ずかしいこと、あるいはもっと強く言えば、最も屈辱的なことと感じたのではないかと思われるのです。

同じような場面で、イエスさまは、ほとんどの場合、いえ、すべての場合と言ってよいほどに、弁解も弁明もなさいませんでした。十字架の上にはりつけにされたときでさえ。イエスさまの口から、人におもねる言葉が発せられたことは、一度もありませんでした。この点は、わたしたちキリスト者たちにとって、人の前で弁解や弁明をすること、自分のことを理解してもらうために言葉を尽くして語ることに躊躇や抵抗を感じる理由になって来たのではないかと思われるのです。

しかし、パウロはヤコブの勧めを受け入れました。このときパウロが心の中でどのようなことを考えていたかは分かりません。しかし、とにかく受け入れました。その理由は、はっきりしています。パウロが伝道したかった相手は、彼の同胞であるユダヤ人たちです。そのパウロがユダヤ人に伝道するためには、どうしてもユダヤ人のキリスト者たちの助けが必要だったからです。

ユダヤ人のキリスト者がたどった道は、ユダヤ教からキリスト教への道でした。パウロ自身も同じ道をたどりました。これから信じる人たちも同じ道をたどります。そのため、これから信じる人々に伝道するために、「その道を通ってわたしも救われました!」と語る信仰者の生きた証しが必要なのです。

愛する同胞が救われるためには、自分のプライドなどどうでもよい。「この命すら決して惜しいとは思わない!」(20・24)。この一点の動機が、パウロを突き動かしたのです。

(2008年4月27日、松戸小金原教会主日礼拝)